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虚空のイーム  作者: 伊藤
Ⅰ 哀慕
8/10

8 飛翔、先憂

 高瀬は医療室に運び込まれ、今度こそ長方形の医療箱に押し込まれてすぐに治療が開始された。


 目立った外傷はない。許容される慣性負荷を越えた衝撃を受けて肋骨の数本にひびが入っているが、元が生身の肉体であることを考えればむしろ幸運だった。

 それは激突に際して少しでも衝撃を緩和しようとした成果だが、決して高瀬の成果ではなかった。


 意識を取り戻し、高瀬はうっすらと瞼を持ち上げた。ガラスの向こうからしかめ面が覗き込んでいる。


「気づいたか。この馬鹿たれが」


 白髪をたくわえた老人が言った。


「正面から壁にぶつかる阿呆がどこにいる。……後でアリィにお礼を言っておけ。あいつがぎりぎりまで衝撃を受け流そうとしてくれたおかげで、口から余計なものを吐きださんで済んだ。どうやら、お前さんは最後まで足をひっぱっとったようだがな」


 皮肉めいた台詞に高瀬が顔をしかめる。


「テオ、整備長。機体は、」


 口を開いた途端、ずきりとした痛みが全身に走ってうめき声を上げた。そ知らぬ顔でテオが肩をすくめる。


「機体? ふん。中破にもいっとらんよ。だがまあ、ただでさえ稼働域が多い代物だ。フレームから見てみんといかんだろう」

「……すみません。壊すなって言われてたのに」


 苦痛以外のものに顔を歪める高瀬を横目で窺っていた相手は、それを聞いて不快げに唇を歪めた。握った拳でカプセルのガラスを叩く。がつんと鈍い音が響いた。


「小僧。整備士ってのは機体に乗る前の操縦士には口うるさくするが、実際に操縦士が機体を壊してもそれを罵りはせん。壊そうと思って壊すパイロットなんぞおらんからな。どうしてそう言いきれるかわかるか? そうじゃないヤツは、機体に乗る前に叩き殺しておくからだ。さっきのお前さんは、――半分くらい殺されても文句は言えんな」

「――すみません」


 テオは鼻を鳴らして顔を背け、つまらなそうに資料へ目を通し始める。

 高瀬は恐る恐る問いかけた。


「あの。整備長、アリィは」

「級士二人と後始末に駆け回っとる。お前さんの様子を見るのを儂に押し付けてな。まったく、どいつもこいつも――」


 頭を振る。


「まあ、お前さんに顔を合わせずらいんだろう。落ち込んどったからな」

「落ち込む? ……アリィが、ですか?」


 意外に思って高瀬が聞き返すと、老人は小馬鹿にする表情を浮かべた。


「なんだ。お前さん、人工知能に感情はないなんて信じとる連中か?」

「そうじゃありません。だって、さっきのは俺がミスしたから――」

「まっとうな感情があれば、自分が関わって誰かが怪我をすれば気にはする。それがない、と思うのは相手を同等に見とらん証拠だな。自分とは違うと」


 どきりとした高瀬の内心を見透かすようにテオは乾いた笑みを漏らした。


「滑稽だな。お前さんをサポートする人工知能、あれは確かに儂らと違うモノだが、お前の手足となって動くだけの道具でしかないのかね。そのお前さんは、なら一人でいったいなにが出来る?」


 沈黙する高瀬に言葉を残して、そのまま老人は扉へ向かっていった。


「その中に入っとる間はどうせ暇になる。少し考えてみればよかろう」


 退室する相手と入れ替わりに小柄な人物が入ってくる。目に涙を浮かべていた。


「高瀬ー!」

「ファナ」

「ごめんっ! 僕が調子乗っちゃったせいで、ホントほんと本当にごめんね!」


 医療カプセルにしがみつくような勢いで謝ってくる有性体に、高瀬は苦笑した。


「ファナのせいじゃないよ。調子乗ったのは俺だし。こっちこそごめん」

「……怒ってない?」

「もちろん」

「よかったあ。高瀬に嫌われちゃったら、どうしようって」


 大きく息を吐いたフアナが、ふと気づいて背後を振り返る。


「アリィ、なにしてるのさ」


 扉の影に隠れて様子を窺っていた人工知能体が気まずそうに姿を現した。とことこと高瀬の近くにやって来ると、頭を下げる。


「すみません。タカセ。貴方を危険な目にあわせてしまいました」


 黒髪に隠れて表情は高瀬からは窺えなかった。

 高齢の整備士に言われた言葉を思い出し、高瀬は唇を噛んだ。


「俺の方こそ、悪い。無謀な操縦して」

「――そうですね」


 黒髪を揺らして顔を持ち上げる。そこにあった理知的な表情は、はっきりと怒っていた。


「操縦精密性を含む全ての熟練度で勝る相手を出し抜く為に、一種の賭けに出るということは時に必要でしょう。しかし、これは訓練です。怪我をしてしまっては意味がありません」

「……ああ」

「今回は軽症で済みましたが、それでも回復まで二日はカプセルに入っておく必要があります。安静状態では筋組織の維持も不可能で、訓練に使える日数も単純に減ってしまいました。総じて大きなマイナスです」

「ああ、わかってる」

「タカセ、貴方の肉体は脆い。そして命は一つきりなのです。どうかそれを大事にして下さい。少しずつ感覚として習得してきたものを、一回の失敗で失ってしまうこともあるのですから――」

「わかってるって言ってるだろ」


 カプセルの中で高瀬は小さく声を荒らげた。

 ぴたりと人工知能体が口を閉ざし、静かな眼差しを向ける。高瀬はそれから逃げるように視線をそらした。


「二人とも、ケンカなんかやめよ? ねっ?」


 とりなすようにフアナが言い、黒髪の少女が頭を振った。


「――すみません。……タカセ、今は身体を治すことに専念して下さい。と言いたいところですが、時間がありません。安静にしていても脳は働かせて問題ないはずです。機体制御を最適手で行えるよう、反復強化の為の学習プログラムがありますから、それを利用して下さい」

「……わかった」

「では、私はリュクレイス級士の手伝いをしてきます。ファナ、タカセに付き添っておいてもらえますか?」

「あ、うん。いいよ」

「お願いします。タカセ、また後で」

「ああ」


 人工知能の少女が部屋を去った後、しばらく沈黙が続いた。


 持参したプログラムをインストールしながら、フアナがためらうように口を開く。


「えっとね、高瀬」

「うん」

「このプログラム、組んだのアリィなんだよ。こういうのって、僕ら用のヤツはあるけどそれじゃ高瀬の操縦と違うから」

「……うん」


 不意に目頭に熱いものを感じて、高瀬は狭いカプセルの中で苦労して両手を上げると目と口を覆った。

 小さく漏れそうになる嗚咽を殺す。全身に深く薄い呼吸を促して、身体がひきつるのを抑えた。


 ――自分を慰めてもどうにもならない。悔しいなら、身体に無駄な負担をかけないで一刻も早く怪我を治し、外に出て訓練するしかない。

 だが、そんな焦りや不安で、自分の為に尽くしてくれている相手に感情をぶつけてしまうのは、果てしなく情けなかった。


 高瀬が声を殺している間、フアナは顔を上げず手元の操作を続ける振りをしていた。



 予定通り、高瀬は二日でカプセルを出ることが出来た。


 訓練中の負傷という事態があっても、摸擬戦日程の延長は認められなかった。残された訓練日は三日しかない。

 高瀬はすぐに訓練の再開を希望したが、「駄目です」と冷静な人工知能がそれを許さなかった。


「二日間とはいえ、貴方の身体は相当に鈍ってしまっています。癒着等はありませんが、患部を気にしていてはまともな操縦は出来ないでしょう。まずは自分の身体の感覚を取り戻すことから始めるべきです」


 一日を費やして念入りにリハビリを行った後、ようやく機体に乗っての訓練に移る。


 内容は前回同様のそれで、前回のような行為は慎むようにと散々注意を受けた上での訓練だったが、結果は芳しくなかった。


「いくよー!」


 メインロケットを軽く噴射させたフアナ機が高瀬機に接近する。


 互いに用いる燃料量を設定し、如何に駆使して相手に追いつくか。逃げ切るかという訓練。

 それは詰め将棋によく似ていた。追いかける鬼が先に距離を詰める分だけ有利なようにも思えるが、その後は逃げる側が常に先手をとって軌道を変えて逃れる為、明らかに有利だった。

 最大加速度は極めて低く制限されており、勝敗を分けるのは純粋に操縦技術の差になる。得られた推進量を無駄にせず、機動を正確に。そうした慎重な操作が求められた。


 高瀬は上仰姿勢で最大加速をとり背後に逃れるが、姿勢の問題でフアナ機と完全な平行角は取れない。そこに最短の直線を引くようにフアナ機がほんの少しだけ軌道を修正した。

 このままではいずれ点が交わってしまう。高瀬は互いの距離が開いているうちに大きく機動を変えるが、フアナ機はその度に正確に高瀬の機動に自身を追いかけさせる。


 じりじりと両機の相対距離が縮まる。高瀬は焦る気分を抑えて、


「正反機動、とる」

「了解」


 大きく腕を振り、全体を捻って姿勢転換。自身の運動量を相殺しないようサブスラスタを吹かせるが、その連動がわずかにずれた。

 結果、角度がずれ、推進量が低下する。


 そこに迫るフアナ機から逃れる為に推進を吹かし、的確で無駄のない軌道修正でそれを追うファナ機に徐々に追い詰められていく。


 いとも容易く、高瀬機はフアナ機に捕まった。



「うーん。やっぱり連動性だよねぇ」


 小休憩をとりながらの反省で、フアナが高瀬の機動の問題点を指摘した。


 高瀬機の操縦は一人ではなく、戦術サポートAIと二人で行われている。あくまでメインは高瀬、人工知能はその補助という形だが、例えば操縦手と銃手というようなはっきりとした担当区分ではなかった。

 それは高瀬一人では機体を扱えないからこその処置だった。だからこそ、彼らの機体操縦法における根本的な欠陥となっていた。


「二人でやってる以上、そこにズレが出ちゃうのはしょうがないんだけど。お互いの同調性を突き詰めるしかないんじゃないかな」

「そうですね。思考共有が不可能な以上、互いの癖や傾向を読み取っていく他ありません。経験を重ねるしかないということです。……タカセ、まだいけますか?」

「……ああ。もちろん」


 高瀬は頷いた。長時間続けても肉体的な疲労は少なかったが、精神的にはそうではなかった。

 機体を満足に扱えない、ということがまずかなりの苦痛だった。人工知能の手によるサポートがあっても。あるいはあればこそかもしれない。


 訓練が再開されたが、やはり問題は解決しなかった。


 逆に、彼らの連動性はやればやるほど失われていくようですらあった。相手にこう動いて欲しい。こう動くだろう。そうしたお互いの予想と配慮がことごとく裏目に出て、上手くいかない。

 その様子を見かねたリュクレイスが、管制室から声をかけた。


「お昼にしましょう」



 食事中は、終始気まずい雰囲気だった。


 高瀬は黙って固形食糧を齧り、栄養摂取の必要がない人工知能体も無言のまま喋らない。

 二人に会話を振ってなんとか場を取り繕おうとしていたフアナが、そうだと両手を打って提案した。


「気分転換いこうよ! みんなで、街までさ。リフレッシュしたほうが絶対いいよ。高瀬も、ずっと訓練ばっかりで疲れたでしょ?」

「いや、そんなことしてる暇は――」


 高瀬は同意を求めて傍らの相手を見たが、黒髪の少女は彼の予想に反して考え込むようにして、


「悪くないと思います。息抜きは必要でしょう。ただ……」


 視線がリュクレイスを見た。


「リュクレイス級士。どうでしょうか。私が警護していますから、危険は少ないと思いますが」

「……そうね」


 リュクレイスがしばらく思案してから、頷いた。


「わかったわ。私は一緒に行けないけど、ファナもいるなら心配ないだろうし。でも、気をつけてね。高瀬は今、艦内でちょっとした有名人なんだから」

「わーい。高瀬とアリィとデートっ!」


 とんとん拍子で話が進み、高瀬は口を挟む間を与えられなかった。



 光年規模での航海を行う“エッダ”は、船というより移動するコロニーといってよかった。

 そこに乗り込むのは船員だけではない。船員の飲食や風俗、その他の娯楽を提供する店が立ち並び、小さな街を丸ごと持ってきただけの人員と施設が備わっている。


 中心街に降りた高瀬達は、先導するフアナに従って人通りの中を進んだ。

 よし、とフアナが宣言する。


「美味しいものを食べよう!」

「さっき昼食を採ったばかりではありませんか」

「甘いものなら全然入るよっ。アリィも、食べられないわけじゃないよね」

「はい。経口摂取は可能ですし、味もわかります」

「好きなものとかある?」

「特にありませんが、拘るのならクリームよりスポンジにするべきだと思います」

「お、通だねえ」


 語り合う二人の輪から外れ、高瀬は仏頂面だった。

 どうして自分はこんな所にいるんだろうと考えている。時間があるのなら、少しでも機体に触れていたかった。


「高瀬、あーん」


 考え事をしていたところに何かを口の中へ突っ込まれ、目を白黒させる。いつの間にか、フアナは露天売りの鯛焼きの包みを手に持っていた。


「ニホン名物だって。食べたことある? 美味し?」

「……美味いけど、普通に餡子にして欲しい」

「アンコ? あれってチョコじゃないんだ。……む、変わった味だなあ。飲み物欲しいね、ちょっと買ってくるよっ」


 中身の入った包みを高瀬に押しつけて駆け出していく。


 高瀬は手に持った袋を見おろして、黒髪の人工知能体を見た。 


「アリィも食べるか?」

「いただきます」


 手渡された魚を模した形状の焼き菓子を見て、感心したように少女は頷いた。


「斬新なセンスですね。いつもながら人間の想像力や創造性には感心します」

「そうかな」 

「ええ。そうでなければ私のような存在は生まれていなかったのですから、当然ですが」


 言いかけた相手が、どこかから通信を受けて睫毛を揺らす。小さく眉をひそめた。


「アリィ? どうした」

「――いえ。ファナからでした。急に召集がかかったので先に戻ると。せっかくだから、二人はゆっくりしておいでよ、だそうです」

「そか。なら、俺達も戻ろうか」


 元々、街に来たのはフアナが急に言い出したことだった。その本人が仕事で行ってしまったというのなら、二人でこんな場所にいてもしょうがない。


 しかし、涼やかな容姿の人工知能体は眉をひそめたまま、


「……せっかくなので、少しゆっくりしていきませんか。ファナが戻るまで、帰っても訓練相手がいませんし」

「そうか? わかった」

「はい。それに、この機会に少し話しておきたいこともあります」


 思いつめた表情を見て、高瀬は顔をしかめた。


「じゃあ、どこか座ろう」

「はい」


 二人は広場近くの長椅子に座った。


「で、話ってのは?」

「――私とタカセの間の関係性に、深刻な齟齬があるように思えるのです」


 手の中の鯛焼きを口に押し付けるようにしながら、人工知能の少女が言った。


「貴方は自分の置かれた現状に強いストレスを感じている。そして、その不満は私にも向けられています。違いますか?」


 高瀬は答えなかった。振り向かないまま少女が続ける。


「今の私と貴方は、決して波長が合っているとは言えません。そのこと自体は仕方がないことです。私と貴方は違う生き物なのですから。在り方、思考基準の全てが異なります」

「……そうだな」

「はい。価値観の相違はお互いに摺り合わせていくしかありません。しかし、」


 黒髪の少女はそこで頭を振った。


「タカセ。貴方は私にどこか思うところがあるように感じるのです。特に、私がこの身体で貴方を補佐するようになってから顕著にそう感じます。そのズレが、機体操縦のズレにも通じているのではないかと……ただの私の思い違いならいいのですが」


 真っ直ぐな眼差しが向けられる。


「もしなにかあるなら、教えてください。貴方の心身をサポートすることが私の務めです」


 高瀬は顔をしかめた。口を開きかけ、途中で止める。以前からしこりとしてあった異物を、喉の奥から吐き出そうとしていたところに、


「お。見ろよ、噂の英雄様がいらっしゃるぜ」


 声をかけてきたのは数人の男達だった。高瀬とほとんど同じ年頃の、そのあまり綺麗とはいえない格好を見ただけで、高瀬は彼らがどういった連中か気づいた。


「こんな昼間から女連れとはいい身分なこった! さすが、“巨人”に一撃喰らわせて生還してきたお方になると、同じ辺士の俺達とは違うらしい」


 彼らは高瀬と同じ“弾丸”の操縦者達だった。艦内社会の中で、他に選択肢が持てずその道を選ぶことしか出来なかった人々。


「羨ましいねえ。おい、俺達もせいぜい頑張ろうぜ。なにせ新型のパイロットにまでさせてもらえるんだ。俺達の希望のお星様だぜ」

「機体に乗ったまま体当たりするのが怖くて、逃げ出しただけだって話もあるけどな」

「マジかよ。ただの卑怯者じゃねえか」

「爆発したのは別のヤツの機体って話だしな。自分の装置が不調だったって話だが、本当かどうか知れたもんじゃねえや」


 仲間同士で下卑た笑い声をあげる彼らに、高瀬は黙ったまま反論しなかった。

 目線を落として沈黙する高瀬に男達の一人が舌打ちする。


「おい、なんとか言ったらどうだ。それとも、俺達なんかとは口も利けないってのか?」

「――よくわからないのですが」


 冷ややかな声が遮った。

 人工知能の少女が、静かな眼差しで男達に問いかける。


「フレド。つまり貴方は、タカセが不当な手段で成果を得て、称揚されていると言いたいのですか?」


 見知らぬ相手から呼ばれた男がぎょっと身をすくめた。


「なんで俺の名前を――」

「私は貴方の機体もサポートしていますから。ここにいる私とは違う私ですが」

「……アリィか」


 驚いた表情の男が、大きく唇を歪めた。


「こいつは驚いた。英雄様になると、軍用AIを肉体つきで侍らせられるのかよ。ますます恐れ入ったね」

「はい。同時に私はタカセの護衛も務めています。ですから、貴方達が暴力に出ようというのなら、実力で制止しなければなりません」


 は、と男が笑った。


「怖え怖え。わかったよ。アリィにはいつも世話になってるからな。……だがな、おい。タカセだったか? いい気になってるんじゃねえぞ。手前を気にくわねえ連中は俺達だけじゃねえし、恨んでる奴だっているんだ。例えば、お前が自爆させるのに使った機体のヤツとかな」


 思わず高瀬は顔を上げる。


「知ってるか? 攻撃成功のご褒美ってことで、そいつ複製処置で生き返ってるんだぜ? だが、同じ立場のはずなのにお前は船中の人気者で最新鋭機の訓練生、そいつは無名でいまだに辺士扱いのままだ。そりゃ恨みもするよな」


 まったくの初耳だった。

 言葉を失う高瀬に、ようやく溜飲を下げた様子で男は仲間達と去っていった。


 高瀬は傍らの相手を睨みつけるようにして訊ねる。


「……アリィ。今の話、本当なのか?」

「確かに、貴方と同時に出撃し、貴方が爆発させた機体の操縦者は、先日の戦闘で勲功ありということで直前記憶を複製、肉体を再現して甦生されています。ただし、直接に“巨人”に痛打を与えたのはタカセ、貴方ということで……立場は以前のままということになっています」

「なんだよそれ!」


 信じられない気分で高瀬は呻いた。


 “エッダ”は、艦そのものが一つの社会を構成している。需要と供給。生産と消費。そこには多くの立場があり、その中の一つに高瀬のような人々がいた。


 最下層船員。彼らは、決して悪意からそう名づけられたわけではない。むしろそれは、どれだけ科学を極めようと人間が完全な社会体制を取れないことの証明だった。


 技術もなく、適正もない。そうした人々が生きるための道は限られていた。広大な船内で自ら「行方不明」となり犯罪に走るか、あるいは軍の仕事に就くか。その後者が、最底辺士――辺士と呼ばれる彼らである。


 生きる為に軍に入り、敵に特攻する。

 自らの命を捨てる彼らに軍は報酬を用意していた。敵に痛撃を与えられた者にだけ、貴重な複製技術と出撃直前に採られた記憶の複製を与えた上で、肉体を再現する。さらには最下層船員という立場からの取り立ても行われる。


 高瀬のように生還する例は今までになかったが、攻撃に成功した辺士に対するそうした褒章は実際にこれまでも行われていた。だが、


「なんで俺だけなんだ。自爆したのは俺じゃなくて、そいつの機体だって艦長にも言っておいたのに……!」

「はい。恐らく、タカセの嘆願があったから複製処置が行われたのだと思います。誰にでも多用される技術ではありません」


 人工知能体は言ったが、それで高瀬に納得できるわけがなかった。


「そうじゃなくて、なんで“辺士”なんだよ。俺がこんなことになってるなら、そいつだって」

「それは貴方が決めることではなく、艦長が決めることです」


 黒髪の少女が頭を振った。


「……タカセ、貴方が気に病むことはありません。貴方の残した功績は、間違いなく貴方が成し遂げたものなのですから」


 ――お前になにがわかるんだ。


 そう怒鳴りかけた高瀬は、胃の奥にわだかまるしこりの正体をはっきりと自覚した。身勝手な暴言が自分の喉から発せられるのを、歯を食いしばって堪える。

 それを察した人工知能が真剣な表情で促した。


「飲み込んだりしないで。きちんと言ってください。タカセ」


 高瀬は大きく息を吐いた。目を閉じ、時間をかけて感情を落ち着かせてから口を開く。

 大きな緊張を伴って、訊いた。


「……アリィ。生まれ変わりってことについてどう思う」

「地球時代の古くから伝わる宗教概念ですね。どうでしょう。客観的に観測できる事象が認められない以上、オカルト的だと言わざるを得ないのではないでしょうか」

「もし、自分が何かに生まれ変わるとしたら。どうしたい?」

「私が、ですか?」


 少女が眉をひそめた。


「――そうですね。どこかの惑星で生態調査に携わることができたら楽しいかもしれません。原生生態や、その惑星独自の進化体系を実際にこの目で体感するというのは、興味があります」


 暗闇の中でその答えを聞いた高瀬は泣きそうに表情を歪めた。嘆息する。


「やっぱり違うんだな。……あの時、あの戦闘で言った、お前とは違う」

「タカセ?」

「確かに俺とお前はズレてるんだと思うよ。十秒分、ズレてる」


 逃れられない死に向かって戦った。

 情報の同期を終え、最後の瞬間を過ごした“アリィ”の答えはそうではなかった。


 あのたった十秒間の間だけ存在したのが、それまで高瀬が一緒にいた彼女だとするならば――今、目の前にいる相手はいったい何者なのか。


 もちろん、どちらも“アリィ”だ。そのことは高瀬もわかっていた。

 彼女は一人ではなく、多くの彼女自身が存在する。人間である高瀬と、人工知能である彼女は在り方から異なっていた。


 しばらく物思いに耽るような沈黙の後、人工知能体が口を開いた。


「……理解しました。貴方は私という存在に違和感を覚えているのですね」


 高瀬は頭を振る。


「理屈じゃわかってるよ。アリィ、お前が悪いんじゃないってことも。ごめん、ただ感情で納得できないってだけなんだ。俺の頭が固いだけで」

「貴方が謝る必要はありません。私から謝ることでもありませんが。それに、貴方が教えてくれたおかげで問題を認識できました」


 少女が言った。

 彼女は怒るのでもなければ、嘆いてもいなかった。


「十秒のズレなど、光と重力があればなんとでもなります」


 淡々と自信ありげに告げた。



「……タカセ。私という存在は確かに、貴方の知る私とは異なるかもしれません。同期を切り、貴方と共にいった私が貴方に何を語り、何を残したのか。今ここにいる私には知りようがありませんし、知ったところでそれはどこまでも私ではない“私”の言葉に過ぎません。貴方がそうだと観測した通り、“私”と私は既に分かたれているのですから。それでいいのだと思います」


 人工知能の少女は続けた。


「私は私です。そして、私は“私”でもあります。同時に、私は“私”ではありません。先ほどの質問に、貴方の求める回答を導けなかったことを私は謝ろうとは思いません。何故なら、私は私だからです」

「……なんだか、私って言葉が意味わかんなくなってきた」


 高瀬は渋面になった。


「そうだよな。違うんだ。それだけのことなんだよ。そうなんだけど――」


 理屈の上では理解していることが、どうしても胸のなかでわだかまってしまう。


「では、タカセ。貴方が私という個人を上手く認識できるよう、今まで貴方の知らなかった、私だけの秘密を教えてあげます」


 黒髪の少女は悪戯っぽく微笑むと、表情に少し翳りをまじえて囁いた。


「――実は、自分の名前があまり好きではないのです」

「え?」 

「人工知能。その二つの単語からそれぞれ最初と最後の一文字ずつをとって、私は名づけられました。“Alie”。けれど、それは違う読み方もできます。“A Lie”。嘘っぱちと、はじめから私は名づけられていたのです」


 初めて見る悲しげな表情に、高瀬は慌てて口を開きかけたが、上手い誤魔化しもとりなす台詞も出てこない。

 くすりと笑った少女が髪を揺らした。


「もちろん、そう読めるというだけで、名づけた誰かの悪意であったかどうかはわかりません。ただの偶然という可能性もあります。私は自分勝手に疑って、傷つきました。その頃の私は幼くもありましたし、慎重でもあったのです。自分の立場はわかっていましたから」


 人工知能に対する脅威論や不要論は根深くある。一部の人類にはいまだにそうした考えを持ち続けている人々も存在して、機械生体の排斥を訴える団体はこの“エッダ”船内にさえも存在していた。


 彼らは言う。所詮、人工知能とは意識や人格があるように装っているだけで、その実態はただの空虚な贋物でしかないのだと。


「自分という存在の在り方に思い悩むことについて、特別だとは思いません。タカセ、貴方達もずっと昔からそれについて考えているはずです。この名前のことも大事に思っています。紛れもなく、それは私の名前なのですから」

「……そうだな。そうだよな」


 人工知能からの告白は高瀬にとって意外でもあり、驚きでもあった。

 だが、彼に最も衝撃をもたらしたのは、彼女も自分と同じように疑問を持ち、思い悩むという単純な事実だった。


 今までも頭ではそのことを理解していた。人工知能である彼女達は人間と違うが、同じなのだからと。

 だがそれは、実際にはそう言い聞かせようとしているだけだったのかもしれない。


 今はそうではなかった。

 違うけれど、同じなのだと。心から自然と高瀬はそう思うことが出来ていた。 


「少しは距離が近づけたでしょうか。十秒分は、難しいとしても」


 秘密を打ち明けたのが恥ずかしいのか、少し頬を赤らめた人工知能体が言った。


「今から新しく。一つ一つ、知っていくしかないんだな。それは――うん。わかったよ」


 高瀬ははっきりと頷いた。



 帰り道、高瀬はふと思いついて傍らの少女に訊ねてみた。


「なあ、アリィ。名前。ていうか、愛称みたいので呼んだりしてもいいか?」

「愛称ですか?」

「ここにいるアリィを、ちゃんとわかっておきたいから。嫌じゃないならだけど」


 ああ、なるほどと人工知能体が頷いて、


「かまいません。今の私は、他の同型達との日常同期も行っていませんから、この“私”は貴方だけのものです。希望するのなら容姿の変更も可能ですが――」

「いや、それは大丈夫。じゃあ。エイル、とかどうだろう」

「“Aile”。アナグラムですね? 意味は……地球地域言語の一つで、“翼”。ああ、タカセの名前とおんなじです」

「うん。ぱっと思いついたんだ」


 人工知能の少女が立ち止まり、高瀬はやっぱり気に入らなかったかなと相手の表情を見た。

 そういうわけではなさそうとわかって安堵する。


 足を止めた黒髪の少女は、とても嬉しそうに微笑んでいた。


「――嬉しいです」

「そうか?」


 その柔らかい笑みにどきりとして、高瀬は慌てて頭を振る。俺はなにを考えてるんだ。


「はい。タカセと結婚したような気分です」


 吹き出した。


「……そ、それはちょっと違うんじゃないか? 結婚で一緒になるのは姓だし、同姓を名乗るのだって今の時代、古臭いし」

「そうでしたか? けれど、本当に嬉しいです。ありがとうございます」


 エイルは何度か口の中で自分の名前を呟いていて、本当に気に入ってくれたらしくそのことは良かったが、高瀬は妙に照れ臭かった。


 まあ喜んでくれたのだからと歩きを再開しようとして、服の裾を引っ張られて止まる。

 振り返ると、黒髪の少女が上目遣いに彼を見上げていた。


「タカセ。なにか、私にして欲しいことはありませんか。素敵な愛称をもらったお礼がしたいのですが」


 その台詞にまたどきりとして、高瀬は頭を振った。だから俺はなにを考えてるんだ。


「いや、特に。大丈夫」


 ぎこちない返答にエイルが顔をしかめた。

 高瀬との距離を詰めて、下から覗き込む。


 二人はほとんど触れ合う距離で、後ずさって逃げようとした高瀬がバランスを崩して転びかける。それを捕まえた少女が引き寄せて、抱き寄せるような形になった。


 機械の身体の柔らかさに高瀬が硬直する。

 エイルが怪訝に眉をひそめた。


「……タカセ? どうしたのですか? 身体温度がわずかに上昇しています。脈拍も、心臓の鼓動も。それに――」


 その視線が、高瀬の全身を走査するように上から心臓に落ちて、そこからさらに下へと降りた。


「タカセ」

「なんだろう」


 高瀬はあくまで平静を取り繕った。


「私に生殖機能はありません。そうした必要がありませんから」

「……ああ、わかってるよ」


 あくまで淡々とエイルが囁く。


「しかし、有性体のそういった生理的な現象については理解していますし、それへの対応も心得ています。貴方を悦ばせることなら、私にも可能です。私を使いますか?」

「遠慮する!」


 気恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、高瀬は大声でわめいた。


 ◇


 摸擬戦の日になった。


 “エッダ”船内の大型訓練球室には少なくない人々が集まっている。

 管制室にいる軍関係者だけでなく、閲覧席には“巨人”との戦闘を経て生還した高瀬の噂を聞きつけて見学にやってきた一般船員の姿があった。


 摸擬戦はそれまでその存在が噂の域に留められていた、新型の人型機のお披露目を兼ねていた。


 その人型機の相手を、生還者、しかも最下層船員である辺士が操縦する人型が務めるというのだから、様々な意味で興味深い。

 人々の関心を引くのに、確かに高瀬という存在は有用に働いていたのだった。


 あるいはそれが狙いだったのか、というようなことを考える余地は今の高瀬にはない。それは彼が精神的に追い詰められていたからではなかった。



 球状の広大な空間に、二機の人型が距離をとって制止している。


 少し自分の匂いが染みついてきた機密服を纏ってその一機の中にいる高瀬は、コンソールを立ち上げた。 

 密閉された暗闇にぼんやりと青色の灯りが浮かび上がる。


 彼の背後に控える存在が囁いた。


「……この機体の性能を引き出すには、貴方の肉体はあまりに貧弱です。それは個人の努力や技術云々、もちろん精神論でどうにかできる問題ではありません」

「そうだな」


 高瀬は気負いなく頷く。

 今さら言われて傷つくことではなかった。実際、昨日までの訓練で結局、彼は一度もフアナ機に勝利したことがない。


 だが、これからの勝負を諦めているわけではなかった。

 高瀬という人間はひどく諦めが悪い。だからこうやって生きてるんだもんな、と自分に囁きかける。それは決して恥ずべきことではないはずだ。


 それは背後にいる彼のサポート役もわかってくれているはずで、しかし次に聞こえた言葉に高瀬は驚いた。


「ならば、捨て去りましょう。そんなものは」


 後ろを振り返りかけて、途中で思いとどまる。

 何か続きがあるはずだ。高瀬が思ったとおり言葉が続いた。


「人型機だからといって、人のように操縦しなければならない決まりはないはずです。タカセ、認識を変えてください。これは、ただのおかしな形をした戦闘機です。硬い装甲と、推進ロケットを積み込んだ――歪な、貴方の“弾丸”です」


 高瀬はメットの中で笑った。

 相手の言葉の真意を理解する。なるほど、そうだなと頷いた。


 肩から重さが抜ける。

 緊張してないつもりでも、まだしてたんだなと自分を呆れた。そして、自分をリラックスさせてくれた相手に感謝した。


「貴方は機体機動に全力を。後の枝葉はこちらで請け負います。タカセ。太古の昔から変わらず、人間の背中に翼はついていません。そして、私は“Aile”です。名づけたのは貴方です。違いますか?」

「――違わない」

「ならば指示を」


 高瀬は目の前を見つめた。


 そこには純白の人型機が佇んでいる。それはいつかも見た光景だった。


 違うことは幾つかある。

 その一つ一つを数え、全て数えきってから応えた。


「飛ぶぞ。エイル」

「イエス、マスター。貴方の前に敵はなく、私の後に道は残る。戦場を駆けるのに華麗な舞は不要です。私達はただ最短距離で目標を貫くのみ」


 戦闘開始、合図。

 高瀬機は目の前の相手に向かって全開の加速度で飛翔した。



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