14 佐倉の家族愛
佐倉の相談は予想通り平穏と無縁な日々を私と妻に与えた。翌日、私は会社の経理で佐倉に帳簿指導できそうな人材を探し、同時に海外に納品した過去の営業実績を調べた。社内以外にも手を回した。大学時代の旧友の中から商社に勤める者を探しだし日本の衣料を扱ってくれそうな小売店を教えてもらったりもした。妻は妻で同様に情報を集め佐倉の梅干し柄を方々にアピールしていた。我が家は梅干し柄の営業代理店のようだった。そんな日々を過ごしていたある日、ダニエルが私を訪ねて会社にやって来た。
「ご協力ありがとうデス。お陰で三つのお店がキョウコの商品を扱ってくれますネ。今度は梅干し柄の浴衣でぇす!」
「浴衣?」私はシャツを想定していたのでたまげた。
「そうでぇす。浴衣なら日本製がイイのでぇす」
「なるほど。今度は浴衣ですか」
「来月リバプールに引っ越しまぁす。遊びに来てください」ダニエルは踊るように喜びを表現すると嵐のように去って行った。まったく人騒がせな夫婦だ。妻によればインドでも梅干し柄の浴衣を発売することになったとのことだった。わずか一週間で佐倉の思惑は達成された。しかも梅干し柄のシャツとTシャツはどこでも完売したので追加注文に追われ佐倉は大忙しだった。
「でも、どうして佐倉はこんなにたくさん稼ぎたかったのかしら?お子さんの学費を心配するのはちょっと早いと思うけど」妻が抱いた疑問は私も感じていた。佐倉が梅干し柄で稼いだ金額は尋常ではなかったのだ。この先ヒット商品が生まれなくても今回の売上で相当な利益があるはずだった。佐倉の思惑が別にあることを私は感じた。私はそれとなく佐倉に聞いてみようと思った。佐倉が素直に答えるかどうかは分からなかったのだが。
私は妻の店に営業で行ったついでに佐倉の実家に顔を出した。佐倉は予想以上にてんてこ舞いしていた。注文が殺到していたのだ。
「おぉ!チーフ、手伝いに来てくれたんですか?すいませんねぇ」佐倉は勝手に勘違いをして商品の梱包の説明を始めた。
「いやいや、売れちゃいましたねぇ。こんなに注文が来るとは思わなかったですよ。これで母ちゃんと父ちゃんの老後は安泰だなぁ」佐倉は意外なことを言った。
「老後?」私は思わず口走った。
「そうです。この梅干し柄のお陰でここは小さな工場になったんですよ。私がイギリスに行っても母ちゃんが引き継いでやってくれるんです。それに父ちゃんが病気なんですよ。しばらく入院していて働けないから母ちゃんが働くんです」佐倉は不幸な事態を笑顔で話した。
「お父さんはそんなに悪いのか?」
「悪いみたいですねぇ。でも治るみたいですよ。父ちゃんは頑丈ですからね。仕事ができなくて悲しいみたいですけどネ」
「お前、大変だったんだな」
「大変なのは母ちゃんです。私はリバプールに行っちゃいますから。梅干し柄の次も考えたのでしばらく平気ですよ。今度はこれですよ!」佐倉はスケッチブックを開いて見せた。そこにはコスモスが描かれていた。梅干し柄のようにコミカルなものではなく淡い色彩で描かれたコスモスの柄だった。私が見惚れていると佐倉は次の頁を開いた。
「これはイケそうですよね」佐倉が自信を持って見せた頁には雪のように舞い降りる天使の絵だった。赤ん坊の姿をしたたくさんの天使が雪だるまの周りを舞っている図柄だった。
「すごいな」私は息を呑むほど感心した。
「でしょ、でしょ!」佐倉は両親の為にささやかな家内制手工業を創設して、その継続のための図案を描いていた。そして佐倉が望んだ風景がその絵の中にあった。その絵を閉じて佐倉が見せてくれた絵は私に感銘を与えてくれるものだった。その最後に佐倉が見せてくれた絵は佐倉が私たちに与えていた印象そのものだった。それは桜の花だった。丸みを与えたディフォルメタッチの桜の花は陽気な佐倉そのものだった。
「チーフ、営業お願いしますね」佐倉はスケッチブックを閉じると作業場に戻って行った。私は佐倉が望んだ幸福の姿を垣間見た気がした。予定外の梱包作業をしながら私は最も純粋な動機で生まれた商品に強い愛情を感じていた。