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ご近所の挨拶は、だいたい脅しと空腹でできている


牧人は扉に手をかけた。


外から、まだ声が聞こえる。


「話をしに来た! 開けろ!」


後ろで、まめじいが小声で言った。


「親父殿。外輪の方ですな。縄張りを気にする連中でしょう」


「だから俺は縄張りを作った覚えがないって」


「親父殿のつもりはどうあれ、外からはそう見えます」


「そうなの?しれっと親父殿とか呼んでるし」


クロが立ち上がった。

三つの頭を揃えて扉の方を向く。

右の頭だけ、やたら嬉しそうだった。


「嬉しそうな顔するな。穏便に行くんだよ」


わふ。


「その“わふ”で全部伝わると思うな」


ぎぎ、と扉を開ける。


外にいたのは、三匹のコボルトだった。


灰色の毛並みをした犬顔の魔物で、三匹とも革鎧らしきものを着ている。

らしきもの、というのは、革より穴の方が多かったからだ。


先頭の一匹は、片目の上に斜め傷があって、やたら偉そうだった。

後ろに腕を布で吊ったのが一匹。

さらにその後ろに、荷袋を抱えた小柄なのが一匹いる。


三匹とも槍を持っていた。

穂先は欠けていた。


そして三匹とも、扉の隙間から見えたクロを見て固まった。


沈黙。


先頭のコボルトが、こほんと咳払いした。


「お、おう。中の……えー……偉い方」


「偉くないです」


「そういうのは外で言わねえ方がいいぜ」


「いや本当に偉くないんだけど」


コボルトは、もう一度咳払いした。

喉が乾いているらしい。妙にカラカラだった。


「俺ァ、外輪の西を預かる灰耳のザガだ。こっちがベロ。そっちがチビ」


後ろの小柄なのがすぐに口を挟んだ。


「チビって呼ぶのはこいつだけだ。おれはニコだ」


「そうですか」


「そうだ!」


ニコが胸を張る。


ザガが構わずに続ける。


「新しく入った連中は、普通、近くのシマに一声かける。筋を通さないと、外輪じゃ面倒になる。勝手に水場を使うな。勝手に根菜を掘るな。あと、まあ、その……みかじめ的な」


「的なってなんだよ」


「だって後ろのやつが怖えんだよ!」


そりゃそうだ、と牧人も思った。


扉の奥でクロが三つの頭を並べて座っている。

家の中にいるのに、家の外より物騒だった。


牧人は扉をもう少し開いた。


「とりあえず静かにしてくれ。怪我人が寝てるから」


ザガたちが一斉に姿勢を正した。


「寝床を乱すな、ってことか」

「そのままの意味だよ」

「家を荒らすやつは嫌いだ、と」

「話を盛るな」


まめじいが後ろからぬっと顔を出した。


「親父殿。客人なら、立ち話は感心しませんな」


「え、入れるの?」


「外で騒がれる方が困るかと」


ザガたちは顔を見合わせた。


「入った瞬間に噛まれたりしねえ?」

「噛まないよ。たぶん」

「たぶん!?」


その時だった。


クロの中央の頭が、低く言った。


「……噛まねえ」


空気が止まった。


牧人も止まった。

ザガたちも止まった。

まめじいだけがすました顔だ。


牧人はゆっくり振り向いた。


「お前喋れるのかよ!」


クロは面倒くさそうに片目だけ動かした。

右の頭がそっぽを向く。

左の頭は欠伸をした。


「いや待て待て待て、なんで今まで黙ってた!?」


クロは短く鼻を鳴らした。


「……必要ないから」


「必要あったよ! 最初からずっとあったよ!」


ザガたちは顔を見合わせた。

後ずさりはしない。ただ、明らかに空気が変わった。


「……怖ぇよ」

「そりゃ災厄級だぞ」

「でも、噛まないってよ」


牧人は頭を抱えた。


まめじいが、いかにも当然という顔で頷いた。


「若頭ほどのお方が言葉を持つのは自然ですな。むしろ、親父殿にだけ口を開く方が重要でしょう」


「重要って何だよ……」


「高位の個体は言葉を持つ場合があります。若頭ほどになりますと、むしろ喋れぬ方が珍しい」


「じゃあ先に言っとけ!」


「親父殿がお気づきでないのが面白かったもので」


「面白がるな!」


クロがもう一度だけ言った。


「……親父殿、助けてくれてありがとう」


牧人は思わず叫んだ。


「今さらかよ!」


でも、その一言でザガたちの緊張が少し崩れた。

喋る災厄級が、最初に言ったのが腹の話だったからだ。


「……入れよ」と、牧人は言った。

「ただし静かに。怪我人起こすな」


結局、三匹とも入ってきた。


---


入ってきた理由は簡単だった。

廃墟の中にまだ残っていた雑炊の匂いである。


入った瞬間、ニコの腹が鳴った。


「今のは戦意だ」


「腹の音で戦意を表現するな」


牧人は三匹を見た。


よく見ると、全員ぼろぼろだった。

ザガは左足を引きずっている。

ベロの腕の吊り方はめちゃくちゃだ。

ニコの荷袋からは、乾いた薬草の切れ端と欠けた干し肉がのぞいている。


怪我して、腹を空かせて、威勢だけ張って来た。

来た時の勢いは、たぶん鎧みたいなものだ。

穴だらけでも着ていないと、外を歩けない。


……分かるけど、だからってみかじめに来るなよ。


「……お前らも怪我してるじゃん」


三匹が固まった。


「これは、その、別に」

「見栄ですな」と、まめじいが横から言った。

「言うなよ!」


牧人はベロの前にしゃがんだ。


「その腕、外れてるだろ」


「え。あ、いや」


「吊り方めちゃくちゃだぞ。これだと余計痛い」


「……分かるのか」


「分かるよ。はめるぞ。深呼吸しろ」


「深呼吸って痛い時に効くのか?」


「やらないよりマシだ」


「説明が雑!」


ごき。


「ぎゃあああああ!」


ベロが飛び上がった。

だがクロの中央の頭がじっと見ていたので、その場で踏みとどまった。


数秒。

恐る恐る腕を動かす。


「あれ」


「動くだろ」


「……動く」


布を巻き直す。

今度はちゃんと支える位置にした。


「三日は無理するな。殴るな」


「そこまで分かる?」


「殴って外した顔してるもん」


「なんだその顔」


ニコが横で吹き出した。


「してるしてる」


「笑うな!」


次はザガだった。


「お前、足の裏に釘刺さってるぞ」


「……え、うそ」


「今気づいたのかよ!」


釘を抜く。

傷を洗う。

薬草を当てる。


水が染みた瞬間、ザガの耳がぺたんと寝た。


「しみる!」


「するだろ」


「分かっててやるな!」


「しみない手当てなんて、だいたい高いんだよ!」


最後はニコだった。


「その袋、何入ってるんだ」


「根菜。あと石」


「なんで石」


「重そうだと、何か持ってる感がある」


「持ってる感で背中を削るな!」


ニコの背中には、荷袋の紐が食い込んで皮が剥けていた。


傷を洗おうとしたところで、ぷるが寄ってきた。


じっとニコの背中を見る。


「ぷる、邪魔するなよ――」


ぷるがぺたっと傷口の周りに張りついた。


「ひゃあっ!」


ニコが跳ねた。


「冷たっ! なにこれ!」


ぷるは傷口の泥と汚れだけを吸い取り、ぺっと黒い泥玉を吐き出した。


全員が止まった。


牧人も止まった。


「……お前、汚れだけ分けて吸えるのか?」


ぷるん。


「すごいなお前。すごいけど事前に言え」


ニコは背中を押さえたまま、ぷるを見た。


「こいつ何者?」


「うちの床掃除係。たまに傷の掃除もするらしい。今知った」


「今!?」


まめじいが感心したように頷く。


「ぷる殿もだいぶ使える子ですな」


「だいぶって言い方、急に親戚みたいだな」


一通り手当てが終わると、三匹ともだいぶマシな顔になっていた。

そのかわり、腹はもっと減ったらしい。

全員がまだ鍋を見ている。


「腹減ってるな」


「減ってねえ」


「腹鳴ってるぞ」


「……戦意だ」


「さっきも聞いた」


鍋に水を足す。

塩を足す。

底の残りをこそげる。

ニコの袋から根菜を一本借りる。


「おい!」


「食って返す」


「意味分からん!」


できたのは、だいぶ薄い雑炊だった。

雑炊だった何かと言った方が近い。


牧人は三匹に配った。


ザガが一口飲んで、黙った。

ベロも黙った。

ニコも黙った。


「まずいか?」と、牧人が聞く。


ザガが首を振った。


「うまいとかまずいじゃねえ」


「じゃあ何だ」


「温けえ」


ベロが器を両手で持ったまま言う。


「外で食う飯って、だいたい冷たいんだよな」


ニコはもう喋らずに飲んでいた。


静かになった、その瞬間だった。


「食ったら皿洗えよ」


三匹が止まった。


「は?」


「食ったら洗う。うちはそういう仕組みだ」


「みかじめの話しに来たんだぞ俺ら」


「食っただろ」


「食ったけど」


「じゃあ洗え」


「理屈が分からねえ!」


本当は今思いついた仕組みだった。


だが、まめじいが深々と頷いた。


「実に良い」


クロまで短く言った。


「……筋だ」


牧人は振り向いた。


「お前また喋ったな!?」


クロはもう何も言わなかった。

右の頭だけが、ちょっと偉そうだった。


---


結局、三匹は皿を洗った。

ニコは意外と丁寧だった。

ベロは片腕で苦戦していた。

ザガはぶつぶつ言っていたが、ぷるが横で器の周りの汁を吸い取るたびに、だんだん黙った。


洗い終わる頃には、三匹の顔つきは変わっていた。

来た時の威圧はない。

代わりに、よく分からないものを見た顔になっている。


ザガが咳払いした。


「今日のところは、挨拶ってことで」


「うん」


「みかじめは……また今度で」


「来なくていいよ」


ザガは真面目な顔で頷いた。


「でも、伝えとかねえといけねえ」


「何を」


「この区画、変なのが入ったって」


「変なのって俺?」


「お前以外に誰がいるんだよ」


それはそうだった。


ベロが腕を上げた。


「まあ、悪くはなかった」


「お前がいちばん素直だな」


ニコが荷袋を抱え直す。


「根菜返せよ」


「次な」


「次来る前提で話すな!」


三匹が外へ出る。

扉が閉まる。


牧人はその場にへたり込んだ。


「なんだったんだ今の……」


まめじいが言った。


「ご近所への印象づけは上々ですな」


「印象づけた覚えはない」


「“飯が出る”が伝わりました。大きい」


「それが一番伝わっちゃいけない情報なんだよ!」


その瞬間、外から声が聞こえた。


ザガたちのではない。

もっと遠く、もっと多い。

しかも一つ、聞き覚えのある怒鳴り声が混じっていた。さっきのザガだ。


「だから押すなって! 皿は返しただろ!」


続いて、別の声が飛ぶ。


「飯が出るシマだって?」


「怪我も診るって?」


「マジか?」


牧人は頭を抱えた。


「最悪だ! 広まる情報が全部ひどい!」


まめじいが静かに言った。


「親父殿」


「何だ」


「昼の部、増えそうですな」


「やっぱり昼休みないじゃないか!」


クロが、わふ、と鳴いた。

右の頭だけ、明らかに笑っていた。


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