第16話 たすけて
先へ進むにつれ、悲鳴は大きくなっていく。
階段を下り切った先、大きな両開きの扉が安達の前に現れた。
しかし安達がそれに近づくよりも先。
扉の奥から聞こえて来ていた悲鳴が突然ぱったりと途絶える。
突如訪れた静寂は、悲鳴の主の生死すらも疑わせ、安達は焦りから扉を思いきり開け放った。
石造の広大な空間。
転々と配置された燭台が薄暗く照らす室内の中央には五十を超える大人が集まっていた。
そして、彼らの足元に記された複雑な図形と文字の真ん中には複数の男に押さえつけられた少年の姿があった。
少年は両手や頭を掴まれたままぐったりとしており、意識がある様には見えない。
また、彼の眼前には火が灯された大きな蝋燭を握る者の姿も見受けられた。
この空間で何が行われていたのか、その詳細を目の前の光景だけで察する事は出来ない。
だがそれでも力無き子供の自由を奪う者と、それを止める事無く見世物のように眺めている大勢という異様な状況が、決して許されざるものであるという事だけは安達も即座に理解した。
そして、押さえつけられている少年が慧なのだろうという事も。
「……なに、してんだよ」
五十を超える視線が一斉に安達へと集まる。
警察官として訓練を積んでいるとしても、決して太刀打ち出来るような人数ではない。
それでも彼らに真っ向から対峙する事に何の躊躇も抱かない程、安達は激昂していた。
「何してんだよ、お前ら……っ!!」
怒りのままに声を荒げる。
そんな安達を見る目はどれも恐ろしい程に冷たく、感情が宿っていなかった。
中央に立っていた、本家の老人が周りに何かを指示する。
それに従うように、慧を掴んでいた男の一人が意識のない彼を担ぎ、安達の立ち位置とは真逆にある扉へと向かおうとする。
更に集っていた男達が一斉に安達へとにじり寄り、敵対の意志を見せた。
「おい、待て――」
ここで慧を見失う訳にはいかなかったが、立ち塞がる数十名の脇を潜り抜けて追い付くのは困難だ。
焦りを滲ませた安達が逃げようとする男の背へ怒号を浴びせた、その時の事。
耳を劈くような破裂音が安達のすぐ背後から響き渡った。
「あー、これは誤射ってコトで」
緊迫した状況に似つかわしくない、間延びした女性の声と、後方から近づく数々の足音。
驚いた安達が振り返れば、すぐ後方、扉の前で拳銃を天井に突き付けている早乙女の姿があった。
更に、彼女の傍からは制服警官が次々と室内へと雪崩れ込んでくる。
中には私服警官と思しき者や、この殺伐とした現場には似つかわしくない未成年の姿も紛れていたが、安達が警察側の違和感に疑念を抱くよりも先、早乙女が神楽坂家の者達へ声を張り上げる。
「警察だ、動くな!」
その声に大半の者は身構えたが、それでも敵対の姿勢を崩す事はしなかった。
「まー、そうなるよねぇ……。――各位、子供の保護を最優先に、対象を拘束してください。尚、私服刑事は他Pの援護に徹する事とします」
早乙女の指示を合図に警察官が一斉に突撃する。
数だけならば駆け付けた警察よりも神楽坂家の関係者の方が多かった。
しかし身体能力が一般的な女性などが入り混じった集団であった事もあり、また大した武器を持っていないものが大半であった事もあり、状況は警察官が圧倒的に有利だった。
また当時の安達には知る由もないが、神楽坂家の主な対抗手段であった怪異絡みの術に私服刑事や子供――特怪の者が対抗していた事も事態の収束に繋がる大きな要因であった。
早乙女はいつの間にか眼鏡を着用し、一見すると出鱈目な虚空に向かって発砲しながら立ち尽くす安達の隣へ駆け寄る。
「アンタ、何で――」
「ごめんだけど、説明は後。安達クン、動けるよね?」
早乙女は鋭い視線を空間の奥へと向けたまま問い掛ける。
その先には、騒ぎに乗じて慧を連れ出そうとする男の姿があった。
安達は早乙女の問いに答えない。
その男の存在に気付いた時にはただ、地面を蹴り上げていた。
先程まで最大の障害と成り得ていた人の壁は既に駆け付けた警察官らによって対処されている。
だからこそ神楽坂家と警察官の衝突という混乱と騒ぎに乗じる安達の存在に注意を向けられる者はいなかった。
安達は優れた脚力を活かし、慧を担ぐ男の背後へ回り込む。
そして相手の足を強く蹴りつけた安達は、体勢を崩す男から慧を奪い取ると、彼の安全を最優先に撤退する。
幸い、安達の後退を支援する者が数名いたお陰で神楽坂の者の手が再び慧まで伸ばされる事はなく、事態はその場にいた大半を捉える事で収束へ向かったのだった。
***
身柄を拘束された者達が警察官と共に外へと連れ出されていく。
安達はその様子には一切目もくれず、意識のない慧を部屋の隅に下ろしたまま呆然としていた。
冷や汗を掻いたまま悲鳴混じりのか細い呼吸を繰り返す慧の頬を、安達は震える手で触れる。
「…………慧」
彼の親指が、慧の目元を優しく撫でた。
その先には、あまりに残酷な傷が残されている。
上下の瞼をなぞるように出来たあまりに痛々しい火傷と、癒着した皮膚。
その傷を見れば彼がどんな目に遭ったのかを想像するのは容易かった。
何故無力な子供に対し、こんなにも惨い事を行えるのか。
安達は怒りとやるせなさに襲われた。
そんな彼の耳に、あまりに弱々しい声が届いた。
「……て」
「……っ!」
慧の口が微かに動き、引き攣った呼吸に混ざった言葉が漏れる。
「た、すけ……っ」
「慧」
安達は少しでも安心させようと、慧の手を握る。
その時、より鮮明な声が絞り出された。
「――たすけて、よしにぃ」
後悔、罪悪、怒り、憎悪。
頭を殴られたような衝撃と共に押し寄せた感情の渦と、吐き気を覚える程の不快感は安達にとって二度と忘れられないものとなった。




