プロローグ⑥ 財源の確保 前編
細かい数字が並んでいます。
恐縮ですが我慢してお読みいただけたら幸いです。
なお、経済的な数値は現時点での事実を並べています。
プロローグは10話で終了して、一気にユル〜くなる予定です。
首相官邸にて。
私は片市首相と次の一手を練っていた。
この場には10名で構成された経済対策特別会議のメンバーが同席しており、会議を仕切るのは経済・財政包括大臣の私だった。
もともと私たちの経済政策は、それまでの日本の政治家たちとは一線を画すもので、世界的な表現をすればそれまでの政権が「財政規律派」で、現政権は「リフレ派」となるだろう。
ただし!日本では「派」と呼ばれ、しかもそれを唱える者は少数だが、海外では主流の考え方でもある。
つまり日本は「井の中の蛙」だったとも言えるだろう。
私は皆に言った。
「消費税廃止は決定済みですから粛々と実行に移しましょう。
それと並行して必要なのが財源の確保です。
これには大企業への増税が必要です。抵抗は巨大でしょうが、やるしかありませんね。」
私の発言を受けて片市首相が皆を見渡して言った。
「その通りよ。食料品にかかる消費税を廃止した後、GDPの押し上げ効果が出て税収が上向くまでには、最低でも1年はかかるでしょう。
その間は減収分を贅沢品の物品税と、赤字国債の発行で乗り越えるしかありませんが、時間がかかれば野党の追及がまた始まってしまうでしょうし、国民も待ってはくれないでしょう。」
そうなのだ。
食料品の消費税廃止は決定済みだが、確実な財源を得るためには企業、特に内部留保の大きい大企業への法人税増税は必須だ。
本音は天文学的な額へと膨らんでいる内部留保そのものへ課税したい。
だが、いきなり内部留保へ直接的に課税してしまうと、二重課税との批判は当然受けるだろう。
二重課税なんて、自動車関連では昔からずっと問題になっている。それなのに改善の気配すらないのだが…
その代表例がガソリンで、これは二重課税どころの話では済まない。
現実には本体価格+揮発油税+地方揮発油税+暫定税率+石油石炭税の合計に対して、更に10%の消費税が加算されるのだ。
2026年から暫定税率が廃止されたとしても、これはいったい何重の課税だ?
取りやすいから設定している税金だと国民に思われても仕方ないのでは?
それはともかく…私はチームを見渡して言った。
「世間では誤解されているかもしれませんが、法人税は減税しても効果が薄く、意味がないのは明らかで、内部留保に資金が流れる悪循環に陥るだけです。
よって法人税は増税するのが正しいと私は考えています。
そもそもの話として、現在の法人実効税率は昔と比べて大幅に引き下げられており、“行き過ぎた大企業優遇”との批判も根強いですからね。まずはここに切り込みましょう」
皆が大きく頷き、首相が私に数字の確認を求めた。
「羽柴さん。その場合の増収額は年間どの程度になるかしら?」
私は手元の資料に目を落とし報告した。
「はい。1980年代末の税率に戻したと仮定しますと、現在より約27兆円程度の増収になると試算しています。」
皆が安堵のため息を漏らす。
もちろん、いきなりこの数字にはならない。
段階を経て税率を上げないと問題が多くなるし、またこの数字には企業の海外への移転などの要素は盛り込んでいない。
首相が言った。
「消費税を完全に廃止した場合の減収予想は約23兆円だから、お釣りが来るという単純計算が成り立つわね。」
「はい。現在8%の食料品関連の消費税を廃止した場合の減収予想が5兆円ですから、まずはこの額に見合う法人税を増税しましょう。」
法人税の実効税率は1980年代末に約50%、1998年に37.5%、現在は約23.2%まで低下した。
これはバブル崩壊を受けて経済成長を下支えするために行った改定だったのだが、この目的は法人税減税によって企業が設備投資や賃上げへ資金を回すことを期待したからだ。
だが、結果は政府の期待を裏切るもので、資金は十分に回らず、むしろ内部留保が増加したという結果をもたらしてしまった。
実はそれまでの日本の大企業は海外の企業と考え方が違っていて、海外では利益は株主への配当に回る傾向が強かったし株主たちもそれを期待していた。
それに対して日本企業は、利益を配当ではなく節税目的で賃上げや設備投資を行っていたという実態があったのだ。
それを理解せず法人税減税に走った結果、賃上げや設備投資への動きが失われたというのが私の認識だ。
何のことはない。我々が我々自身の手で、自らの首を絞め続けていたのだ。
たとえば、2010年代に行われた法人税減税の直後、設備投資は横ばいのまま、内部留保は過去最高を更新し続ける結果をもたらした。
ちょっと冷静に考えてみて欲しい。
損益計算書というものがある。Profit and Loss Statement(P/L)とも言われる。
企業の経営実態を知る大切なツールでもあるのだが、ここで重要とされる指標は下記の通りだ。
①売上高……企業にとっての収入であり、最大値でもある。
多くの企業がこの数値の拡大を目指して血道を上げている。
②売上総利益……売上高から売上原価(仕入れなど)のみを引いた金額のこと。別名、粗利益、あるいは粗利とも言う。こちらも営業員が意識する言葉だろう。
③営業利益……売上高から売上原価と、販売費及び一般管理費(等)を引いた金額。
本業の儲けを示す重要な数値だ。
④経常利益……営業利益から受取・支払利息、為替差益・差損などの営業外収益・費用を加減した金額。
⑤税引き前当期純利益……経常利益に土地など固定資産売却益やリストラ費用などの特別利益・特別損失を加減して算出し、法人税などの税金を引く直前の段階の利益。
⑥当期純利益……企業がその会計期間(通常1年間)に行ったすべての活動の結果、最終的に会社に残る利益。
法人税は『⑤税引き前当期純利益』の数字に対して課税されるから、減税すれば『⑥当期純利益』を増やす結果となるが、それは当然ながら国家の『歳入』を減らす行為であり、企業の内部留保に資金が滞留し続ける限り、社会全般の経済循環も生まれず国家の利益には繋がらない。
逆に言おう。法人税を増税すれば政府の増収につながるのは当然だが、その際に企業側は何を考えるかという点についてだ。
『どうせ税金で取られるくらいなら、⑤の税引き前利益を減らそう。設備投資と従業員へのボーナスに回してしまえ』乱暴な表現で申し訳ないが、簡単に言えばそうなることが期待されるだろう。
実際に1980年代末まではそうだったのだ。
それが結果として企業の活力にも結び付いた側面があるだろう。
ちなみに先ほど出てきた株主への配当金は、費用では無いから損益計算書には出てこない点には注意していただきたい。
もちろん内部留保の全てが『悪』ではない。
バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災やコロナ禍といった突発的・社会的な不安定要因は現実に存在したし、将来投資のための資金だという企業側の理屈も理解している。
内部留保の全額が預貯金ではないのも付け加えよう。
しかし必要以上に溜め込み、循環を止めているのもまた事実なのだ。
分かりやすく言えば『台所にしまい込んだ食材は誰の胃袋も満たさない』のだ。
企業の内部留保もそれと同じだ。溜め込まれたままでは国家の血流を止めるだけだ。
だが、法人税を上げてしまったら大企業は海外に逃げ出してしまうって?
確かに一部企業はそうかもしれないが、全てではない。
そこは間違ってはいけない。
私は、8%の食料品関連の消費税を廃止した場合の減収予想、5兆円に見合う法人税率を告げた。
「減収となる5兆円を埋めるためには、現在約23.2%の法人税率を31%まで上げる必要があります。
来年度はここから始めましょう。」
首相が頷いたので私は皆に言った。
「財務省は当然抵抗するでしょう。ですが、我々には国民の支持という強い味方が存在します。
”正義は我にある“と言ってもいいのです。まずは法人税改革で、その次の段階で内部留保課税と最低法人税制度をセットで出しましょう。」
政策補佐官の筒井が静かに、だが確信を込めて言った。
「OECDの BEPS対策(Base Erosion and Profit Shifting) とも連携できます。
国際協調の枠組みを使えば、財務省もさすがに強硬には出づらいでしょう。」
BEPSとは、各国が法人税率を下げて企業を奪い合った結果、世界全体で税収が痩せ細ってしまった現状を是正しようという国際的な動きだ。
多国籍企業が税の安い国へ利益を移すことを防ぎ、どの国でも一定の税収を確保できるようにする枠組みである。
だからこそ、我が国もこの流れに積極的に乗るべきなのだ。
これは単なる税制度の調整ではない。
国際秩序の側に立ち、自国の財政基盤を守るための戦略だからだ。
首相は頷いた。
「わかったわ。年末の税制改正大綱に盛り込みましょう。財務省は査定で潰しに来るでしょうから、こちらは政治主導で押し切るのが王道よ。
それに財務省と財界が一体になれば、党内にも波及してしまう。
私たちには時間がないのも、また事実なのは忘れないで欲しいわ。
だからこそスピードが命なのよ。」
年末の税制改正を前に、首相は記者会見でこう語った。
「消費税廃止は国民の生活を守るための第一歩です。
その財源は、大企業の内部留保にあります。利益をため込むだけで社会に還元しない構造は、もはや許されません。
来年度、政府は法人税改革に取り組み、段階を経ながら1980年代の課税基準まで戻す方針です。」
この発言は、経済界と財務省に衝撃を与えた。経団連は即座に声明を出し、「企業活動への過度な介入」と批判し、民事党内に半数近く存在している非主流派への接触を活発化させた。
だが、国民の支持は高かった。SNSでは「内部留保課税賛成」、「消費税廃止を応援する」の声が広がり、若者層を中心に首相への支持率が更に上昇した。




