4 不解、急転
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深宇宙探査目的船・先遣国艦“エッダ”は艦そのものが一つの国として、それに必要な機能を内包している。
人類が光速を凌駕する手段は未だ確立されていない。遠く光年距離の先を目標とした航海には超長期間が必要であり、そこへ到る為に人々は船内で世代を重ねる必要があった。
その“エッダ”の艦長を務める人物は小童谷といい、飄々として掴み所がないが、気さくでもある人柄が船搭乗員から人気がある。
一介の戦闘機乗り、それも捨て駒に使われる“辺士”である高瀬にとっては文字通り雲の上の人物で、日頃から映像記事で声を聞き、姿を見た覚えはあるが、息がかかる程に近い距離で接したことなどもちろん初めてのことである。
目の前でじろじろと自分を見上げる小柄な男に、高瀬は緊張と強い戸惑いを覚えた。
この時代、容姿は決してその人物の実際年齢をそのままには表さない。複製技術や不老技術は人類社会に相応の混乱を巻き起こしたが、それも数世紀を経て身近なものと認知されるようになっている。
姓が示すとおり高瀬と同じ祖先を血に持つ男の黒髪は後ろに丁寧に撫でつけられ、目元や頬には小皺が散見される。特に印象らしい印象もない平凡な顔立ちだが、ぎょろりとした眼差しが特徴的だった。向けられた視線は子どものように無垢で、一杯の好奇心に満ちている。
「ほほー」
丁寧に剃り上げられた顎を撫でながら、深みの薄い声で男が言った。
「君が! あー。高瀬くん? だっけ?」
「はいッ。高瀬、翼といいますっ」
「あぁ、緊張しないでいいよ、いいよ。艦長とか市長とかいって偉ぶったところでさ、要はこんなオッサンなんだし。君、若いねえ。まだ十代? 固定型じゃないよね? 辺士ってことは、全部生身なんだもんね」
微笑み方にひどく親近感がある。
無邪気な表情に引き込まれかけ、高瀬は慌てて返答した。
「はい、今年で十六ですっ」
「そっかあ。いいねえ、若いって。僕もまだまだ若いつもりなんだけど、最近朝起きるのが辛い時とかあってさ。自分の枕の匂いに絶望するんだよ。そういうの、わかんないでしょ」
「はっ? ええと、わかりませんっ」
「あっはー。まあ、そのうちわかるよ。それまで若さを楽しむといい。って、こんなこと言い出すからもうオッサンなんだよねえ。困っちゃうね、ホント」
にこにこと語る目の前の人物に艦長としての威厳を感じ取れず、高瀬は困惑を表情に出さないよう注意した。
こほんと小童谷の脇に控える人物が咳を鳴らし、小童谷が手を打つ。
「あ、そうだった。この後すぐ会議があるんだ。ごめんね、起きてすぐ呼び出したりしちゃって」
「いえ――」
「ほんとは、もっとゆっくりしたいんだけどね。こんなこと言ってるとまた怒られちゃうから、さっさとやっちゃおうか。さて」
立て板にかけるような勢いで語り、すぐに続ける。
「高瀬くん。君は先日の戦闘で敵に有効打を与えるのに成功した。間違いないかい?」
「……はい」
高瀬は声を低めて答えた。
嘘をつく理由はないし、ついたところで隠せることはない。
戦闘経過を記録した機体は自爆と共に跡形もなくなったが、戦闘の様子はどこかから観察されていたはずだった。例えば、あの白い人型機のような。
「うん。君ら辺士が乗る機体は、極めて特殊な運用をされる。だから前時代なら――人の命をなんだと思ってるんだ、とかね。散々叩かれて僕は悪魔扱いだろうね。ま、価値観なんてのはいつだってその時代、時代でいくらでも変わる。それに、決して君達にあれに乗ることを強要してるわけじゃあない。そのはずだ」
「はい。その通りです」
高瀬は頷いた。
高瀬やその他の辺士も皆、自分の意志で“弾丸”に乗った。決して強要や無理強いがあったわけではない。ただ、生きる為に他の選択肢がなかったというだけだった。
小童谷はにっこりと微笑んで、
「そして君は生き残った」
高瀬の表情が強張る。
それに気づかないように男は大きく首を頷かせて、胸の前で強く両手を打ち鳴らした。
「いいねえ。素晴らしい。とても素晴らしい、“生き汚さ”だ」
最後の言葉に含まれる響きに、高瀬は一瞬、呼吸を止めた。
今度はそれに気づいて、小童谷がきょとんとした顔で首を捻る。
「あ、怒っちゃった? ごめんごめん、悪気があって言ったわけじゃないんだよ。本当に素晴らしいと思ってるんだ。だって高瀬くん、君は生きてるんだよ? 生きようとして何が悪いんだい。人間なんだから。そうして君は見事に生き残った。素晴らしいじゃないか! さ、もっと堂々と胸を張って誇りたまえよ」
どうやら本当に嫌味のつもりではないらしいとわかっても、だからといって素直に返せるものではなかった。あいまいな表情の高瀬に、小童谷が不満気に顔をしかめた後、気を取り直すように表情を変える。
「まあいいか。それでだ、高瀬くん。僕らがあの巨人と戦うようになって、けっこう経つわけだけど。知っての通り、辺士が生きて還るって事態はとても珍しいんだよ。どれくらい珍しいかっていうと、前例がない」
両手を広げる。政治家らしい振る舞いだった。
「君のやったことはそれほど稀有なものだ。船員も皆、そのことを知ってる。凄いことをやってのけた相手は、凄いと褒めてあげるべきだ。それで君は今、ここに来ている。分かるかい?」
「俺は、……褒められるようなことはやってません」
高瀬は渋面になって答えた。
「ふむ。ご褒美はいらないかい?」
「……はい。それは、俺じゃなくて、俺の機体の代わりにきちんと爆発できたパイロットに、贈ってあげてください」
「若いねえ」
小童谷が眩しいものを見る表情で苦笑した。
「こういう時は流されてしまった方が楽なんだけどね。ま、それがわからないのも若さの特権かな。だが、大人には面子ってものがあって、はいそうですかと言うわけにもいかないんだ。だから――こちらで勝手に決めて、それを君に押しつけさせてもらおう」
まるでそうした展開をあらかじめ予測していたように、ぱちんと指を鳴らし、
「君には級士の訓練を受けてもらう」
高瀬は自分の耳を疑った。
「――級士。俺、いや、自分がですか?」
「そう! つまり君が目撃したはずの、あの人型機の操縦者。噂くらいなら船の誰にだって知られてるかもしれない、けれど実際に見たり触れたりした人間はほとんどいない。その見習いというわけだ。嬉しいかい?」
「いや、それは。でも――」
突然の展開に、高瀬は困惑して周囲を見回した。
“エッダ”艦橋には多くの人が勤務している。そのほとんど全員が、その場で行われていることに関心を見せず自分達の仕事に集中している。
高瀬は背後を振り返った。そこには、三人の見た目は女性に見える人々がそれぞれの表情で彼を見つめていた。
「もちろん、君の不安はわかるよ。あれは生身で操縦できるようにはなっていないからね。だからサポートをつける。まず、君もお世話になってる戦術サポートAIのアリィくん。彼女には君の操縦を補助してもらう。彼女は製造年代こそ大昔の初期型AIだが、その優秀さは折り紙つきだ。そして、君を訓練するのが――もう自己紹介はすんでるかい?」
「はい、艦長」
銀髪の級士が答えた。
「そ、じゃあ僕からの紹介はいらないかな? リュクレイスくんに、ええと、フアナくんだ。二人ともとても優秀なパイロットだよ。特にリュクレイスくんは最上級士。我が艦の誇る撃墜王だ。こういう場合って撃墜女王になるのかな? うん、どっちでもいいよね」
「いえ、あの。小童谷艦長、」
「なにせ君は生身だ。中に通信ジェムすら飲んでないんだろ? それじゃあ、色々と大変だろうから、そっちのサポートもアリィくんにはお願いしようと思ってる。まあ、今から処置を受けてもらえばすむことなんだけど――ま、せっかくだからね。そのままやってみようじゃあないか」
意味ありげな表情を浮かべ、小童谷は高瀬に質問を挟ませなかった。
「訓練は明日から。今日は君にも色々と準備があるだろうし、ほら、体調もね。手続きや受領品だってたくさんあるから、そのあたりはこの後にうんと説明があるはずだよ。こんなとこかな? まだ他になにかあったっけ。――ああ、写真ね」
側近からの耳打ちに、男は髪や服装を直すこともなしに高瀬の肩を抱き、
「ちょっとした広報用さ。さ、高瀬くん。スマイルだ。……とれた? よし。じゃあこれで僕からの話はおしまい。質問はあるかい」
相手の勢いに押されて、高瀬の頭にはほとんど何も浮かばなかった。
それでもかろうじて、
「――命令、なんでしょうか」
既に艦橋の外へ歩き出していた男が足を止めた。肩越しに振り返る。その顔にあるのはそれまでと全く変わらない笑顔のまま、眼差しがわずかに冷ややかだった。
「そ、命令だよ。頑張ってね」
ひらひらと手を振りながら去っていく。
目の前の事態を理解できない高瀬は、呆然とそれを見送ることしか出来なかった。