7 機動、協働
「あ、気づいた?」
頭上からの声に目を覚ました高瀬は、自分が何か柔らかな物体に後頭部を押し付けていることに気づいた。
逆さから覗き込んで、栗色の髪をした有性体が微笑んでいる。まとめるほどは邪魔にならない長さの、ふんわりとした猫っ毛が低重力に波打っていた。
「ファナ……」
「うん。ごめんね、僕だけ出動で高瀬の訓練に遅れちゃった」
からかうように前髪を玩ばれ、高瀬はあわてて起き上がった。
「俺、」
「倒れたんだって? それから寝てたんだ。医療箱、使えばいいのに」
二人から少し距離を置いて控えていた黒髪の少女が首を振った。
「治療が必要な箇所はありませんでした。カプセル内でもたらされる環境は甘美に過ぎます。一時とはいえ、タカセの肉体はそれに敏感な反応を起こしてしまうでしょう」
「アリィ、スパルタだなあ。いいじゃん。高瀬は僕らと違うんだから、少しくらいのんびりやってもいいと思うけど」
扉が開き、リュクレイスが姿を現した。高瀬を見てほっと安堵の息を吐く。
「高瀬。大丈夫?」
「大丈夫です。訓練は――」
「体調に問題がなければ続けられるけど……シュミレータの調整を待ちましょう、高瀬。焦ることはないわ。私達だって、シュミレータで身体を馴らしてから機体に乗ったのよ。いきなり実機を手足のように扱えるはずがないわ」
「でも、コクピットで溺れて、気を失うようなことはない。でしょう?」
自虐的な言葉に、リュクレイスは虚言でごまかそうとしなかった。沈黙で答える相手の誠意に感謝して、高瀬は立ち上がる。
「やらせてください。リュクレイス級士。……のんびりしてたら、あっさり降ろされるかも。訓練生って言ったって、自分がそういう立場だってことはわかります」
今回の事態について明るみになっていない思惑がある以上、必ずしもそうとは言えなかったが、何かを言いかけるリュクレイスに高瀬を補佐する人工知能の少女が頷いた。
「私も同意見です。酔いも収まり、体調は平常です。テオが言った通り時間は無駄にするべきではありません」
ただし、と続ける。
「級士の言葉も正しい。焦るべきではありません。少しずつ、一つずつこなしていきましょう」
訓練が始まった。
◇
広大な球状の室内を、背部ロケットを吹かしつつ人型機が移動している。
それは正しく移動しているだけだった。
重心を把握し、四肢の動きを半ば制限して推進する。機動変更の際だけ用いられる小刻みな噴射は極めて短時間、使用されているのも背部のメインロケットに限られていた。
上下左右前後という、単純な機動運動を続ける機体を歯痛に歪んだような表情で眺めている老人の背後で、そこを通りかかった若い男が笑いながら口を開いた。
「今日で十日でしたっけ。視界ズレにも慣れて、ようやく基礎方向には進めるようになりましたね」
「どこかだ」
不機嫌そうにテオは吐き捨てた。
「加速度を常に基準重力に合わせるのをアリィがやっとるだけだ。慣性制動まで含めて。それで何が“操縦”だ、あれなら棹だけ握って乗ってるのと変わらん。アリィが一人でやった方がマシだ」
単座では出来ないことをする為の複座ならまだしも、質量を増し、消費を増やしてやれることが全く増えないのでは、意味がないどころかマイナスにしかならない。
ほとんど唸るように毒づく老人に、苦笑いの表情で若い整備士が訊ねた。
「整備長も、やっぱりあの野郎のことが気に入らないんすか?」
「も? ……手前は、自分の道具の良し悪しを決めるのに他人の評価や、周囲の意見を参考にするのか?」
ぎろりとした目が相手を射すくめた。
「馬鹿野郎! 整備士を名乗るんならその程度、自分の腕に聞け!」
「す、すんません!」
怒声を受けて退散する若手に一瞥も向けず、熟達した腕前を持つ整備長は苦々しい表情を目の前の訓練風景へ戻した。
嘆息する。
目の前で行われている訓練の意図は理解できる。優秀な補佐役が苦心して考えたことが窺える内容だった。なんら強化処置を受けていない原体であの機体を動かそうとする為には、一つ一つやれることを地道に増やしていくしかない。
人間の適応能力は底が知れない。生身のまま、最新機械知に為し得る計算の果てにようやく実現が可能となる仕業を産み出すこともある。老巧な名人が、手に触れるだけで鋼板のコンマ以下の薄さを測るように。
だがそれは、気が遠くなるほどの修練と反復の果てにしか在りえない。
小石を積み上げて見果てぬ高さの塔を築き上げるようなものだ。永遠と思えるほどの試行時間。そして、一旦崩れればそこで全てが終わってしまう。
テオは再びため息をついた。
只でさえほとんど成功の見込みがない。そんな余興が悠々と許されるはずもなく、それを座して見ているわけがない人物がいることを知っているからこそのため息だった。
「摸擬戦? それはいったいなんの冗談でしょうか」
その日の訓練を終えて機体を降りた高瀬と、その補助を務める人工知能体が訓練官を務めるリュクレイスから受けた連絡事項は突然のものだった。
「冗談ではないの。アリィ、確認して。命令は正式なものよ」
「――艦長命令。なるほど、確かに正式ですね。性質の悪い悪戯かと思いましたが」
顔をしかめて自らに届いた指令内容を確認した黒髪の少女が、目を見開いて目の前の人物を見つめた。
「しかも、相手にはリュクレイス最上級士を指名。これは――」
「私も、ついさっき知ったばかりなの」
視線を向けられたリュクレイスが銀髪を揺らす。両手を振ってフアナが同僚を庇った。
「ほんとだよ! 今、二人でびっくりしてたんだ。嘘なんて言ってないよっ」
「もちろん信用します。しかし、ますます意味がわかりません。今の段階で誰と摸擬戦をしたところで結果は同じでしょうが、それにわざわざ艦の撃墜王をあてるというのは、」
「見世物ってことだろ」
途中で口ごもった相手の後を継いで、高瀬が言った。
「できるわけがない辺士が、やっぱり予想通りにできてないんだ。そら見たことか、って皆で笑うくらいするさ」
言葉にやや毒がこもっているのは疲れのせいばかりではなかった。たった今やってきた行為が操縦未満の代物でしかないことを、本人が一番自覚していた。
「高瀬……」
三人からの心配そうな眼差しに、自分が八つ当たりをしていることを悟って高瀬は頭は振った。
「摸擬戦は、いつですか」
「――五日後よ」
急すぎる予定にさすがに驚くが、すぐに思いなおす。五日後でも、一月後でも、何が違う?
「……級士。摸擬戦形式で練習させてください。負けるのはわかりきってても、せめて形くらいにはなるようにしておきたい」
「それは、」
リュクレイスが顔をしかめた。
単純推進による微速機動という、基本中の基本しか習得していない初心者には明らかに荷が重い内容だったが、今のような慎重な訓練を進めていてはとても五日後には間に合うはずがない。
「うん。その方がいいよ。相手なら僕がやるし」
「……私は反対です」
人工知能の少女が異議を唱えた。
「これが無茶な命令だということは、向こうも理解しているはずです。ならば結果も同様。こちらが現状の訓練計画を変更する必要があるとは思いません」
「それで、真っ直ぐゆっくり進んでるところを、正面から殴られて終わるのか?」
「あくまで訓練です。どれだけ無様を見せようが、生死には関わりません。笑いたい者には笑わせておけばいいのです」
正論だったが、高瀬は頭を振った。
「それはそうだ。でもな、アリィ。もし、最初からこのつもりだったとしたら?」
「……この時期の摸擬戦まで前もって予定されていたと?」
「そうだ。それで、あっさり降ろされるかもしれない。そうじゃなくても俺がこれにいつまで乗れるかなんて、わからないだろ? だったら――出来ることはやっておきたい」
覚悟を決めた表情で高瀬は言った。
頑迷な態度を見た補佐役の人工知能体が渋面を作る。
「リュクレイス級士。せめて少しだけでも、摸擬戦の日程を延ばすことはできませんか」
「申請してみるわ。私とファナ、それにテオ整備長にも掛け合ってみる。摸擬戦にだって事故は起こるもの。機体損耗の危険性を考えればきっと同意してくれると思う」
「お願いします。恐らく、却下されるでしょうが。……わかりました、タカセ。少しでも訓練を早めましょう。ただし安全にはくれぐれも気をつけてください。焦って転んで、一歩進んで三歩戻っては意味がありません」
「ああ、わかってる」
頷く高瀬を見上げて、なお不安そうに少女は眉をひそめている。
「確認しましょう」
コンソールが発光して立ち上がる中、高瀬の背後に着席した戦術サポートAIの声が響いた。
「この機体は基本的に無重力環境下での運用を想定されています。大気、空気抵抗がない。重力の影響も今は無視してください。自ら得られる推進力は噴射、あるいは切除。機体各所にある噴射口の連動による推進と機動変更がメインになります。ここまでは貴方の乗っていた“弾丸”と変わりません」
「ああ」
「“弾丸”と“人型”が違うのは二点。一つは機体各所にある噴射口数と、四肢の存在による姿勢制御です。これらを連動して組み合わせた複雑機動が、まず一つ。もう一つは慣性制動です。“弾丸”は前後の慣性に特化していましたが、“人型”はそれを全方向に拡大しています。制御系の基本性能も桁が違いますが、それでも全周に完全な制動は効きませんから、慣性制動は球状に、しかも完全な球ではなく歪なアメーバのような不確定さとなって現れます。結果、操縦者はひどい負荷を耐えなければならないことも多く、その為に操縦者は骨格から強化されています」
「……ああ」
「複雑機動の為に、操縦者には繊細で膨大な情報処理と機体操作が必要とされます。その為に有機接続した直接操縦形式が採られており、貴方にはそれが叶いません」
「そうだな」
「手の届かない部分は私が補います。しかし、あくまで操縦者はタカセ、貴方です。メインロケットを吹かすのも、相手を殴りつけるのも。私は貴方が思うがままに機体を動かす為のサポートに過ぎません」
「わかった」
「では行きましょう。背部メインロケットに、三基のサブスラスタ。まずはこれを使って、ファナ機を追うことから始めましょう。互いに必殺の武装があると仮定するなら、人型機との勝負はそのまま機動の勝負です。――ファナ、準備はいいですか?」
「いつでもいいよっ!」
「タカセ。いつでもどうぞ」
「了解――」
背後の声に押されるように、高瀬は右足を踏み込んだ。
メインロケットに水色の灯がともり、機体が前進。そのまま真っ直ぐに遊泳する。
「こっちだよー」
ひらひらと手を振ってみせる機体に近づき、ぎこちなく腕を伸ばす。フアナ機の肩を押し、互いに反動で離れる。
「お、いい感じ!」
「ファナ。簡単に捕まってもらっては練習になりません」
「わかってるよー。じゃあ、高瀬。――ついてきて?」
自身のロケットを吹かしたフアナ機が上昇した。天頂近くまで駆け昇り、そのまま腕と腰を捻って姿勢転換。スラスタを吹かしぴたりと制動して振り返ると、手を振って合図を送る。
一連の動作の流れるような挙動に目を奪われ、高瀬はすぐに自身もそれを追いかけた。
ぎこちなく機体の四肢を動かし、方向を確認して推進。途中で三度の細かい軌道修正が必要だった。
「タカセ。無限回の推進も転進も不可能です。加速した推進力を自ら止めるには逆方向へ全く同じ分の加速が必要になります。熟練した機動とはつまり、如何に推進剤を無駄にせず、軌道修正の回数を抑えられるか――ですが、今はそれより可能な限りの速度で相手に接敵することを念頭においてください」
「わかった」
高瀬機が直前まで辿り着くと、ひらりとそれをかわしたフアナ機が再び移動する。
そうした“鬼ごっこ”がしばらく続いた。
「うん、いいねっ。そろそろ交代してみる?」
「はい。ファナ。タカセ、攻守交代です。今の段階で可能な機動で、相手から逃げてください」
「了解っ」
「いっくよ!」
フアナ機が一気に接近する。あわてて高瀬が天頂方向に逃れようとする、その直前で急制動し、さらに上昇。高瀬機をわずかに追い抜き、速度をあわせつつその肩に手を置く。
相手に運動力を伝えないようほとんど触れるだけの接触で留め、そのまま並行して上昇。その細やかな操縦にぞっとするのと同時、高瀬はサブスラスタを吹かして相手から機体を逃れさせた。
「待てーっ」
それを追いかけてフアナ機が転進。一度の短噴射で、機動は正確に高瀬機を追尾していた。
相手を引き離す為に、高瀬は大きくメインロケットを噴出させた。全身に負荷がかかり、息が詰まる。
「タカセ、加速度の勝負は無理です。貴方の身がもちません」
「わかってる!」
高瀬は向かってくるフアナ機に腕を伸ばした。姿勢が傾き、機動方向が変化する。それにフアナ機があわせようとした瞬間、高瀬は全身の駆動域を捻ってその反動を利用し、身体を抱え込ませた。
機体方向が大きく方向を変える。細かいスラスタ調整でそれを補佐したサポートAIが呆れたように呟いた。
「……無茶な機動です」
唇を噛みしめて負荷を堪えた高瀬に、軽口で応える余裕はなかった。さすがに引き離しただろうと、距離をおいた相手機体の姿を探して、それがどこにもないことに愕然とする。
「今のはちょっと危ないよ、高瀬」
通信。相手機体を示すマークは、ほとんど高瀬機に重なるようにして背後にあった。
「推進剤もだいぶロスしてるし。負荷だってきつかったでしょ?」
「……そうだな」
高瀬は頷いたが、指摘されたことより恐ろしいのは、相手が全く本気を見せていないことだった。
噴射回数も最小限。それだけで、がむしゃらに相手を振り切ろうとした高瀬機を簡単に追ってきてしまえている。つまり、それが両者の力量差だった。
「――ちょっと面白くなってきた」
生来の負けん気が首をもたげ始め、高瀬は唇を舐めた。
「ファナにちょっとは本気を出させるくらいじゃないと、リュクレイス級士の足元にも及ばないよな」
「うん。リュイは、僕なんかより全然上手いからね」
「了解っ――」
攻守交代。ゆったりとフアナ機が距離を開けるのを待ってから、高瀬は一気に機体を前進させた。
強い負荷がかかるが、このくらいは“弾丸”の頃から慣れているだろうと自分の身体を騙して相手に肉薄する。
「お、来ーい!」
頭を後ろに流した上仰姿勢でフアナ機が後退する。それに向かって、高瀬はさらに右足を踏み込んだ。
「タカセ!」
警告の声。
「ん――」
予想以上の速度に、スラスタを吹かしたフアナ機が右に流れる。それに対して高瀬もサブスラスタで方向を合わせた。
「焦って近づこうとしたら、しんどいだけだよ?」
フアナ機が回転した。上下を逆に、それまでの運動量を無駄にせず正反機動へ転換する。
「アリィ!」
目標を見失った機体の前方へ高瀬は全力で右腕を投げ出した。
「――っ」
意図を理解したサポートAIがサブスラスタを全開。無理矢理に機体方向を修正し、高瀬はさらにフアナ機へと接近させる。
「乱暴だなぁ」
フアナ機は加速せず、小刻みな軌道修正を連続させて高瀬機を撹乱させた。
高瀬はそれに一々、推進ロケットを吹かせて対抗する。フアナ機に比較してはるかに無駄の多い軌道で、力に任せて猛追する。
「もう、高瀬ってば――」
言いかけた言葉が途切れた。
高瀬が強引に追いかけ続けた結果、フアナ機の背後には訓練球室の壁面が近づいてきていた。無茶なようにしか見えなかった高瀬の機動はそれを目論んでのものだった。
人型機のメイン推進は背部ロケットに位置する。
それの向けられる方向性は機体に対して一定。四肢を使った曲芸じみた姿勢制御で高瀬機には不可能な機動転換が可能でも、壁には進めない。
一瞬、フアナ機の反応が遅れた。
その時点で高瀬は次の行動に出ていた。
フアナ機が取り得る機動の半分を物理的な障害で防ぎ、さらにそこから考える。彼女が次に取るとしたら、どの行動か。最も難しい機動回避か。最も消費の少ない機動回避か。
――後者だ、と高瀬は決めつけた。全くの勘だった。
彼はその賭けに勝った。
迫り来る壁面から逃れる機動。その為に推進剤の消費の少ない最小限の姿勢制御で、フアナ機は目の前の事態から逃れようとした。
その方向に来るだろうと決めつけていた高瀬は、結果として超人的な反応でそれに喰らいつくことになり、しかし機体はそれに追従しなかった。
高瀬の操縦は、結局ただの賭けでしかなかった。機体制御を補佐していた相手にそれが察知できるわけがない。
機体制御が崩れ、懸命にそれをもちなおそうとAIがスラスタを調整する。一方の高瀬の方でも機体を落ち着かせようと動いていた。
スラスタ稼動したところに腕を振った回転運動。姿勢が定まらない状態での推進加速。両者の息は徹底的に噛みあわず、高瀬機は機体の制御を失ってそのまま壁面に衝突した。