さよならの前日
三月の空気は、どうしてこんなに澄んでいるんだろう。
息を吸い込むたび、胸の奥が痛くなる。
明日、君は卒業する。
僕は二年生で、君は三年生。
たった一年の差なのに、それが世界の終わりみたいに思える。
放課後の教室。
荷物をまとめる君の背中を、僕はずっと見ていた。
「そんなに見んなよ」
振り向いた君が、少し照れたみたいに笑う。
「見てない」
「嘘つけ」
笑い合うこの時間も、今日で最後かもしれない。
卒業式が終われば、君はもうここに来ない。
部活も、放課後も、バス停も。
僕の日常から、君が抜け落ちる。
怖い。
こんなに好きになってしまったのに。
君が体育館で怪我をしたとき、真っ先に駆け寄りたかったのは僕だった。
文化祭で他の女子と写真を撮っているのを見たとき、胸がぐちゃぐちゃになったのも僕だった。
全部、僕だけの気持ちだ。
「寂しいな」
君がぽつりと言う。
「……なにが?」
「後輩とバカやるのも、今日で最後だろ」
それだけ?
それだけなのに、泣きそうになる。
「俺さ」
君が、珍しく真面目な声を出す。
「お前と話してる時間、好きだった」
心臓が止まる。
「静かでさ。なんか、落ち着いた」
……それは、友達として?
聞きたいのに、聞けない。
喉が震える。
今言わなきゃ、きっと一生言えない。
でも、言ったら壊れるかもしれない。
沈黙が落ちる。
教室の窓から、夕焼けが差し込む。
「……先輩」
「ん?」
「俺、」
好きです。
その言葉が、あと一センチのところで止まる。
代わりに出たのは、
「……ずっと、応援してます」
なんて、ずるい言葉。
君は一瞬だけ目を見開いて、それから柔らかく笑った。
「ありがとな」
ぽん、と頭に手が乗る。
子ども扱いみたいなのに、どうしてこんなに優しいんだろう。
涙がこぼれそうで、必死に上を向いた。
言えなかった。
でも。
最後に、君が僕を抱き寄せた。
強くもなく、弱くもなく。
「……お前さ」
「はい」
「好きなやつできたら、ちゃんと伝えろよ」
胸が裂ける。
「後悔すんの、俺は嫌いだから」
それ、今の僕のこと?
違うよね。
でも。
「……はい」
震える声で答えると、君は満足そうに離れた。
「じゃあな」
教室のドアが閉まる。
足音が遠ざかる。
僕は、しばらく動けなかった。
好きだった。
今も好きだ。
たぶん、明日も好きだ。
でもこの恋は、今日で終わりにする。
そう決めたはずなのに。
机の上に、小さな紙が置いてあるのに気づいた。
見覚えのある字。
『連絡先、変わってないから』
その下に、小さく。
『寂しくなったら連絡しろ』
……ずるい。
こんなの、忘れられるわけない。
涙が落ちる。
でも、少しだけ笑ってしまう。
さよならの前日。
僕の初恋は終わらなかった。
形を変えて、ただ静かに、続いていくだけだ。




