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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第六章

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日本復活⑩ テスラ起動

2002年(平成14年)8月


アスファルトが陽炎を揺らす、息苦しいほどの夏だ。ここ五條の地も例外ではなく、盆地特有の熱気に晒されている。それでも、2020年代の熱波に比べれば、まだ序の口なのかもしれないが。


そんな五條市にある仮オフィスで、私は、後に世界を変えることになるであろう一人の男、イーロンと面談していた。彼は今、豊臣グループから流れた資金を元に成長したPayPal株の売却によって、莫大な利益を豊臣にもたらした、まだ一人の若い革命家に過ぎない。


彼は、少し落ち着かない様子でティーカップを置くと、意を決したように切り出した。


「相談したいことがあって来た。電気自動車を作ろうとしている技術者がいるんだが、豊臣が出資して実現するというのはどうだろう?……あなたの承認をいただけるだろうか?」


彼の視線の先には、すでに一つのビジョンが見えている。マーティン・エガーバードと、マーク・ペータニング。その二人の天才が構想している「テスラモーターズ」という名の、あまりに無謀で、あまりに美しい夢のことだ。


そろそろテスラの話が出てくると予想し、準備していた私は、窓の外に広がる日本の抜けるような夏空を眺め、ゆっくりと、だが確信を持って答えた。


「電気自動車か。やろうじゃないか、イーロン」


私の承認を得られたと感じた彼の目が輝く。しかし、私は指を一本立て、厳しい条件を付け加えた。


「ただし、その計画の実行にあたっては条件がある。まず、会社はシリコンバレーに作ってもいい。その代わりに、クルマを鍛え上げるテストコースは、私が日本で用意する」


イーロンは怪訝そうな顔をした。

現在のシリコンバレーは、ITバブルが弾けた後の静寂の中にあったが、それでも技術の集積地としては最高峰だからだ。


しばらく、部屋には沈黙だけが流れた。

そして、イーロンはゆっくりと眉をひそめた。


「……理由を聞こうか」


当然の反応だ。

私は椅子に深く座り直し、ゆっくりと話しかけた。


「イーロン。電気自動車には明確な弱点が三つあるんだ。高温、低温、そして湿度だ」


彼はすぐに食いついた。


「温度管理の問題なら、シミュレーションと実験で解決できる。わざわざ日本に開発拠点を作る理由にはならない」


驚くほど迷いのない即答だった。前世の自分自身の若い頃を思い出したが、とてもいい反応だ。

そんな彼に対して私は首を横に振った。


「『再現できる環境』だけでテストしている限り、本当の不具合は出てこないんだ」


彼の視線が鋭くなる。


「どういう意味だ?」


「カリフォルニアは乾燥している。気温も比較的安定している。だが君が売ろうとしている世界の環境は違うんだ。そうだろう?」


イーロンはしばらく考えていたが、それでも何とか開発拠点の場所については自分の中で折り合いをつけたのだろう。次のステップとなる質問をしてきた。


「テストコースか……確かに自動車メーカーだったら必須となるか。それで、日本のどこに作るつもりなんだ?」


私は南側の山地を指差しながら、以前から計画していた内容を言った。


「ここ五條市から始まる紀伊山地だ。この場所は電気自動車のテストコースとして、これ以上ないほど最適な場所だと断言できるんだ。電気自動車という未完成のプロダクトにとって、大敵は明確に三つあるからだよ」


私はその要素を順番に指摘していった。


「まず第一の敵は高温だ。リチウムイオンバッテリーは熱に弱い。真夏の渋滞、放電による自己発熱。冷却システムが甘ければ、バッテリーは瞬時に劣化し、最悪の場合は熱暴走を招く」


世界と比較しても日本の夏は厳しい。そんな中でも紀伊山地は比較的冷涼という評価があるが、全域がそうとは言い切れない。最深部に位置している十津川村の夏の暑さは有名だ。周囲を高い山に囲まれ、風が抜けにくく、熱がこもりやすい地形だからだ。


「第二の敵は低温だ。紀伊山地の冬は極めて過酷なものなんだ。氷点下での化学反応の鈍化は、航続距離を無慈悲に削り取る。極寒の朝、システムが即座に起動し、熱マネジメントを完遂できるかが試されるはずだ」


そこに加えて山間部の傾斜地は、さらなる過酷な試練をバッテリーに与える。


「そして第三の敵は湿度と降雨だ。日本の、特に紀伊半島の湿度は過酷なんだ」


その象徴が大台ヶ原だ。ここは屋久島と双璧をなす降雨記録を持っているが、1920年には年間降水量8,214mmという、日本の歴代最高記録を叩き出している。これは屋久島の平年値の約二倍という、異常としか言いようのない数字だ。


また大台ヶ原のある上北山村は、2011年の紀伊半島豪雨において、降り始めからの雨量が2000mmを超え、アメダスが壊れて正確には解析不能という、とんでもない記録を出す。このように紀伊半島の南東斜面は多雨地帯の代名詞でもあるのだ。


この多雨と高湿度による影響は凄まじく、電子基板への結露、絶縁破壊をもたらす。これらはカリフォルニアの乾燥した空気の中では決して罹患しない「不治の病」となるはずだ。


私は電気自動車が宿命的に持つ弱点を挙げつつ、紀伊半島でのテストコースの意義を語った。


「イーロン、シリコンバレーの温室で育ったクルマは、世界では通用しない。この紀伊山地の悪条件を、電気自動車のゆりかごにするんだ」


イーロンはこれに納得したみたいだったが、この条件を受け入れる前に現地を見ることを希望した。


奈良県五條市。ここは古くから交通の要衝でありながら、一歩南側へ足を踏み入れれば、標高1000メートル級の峻険な峰々が連なる吉野、そして十津川へと続く「秘境」が広がっている。


ここに、世界で最も過酷なプライベート・テストコースを建設する計画を極秘裏に進めていく。

紀伊山地の地形は、急勾配の連続だ。EVにとって、長い上り坂は最大の負荷であり、逆に長い下り坂は、回生ブレーキによるエネルギー回収の限界を試す絶好のデータ収集地となるだろう。

まさに、クルマ版の「大峰奥駆け道」というわけだ。


「都合の良いことに、ここは秘匿性も高い」


現地を案内しながら、私はイーロンに告げた。


「深い霧が立ち込め、緑の濃い谷が外部の視線を遮る。エンジンの騒音がない電気自動車が、静かに、しかし力強くこの山々を駆け上がる姿を想像してみろ。それは神話の再現だ」


まさに日本神話における、神武東征のクライマックスとなるのがこの地なのだ。熊野に上陸した神武天皇は、八咫烏(やたがらす)に導かれながら北上し、橿原の地に辿り着いたのだから。


テスラの研究所、試作車の点検・整備を行う予定の場所にも案内した。

そこは私たちが住む集落のそばにある、柚野山と呼ばれる山のなだらかな頂上部に建設予定で、すでにトンネルを含めた工事は始まっている。表向きは「環境エネルギー研究所」として発表しよう。


しかしその実態は、マーティン・エガーバードたちが持ち込むであろうプロトタイプを、日本の湿気と坂道で徹底的に「破壊」し、再構築するための鍛錬場へのスタート地点とするのだ。


ここから向かい側の山に向けて橋を建設し、峻険な山々を利用したテストコースを設計する。

そこは冬場は凍結する橋、急勾配から続くヘアピンコーナー、トンネルを利用した直線の高速コースなど幅広い条件を設定していく。


そうして始められる開発は難航を極めるに違いない。

紀伊山地の湿度は、テスラの初期設計を次々と打ち砕くだろう。梅雨時期のテストでは、高電圧回路のコネクタに微細な結露が生じ、何度もショートを起こすはずだ。エンジニアたちは頭を抱えるに違いない。


「カリフォルニアではこんなことは起きなかった!」


そう彼らは叫ぶだろう。

だが、その時にイーロンは冷徹に言い放つのではないか。


「アジアで売るつもりなら、この湿気に勝て。スコールのような夕立の後に、急激に気温が上がるこの不快な蒸し暑さの中で動かない車は、ただの鉄屑だ」と。


ここで最も重要なパーツは電池で、三洋電機のリチウムイオンバッテリーと組み合わせるのだ。

さらに、日本の酷暑に耐えられるだけの冷却システムの再設計が行われ、ネクサスやその他、日本の電装部品メーカーとの密接な協力体制を築いていく。五條の拠点を、日米の技術が火花を散らす最前線にするのだ。


冬が来れば、テストの舞台はさらに過酷さを増す。大台ヶ原へと続く、凍てつくワインディングロード。

リチウムイオン電池の電圧は、寒冷下で急降下する。夜通し極寒の屋外に放置された車両が、朝一番で正常にシステムを立ち上げられるか。また、フルパワーでヒーターを使いながら、急勾配を登り切るだけの駆動力を維持できるか。


イーロン自らも、防寒着に身を包み、柚野山のテストセンターに姿を見せるだろう。彼は凍える手でラップトップを叩き、バッテリー管理システムのアルゴリズムを書き換える指示を出すことになるはずだ。

私はそのような未来予想図を頭に描きながらイーロンに言った。


「今は真夏だから信じられないだろうが、冬場には極寒の地に姿を変えるんだ。大台ヶ原の寒さを克服できれば、世界でも通用するだろう」


それを聞いた彼の瞳には、日本の厳しい冬さえも成功への踏み台にしようとする、狂気を感じさせる炎が宿っていた。


テストコースを海側へ延ばし、熊野灘の潮風にさらそう。そして……「酷道(こくどう)」の活用だ。国道とは名ばかりの悪路を酷道というらしい。整備の追い付いていない路面には凹凸はもちろん、落石は当たり前だし、泥、落ち葉、苔などが堆積している場所も多い。整備された路面ではなく、悪路で鍛える。


そうして厳しい環境に耐え、2000年代半ばには、紀伊山地の霧の中から一台のロードスターが姿を現すはずだ。

それは、かつてマーティンたちが夢見た形とは、少しだけ違うものになるかもしれない。日本の湿気に耐え、険しい山道を軽々と登り、酷暑の渋滞でも音を上げない、鋼の精神ともいうべきシステムを持った一台だ。


「テスラ・ジャパン」から世界へ。


紀伊山地のテストコースで磨き抜かれた技術は、後に発表されるであろう「モデルS」や「モデル3」の基礎体力となるに違いない。世界中のメディアは、なぜテスラの信頼性がこれほどまでに高いのかを訝しむことになるだろう。その答えが、日本の、地図にも載らないような山奥のテストコースにあることを知る者は多くないはずだ。


イーロンは後に語ることになるだろう。


「もし、あの時、紀伊山地の湿度と坂道に出会っていなければ、テスラは最初の夏を越えられずに消えていただろう」と。


高温、低温、そして湿度。さらには急勾配。

日本の大自然が突きつける試練は、素材を最高の作品に変えるのだ。

紀伊山地を駆け抜けるであろう青い火花こそが、これからのEVシフトの真の起点となる。


私は柚野山の頂上部から、隣の山に目を移した。

そこは私の住む集落がある山なのだが、頂上部では仲村さんの希望する「先端科学研究所」が建設中だ。


私は自宅を見下ろしながら言った。


「そうだイーロン。あそこに見える私の家に寄らないか?寧音が美味しい料理を作って待っているぞ?」


そう言うと、彼は嬉しそうに頷いた。

そうだ。ついでだから、私の近所にイーロンの家も建ててしまおう。


住むか住まないかは彼の判断に委ねるが、少なくとも日本における彼の拠点として活用してもらおう。


豊臣グループ 新たな傘下企業一覧


①株式会社ヤタガラス


②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー(NSMC)


③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)


④株式会社ギガフォトン


⑤株式会社AMATERA


⑥株式会社PARASOL


⑦三洋電機


⑧テスラモーターズ

イーロンが主導するEVメーカー。西吉野村に開発拠点を置く。


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