宝箱のふたは何故、かまぼこ型なのか?
日々のあれこれを小説にからめて考えてみました。
みなさんはどう思われるでしょうか?
ゲームなどで、よく出てくる宝箱。
あれのふたは何故かまぼこ型なのか……。
わかる方いらっしゃいますか?
もしわかりましたら、この回を読む必要はありません。
しかし、もしわからないのでしたら、ぜひ読んでみてください。
……わかる方も、少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。
さて。
なぜなのか、ですが……。
わたしもふいに疑問に思ったんです。
普通、箱って真四角になってますよね。
まとめて運びやすいように、積み上げられる形になってます。
その方が、効率的だからです。
でも、宝箱は……積み上げられません。
これはかなり非効率です。
でも、きっと何か意味がある。
そう考えたらけっこう面白い結果になりました。
答えは……「積み上げられないようにするため」です。
逆説的なだけじゃないかって?
いやいや、この世の中、案外そういうのが真相だったりするんですよ。
一応、断っておきますが、この答えはあくまでわたしの中での「正解」ですので、他にも何か意味があるかもしれません。
なぜ、積み上げられないようにしたのか。
それは、「中の宝物が壊れないようにするため」です。
積み上げられるような形ですと、無制限に積み上げてしまったりして、最悪箱がつぶれてしまいかねません。中の物が壊れてしまう危険性があります。
かまぼこ型なら物理的に積み上げられないし、安心ですね。
そう考えると、大切な宝物の入っている箱ほど、奇抜なデザイン、もしくは頑丈なものになっていると想像されます。
装飾を華美にすることで、他の箱と隣り合わせにすることすら拒ませてしまう。そんな箱だと、中身はさぞ貴重なお宝なのでしょうね。
こんなことを考えていると、ふと、「小説もこの宝箱と同じなんじゃないか」というようなイメージがわきあがってきました。
どういうことかというと、こんな風に比較できるんじゃないかと思ったのです。
【宝箱】・・・・・【小説】
宝箱の外観・・・・タイトルやあらすじ
宝箱の中身・・・・本文、テーマ
中身の製作者・・・作者
中身の送り先・・・読者
だいたい、こんな感じで合ってると思います。
作者は宝箱の製作者である場合もありますが、書籍で売られるときには編集者などがタイトルやあらすじを考える場合もありますので、一応こういうくくりにしてみました。
さて、ここで第二の質問です。
「ただの箱」と「宝箱」、このふたつを見分ける大きなポイントはどこか?
一問目の正解を知っている方は、もうお分かりかと思います。
奇抜なデザインの方が圧倒的に「宝箱」である可能性が高いですね?
ということは、読者にこの作品が「宝箱」であるとわからせるためには、タイトルやあらすじを工夫しなければならない、ということです。
華美にするにしろ、シンプルにするにしろ、中身がどんな宝物なのかを想像させるデザインにしなければ、その箱(小説)は「ただの箱」としか認識されません。
多くの箱に埋もれ、せっかくのお宝が世間に発見されないままとなるのです。
スコッパーさんはまさしく、そういったお宝の発見者、といったところでしょうか。
トレジャーハンターですね。
次に、「お宝の価値」とはなんでしょうか。
中身がただのゴミだったら、それはいくら宝箱のかたちをしていても、ただの箱になってしまいます。
超絶技巧をもつ製作者のブランド力……でしょうか。たしかにそれも価値のひとつだと思います。
「あの作者がつくった作品だから、お宝である」
しかし、それは最初から「ブランド力」があったわけではありません。
それを求める人がたくさんいたから、その作品が「ブランド」になりえたわけです。
技術はある、しかし「需要」がなければ、それはただの独りよがりの変態が極めた技術の結晶でしかないのです。
価値、それはまさに「需要」につきるでしょう。
しかも「誰に」望まれているかというのがかなりカギになってくると思います。
たとえば、高貴な方々がこぞってそれを求めた場合。
王族や貴族たちは長年培ってきた審美眼があるため、それを求めた時には、すでに暗黙のルールで「美術品としての価値がある」ということになってます。
そのため、かなり高額な値段で取引されます。
その時点で「お宝確定」ですね。
一方、一般人。誰が見てもわかる美しさや芸術性、または希少性がある場合ですと、これも「人類の至宝」とかいう扱いになります。
大きな宝石、または月の石なんかそうですね。
誰でもこれは「お宝だ!」と一発でわかります。
小説ですと、それはどういったたとえになるでしょうか。
小説が「お宝だ」とわかるのは、審美眼をもった一流の読者(賞の審査員など)が、一定の技術や物語性を評価した場合。また、一般の読者でも、「素晴らしい」と感動できる作品が世に出たときではないでしょうか。
小説が「お宝」となるのはどんなときか。
誰の心にも響く言葉というものがあります。
けっして難しい言葉だけを書き連ねたものだけが「お宝」となりえるわけではありません。
最低限、読みやすい文章ならば、物語だけでも読者を引き込むことができます。
どろどろして醜いのに、なぜか目が離せない、そんなお宝もあるんです。
けれど……。
本を読む人口というのは、限られています。
推理小説ばかり読んできた人にはその分野の審美眼があります。
恋愛小説ばかり読んできた人にはその分野の審美眼があります。
ホラー小説ばかり読んできた人にはその分野の審美眼があります。
コメディ小説ばかり読んできた人にはその分野の審美眼があります。
そして、ファンタジー小説ばかり読んできた人には、その分野の審美眼があるのです。
賞を受賞したいなら、その分野のプロの目をうならせる「お宝」にしないといけません。
そんな箱に、どんなお宝を入れるのか。
開けた時に、どんな印象を与えるのか。
そんなことを「宝箱のふたの形」から飛躍して想像してみました。
あなたの宝箱はどんな宝箱ですか?