2 自決、慟哭
それは巨大な人だった。
正確には、人体の外観を模した全く別種の生体だった。
全身が真っ白く覆われ、伸び、細胞が形作っている。細かな形状は先にいくほど大雑把になって、全体としては出来損ないといった印象が強い。その両眼には意志の光もなければ視線の焦点も定まらず、ただ顔だけが偶然にか高瀬機の方角を向いている。
大気もなければ重力もない宇宙環境で、あえて人型などという合理性のない形をとる不自然さと、そのおぞましさ。
それを目の前で見せつけてくる相手の悪意に、高瀬は裂けんばかりに両頬を吊り上げた。
「やあ、美人じゃないか。もうちょい、小さめのサイズのほうが好みだけど……そこまでおおきいと、抱きしめるのだって大変だ!」
軽口を続けながらさらに機体の速度を増す。
限界をとっくに越えた機動に肺が潰れる。
警告のような頭痛。視界が赤く染まり、周辺視野からじわりと黒いものがにじみだすのを、かまうものかと無視した。どうせもうすぐ終わるのだから、どれだけ無茶をしたっていい。
ただし、無駄死になんかはしてやらない。
もし本当に生まれ変わるなんてことがあった時、どこかの誰かに似たような姉か妹に馬鹿にされたりしない為にも。仕事だけはきっちりこなしておく。
高瀬と、高瀬と同じく死の恐怖に耐え抜いてきた他“弾丸”が飛びかかる。
人形じみた能面でそれらを眺めるような巨大な人が、彼らを迎え入れるように手を広げて、――その手のひらが発光したのとほとんど同時、八機のうちの一つが爆砕した。
残る七機は速度を緩めない。
小反動、高威力。しかし無制限ではありえない。そうした前提知識がある以上、味方の撃墜は彼らにとってむしろ好機以外のなにものでもなかった。
高瀬機と同じかそれ以上の加速で、各機がそれぞれの方向から殺到する。
“弾丸”に武装はない。この敵に対しては遠くから有効的な打撃を与える手段に乏しく、またその誘導手段のほうにさらに問題があったから、必要なのは直接の痛打を与えることとされた。
そして、それが“弾丸”の場合、直接とはすなわち彼ら自身になる。
七機が特攻する。
たとえ相手からの次の迎撃があろうと、そこでさらに残る誰かが必ず敵の身体に突き刺さる。無言の連携をとった自敵必殺の一瞬に、――にんまりと巨人が笑った。
偶然にも巨人に顔向けされていた高瀬は、それを目の前で見た。同時に操縦桿を引き倒している。
「……!?」
光が連なった。
連続する爆砕。
目標まであともう少しの距離で迎撃された味方の数を確認する前に、高瀬は自機の制御を取り戻すことに必死だった。上下左右を失調し、パニックに陥りそうになる精神を懸命に押し留める。
苦い味わいが口の中に広がる。先ほどからの無茶苦茶な機動のつけが、ついに高瀬に吐血させていた。戦術状況を確認するのに邪魔な血と唾の固まりを遠くに吹き飛ばしながら声をあらげた。
「なんだよ、あれは!?」
しかし、目の前の現象を分析、説明してくれる相手は既に彼の傍にない。
瞳の強膜に毛細血管を赤く破裂させながら、高瀬は周囲状況を確認する。爆散したエネルギーと機体の果てが乱れる周辺に、確認できた生き残りは彼以外にわずか一機だけだった。
「一気に五機……!」
どのようにやったかまでは彼にはわからない。見えてもいなかったし、見ていたどころで恐らく理解できなかった。
指向性はレーザーにとって切っても切れないものであるはずだった。ならば、それを同時発射? そんなことが出来るのか? だったら、どうして今までやってこなかった!
いくらでも脳裏に浮かぶ疑問は、それらについて考えるのは高瀬の仕事ではなかった。
あるいはそれが敵方のまったく新しい攻撃手法かもしれないとしても、その情報を後方に持ち帰ることすら彼の任務には含まれない。
“弾丸”はただ、ひたすらに相手への特攻を求められている。
「くそっ」
緊急回避のせいで、敵との相対距離が大きく開いてしまっていた。改めて敵に向かって回頭しながら、高瀬は祈るような思いで残存する味方機へと念を送った。
相手との通信は出来ない。もとより数撃てとしか考えられていない“弾丸”同士に、連携は必要とされていない。サポートAIが消失した現状では、その機能さえ残っていなかった。
だが、たった二機が別個にかかったところで、先ほどの攻撃以前に各個撃破されてしまうのが落ちだ。せめて同時に。ほんのわずかでも、相手に痛撃を与える可能性をあげる為に――。
高瀬のささやかな願いは報われた。
連携はなくとも、まったく共通する立場が彼らに同じ行動をとらせていた。
ほとんど同じタイミングでロケットを吹かし、二機が巨人へ突っ込む。タイミングはほとんど同時の突撃になるほどに精密で、それは互いの作為というより偶然の産物だったが、熟練のコンビでもなければなしえない最上の結果に高瀬は歓喜の声をあげた。
そして、身構える。
ゆるやかに巨人の手が伸びた。その先には高瀬機がある。
相手の迎撃がまず自分に向けられるだろうことを高瀬は冷静に予想していた。
突撃する二機は、敵との相対距離が高瀬機のほうがより短かった。少しでもタイミングをあわせようと高瀬は速度を控え、逆に味方機は加速することになる。そこで生じる僅かな速度差が与える影響は、決して少なくない。
狙われるなら、狙いやすい側に決まってる――
「なめんなああああああ!」
急加速で潰れる肺から全てを振り絞っての咆哮。
巨人のすぐ近く、爆砕した味方機の残骸へと高瀬は突っ込んだ。
撃墜され、周囲に撒き散らせながらまだエネルギーと瓦礫の渦と化して漂う味方機を突っ切るような機動を追いかけて、巨人の手が光る。
爆発。
至近距離での一撃が、それを放った巨人自身へと少なくない瓦礫を撒き散らした。
爆風に煽られるような格好でぐらりと上体を仰がせる。
そうして高瀬機が作った隙に、残る味方機が敵へ向かって突撃した。味方機の残骸を盾に攻撃を回避し、いくらか機体に被害を受けながらまだ航宙能力の残る高瀬もその後に続く。
――とった! 高瀬の内心に確信の想いが芽生えた。
まず味方が相手に特攻、自爆する。例えそれが致命傷とならずとも、自分まで連鎖すれば十分な有効打になるだろう。
百機からの弾幕で、敵に届いたのがわずかに二機。
それでも、撃ち捨ての“弾丸”の成果としては認められたものだった。
誰からも褒められることのない、自己満足にも似た達成感。その先駆けとしてまず相手に突貫する味方の姿を目で追いながら、それに続いて。
巨人の口がぱかりと開いた。
何かが放出される。それは岩だった。巨人は、体内に岩を抱えていた。
「なっ――」
相手の全高と比較すれば決して大きすぎはしない、しかし“弾丸”よりは容易に大きな質量を伴ったそれを吐き出した巨人の身体が後退する。
味方機は目の前に突如あらわれた障害物に、それを回避しようという判断する暇すら与えられず――正面から衝突した。
無音の激突。
そのまま跳ね返されてふらりと離れる、機体の先端から中ほどまでが潰れていて、自爆の爆発すら起きない。操縦者は即死だろう。
「くそったれ!」
高瀬は強引にその横を通り過ぎると、今度は相手との距離が離れる前に無茶な機動で回頭した。制御以上の慣性に意識が揺れる。
一機では奇襲も何もない。相手と距離ができてしまった時点でアウトなら、この場で喰らいつくしか道はない。
絶望的な特攻を続ける覚悟を決めた高瀬を嘲笑うように、巨人の口元が笑みをかたどった。
目の前の生体が意志を持っているかどうか。それについては定かではなかった。
少なくとも高瀬が知ることを許された情報においては、目の前のその固体が“知性体”であるという断定はなされていない。
……なら、これはなんだ!
わざわざあらかじめ岩を呑みこんでおいて、緊急の盾に使うような相手が、知性体でなくてなんだってんだ!?
高瀬は感情のままに叫びたかったが、限界以上の機動がそれを許さなかった。
喉の奥から血反吐を吐き、息なら絞り出せても新しく吸うことは叶わず、赤を越えて暗く落ち始める視界の正面に敵の姿だけは捉えたまま、最後の加速を踏み込む。
巨人の口が開いた。
岩? あんなものはただの奇襲だ。二度目はかからない。
レーザーなら。機械頼りに回避してもらうしかない。
さっき五機を同時にやったあの攻撃は? それはもう、かわしようがない。
だが、せめて少しでも突撃成功率を高めるための手は必要だった。
六機が立て続けに撃墜され、巨人の周辺には無数のデブリが飛散している。
収束された光は何もない状態でこそ威力を発揮する。今は、十全な環境ではない。
荒れた空間を縫うように高瀬は機体を飛ばし、巨人へ迫った。
巨人が手を伸ばす。迎え入れるように。
その笑みが形を変えた。
表情そのものが変わり、誰かの容姿をつくり、また変わる。
まるで高瀬へと向けられる外見を模索するような変化に、ぞっとするのと同時に心底からの怒りをおぼえて、高瀬は吠えた。
「気持ち悪いんだよ、この化け物!」
吶喊する。
巨人の発光。
高瀬は自動回避を抑え込んで機体を半分だけ右回転させた。下部をかすったレーザーが機体のいくらかを蒸発させる。すぐに誘爆の恐れがあったが、既に高瀬はそれ以上の加速を止めていた。
機体はきりもみしながら、それまでの速度を保ち慣性のまま突き進む。
弾丸のライフリングにも似た機動で直進し、巨人との間にある塵礫を弾き飛ばしながらその胸元に突き刺さる。雄叫びをあげながら自爆ボタンを押し込んだ。
“弾丸”に搭載された唯一の武装、自分ごと破壊を撒き散らす重水炉の暴却は瞬時にその命令を受けつけて――爆発、しなかった。
「……は?」
ボタンを押し前違えたかと、朦朧と血でかすむ視界を瞬かせて確認する。そうして、改めて押してみてもやはり反応がない。
高瀬は愕然とした。
「おい。嘘だろ……」
それまで体内で溢れんばかりだった熱量が一気に失せ、声が震える。
「特攻機で、自爆機能が壊れてどうすんだよ!」
絶叫に重なって、巨人の両腕が動いた。
ゆっくりと自身の胸元の機体を抱え、眼前に持ち上げる。
その中に乗り込む操縦者を見透そうとするかのように、男女の定まらない顔立ちのなかで唇の両端が歪んだ。
どうにかして自爆シークエンスを起動させようとしていた高瀬は、画面いっぱいに広がる巨人の虚無の瞳に身竦められ、ぞっと背筋を震わせた。
決して多くない、そして重要で不吉な知識を思い出している。
サポートAIの物理的抹消が徹底され、露払いとして自分のようなどれだけ死んでもいい連中が大量に投入される理由。
連中は、情報を欲している。
「冗談じゃない! あんなのに捕まってたまるか……っ」
敵に捕まった場合の末路については、もし自分達が巨人を生きたまま捕らえることができたならどういった事態に進むかを考えれば想像は容易だった。尋問、実験という代物さえ、巨人やあるいはその背後に高い知性があることを前提としている。相手がそうでないなら、結末にはもっと酷いものしか用意されてはいない。
そうなる前になんとか機体を自爆させようと手を尽くして、高瀬はその全てに失敗した。
残された手段は――自死しかない。
特攻用の機体に、操縦者の尊厳を護る為の自殺手段は用意されていない。
だが、宇宙環境下で死を選ぶのは楽ではなくとも簡単ではあった。気密服を開き、搭乗口を解放すればいい。
覚悟を決め、首筋に手をかけたところで、機体が揺れた。
“弾丸”を抱えた巨人が、まだ分別のない子どもが玩具を扱うように振り回す。
慣性制御は生きていたが、必要最小限“以下”に小型化された装置では乱暴な衝撃の全てを緩和しきれず、激しくあおられた。背中から叩きつけられる。
「クソ――ったれ!」
無理矢理吐き出された息にありったけの呪詛を込めた高瀬は、気密服を開く代わりに自分とシートとの連結を解除した。激昂している。こんなふざけた相手の為に自分で自分を殺してやるなどというのは、やはり納得がいかなかった。
ハッチを開く。深宇宙の暗闇が機体内の空気を外に吸いだし、高瀬はその流れに逆らわず外へと出た。直前、安全索を機体にひっかけておく。
機体の外に排出され、そのまま宇宙を漂う死体の振りをしながら、高瀬はゆるやかに回転しつつ巨人の様子を探った。
巨人は手にした玩具から出てきた塵屑にまで注意を向けていなかった。だが、そこから不自然に伸びる安全紐についてはすぐに察知されてしまうだろう。
大きな赤ん坊、といったような稚拙な行動をとる相手に、高瀬は皮肉な感想を抱いた。
目算で十メートルを越える巨人。宇宙空間におけるその姿はまったく合理的でないが、たとえ高重力下の環境だろうがそれは同じことだった。自重が大きすぎる。つまりは悪夢だ。――だいたいどうやって移動してんだよ、バタ足か? いったい何を蹴ってやがる。
毒づきながら、前方に少しずつ近づいてくる目標との距離を量って、高瀬は胸元より下、自身の体内にある重心の存在を意識して左腕を持っていく。ゆるやかな回転の中でタイミングをとり、腕部から推進剤を噴出した。
少し角度がずれてしまい、今度は逆回転に身体が回りだしながらも方向修正に成功する。
だが、その行為で生じた運動が安全紐に伝わり、大きくたわわせて、それまで無人の機体を玩んでいた巨人がそれに気づいた。
舌打ちした高瀬はさらに推進剤を吹かせる。気密服に圧縮して内蔵された推進量は極少量だったが、出し惜しみをしていられる状況ではなかった。
巨人が機体から手を放し、高瀬へと伸ばす。
まるで地面を踏みしめているかのように、その巨体がゆるやかに前進した。
近づいてくる。
高瀬は口をひきつらせ、眼前にようやく迫ってきた物体を仰ぎ見た。岩石に衝突して半壊した機体。慣性制御の影響で遠く反動に吹き飛ばされることなく、その場に漂っている。――“弾丸”はまだ生きている。
高瀬を捕まえるのであれば、手元にある機体から伸びた紐を引っ張ってしまえばいいということに巨人は気づかない様子だったが、伸ばした腕が偶然ひっかかり、伝播した衝撃が高瀬の身体をくの字に折り曲げた。
「かはっ――」
横からの力を受けて高瀬の身体は大きく跳ね飛ばされた。安全紐の切り離し時を間違えたことに、彼は自分自身を罵った。
既に気密服にある推進剤の残量は三分の一まで減少している。周囲のデブリの動きから今の速度がどの程度であるかを計算し、程なく理解する。
吹き飛ばされつつある慣性を相殺して、さらに半壊した“弾丸”に向かう為にはまるで足りない。高瀬の身体は目指していた方角とまったく見当違いへ流れつつあった。
ミスからの挽回は容易ではなく、成功確率はほとんどない。シミュレーションもなければ計算もないからこそ、高瀬は迷わなかった。
残存する全ての推進剤を使い、急制動をかける。
遠くへと投げ出されていた慣性が止まった。成功はむしろ必要以上の幸運を伴って、かえって次の行動を阻害する羽目になった。
“弾丸”に背を向けた格好で、高瀬は不自然に身体を捻って目標の姿を視界に捉えた。
右腕を伸ばす。
親指を照準具に見立て、片目を閉じ遠近を確認してから息を吐く。
手がぶれる。舌打ちした。姿勢が窮屈すぎた。それを微調整するだけのわずかな噴出剤すら残っていなかった。
正確な相対距離もあいまいな目標に向かって、こんな状態から直撃させるなどというのは神業に等しかった。もしくは幸運。度の過ぎた幸運なら先ほど使ってしまったばかりだったが、時にそれがひどい偏りを見せることを期待して、高瀬は右手首のアンカーを放った。
射出の反動を相殺する圧縮空気がかかり、姿勢がずれる。それを受け流そうと身体を流したところで、巨人がすぐそこまで近づいてきていることに気づいた。
その手が高瀬にむかって差し出される。
今さら、レーザーが来るとは思わなかった。相手がそのつもりならとっくに蒸発しているはずだ。それは幸運ではなく、むしろ不運にしか高瀬には思えない。
相手は、捕獲を意図している。
巨人が包み込むように両手を伸ばす。
いよいよ高瀬が観念しかけたその瞬間、彼の手首に確かな感触と、そこからカチンという小さな音が振動して伝わった。
すかさずウインチを巻く。
急速にその場から引っ張られ、高瀬は巨人の手の隙間から脱出した。
信じられない奇跡が起こっていることを実感しながら高瀬が見上げると、そこには一本の光明が筋となって“弾丸”まで伸びている。
そして顔を青くした。停止をかける噴出剤は既に尽きている。
身体ごと超硬度装甲の外板にぶつかって、一瞬、意識が遠くに飛びかけた。
――なにをやってるんです、と冷ややかな幻聴を聞いて気を取り戻す。うるさいな、と呟きながら高瀬は少しばかりの時間を稼いだ巨人との相対距離を確認し、すぐに半壊した機体のハッチにとりついた。
正面からの衝突の影響でフレームがへしゃげてしまい、開きそうにない。その横の緊急ボタンを叩きつけるように作動する。
爆索に点火してハッチが吹き飛んだ。こんなことだけはしっかり用意してやがるんだもんな、と製作者の周到さに悪態をつきながら、高瀬は内部を覗き込んだ。
“弾丸”の操縦棺はひどく手狭く、さらにその半ば以上が接触の衝撃を受けて潰れてしまっていた。
操縦者の顔は見えない。力なく上を仰いだ顔面を覆うメットは真っ赤に染まっていた。
だが、操縦系統は死んではいなかった。慣性制御だけではなく、重水炉もだった。
「やったな、おい。英雄はあんただ、戦友」
名前も知らない相手に賞賛の声をかけ、高瀬はコンソールを手早く操作する。操縦者以外の手によってそれが可能なのは、個人認証すら必要としない杜撰な管理体制があればこそだった。上の連中の悪意に、この時ばかりは高瀬は感謝した。
顔を上げる。すぐそこまで巨人が迫っていた。
遠い距離で自爆しても意味がない。相手に痛撃を与える為には、十分にひきつけなければならなかった。
高瀬は待った。
巨人が近づく。手を伸ばす。
高瀬はボタンを押し込んだ。真っ赤な警告灯がつくのを確認して、勢いよく外に飛び出す。
巨人と目があった。
機体に掴みかかろうとしていた相手が、機体から飛び出した高瀬に腕を伸ばす。高瀬はそれに、礼儀正しく中指を突き立ててみせた。
左手で遮光バイザーを下ろす。
機体が閃光に包まれた。
重水炉が臨界し、圧縮しきった一切を解放する。輝きは炎の蒼さではなく、むしろ水色のそれに似ていた。
爆発に至近距離で巻き込まれた巨人の影が苦悶に歪む。
生きのびる為ではなく、相手に痛撃を与えた瞬間をしっかりと見届ける為に外へ出た高瀬は、それを見て十分な満足感を覚えた。
戦闘宙域に投げ出され、推進剤もなければ救難信号も出していない。そもそも、“弾丸”に還る船はない。
幸いなことに――幸い?――水と酸素に飢餓しながら宇宙を漂うような恐れもなかった。この近さで機体が爆発して、その直接の影響からは免れても、そこで生じる無数の破片がすぐに彼の身体をずたずたに粉砕するだろう。
だというのに、生存の可能性を高めようとでもいうかのように爆発に対して足裏を向け、少しでも被弾を少なくしようとしている自分の能天気さに、高瀬は苦笑した。
そして、気づく。
――破片の一つも、まだ飛んでこないのか?
顔を持ち上げた。
そこに巨人がいた。
顔の半分が爛れ、溶け、右肩から先が吹き飛んでしまっているその真っ白い巨人が、高瀬へと残った左腕を伸ばしていた。
無感情な表情。巨人の頭部は損壊して、その内部が露わになっている。外見と同じく、全てが真っ白く包まれたその中身は――人間そのものだった。
「うわああああああああああああ!」
根源的な恐怖に高瀬は絶叫した。
無茶苦茶に手足を振り回し、少しでも相手から逃れようとする。そんなことをしたところで推進力は得られず、ただ無様に回転するだけで終わった。
「ああああああああああああああ!」
喉が焼け枯れるのにかまわず、絶叫が続く。
恐慌した高瀬の精神が気密服を開放するという行為に出ようとした直前、巨人の背後で何かが瞬いた。
光。それがスラスターの噴射光だと気づいた時には、既に接近していた。
光が凪ぐ。
巨人の腕が千切れ、高瀬の目前を吹き飛んだ。
悲鳴を忘れて高瀬が頭を仰ぐ。同じように巨人も同じ方角を見上げた。
上も下もない宇宙で、両者の上にはっきりとそこにいたものは、
「人、間……」
それは、それもまた巨人のように人型を模していた。
異なるのはサイズで、新しく現れた人型は一回り以上小さかった。さらに大きな違いは、外見がほとんど人体そのものを模したようにシンプルな巨人と異なり、明らかに装甲各種兵装で鎧われている。
それは兵器だった。
生物ではない。生体でもない。明確な設計思想と利用目的。その為に技術の粋を凝らした結晶体が、まるで関わってきた全ての意志を受けているかのように燦然とした輝きを放っていた。
その肩口に見覚えのあるマークが見えた。
月桂冠に囲まれた一冊の本。それぞれの由来を考えればミスマッチにも程があるそれは高瀬の所属する艦紋を表している。人型は味方機だった。
巨人の身体がわなないた。
まるで怒りの感情を表しているかのように、激しく頭を振り乱す。
すでに右腕は失われ、左腕も切り飛ばされてしまっている。しかしそんなことは全く関係ないとばかりに巨人が発光して、
「――ッ」
次の瞬間、人型がレーザーの直撃で爆砕する想像に高瀬はきつく目を閉じる。
遮光バイザー越しにも容易に瞳を貫く焦光は、しかし彼の瞼をいつまでも明るく染めあげず、
「え……?」
間抜けな声をあげて瞼を持ち上げた、その目の前で白光が踊った。
上ではなく、右から凪いだ閃光が巨人を横に両断する。それに対して痛みの反応を見せない巨人が再び発光するが、そこにはすでに対象の姿はない。
――レーザーを、避けた?
レーザーとは光そのもの。戦闘可能距離でなら発射した時には弾着している、そんな兵器を視覚的に避けることは事実上不可能だった。
それを用いて迎撃する巨人には、遠距離からの攻撃は何一つ有効にならない。
――だからこそ“弾丸”は、弾幕を張るんじゃなかったのか。
レーザーを目で見て回避することは出来ない。
故に、ランダム回避という、本当の意味では回避ですらない強引な機動で確率を頼み、機械的に追いきれない軌道修正役として一人の人間を乗せ。それでも全ての攻撃は回避しきれないから、一機ではなく百機からの数を使い捨てにする。
しかし、その人型は今、高瀬の前で悠々と巨人の攻撃を回避してみせた。
もちろん、実際には撃たれてから回避したというだけではない。予備動作、あるいは予測。それがあっての回避ではあるはずだった。
だが、狂ったようにレーザーを撃つ巨人の攻撃を優雅に踊るように回避して、その合間に間断なく攻撃を与えている人型機。手に持ったブレードのようなもので、少しずつ巨人の身体を切り刻んでいく様子を間近に見せつけられ、高瀬の内心に浮かんだ感情はほとんど虚無に近かった。
圧倒的な。まるで圧倒的な戦力差。
無尽蔵のレーザー砲台として近づくことすら困難を極め、膨大な被害をだして近づいたところでそこでもまたすぐにレーザーにやられてしまう。あの巨人が、まるで子ども扱いを受けている。
あの反応。あの機動。あの慣性制御。何から何まで桁が違う。
……俺達に、意味なんてあったのか?
鉄塊の棺桶に押し込められて、無様に、血反吐を吐きながら命を散らしていったことに意味はあるのか?
始めからあの人型が出ていれば、こんな戦闘なんてすぐに終わったんじゃないのか?
それとも、勝ちは最初から決まっていて、後はそれをどれだけ磐石にするかだけの話だったのか。
恐らくはそうなのだろう。冷静な頭の一部分が彼に囁いた。
万が一が起きない為に。どれだけの性能差があっても、0.01%で存在する事故。それで敵方にあれが鹵獲されたりすることのないように求められた、0.01%を、0.001%にする為の露払い。
「ふざけんな……」
高瀬の視界がかすんだ。
彼は傷つきすぎていた。両の瞳からは涙が零れている。
自分の立場ははっきりと理解していた。
捨て駒。撃ちっぱなしの弾丸。高価な最新鋭機との価値を比べるまでもない。適性のない高瀬は肉体強化や遺伝子改造すら受けていない。まだ人類が太陽系の一惑星で重力に押し潰されていた頃のものとほとんど変わらない、原始肉体。いくらでも代えの効く最底辺士でしかなかった。
だが、だからといって目の前の光景に心は冷えなかった。
ふつふつと感情が沸きあがる。
つい少し前に飛来した達成感も、芯から震わせた恐怖も。もちろん生存の期待や安堵などあるはずもなく、ただ内面が一色に塗り固められていく。
ついに頭部だけにまで削り取られた巨人が、何事かを叫ぶように口を開く。
それに同調するように、高瀬も吠えた。
「ふざけんなッ……!」
怒りは巨人ではなく、真白く輝く人型へ向けられていた。