ダンスは何故、すごいと感じるのか?
TVでエグザイルのダンスを見ていてふと思いました。
人はなぜ音楽に合わせて踊るのだろうか、と。
別に歌手だけでもよくないか? と歌番組を見るたびにわたしは首をひねっていました。
もし、ダンサーがいなかったら、何かが欠けてしまうのでしょう。
その何か……とはいったいなんなのでしょうか。
たぶん「迫力」なのだと思います。
歌手の後ろで激しいダンスを踊ることによって、その曲の爆発的なエネルギーを表現しているのでしょう。
歌手は踊りながらですと歌に影響が出るので、激しい動きはできません。なので、歌手以外のダンサーが必要になるのです。
また、ダンサーの数が多ければ多いほど(下手な人が集まっても意味はありませんが)、それは「すごい」ものになるのだと思います。
あれ? ちょっと待って。
この「すごい」って感情、とても大切な気がします。
一人だけ踊っている人がいたら、はたして「すごい」と感じるでしょうか?
たしかにめちゃくちゃ上手な人が踊っていたら「すごい」って思うかもしれませんね。マイケル・ジャクソンとか。曲のテンポに合わせてビシッと決めたり、超人的な動きをしてたらたしかに「すごい」って思います。
でも、彼もバックダンサーを引き連れて踊ってたりしますよね?
まわりのダンサーたちもかなり高いレベルです。そうした人たちと一糸乱れぬ同じ動きをすると、さらに「すごい」と感じる。その効果をマイケルは狙っていたのではないでしょうか。
この「曲に合わせて他人と同じ動きをする」というのは動物にはできない高度な動きです。
ですから、人々はそこに神秘的な感動を覚えるのかもしれません。
よく祭りでも踊っていたりしますよね。あれは神にささげる奉納の踊りだったりします。それも、楽器を鳴らしたり、歌を歌ったりと、「踊り」だけでなく複合的な協調性が演じられます。
この協調性が複雑であればあるほど、人は「すごい」と思うのではないでしょうか。
そう考えると、エグザイルはまさにたくさんのダンサーが一斉に同じ動きをするので、「すごい」と感じるのでしょうね。歌手もとても上手い方々なのですが、さらにその「すごい」が加わって、全体的にとても素晴らしいと感じるのでしょう。
――「すごい」の連鎖が起きているのです。
こうしたことを考えていたら、もしかして他のことにも応用できるのではと思いました。
とくに我々、文章を書くものにとっては、小説において使えますね。
この「すごい」という連鎖を物語の中にも仕掛けたらどうなるでしょうか。
たとえば、一人のありえないくらいぶっとんだキャラクターがいたとします。
ヒロインも一風変わっている。
サブをつとめるキャラクターもどこか憎めない魅力的な存在。
さらに世界観も「すごい」と思わざるを得ないような、そんな物語……。
あまり複雑だとわかりにくくて「すごい」とは思わないでしょうから、あくまでもわかりやすく、しかもインパクトのある、読者に感動を与えるようなものを用意しなくてはいけません。
やりすぎると陳腐になってしまうので扱いがむずかしいのですが、それでもやってみる価値はあると思います。
みなさんはどんなものに「すごい」と感じますか?
わたしはデザインが奇抜なものとか、歴史を感じさせるもの、あとは超常現象などを「すごい」と感じます。
「すごい」と思うものをいったん掘り下げてみて、その驚きを、感動を、自らの小説に反映させてみると良いのではないでしょうか。