若き企業家⑨ 効用と支配と利益 前編
本文中に『計画的陳腐化』という言葉が登場しますが、これは企業がわざと製品を長く使えないように設計し、買い替えを促す仕組みのことです。
もう少し具体的に言うと、すぐ壊れるようにする、修理しにくくする、新モデルしか使えない仕様にするなどによって、消費者に新しい製品を買わせ続けるビジネス戦略です。
現代における例としては、電池交換できないスマートフォン、ソフト更新によって旧機種が遅くなる機器のほか、一定枚数で停止するインクジェットプリンターや、電池交換できない家電などがあります。OSのサポート終了なども典型的な例と言えます。
簡単に表現すると「まだ使えるのに、企業の都合で買い替えさせる仕組み」です。
1994年(平成6年)8月1日
白色LEDのプロトタイプが、株式会社オハラのレンズ越しに完璧な配光を描き出した。その直後、社内には勝利を確信した者たちの浮ついた楽観が漂っていた。
「すぐに大手家電メーカーへ持ち込みましょう」
「家庭用の電球として普及させれば、爆発的な数が出ます」
口々に上がるそんな進言を、私は一言で切り捨てた。
「それは違います。売る相手の『順番』を間違えてはいけません」
政治家がそうであるように、真の勝者は常に「仕組み」の構築を最優先する。一度仕組みさえ作ってしまえば、あとは放っておいても世界は私の描いた設計図通りに動き始めるからだ。
だが、先に仕組みを握った者が、その仕組みを使って消費者を食い物にしてきた歴史もある。
電球の世界で言えば、『フェーバス・カルテル』という異様な談合の歴史がある。電球を長持ちさせる製品を出したメーカーから罰金を取るという、大企業による醜い談合で、消費者の利益ではなく、自分たちの売上を守るために技術を封印した。
巨大メーカーのエゴ剥き出しと言えるカルテルで、世界初の『計画的陳腐化』策だった。ここに参加したオランダのフィリップス、ドイツのオスラム、そしてアメリカのゼネラル・エレクトリックといった巨人が立ちはだかるだろう。
「相手は巨大企業です。効果的な場所に納入して実績を積み、LEDの持つ性能を大々的に宣伝します。消費者にLEDへの憧れを抱かせた上で彼らに戦いを挑むのです」
私は会議室のスクリーンに、最初の目標とする対象を映し出した。羽田空港の滑走路。首都高速のトンネル。そして、深夜の荷役で不夜城と化した巨大港湾。私が狙いを定めたのは、一般家庭の軒先ではなく、社会インフラの深部だった。
「我々が最初に売り込むべき対象は、『買いたいと言っている相手』ではありません。『夜のルールを決めている相手』です」
私は居並ぶ幹部たちを前に宣言した。
「巨大な資本を持つ電球メーカーに正面から戦いを挑むのは愚策で、たとえるなら、いきなり大阪城の本丸を攻めるようなものです。ですから最初は外堀から埋めていきましょう。その対象は、国家や巨大インフラを支配する存在に、この光を義務として認めさせることです」
こうして1994年から1995年にかけて、私は「ワイドギャップ連合」を率いて三つの最優先ターゲットを波状攻撃した。
まずは社員に宣言した空港・港湾・高速道路といった公共インフラだった。
「10年交換不要。電力コストは最終的には従来の10分の1。そして、特定波長をカットすることで虫が寄りにくい」 この3要素は、自治体や国家予算を預かる者にとって、断ることができない提案だった。
特に高速道路のトンネル照明は、交換作業に伴う交通規制コストが本体価格を遥かに上回るという事実がある。
「我々は電球を売っているのではない。管理コストの消滅を売っているのだ」
国策としてLEDが採用された瞬間、それは世界標準への「推薦状」となった。そして一度インフラに採用されれば、その国の照明規格は事実上我々が書くことになる。
次はトヨタ・ホンダなどの国内勢・欧州の自動車メーカーだった。
ヘッドライトは安全規格の塊だ。光量、配光、色温度。株式会社オハラのガラスが生む「鋭い配光」は、ここで最大の威力を発揮した。
「青色LEDチップなら他所でも作れるかもしれない。だが、この熱に耐え、対向車を眩惑させずに路面だけを切り裂く配光レンズは、我々からしか買えない」
安全を盾にした時、自動車メーカーの購買部門は最も従順な顧客へと変わった。
ただし、様々な安全テストが必要だったから、採用は今すぐではない。そこで最初はテールランプ、車内照明といったヘッドライト以外で採用された。
三つめは日本・韓国の液晶メーカーだった。
現時点で、液晶の裏側にあったのは水銀を含む冷陰極管(CCFL)だった。
「近い将来、環境規制で水銀の使用は禁止される。そうなれば、貴社の製品はすべてゴミだ。今すぐ、我々のLEDバックライトに設計変更すべきだ」
彼らは一瞬で理解した。それは照明の置き換えではない。液晶という巨大産業の「心臓部」の交代なのだ。
こうして着々とLED照明はその地歩を固め、外堀は埋まりつつあった。
だが、社会の仕組みを根本から変えるには、機能性やコストを説くだけでは足りない。真に人々の価値観を塗り替えるには、この光が「美」と「伝統」の守護者であることを証明する必要があった。
そこで私は、光に対する最も厳しい審美眼を持つ場所へと足を進めた。まず最初に対象としたのは美術館で、私は岡山県倉敷市にある大原美術館を訪ねた。
美術館の収蔵庫、あるいは展示室。そこは、絵画にとっての毒物との戦場とも言える場所だからだ。
従来のハロゲンランプや蛍光灯には、微量の紫外線が含まれており、これが、数百年前の油彩の顔料を破壊し、絹のドレスを褪色させる。学芸員たちにとって、光は「作品を見せるための友」であると同時に、「作品を殺す敵」でもあったのだ。
1994年9月 岡山県倉敷市 大原美術館 館長室
大原美術館の館長、武田信晴は70代半ば、戦後の美術史を見つめ続けてきた老学芸員だった。
「木下さん、私は新しい技術を否定しているわけではありません」
武田館長は、窓の外の倉敷の街並みを見つめながら言った。
「しかし、この美術館には、児島虎次郎が命がけで集めた作品がある。モネも、エル・グレコもある。彼らは100年、200年、この光の下で生きてきた」
彼は振り返った。
「その光を、たった数年の技術で置き換える。それは、作品への冒涜ではないのですか?」
私は、彼の言葉の重さを受け止めた。
「館長、質問してもよろしいですか。今の照明は、何年前に設置されたものですか?」
「……15年前です。ハロゲンランプに更新しました」
「その15年間で、どれだけの作品が劣化しましたか?」
武田館長の表情が曇った。
「……モネの『睡蓮』の、青の発色が弱まりました。紫外線カットフィルターを使っているにもかかわらず、です」
「それは、フィルターでは防ぎきれない波長があるからです」
私は館長室で、持参した一枚の古い絹織物に、私たちの開発したLEDを当てた。
「館長、この光には、作品を劣化させる波長……紫外線はほぼゼロです。そして熱もほとんど持たない。作品の数センチ先まで光源を近づけても、経年劣化の心配はまずありません。これは展示の歴史を数百年延ばす光なのです」
館長は、オハラのレンズが作り出す、歪みのない完璧な光の円を見つめていたが、疑念の言葉を口にした。
「……だが、この光は人工的な冷たさを感じる。絵画の持つ『温もり』が死んでしまうのではないかね?」
「そうではありません。実際に絵にLEDの光を当てて確かめてください」
私は立ち上がり、館長の許可を得て、展示室へと向かった。
閉館後の静まり返った展示室。
私はモネの『睡蓮』の前に、試作したLEDライトを置いた。簡易型ではなく、三原色混合型の試作品でリモコン付きだ。
「スイッチを入れます」
光が灯った。
武田館長が、息を呑んだ。
「……これは」
睡蓮の青が、生き返ったように輝いている。水面の反射、葉の緑、空の色彩。すべてが、まるで印象派の画家が「見た瞬間の光」を再現したかのように鮮やかだった。
「これが、LEDの『高演色モード』です。色温度5500K、演色評価数Ra98。モネが、ジヴェルニーの池で見た昼下がりの光を、分光レベルで再現しています」
こういった光学用語は私の専門ではないが、私は手慣れたふりをしながらダイヤルを回した。
「そして、これが夕暮れのルーヴル。色温度2800K」
光が、温かなオレンジ色に変わった。
睡蓮は、また違った表情を見せた。柔らかく、しかし深い青。まるで夕暮れ時の池のように。
「LED照明なら、朝・昼・夕方・夜まで、すべての光をボタン一つで再現できます。しかも、紫外線はほぼゼロ。赤外線もほぼゼロ。作品を傷つける要素はまずありません」
武田館長は、震える手で眼鏡を外した。
「……私は、間違っていたのかもしれない」
「いいえ、館長は間違っていません」
私は彼を見た。
「新しい技術を疑うのは、学芸員として正しい姿勢です。しかし今、目の前にあるのは技術ではありません。作品を次の100年へ渡すための道具なのです」
館長は、再び『睡蓮』を見つめた。
LEDの光の下で、モネの筆致が、まるで描かれたばかりのように生き生きとしている。
「木下さん……」
館長の声が震えた。
「もし、この光を導入すれば……私は、後世にどう評価されるでしょうか。伝統を壊した館長と言われるのではないか」
私は、彼の葛藤を理解した。
変化を恐れているのではない。責任を、誰よりも重く感じているのだ。
「館長、質問を変えましょう」
私は静かに言った。
「もし、この光を導入せず、10年後に『睡蓮』の青が完全に失われたとしたら、後世はあなたを、どう評価するでしょうか」
武田館長は、長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「……わかりました。導入します」
彼は私を見た。その目には、決意と、かすかな涙が光っていた。
「ただし、条件があります。導入後、3ヶ月ごとに全作品の色彩測定を行う。もし、わずかでも劣化の兆候が見られたら、即座に撤去する」
「承知しました」
私は深く頭を下げた。
「それと……」
館長は、『睡蓮』を見つめたまま続けた。
「この光で、もう一度、児島虎次郎が見た『エル・グレコ』を見てみたい」
3ヶ月後 大原美術館
導入から3ヶ月。測定結果は完璧だった。
劣化はゼロ。それどころか、来館者数が8%増加していた。
武田館長は報告書を手渡す前に私を展示室へ連れて行った。
エル・グレコの『受胎告知』の前で、館長はしばらく無言だった。
「……児島が、スペインでこれを見た時、どんな光の下にあったのか、ずっと気になっていたのです。光が変わっただけで、こんなにも印象が変わるとは……」
館長はそう呟いた。
「今はわかる気がします。この絵は、こういう光の中にあったのだと」
彼は振り返らなかった。
「館長、ルーヴル美術館から問い合わせが来ています」
学芸員が駆け寄ってきた。
「日本の大原美術館が導入したLED照明について、詳細を知りたいと」
武田館長は、絵から目を離さないまま、静かに答えた。
「……対応してください」
そう告げた後、振り返って、私の目を見た。
「木下さん、あなたは正しかった。私は『伝統を壊した館長』ではなく、『伝統を次世代へ繋いだ館長』になれそうです」
窓の外では、倉敷の街に夕日が沈もうとしていた。
美術館の中では、LEDの光が、100年前の名画を、まるで昨日描かれたかのように照らし出していた。
翌月、大原美術館の全照明がLEDに切り替わることが決定した。
美術館が「LEDは作品に優しい」と認めた。この事実は、世界中の芸術家にとって、最強のお墨付きとなった。
次は、国外の著名な美術館を攻める。
パリのルーヴル美術館、サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館。そしてニューヨークのメトロポリタン美術館。世界最高峰と言われるこれらの美術館が対象だった。
時間はかかるだろうが、有力な美術館が採用に踏み切ったと知った他の美術館も、こぞって採用してくれるだろう。
問題は時間だけだと断言していい。
なぜ、美術館が戦略上重要だったのかは、ここまでくればもうお分かりだろう。
一言で表現すれば、光の質における「最高裁判所」とも言える存在が美術館だからだ。
1924年、世界の主要電球メーカーは電球寿命を管理する国際カルテルを結びました。
それが本文中に登場する「フェーバス・カルテル」で、読み方によってはポイボス・カルテルという人もいますが同じものです。
本部はスイス・ジュネーブに置かれ、オランダのフィリップス、ドイツのオスラム、アメリカのゼネラル エレクトリックなど、当時の照明産業を代表する企業が参加していました。
このカルテルは電球の標準寿命を約1000時間と定め、それを大きく超える製品には罰金を課す制度を設けていました。
当時の技術でも、2500時間の寿命まで伸ばすことは可能だったにもかかわらずです。つまり「長持ちする電球を作ると罰金を取られる」という、現代では信じ難い制度でした。電球の寿命は意図的に一定の範囲に抑えられていたのです。
この体制は第二次世界大戦によって維持できなくなり、やがて消滅しました。皮肉なことに、電球の寿命を決めていた国際協定は、市場競争ではなく戦争によって終わりを迎えたのです。
しかし、この産業構造の影響、特に本文にある「計画的陳腐化」という概念は長く続き、蛍光灯に対しても強い影響力を持ち続けました。「電球はすぐ切れるもの」という常識は、実は技術ではなく、このカルテルによって作られた可能性があります。
では、ここにLED電球や、蛍光灯に代わる直管型LEDランプという「長寿命の異物」が市場に投入されたとき、既存の、特に欧米の照明産業はどう反応するでしょうか。
次回をお楽しみに。




