5、とある家族との出会い。(zwei)
また中途半端なところで区切ります。
目を覚ました時、一番最初に気づいたのは僕が寝ていたベッドに寄りかかるようにしてあの女性もまた、堂々と寝息を立てていたことだった。彼女はあたかもずっとそこにいたかのように時間を潰すための本とスタンドライト、缶詰、缶切りを床に不規則に散乱させ椅子に腰を置き、上半身だけ突っ伏す様にベッドを侵略していた。
これは僕が命をおとなしく託した結果、なのだろうか。ただ流れるままにこのおせっかい焼きのオネーさんの言う通りにしてただのような気もする。いったいこの女性は何者なんだろうか、素振りからは医療系なようで、それでも偉そうな口ぶりはどこか医療系らしくなくて。
そんなことを考えていると「んー」っと女性が少しだけ呻き、頭を転がして小さな寝返りを打った。特徴的なその黒色の延々と延びた頭髪が巻き込まれ、女性の顔は黒で覆われ暑苦しそうだった。
そんな様子を、ちょっとした感謝の念を眼差しに込めて鑑賞しつつ、僕はここが一体何処なのか、挙動不審とも見えるような素振りで辺りを見回し、既知の領域に身を置こうとした。
子供部屋なのだろうか、部屋には勉強机に本棚、テニスのラケット、賞状などが飾られていて、本棚の中身は漫画本が主を占めていた。掛けられた時計の針は十二時を回ろうとしていた。窓から差し込む光のあまりの眩しさに目を細め、今が昼であることを知った。
久方ぶりに腰に力を入れて小粋気味に乾いた音を奏でつつ、上体をゆっくりと立ち上げて窓の外を眺めると、あの男の子が何が楽しいのか春の陽気に当てられたように走り狂っている様子が目に入った。
そんな様子を見て微笑みを作り、今更自分の身体の状態が回復していることに気が付いた。何度も恋人から注意された僕の欠陥。全く、僕の愚鈍さは世界が絶望しきっても勝手に変わってはくれないらしい。
音を立てないように、目の前の女性の目が開かないように、泥棒よろしくゆっくりとベッドから忍び降りようとすると、久しぶりに動かす足は要領を得ず、思惑に反して鈍く大きな音を立てて僕は地に伏した。
「ん……。ん?」
音のせいで起きてしまったのだろう、女性からそんな寝惚け気味の不安定な声が聞こえた気がした。女性はその後伏せていた頭をまた数回転がして、呻き、やっと動作が止んだかと思えば今度は急に顔を上げた。
「ああ、おはよう少年。どう?調子は。」
寝起き第一声で他人の状態を気にすることのできる人物がこの世に何人いるだろうか。こんな絶望した世界ならもうこの人だけなんじゃないだろうか。こんな生粋のおせっかい人間は。そう僕は思った。
「概ね多分、大丈夫です。まだ足が上手く動かせてないですけど、少し歩けばすぐに感覚を思い出します。」
「そうか。」
「ほんと、ありがとうございました。」
「いやいや、別に特別恩を感じる必要はないよ。自分のしてあげられることは最善を尽くす、職業柄がそんなんだったから抜けないんだ。」
「……看護師とかですか?」
「お?勘がいいね。ビンゴだよ。」
「いや、何となく面倒見が良かったりしたところからもしかして……とは思ってたんです。」
生粋のおせっかいだと思ってました、とは敢えて言わないことを選んだ。
「そっかー。まぁ、それはそれとして。時に少年よ。」
「はい。」
「おなかは減ってないのかね?君を運んできてもう丸三日経ってるんだけど。」
ああ、道理でさっきからおなかの調子がおかしい、そう思っていた所だ。言われた次の瞬間、まるで漫画のように僕のお腹は大きく音を立てた。
看護師の女性は「そろそろお昼だし、ごはんにしようか」と微笑んでくれた。僕はたぶん思いのほか元気に返事をしてしまったのだと思う、目の前にいた女性に声を上げて笑われてしまった。
僕と女性が子供部屋と思しき部屋を後にして、今へと移動した。女性は今に着くと窓を開けて叫び男の子を呼んだ。
今更、この二人の関係を疑問に思う。今、台所に立ち料理を始めようとしている女性はどう見たって二十代前半といったところだろう。結んだ長い髪には艶があって、肌だって白くしわが見当たらない。
対して男の子の方は小学生、たぶん低学年。もしかしたら背のかなり小さな中学年なのかもしれないけど、高学年ではないとはっきりと言い切れるような容貌だった。
親子の言うには年が近すぎる。年だけで言えば少し離れた姉弟と言えなくもないのだろうけど、それでも関係性は見ていて母子のようだった。
「何か手伝いましょうか?」
「いや、ほとんど缶詰とインスタントだから待っててくれていいよ。あ、そうだ。たくやが帰ってきたら手を洗うように言ってくれると助かるかな、どうせまた虫だったり土だったりいろんなものを触ってきてるだろうから。」
ほんと、この人は一体あの男の子の何なのだろうか。と思いつつ、込み入ったことを聞くのは体を治してもらった身としては少し気が引ける物があった。
「わかりました。」
そう言いつつ、僕は椅子に座りテーブルに向った。テーブルには花瓶があって、そこには小さくも優しい色彩の花が束になって飾られていた。
「どう?その花綺麗だろ?」
「ですね、ただ特別珍しいような花じゃない気がします。名前は知らないけどどこかで見たような、」
「まぁ、そうだろう」
「どこだったかな……花屋?」
「花屋にこんな小さな花は売ってないよ、そもそも手入れされなくなった植物はすぐに枯れてしまう、特に花はね。だから花屋さんなんかに行ってももう何一つまともな花は残ってないと思う。」
「そうですか、じゃぁこれは?」
そう僕が問うと女性は手元で作業をしながら誇らしげに少し鼻を鳴らしてこう言った。
「それ全部、たくやが探して採ってきてくれたんだよ。」
そう話す女性の顔はどこかとても嬉しそうだった。母子だろうと、姉弟だろうと取り敢えず二人はちゃんとした家族の形式をこんな世界でも維持しているんだ、と僕はこの時の女性の顔を見て少し感心したんだと思う。
そんな二人の関係を微笑ましく、そして関係性を喪失させていた僕は心から羨ましく思った。
羨望の余韻に少しだけ浸っていると玄関の開閉する音が聞こえた。噂をすればちょうどたくやくんが帰ってきたようだった。
「楓さん、ただいまー! ってお兄ちゃん起きてるし」
彼は少し驚いた様な表情を見せた。それでもそれを喜んでいるような嬉色の雰囲気が滲み出ている所から察するに、彼は女性の良い影響を受けたお人好しなのだろう。
「お帰り、たくやくん。おねぇさんが手を洗っておいでって言ってたよ。」
「わかった!」といってたくやくんは楓さんと呼ばれた女性のいる台所まで小走りに駆けて行った。
今日はどこいってたの?とか、綺麗な花を見つけたよとか、今度一緒に行ってみたいな、だとか微笑ましくほのぼのとした会話がテンポよく紡がれていく様子に、僕は頬を緩めながら耳を傾けた。
「ほら、ご飯出来たよ。」
女性が台所から、皿に和えられた食材、香ばしい匂いと共に今にやってくる。各々に注ぎ分けられた皿が机の上に規則的に配置されていく。内容を見分するに、皿の上には焼きそば、そしてもう一枚追加で配られた皿にはキャベツ、キュウリ、トマトのサラダが盛り付けられていた。
女性は配膳が終わった後、僕の向かいの席に腰を下ろし僕の方を見た。
「そんなに珍しいか?」
「はい、生の野菜なんて久しぶりに見ました。今までお湯すらありませんでしたからインスタントの焼きそばだって一年以上お目にかかってません。」
「まぁ、近くにジャングル化したビニールハウスがあったり、ここで発電するから加熱調理ができたりするんだけどさ?もうちょっとあの子には栄養ある物を食べてほしーなーって思うわけよ。」
女性が少し不満顔で現状に足りないものを挙げる。一方的に愚痴られたような形にしては何故か聞き心地は悪くなかった。それはたぶん、その不満が人を思うことで出来たものだったから。解決策は持っていなかったけれど、僕は「そうですね」と微笑んで返した。
「お待たせ―!」
少年が手を洗い終えたのだろう、微かにそして断続的に流れていた音が栓を占めたように止まり、こちらへと向かってくる足音が聞こえた。
そうやって、三人で食卓を囲む。音頭は女性が取り三人で声を合わせて“いただきます”をした。不揃いな和音が静かだった空気を震わせて心地よく響いた。
「うんうん、二人ともいい食べっぷりだ。」
早々に食べ終わってしまった僕と、せっせと焼きそばを口に運んでいる男の子を見て女性はそう言った。
「たくや、たくさん食べてそのお兄ちゃんの身長くらいは抜けるようになろうな」
なんて、食事中にも拘らず女性は男の子の頭に手を伸ばし、半ば強引に撫でた。ワシワシ、撫でているの域を越したようなその愛情表現に男の子は少し煩わしそうで、それでも嬉色の感情を隠しきれていない満更でもなさそうな表情を作った。
そんな光景を見ながらコップを手に取り、水を喉に嚥下させる。喉の熱を奪って流れた感覚は少し、心地が良かった。
「ねぇ!楓さん、お兄ちゃんも起きたならさ、今日こそお花見に連れてってくれるんだよね!」
「あぁ、約束だったもんな。いいよ、食べ終わったら準備しておいで。」
わーい。と多少大げさに甘えるように喜ぶ少年を見て心が軽くなった、意図せずに自然と頬が緩んでいく、久しぶりに感じる人と人の繋がりはそれの尊さだったり小難しい事は抜きにして目の前の光景が暖かかった。
「お花見……ですか?」
「そ、誰かさんがあの後熱出して三日も寝込んだから前々からしてた約束を延期にしてたわけ。」
女性は少し強めの口調で、まるで怒っているかのようにそんな言葉を紡いだ。しかし嘘の付けない性格なのだろう、表情が全く怒気を帯びていなかった。