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2/4

保護施設の朝は、開店前から忙しかった


「待て待て待て! 押すな! 入口は一つ! お前ら朝一の診療所か!」


守谷牧人の朝は、悲鳴から始まった。


廃墟の入口に、怪我した魔物たちが雪崩れ込んでくる。


小さな青スライムが床をぬるっと滑る。

羽の焦げた大コウモリが天井にぶつかる。

牙ネズミ三匹が足元をすり抜ける。

甲羅にひびの入った亀みたいなのが、のそのそ来たくせに最後だけ妙に速い。

片耳の欠けた老ゴブリンは、杖で順番を守らせようとして、自分がいちばん後ろから押されていた。


「順番! 順番って言ってるだろ! お前ら全員、弱ってる時だけ妙に元気だな!」


牧人は両手を広げて流れを止めた。

止まらなかった。


なので、横からクロがぬっと顔を出した。


三つ首の災厄級ケルベロスである。


その瞬間、雪崩れ込んでいた一団がぴたりと止まった。


「止まるんかい」


右の頭が低く唸る。

すると牙ネズミたちが一列に並んだ。


左の頭が天井を見上げる。

大コウモリたちが慌てて降りた。


中央の頭がじっと見下ろす。

亀が首を引っ込め、老ゴブリンが背筋を伸ばした。


「……すごいな、お前。圧がすごい」


クロは誇らしげに鼻を鳴らした。

右の頭だけ、ちょっとドヤ顔だった。


「いや、褒めてるけど調子に乗るな。ほら、入るのは一匹ずつ。怪我見せろ。暴れるな。噛むな。床で広がるな、スライム」


入口でぷるぷる震えていた青スライムが、叱られてしゅんとしたみたいに少し縮んだ。


「縮むんだ……」


とりあえず、牧人は壊れた机を入口横に引きずってきた。

板を一枚乗せ、その上に昨日の残りの包帯切れ、使いかけの薬草、水袋、空になりかけた小瓶を並べる。


並べ終わって、牧人は黙った。


「少なっ」


昨日の夜、クロの杭を六本抜くのに、だいたい全部使った。

今あるのは残りかすである。

それで怪我人の行列を診ようとしている。


冷静に考えると、かなり無理だった。


でも、目の前に怪我したやつがいて、「在庫が足りないので明日にしてください」と言って扉を閉めるのは、もっと無理だった。


「よし。診る。飯は後。全員後。先に診る」


その言葉で、並んでいた魔物たちがざわついた。

腹が鳴った。

一匹じゃない。あちこちで鳴った。


「分かる。すごく分かる。でもその腹の音で俺を責めるな。俺も空腹だ」


そこで、老ゴブリンがこほんと咳払いした。


「旦那……」


「旦那?」


「……いえ。まずは、軽傷と重傷を分けるべきかと」


牧人はそちらを見た。


片耳の欠けた老ゴブリンだった。

腰は曲がっているが、目は妙にしっかりしている。

杖もただの棒ではなく、もとは槍の柄だったものを削ったような作りだった。


「喋れるのか」


「そこそこは。腹が減っておりますが」


「腹減ってるアピールは、分かったから」


老ゴブリンは真顔で頷いた。


「腹が減っている時は、重要事項から申すべきです。まず、重傷者。次に寝床。最後に飯」


「最後なのかよ」


「最後でも飯は食いますので」


「それはそうだけど」


老ゴブリンの言うことは妙に的確だった。

腹は減ってそうなのに頭は回る。

嫌なタイプの有能である。


「分かった。じゃあ仕分ける。歩けるやつ左。血が出てるやつ前。羽が燃えてるやつ水場」


老ゴブリンはすぐに杖を振り上げた。


「聞いたな! 動ける者は左! 重傷者を前へ! 飛べぬ羽虫どもはあちらだ!」


「言い方!」


だが統率は取れた。

妙に取れた。


---


牙ネズミがちょこちょこ左へ寄る。

大コウモリがぶつぶつ言いながら石槽の方へ向かう。

亀は前に出た。

青スライムはなぜか机の前で丸くなった。


老ゴブリンだけが当然のように牧人の横に立った。


「……お前も仕分けられる側じゃないのか」


「年寄りは使いどころですぞ」


「返答がずるいな」


牧人は一度、老ゴブリンを見た。


「名前は?」


老ゴブリンは少し黙った。


「ございませんな」


「ないのか」


「呼ばれなくなって久しいので、もう残っておりません」


重い言い方をした。

だが本人の顔は、あくまで事務的だった。


だから牧人も、しんみりする前に現実へ戻った。


「ないと呼びにくいな」


「では、“おい”で」


「雑!それは悲しいよ」


「“老いぼれ”でも」


「自分への当たりが強いな!?」


老ゴブリンは肩をすくめた。

肩は細かったが、仕草は妙に堂に入っていた。


「名は、長く使わぬと薄れます。群れをなくした時点で、半分消えたようなものです」


「朝から言うにはちょっと重い」


「では軽い話をいたしましょう。腹が減りました」


「それは分かったから!」


その瞬間、老ゴブリンの腹が、ぐううううう、と盛大に鳴った。

立派に鳴った。

廃墟に響くくらい鳴った。


老ゴブリンは無表情だった。


「……今のは、仕方ないやつですな」


「そうだな! そこは擁護する!」


空気が少しゆるんだ。

牙ネズミの一匹がぴゅっと鳴き、大コウモリまで変な声で笑った。

スライムはぷるぷる震えている。たぶん笑っている。


牧人は老ゴブリンを見た。

小柄だ。かなり小柄だ。

腰も曲がっている。

でも、さっきからいちいち仕切りたがる。

年寄りっぽい。すごく年寄りっぽい。


「……じゃあ、お前」


「はい」


「まめじい」


老ゴブリンが止まった。


「まめじい?」


「小さいし、じいさんだし」


「雑ですな」


「今さらそこ気にするのか」


「いや、良い」


老ゴブリン――いや、まめじいは、ゆっくり胸を張った。


「良いですぞ。小さいのは事実。じいなのも事実。しかも言いやすい。素晴らしい」


「気に入ったのか」


「名とは、呼ばれて返るもの。これなら返れます」


「そんなにまっすぐ受け取られると、こっちが照れるな……」


まめじいはその場で一礼した。


「では、改めまして。まめじい。今日からここで働きます」


「待て。採用した覚えがない」


「名をいただいた時点で、だいたい採用です」


「そんな仕組みは知らない」


「知らぬうちに始まるのが群れですぞ」


「群れじゃないんだけどな!?」


しかし、その頃にはもう牙ネズミたちが「まめじいの指示待ち」みたいな顔をしていた。

早い。

馴染むのが早い。


---


「よし、次。怪我見せろ」


最初の患者は、甲羅にひびの入った亀みたいな魔物だった。

赤い目をしていて、甲羅の縁に小さな角がある。

見た目の圧はあるが、いまはかなりおびえている。


「大丈夫。痛くしない。……いや、ちょっとは痛いかも。でも悪化はさせない」


「信頼感があるようでない言い方ですな」


「正直に言っただけだよ!」


牧人は樹脂と泥を練って、ひびに詰めた。

亀みたいな魔物がびくっとする。


「動くな動くな。固まるまでじっと」


ぽん、と頭を撫でる。


するとぴたりと止まった。


「……止まるんだ」


赤い目が、じっと牧人を見上げる。

撫でられ慣れていない顔だった。


まめじいが横で、ふむ、と唸った。


「親……いや、牧人殿」


「今、親って言いかけたよな」


「口が覚えたがっております」


「覚えさせるな」


次は羽の焦げた大コウモリだった。


「これは火か。逃げ遅れたか、近づきすぎたか……」


大コウモリがきぃきぃ鳴きながら翼を広げる。

そして痛みで閉じる。

さらに焦ってもう一回広げようとする。


「分かった分かった。見せたい気持ちは分かる。けど顔を叩くな!」


ばしっ。


「ほら!」


ばしっ。


「二枚あるから厄介なんだよ!」


牧人は水を含ませた布で焦げた膜を湿らせ、薬草を貼った。

大コウモリは最初こそ暴れたが、後ろからクロの中央の頭がぬっと出てきた瞬間、ぴたりと静かになった。


「あんまり怖がらせるなよ」


大コウモリが大人しくなったところで処置を終える。


「よし。今日は飛ぶな。明日もたぶんダメだ。焦って飛ぶとまた裂ける」


大コウモリは、きゅう、と小さく鳴いて壁際へ寄った。

その隣には、さっきの亀がいた。


「待合室みたいになってるな……」


「弱っておる者は壁際を好みます。背を預けられますので」


「お前、ほんとそういう知識があるな」


「群れの面倒を見る側でしたからな」


「軍略家みたいな感じ?」


「軍略とは、兵を死なせぬ手順ですぞ」


「立派なこと言うんだな……」


診察を続ける。


牙ネズミの足を固定する。

大コウモリの焦げた羽を切りそろえる。

亀のひびをもう一度押さえる。


その間、青スライムが足元でぷるぷるしていた。

何もしない。

ただ、いる。


「お前は怪我してるのか?」


ぷる。


「してないのか」


ぷるぷる。


「じゃあ何しに来たんだ」


青スライムは、すっと床へ伸びた。

次の瞬間、入口近くの埃をぬるっと吸い取った。


「掃除!?」


ぷるん。


「掃除なんだ……」


褒めた瞬間、青スライムはやる気を出した。

倍速で床を磨き始めた。

勢いがありすぎて、置いてあった包帯切れまで吸いかけた。


「待て待て待て! それは食うな! 医療資材!」


ぷるっ。


「返したからいいって顔するな!」


まめじいが真顔で言う。


「働き者ですな」


「雑だけどな!」


気づけば、床が妙にきれいになっていた。

廃墟なのに入口周りだけ清潔感がある。

清潔感の出どころがスライムなのはだいぶ嫌だが、実際助かっていた。


「……お前も名前いるな」


青スライムが止まる。


「ぷる」


青スライムが震えた。


「見たまんまだが」


ぷるぷるぷる。


「お前も気に入るのかよ」


まめじいが感心した顔で頷いた。


「即断即決。命名に迷いがありませんな」


「二匹とも見た目でつけただけだよ!」


「名とはだいたいそういうものです」


「クロは黒いから、ぷるはぷるぷるしてるから、まめじいは小さいじいさんだから、全部雑なんだよ」


「まことに実用的ですな」


「褒められてる感じがしない」


診察が一段落した頃には、道具袋は完全に空になっていた。


「……薬草もない。包帯もない。軟膏もない。あるのは空の小瓶と俺の体力だけ」


「あと若頭がおります」


「若頭?クロのことか」


「そうです」


「クロの傷は、だいたい処置済だから大丈夫」


「そうですな。若頭なら気合で傷を治すでしょう」


「それはないよ」


冗談みたいなことを真顔で言うな、このじいさんは。


「飯にしよう。もう限界だ」


「賛成です」


「お前が一番早く賛成したな」


「腹の動きに従っただけです」


結局、壊れた厨房跡を使うことにした。

かまどは死んでいたが、石組みは残っている。鍋もひしゃげたのが一つあった。


牧人は残りの食材を確認する。


干し肉が少し。

硬いパンの残り。

塩が一つまみ。

廃墟の裏で掘った根菜みたいな何か。

あと、その辺に生えていた雑草。


「……これ食えるかな」


「いけます」


「即答だな」


「煮ればだいたい何とかなります」


「その思想、今の俺にはありがたいけど悲しいな……」


干し肉を小さく刻む。

硬いパンを砕く。

根菜を薄く切る。

雑草は茎を取って葉だけにする。


全部鍋に放り込む。


火はまめじいが起こした。

杖の先から火打ち石が出てきた。


「なんでついてるんだそんな機能」


「元軍略家の嗜みでして」


「軍略家、何でもありだな」


しばらくして、鍋がふつふつ煮えてきた。

肉の脂と根菜の土っぽい甘さと、雑草の青い匂いが混ざる。


うまそうかと言われると微妙だ。

だが、腹の減った集団には十分すぎた。


---


入口の方がざわついた。


牙ネズミが鼻をひくつかせる。

大コウモリが首を伸ばす。

亀までのそのそ近づいてくる。

ぷるは鍋の影に回り込もうとしていた。


「まだだ! まだできてない! あとお前、鍋を包むな!」


ぷるがしゅるっと元の位置へ戻った。


「分かるの偉いな」


まめじいが鍋を覗き込む。


「牧人殿。毒見は」


「俺がやる」


「若頭ではなく?」


「犬に熱い雑炊の毒見をさせるな」


「では、なぜ若頭はあの顔で鍋を見ておるのですかな」


見ると、クロの三つの頭が順番待ちみたいな顔で鍋を見ていた。


「お前、待て」


クロは座った。

座ったが、目だけは鍋から離れなかった。


「犬だなあ……」


木杓子で一口すくう。

ふうふう冷まして口に入れる。


「……食える」


「おいしいですか」


「食える。うまいかは聞くな。食える」


「十分です。飢えた者には“食える”が最上です」


「そこで妙に名言っぽくするな」


配る。

食う。

配る。

また食う。


牙ネズミたちは鼻先を突っ込んで一気に啜った。

大コウモリは翼で器を抱えて、ちびちび飲んだ。意外と上品だった。

亀は甲羅の縁に雑炊を垂らした。本人は気にしていないが牧人が拭いた。


「お前、さっき直したばっかりだぞ。食うの下手か」


最後に、ぷるの番が来た。


器を前に置く。

ぷるが器ごと包み込む。


「器は食うな!」


一瞬で中身だけ吸い、器をぺっと吐き出した。


ぷるん。


「返したからいいって顔するな!」


最後はクロの分だった。

皿では足りないので、鍋の残りをそのまま差し出す。


クロは三つの頭を順番に鍋へ突っ込んだ。

右、左、中央。

妙に律儀だった。


「行儀がいいんだか悪いんだか分からんな」


中央の頭が鍋底を舐めた。

鍋がごりごり鳴った。


「鍋を削るな! 貴重品だぞ!」


全員に配り終えた頃、鍋は見事に空だった。

牧人の分は味見の一口だけである。


腹が鳴った。

今度は自分の腹だった。


まめじいが黙って懐から干した木の実を三粒出した。


「……どこに持ってたんだ」


「非常食です」


「先に出せよ!」


「家の者が足りてからです」


「家の者って……」


言いかけて、やめた。

まめじいの顔が、そこでだけ変に真面目だったからだ。


牧人は木の実をかじった。

硬い。歯にくる。

でも腹には落ちた。


「……ありがとう、まめじい」


「いえ」


昼前になる頃には、廃墟の中は見違えていた。


入口前は整列。

床はぷるが磨いて妙に光っている。

怪我人たちは壁際で寝息を立てている。

鍋は空。


牧人はその場にへたり込んだ。


「終わった……」


「ええ、朝の部としては上々かと」


「朝の部って何だよ。昼の部もあるのか」


「来ればありますな」


「来なきゃいいんだけどな」


まめじいは壊れた板切れを拾い、炭で何かを書き始めた。


「……何書いてるんだ」


「名簿です」


「そんなのいる?」


「もちろんです」


そこへ、壁際で寝ていた牙ネズミの一匹が急に飛び起きた。

何かに怯えたように入口を見ている。


次の瞬間。


どん、どん、どん、と扉が鳴った。


全員が止まった。


まめじいの耳がぴくりと動く。

クロの三つ首が一斉に持ち上がる。

ぷるはなぜか牧人の足の後ろへ隠れた。まったく隠れきれていない。


「……誰だ?」


もう一度、どん、と扉が鳴った。

扉板がみしっと軋むほど、遠慮のない叩き方だった。


外から、低い声が飛んでくる。

人の言葉だが、唸りみたいな訛りが混じっていた。


「おい! 中の連中! 聞いてるぞ! この廃区画に新しいシマができたってな!」


牧人は頭を抱えた。


「シマって何!? まだ朝飯終わっただけなんだけど!?」


扉の外から、また声が飛ぶ。


「話をしに来た! 開けろ!」


クロが立ち上がった。

右の頭の口元から、うっすら蒸気が漏れる。


「お前はやる気になるな。穏便に行くんだよ。今日はもう朝で体力使い切ってるんだから」


わふ。


「わふで済む問題か?」


まめじいが杖をついて立ち上がった。


「牧人殿」


「何だ」


「どうやら昼の部が始まります」


「やっぱりあるのかよ!」


廃墟の扉が、ぎぎぎ、と軋んだ。


牧人は確信した。


ここ、たぶん昼休みはない。


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