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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第四章

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若き企業家⑰ Apple買収 後編

1996年(平成8年)1月


私たちはアメリカへ飛んだ。

スティーブに会って今後の話をするためだ。


サンフランシスコ郊外。


NeXTのオフィスは、相変わらず無駄なほど洗練されていた。

黒い壁、余計な装飾のない空間、研ぎ澄まされた静寂。それは彼自身の内面そのもののようにも見えた。


応接室に現れたスティーブは、以前よりも痩せていた。

しかし、その目の奥の炎だけは消えていない。むしろ、誰にも理解されなかった確信が、濃縮されて固まったような危うさがあった。


「1年ぶりだな」


彼はそう言って、微笑とも挑発ともつかない表情を浮かべた。


雑談はほとんどなかった。彼も私も分かっていたからだ。今日は思い出話をする日ではないと。

私は、まずNeXTSTEPの話から切り出した。


「スティーブ。NeXTSTEPは美しい。今でもそう思っている」


彼の眉がわずかに動く。

称賛は、彼の警戒心を一瞬だけ緩める。


「だがな……それは美しすぎる」


彼は何も言わず、私を見る。


「美術館に飾られた名画と同じだ。完成されすぎていて誰も触れられない。

使えないわけじゃない。だが、届かない」


一拍、間を置いた。


「NeXTには魂がある。だが市場が小さすぎる。逆にAppleには市場があるが魂がない」


その言葉に、彼はわずかに口角を上げた。否定はしない。

それが答えだった。


「きみが本当に世界を変えたいなら、キャンバスが小さすぎる。Appleという巨大なキャンバスに描き直せ。そこなら10億人が見る」


「……Appleは、もう死んだ」


彼はそう低く言ったが、私は首を振る。


「違う。死んでいるのは『思想』だ。ハードも人材も、顧客も残っている。欠けているのは、スティーブ。きみだけだ」


沈黙が落ちた。

これを見て私は、次のカードを切る。


「覚えているか。永平寺のことを」


彼の視線が、初めて鋭くなった。


「君は、あのとき『掴んだ』と言った。だが禅師は言っただろう?『それは澱だ』と」


彼は何も言わない。だが、否定もしない。


「俺は、あのとき止めなかった。しかも通訳すべき言葉を間違えた。それが今の結果だ」


ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「君は完璧を追い求めすぎた。その結果、現実との対話をやめた。NeXTの失敗は技術の問題じゃない。『確信』という名の檻に、君自身が閉じこもった証拠だ」


彼の指が、机の上でわずかに動いた。


「禅師が言った『不立文字』の意味を、君はまだ完全には理解していない。それは言葉で掴んだ悟りであって、つまりは幻だ。本当に必要なのは、もう一度、現実という泥の中に手を突っ込むことだ」


長い沈黙。やがて、彼は小さく息を吐いた。


「……それで?」


その一言に、私は確信した。彼はもう逃げない。


「条件を提示する」


私は、真正面から彼を見据えた。


「俺たちが全責任を負う。資金調達、サプライチェーン、政治的交渉、株主対応。経営の泥仕事は、すべてこちらで引き受ける」


彼の目が、わずかに見開かれる。


「君は、創ることだけに集中しろ。製品、体験、思想。それだけでいい」


一拍置いて、続ける。


「ただし、条件が一つある」


彼は黙ってうなずいた。


「現実から逃げるな。市場の声を無視するな。君の直感は最強の武器だ。だが、確認を放棄するな。

俺たちは、君の確信を『実行可能な形』に翻訳する。その代わり、君は俺たちの制約を受け入れろ」


彼は、しばらく天井を見つめていた。

そして、ゆっくりと笑った。


「……ずいぶん、傲慢な提案だな」


「お互い様じゃないのか?」


そう返すと、彼は立ち上がり、窓の外を見た。


「Appleに戻れと言われ続けてきた。だが、誰一人、ここまで言った奴はいなかった」


振り返り、私を見て言う。


「分かった。やってみよう」


それは、降伏でも妥協でもなかった。再び現実に降り立つと決めた、創造者の覚悟だった。

こうして、歴史の歯車は再び動き出した。まだ誰も、その先に待つ光と影の大きさを知らなかったが。


最後に私は彼に告げた。


「もう一度、あの場所で一緒に修行しよう。今度は三人でな」


そう言って私は小二郎とスティーブを見た。

彼らは静かに頷いた。



彼との合意を取り付けた私は、その足でクパチーノにあるApple本社へと向かった。


1996年当時のApple本社「インフィニット・ループ」は、かつての栄光が嘘のように沈滞した空気に包まれていた。すれ違う社員の表情には活気がなく、まるですぐそこに迫った破産という名の死神に怯えているようにすら見えた。


会議室で私たちを待っていたのは、CEOのギル・アルメアだ。彼は業績立て直しのプロとして招かれたはずだったが、その表情には深い疲弊が刻まれていた。


「アバンダント・アリージャンス……。日本の新興勢力が、今日は何の用かな?」


ギル・アルメアは、手元の資料に目を落としながら、力なく問いかけた。私は、隣に控える寧音が差し出した分厚い提携提案書を彼の目の前に滑らせた。


「救済の提案だよ。ギル、単刀直入に言おう。Appleのキャッシュはあと数ヶ月で底をつく。そうだね?」


彼の顔が強張った。公にはされていないが、財務状況はそこまで逼迫していた。


「我々は、Appleに対し、10億ドル(約1100億円)の即時出資を提案しよう。さらに、アジアにおける強力なサプライチェーンの構築、および製造コストの30%削減を我々が保証する」


会議室にいたApple側の役員たちが、一斉に顔を上げた。10億ドルという数字は、現在のAppleにとっては文字通りの命綱に違いないだろうからだ。


「……条件は?」


ギル・アルメアが、絞り出すような声で尋ねた。


「条件は二つ。一つは、次世代OSとしてNeXT社の『NeXT STEP』を採用し、同社を正式に買収すること」


そこまでは、彼らも検討の範疇だったのだろう。ギルは微かに頷いた。

だが、私が続けた二つ目の条件を聞いて彼は凍りついた。


「もう一つは、スティーブを『暫定CEO兼特別顧問』として復帰させ、製品開発の全権を彼に委譲することだ」


「正気か!?」


役員の一人が叫んだ。


「スティーブを戻すだと?彼がかつてこの会社をどれほど混乱させたか忘れたのか!彼は破壊者だ、経営を任せられる人間ではない!」


罵声に近い反対意見が飛び交う。しかし、私は動じなかった。


「その通り、彼は破壊者だ。だが、今のAppleに必要なのは安っぽい延命措置ではない。

既存の腐った構造を根底から破壊し再構築する力だ」


私はギルを真っ向から見据えた。


「ギル。あなたは合理的な経営者だ。なら分かるはずだ。今のAppleに足りないのは、資金でも技術でもない。『熱狂』だ。世界を熱狂させるビジョンを持たないコンピュータ会社に明日はない」


彼は表情を歪めたが、これで私は確信した。この人はAppleを建て直すために雇われたが、現状は悪化の一途を辿っている。ここから逆転するためには『劇薬』が必要であるということを理解していると。


経営会議は紛糾し、結論を得られないまま終了した。

会議後、廊下を歩いていると後ろから一人の役員に声を掛けられた。CFO、つまり財務の最高責任者だった。

彼は会議で見せていた深刻な表情を崩さないまま私に言った。


「……本当に、30%削減できるのか?」


「できると私は確信しているからこそ提案したんだが」


「その保証は?あなたが全責任を負ってくれるのか?」


「……それはあなたが一番よく知っているはずだ。今のAppleに保証など存在しない。そうじゃないのか?」


彼は黙った。

保証などない。あるのは最後の一手なのだと彼にもわかったのだろう。

それが答えだった。


翌日。再び私はギルを訪ねた。


ギル・アルメアは窓の外を見ていた。


「君は、あまりにも賭けが大きすぎることを言っている」


私のほうを振り返ることなく彼はそう言った。自分の表情を読まれたくはなかったのかもしれないと想像しつつ、私は彼に返答した。


「それは違う。あなたが小さすぎる賭けをしていると表現するのが適切じゃないのか」


彼は振り返らない。


「……スティーブは制御できない」


「ああ。だから我々がいる」


「君たちが失敗したら?」


「その時は、Appleごと私も沈むだけだ」


沈黙が支配した。


「だが、このままでもAppleは沈む。であれば最後の手段で抗うべきだ」


ギルは私のほうへ向き直り、表情を隠すことなく言った。


「……スティーブは、コントロールできない男だ」


ギルの声はかすかに震えていた。私はゆっくりと微笑む。


「だからこそ、我々アバンダント・アリージャンスが彼を制御するための緩衝材となる。

彼は創造に専念し、我々が現実をコントロールする。このパートナーシップこそが、Appleを蘇らせる唯一の道だ」


私はテーブルの上に、一枚の契約書を置いた。


「このまま静かに沈むか。それとも、毒を喰らってでも再生の道を選ぶか。決めるのは君だ。ただし、時間がないのは変わらない」


静まり返った部屋に時計の針の音だけが響く。数分後、ギルは再度の役員会の招集を決断した。


数時間後。取締役会が開かれたが、会議は相変わらず纏まりを欠くものだった。


反対、反対、保留。


積極的な賛成はなかったが票は割れていた。もしかしたら北条家の『小田原評定』もこんな感じだったのだろうかと思いながら、私は会議の行方を見守っていた。


会議の最後にギルが口を開いた。


「……我々には、時間がない」


それは結論ではなかったものの誰一人として反対意見を述べなかった。特にCFOは積極的に推進したいのだろう、最後にトドメの一言を発した。


「あと3週間で資金が尽きる」と。


方向は決まった。



1996年1月末。


Appleの役員会は一定の判断を下した。アバンダント・アリージャンスの資本受け入れとスティーブの復帰を決定したのだ。ただしCEOを誰にするのかといった細かい決定は先送りされていた。


それでも、追放された「創業者」が、ついにその門を再びくぐろうとしていた。

まだ誰も知らない。この選択が、やがてiMac、iPod、iPhoneへと続く道になることを。


だが、そうなる以前に『嵐』の到来が予想された。青色LEDを世界で初めて開発し、知財関連のほぼすべてを押さえ、白色LEDに繋げることで人類の夜に革命を起こした男が動き出す。

LEDの時にはまだ理解された。何といっても自分たちで開発し扉を開けたのだから。


だが、このApple買収はそうではない。

それは世界に警戒される要因となり、新たな戦いの始まりを告げるものだった。


現在の保有・提携企業


『株式会社ピクセルジョイトロン』

『株式会社アバンダント・アリージャンス』

『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』

『ミノルタカメラ株式会社』

『浜松ホトニクス株式会社』

『株式会社オハラ』

『日亜化学工業株式会社』

『Apple』


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― 新着の感想 ―
アップルも非上場化しちゃったほうがいいと思うんだよね。ぶっちゃけ本業の利益1兆円が保証されているなら日本国内の銀行は幾らでも貸してくれると思います。何故ならバブル崩壊で利益が保証されている貸し先がない…
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