元営業マンの苦悩
目の前に広大な野原が広がっている。
空は青く、高く、晴天とはまさにこのことを言うだろう。
そして現れる漆黒の騎士や、国王軍の兵達、異型のモンスターに飛び交う魔法と弓矢。
ついさっきまで平和だった広大な野原が、炎によって焼きつくされ、剣と剣がぶつかり合い、禁じられた魔法を詠唱する声が聞こえ、ドラゴンの鳴き声が響き渡る戦場とかす。
味方の陣営には頼もしいエルフの癒し手が何人も待機し、俺を助けてくれる。
敵陣には、悪ーい顔をした華奢なロリ英霊が、配下を指揮している。
俺は少し口を歪ませ笑いながら、
「さぁさっさと終わらせるぞ。」
と仲間に叱咤激励をかける。
そして始まる最終戦争。光と闇のぶつかり合い。この勝敗が世界を決する。
なんて事にはならなくて、空想から抜け出し現実を見つめれば、そこにあるのは、冒頭で語った広大な野原だけ。騎士も兵もモンスターも剣と魔法も、華奢なロリ英霊すらいない。なんにもないただの野原が広がっている。
「かゆっ!」
ふと気が付くと腕に蚊に刺されたあとがあった。
失礼。異型のモンスターはいなくとも、蚊はいるらしい。
俺は銃を肩にかけながら、ひっきりなしに刺された場所を引っかき続けた。
自身の鬱憤をはらすかのように。
そう、ここは東富士演習場。6月の上旬、俺は蒸し暑い季節の中、銃を持って駆けずり回っている。
剣も魔法もファンタジーな世界なんて存在しない。
あるのは、空砲の匂いと塹壕と怒鳴り声だ。あと蚊。
「おまえらふざけてんじゃねーだろーな!!薬莢見つかるまでマジで帰れねーぞ!!!!」
失礼。あるのは怒鳴り声だけだ。いくら探したって腰まで伸びた雑草の中、たったひとつの薬莢を見つけろと言われてもないものはしょうがない。
探しているふりして日没まで待ってさっさと帰りましょーや、教官殿。
「おまえらまじで・・・!」
教官殿の声が遠くにこだまする。銃を肩から外し、少しだけ肩を回す。この鉄の塊はどうも俺の気力を削ぐ性能だけはピカイチらしい。頭にきて何度投げ出そうと思ったことか。
大学を卒業して5年、新卒で入った会社で事務職採用なのに営業をやらされながら、足腰精神を鍛えられ、外回りに出されれば、その口先だけでクソみたいな性能の浄水器を5つは売って帰ってこられるまでに成長した頃、俺は会社からの理不尽人事であえなく強制退職。
行くあてもなく、二度と不当解雇を経験したくないという思いを胸に公務員試験を受験。しかし口先しかとりえのない俺には因数分解や外国人の英語綴りさえも分からず、名前を書けばとりあえず受かるんじない?と言われ続けていたとある組織の試験を受験した。皆様もご存知、上下緑の服装で頭を短く刈込み、災害派遣で活躍するあの組織である。
その時の俺はその選択肢が正しい事だったと思っているし、今でもそうだったと思っている。二度と不当解雇をされずに、安心して暮らしていけるなら、銃を持って、首がもげるほど重い鉄帽をかぶり、蚊に刺されながら、野原を駆けまわることくらいやってりますよ、教官殿。
しかしドラゴンが飛び出てきそうなほど広大な野原の中で、たったひとつの薬莢を見つけるためだけに俺達新隊員が血眼になって探す必要、あるんですかね?
「俺何やってんだろ・・・。」
鉄帽を脱いで、青い空を見上げる。営業やっている時も何回か現実逃避をしたくなったが、今の状況は過去に経験したことないくらい、つらい。
そりゃそうかー、お客様相手にくっちゃべって物が売れたら喜んで、しつこくしすぎて警察を呼ばれたら落ち込んで、そんなくそみたいな経験しかしてこなかったもんな、俺。
そして冒頭の空想に戻る。
広大な野原。青い空。ここはまるで中世のファンタジー映画そのものの風景なんだからさ、本物のドラゴンや暗黒騎士が出現したって別にいいじゃないか。そして剣を握り締め、武者震いしながら最終決戦に挑む俺。
うん、悪くない。いいじゃないの。空想してたって。
「おいっ!野良!なんでてめーだけ休んでんだよ!。みんな探してんだろーが!さっさと探せ!」
教官殿の怒鳴り声が、俺を空想から現実に引きずり下ろす。全くあの人本当に声がでかいな。指導力もありそうだし、俺より若そうだし、なんでこんなことやってんだろうか。
俺は教官の言うとおりに、薬莢探しに戻った。失礼、探しているように見える態勢を取り直した。
27歳にもなって俺はこの先どうやって生きていくんだろうか?そんな不安と疑問で押しつぶさせそうになりながらも、俺は結局この教育の最終過程まで辿り着いてしまった。
食っていくためにとった選択肢だ。間違ってはいない。17時になればくそみたいなまずい飯が食えて、ちゃんと睡眠も取れるんだ。ダニだらけのベッドで。うん、最高だ。食う寝るには困ることはない。問題はその質だ。
はぁ、これからどうやって生きていくんだろうか、俺は。
そんな思いを胸に俺はひたすら腰を低くして教官殿の目につかないよう薬莢探しのふりを続けた。
これから始まるのは、俺が食っていくために選んだ選択肢が、どういうわけか思いもよらぬ方向に進んでいってしまったお話だ。
口先しか能のない俺が、腕立ても腹筋もあわせて5回しかし出来ない俺が、今後どうやって生きていくかを語る矮小な物語だ。
しかしそんな物語の中でもっとも強調したいのは、俺は自分が良いと思えればそれでよかったと思える人間なのだという点だろう。
声を大にしてもう一度言おう。俺が入隊した理由は、二度と不当解雇されずに安定して食っていくため、だったのだと。