若き企業家⑧ 白の完成 後編
本文に登場するオランダのASMLは、2020年代における半導体製造に絶対必要な「超精密なEUV露光装置」を製造可能な世界でほぼ唯一の会社で、半導体メーカーは、この装置なしでは最先端半導体を作れません。
※EUV露光装置 = 半導体の回路をナノサイズで印刷する世界最精密の機械です。
1993年(平成5年)12月
日本社会全体が、バブルの残り香さえ消え去った冬の寒さに震える中、私たちの工場では白色LEDの量産試験が最終段階を迎えていた。青色チップの上に黄色い蛍光体を載せ、ついに「白」を掴み取ったはずだった。
しかし、現実は非情だった。試験ラインから流れてくる光を壁に投影した瞬間、私は言葉を失った。
「……なんだ、これは」
壁に映し出されたのは、美しい白ではなかった。中心部は青白く突き刺すような輝きを放ち、周辺部は濁った黄色が滲んでいる。光の輪郭はギザギザと波打ち、直視すれば数秒で目が痛む。
同じ製造ロット、同じ電流値であるにもかかわらず、ある個体は「眩しすぎる」と判断され、あるものは「光量が基準に満たない」とはじかれた。
石田が、モニターの波形を見つめたまま力なく首を振った。
「社長……チップそのものの出力は安定しています。数値上は完璧です。だが、その先が制御できていない。光が……勝手に暴れているんです」
私は、網膜に焼き付いた不快な残像を振り払うように目を閉じた。 LEDは、従来の電球とは根本的に異なる。フィラメントが空間全体へ柔らかく広がる光とは違う。極小の点から、殺意に近いエネルギーが集中して放たれる鋭利な光なのだ。
私はこれで理解した。 光は、ただ発生させればいいものではない。生まれた瞬間に牙を剥く光を、どう宥め、どう導き、どう形作るか。光は、出した瞬間から制御対象になるのだと。
翌朝、私は研究所のホワイトボードの前に立っていた。 昨日まで「チップの構造」で埋め尽くされていたボードを一度すべて消し、私は新たな図を描き込んだ。
左端に小さな点。これが光源のLEDチップだ。 そこから放たれる無秩序な矢印を、私は幾何学的な曲線で囲い込んだ。 「反射」「屈折」「拡散」。
「いいですか。我々は光源メーカーで終わるつもりはありません」
私は振り返り、ワイドギャップ、ミノルタカメラ、浜松ホトニクスの中核メンバーに向かって宣言した。 最近の新聞では、この三社を合わせて「ワイドギャップ連合」と表記されるケースが増えてきた。
「白色LEDのチップだけを売れば、それはただの部品です。他社が似たようなチップを作れば、すぐに価格競争に巻き込まれるでしょう。ですが、その光を『どう届けるか』を握れば、話は別のはずです。我々は配光までを支配せねばならないのです」
浜松ホトニクスの光学技術者が、眼鏡の奥の目を光らせて頷いた。
「つまり核心はレンズ、なのですね。光を束ね、整え、目的の場所へ落とす『眼鏡』をLEDにかけさせるわけだ。ですが……社長、青や紫外に近い短波長の光は、従来のガラスでは扱いきれません。熱で焼けるか、色収差で使い物にならなくなる」
そうなのだ。それが問題で、その後もミノルタの技術者とも相談したが、どうもレンズ表面のコーティング処理などという、対症療法では解決しそうになかった。
困り果てた私はミノルタの前社長、井伊さんに相談を持ちかけたところ、快く引き受けてくれたので会いに行くことにした。
井伊さんの自宅は、大阪北部の山の中にあるということだったので、新大阪からタクシーに乗り換えて向かったのだが、とんでもない山の中にあったので驚いてしまった。
井伊さんは、そんな場所に建っていた古い一軒家を改築し、ご夫婦で住んでいるのだという。
「このような場所では、生活するのに不便じゃないのですか?」
そう私が問うと、井伊さんは穏やかな笑顔で言った。
「私はもう世間の風評に耐えられるほど若くないのです。それに、こんな辺鄙な場所でも、慣れてしまえば大した問題は感じませんよ」
「…そうなんですね。正直言って少し驚きました」
「ここで自分で育てた野菜を洗っていると、必死に売上げを追っていた頃の自分が、どこか遠い国の他人のように思えるんですよ。それに女房にも苦労を掛け続けましたから、せめてもの罪滅ぼしというわけです。…木下さんも、こんな場所での暮らしに憧れる日がくるかもしれませんよ?」
そうなのだろうか。ちょっと私には無理だと思うのだが。
その時、井伊さんがふと思い出したように言った。
「木下さん。こんな場所までお越しいただき申し訳ありませんでしたね。ともかく今日の御用向きは?」
そうだった。本題に入ろう。
結局のところ、井伊さんからレンズそのものを製造しているメーカーを紹介してもらい、解決の目処をつけた私は、肩の荷が降りた気持ちで帰路に着いたのだが、6年後に、この日のやり取りを鮮やかに思い出し、井伊さんの心境を明確に理解することができたのだった。
翌日、私は関係者を集めて宣言した。
「ようやく解決策を見つけました」
そう言って私はホワイトボードの隅に、井伊さんから教えられた企業名を記した。
『株式会社オハラ』
この企業は、高屈折・低分散ガラスにおいて世界屈指の技術を持ち、天文台の巨大望遠鏡から軍需用の照準器、さらには最先端の半導体露光装置のレンズまでを支える、ガラスの黒衣集団だ。
だが、現在の彼らは危機に瀕している。カメラ市場の不況で各社からの受注が激減し、その高い技術力は宝の持ち腐れになりかけていた。
1994年(平成6年)1月
年が明け、私は神奈川県相模原にある株式会社オハラの工場を訪れた。
「木下さんですよね。井伊さんからお話は伺っています」
案内されたそこには、半導体クリーンルームの無機質さとは対照的な、熱気と喧騒が同居する空間があった。巨大な溶融炉が唸りを上げ、坩堝の中でドロドロに溶けたガラスが怪しく光っている。
「レシピはあります。配合も、温度の設定も数値化されています。ですがね……」
案内してくれた主任技術者が、分厚い耐熱ガラス越しに炉を見つめて言った。
「最後の最後、ガラスが『成る』瞬間の気配だけは、紙には書けないんですよ。こればかりは、職人が炉の吐息を聞いて調整するしかない」
私はその言葉に心が震えた。 これだ。これこそが、私が求めていた「防御壁」だ。 青色LEDのチップ構造は、いつか誰かが解析し、模倣するだろう。
だが、この職人の勘に支えられた「ガラスの気配」は、デジタルデータでは盗めない。特許で守れない領域だからこそ、資本で丸ごと押さえる価値がある。
「このガラスこそが、光の行方を決める指針になるのです」
本社に戻った私は、すぐに関係各所へ買収案を提示した。
「完全買収はしません。彼らの誇りを傷つける必要はないからです。第三者割当増資と優先株の引き受け。研究部門には無制限の投資枠を用意する。経営陣も表向きは維持する。ですが」
私は役員たちを見渡した。
「条件は一つだけ。LED、検査装置、および表示用途に関する光学ガラスの供給と共同開発は、当面すべて、我々ワイドギャップ連合を最優先にすることです」
提示額は、初期出資250億円、研究投資枠として別途100億円。
現時点でオハラは非上場企業で、資本金は20億円程度。
売上もカメラ市場の冷え込みの影響を受けて、約100億円前後で低迷を続けている。純資産は200億円程度と、決して小さな会社ではないし、日本の基準では大企業に分類されるだろうが、それでも提示額の350億円という数字を前に、役員会の席上にはしらけたような、あるいは恐怖に近い沈黙が流れた。
「社長……正気ですか」
財務担当の吉川専務が、震える指で資料を叩いた。細川常務も同じ表情をしている。
「資本金20億の企業に投下する金額ではありませんよ。しかも純資産200億の会社に対し、時価総額を超えるようなキャッシュを注ぎ込む。その上に完全買収ではなく、優先権を得るためだけに、です。これはもはや投資ではなく、贈与と表現すべきだ」
私は窓の外、遠くに見える工場の煙突を眺めながら静かに返した。
「贈与で構わない。彼らが『自分たちは救われた』と思うのではなく、『自分たちは世界を照らす運命を選んだ』と思えるほどの金額でなければならないんです」
私は立ち上がり、再びホワイトボードの前に立った。
「1994年の今、この350億を惜しめば、5年後に我々は3500億円の市場を失う。10年後には3兆5000億円を失う。ハネウェルに払いそうになった授業料を思い出してください。知財の壁は、法廷だけで築くものではない。圧倒的な資本と、代替不可能な職人技の幸福な合流。それこそが、追随する海外メーカーに対する最強の物理的特許になるんです」
それに、オハラとミノルタ、浜松ホトニクス、そして将来誕生する栃木県の光源企業。それらを統括するワイドギャップ。もしこの5社の技術を束ねることができれば、半導体露光装置の中核となる光学技術の多くは日本の手中に収まる。
それは将来、オランダのASMLのような企業を日本から生み出す基盤になるはずだった。
現実の歴史ではニコンやキヤノンがASMLに敗れたが、EUV露光装置は必ず勝ちたい。
1994年2月。
交渉は相模原の小さな応接室で行われた。
オハラの経営陣を前に、私は350億円の小切手を差し出すような覚悟で、一枚の書面を置いた。
「これは、貴社の独立性を担保し、かつ全従業員の雇用を約束する契約書です。ただし、交換条件として、貴社がこれまで培ってきた『高屈折率・低分散』の全ノウハウを、LEDという新たな光源のために再定義していただきたい」
オハラの社長は、私の顔と、書面に躍る巨額の数字を交互に見た。彼の目は、不況の泥沼から抜け出せる安堵よりも、その金額の重さに怯えているように見えた。
「これほどの資金……一体、我々に何をさせようというのですか」
「『光の憲法』を書いていただきたい」
私はまっすぐに彼を見据えた。
「チップから放たれる暴虐な青い光を、優しく、均一で、誰もが愛する白い光に変えるための究極のレンズを焼いてほしい。ミノルタやキヤノンのカメラレンズを焼くその手で、人類の夜を塗り替えるためのパーツを作っていただきたいのです」
沈黙が流れた。職人気質の彼らにとって、自分たちの硝子が「使い捨ての電球」のようなものに使われることは、当初、技術の格落ちにすら感じられただろう。
だが、私は続けた。
「光源は心臓ですが、硝子は魂です。魂のない心臓は、ただ脈動する肉塊に過ぎない。あなた方の硝子がなければ、このLEDは世界を救う光にはなれないんです」
1994年4月。
合意は成立した。
「ワイドギャップ連合」による、光学硝子界の巨人・オハラへの戦略的出資。
それは、日本の製造業史において、最も静かで、かつ決定的なM&Aの一つとなった。
資本を受け入れたオハラの内部では、すぐに変革が始まった。
カメラ用レンズの余剰ラインは、瞬く間にLED配光ユニットの試作ラインへと生まれ変わり、相模原の炉には、青色光の波長を完璧に制御するための新たなレシピが放り込まれた。
そして1994年 夏
石田が持ってきたのは、直径わずか数ミリの、しかし宝石のように透き通った非球面レンズだった。それを量産試作の白色LEDチップに被せ、再びスイッチを入れる。
「……あぁ」
誰からともなく溜息が漏れた。
壁に映し出されたのは、もはや濁った黄色でも、突き刺すような青でもなかった。
中心から周辺部まで、まるで早朝の陽光が部屋に差し込んだかのような、完璧に均一で、混じりけのない「白」だった。
「勝ちましたね、社長」
石田の声が震えている。
オハラのガラスはレンズとなり、反射器や拡散材と組み合わされて、ようやく光を飼い慣らす。暴れていた矢印は、オハラの職人が焼いた硝子の中で美しく整列し、人類の味方としてそこにあった。
「いいや、石田。これは勝ちじゃない」
私は、その眩しくも優しい光を見つめながら言った。
「これは支配の始まりだ」
我々は、チップの特許、蛍光体の配合、そして光を出口で制御する光学硝子の独占権までを握った。
たとえ数年後、他国が我々のチップ構造を模倣したとしても、彼らには「光を整える憲法」がない。彼らの作る光は、安っぽく、目を焼き、不快なままだろう。
「ハネウェルへの意趣返しは、法廷ではなく市場でやる。世界中の電球がこの白に置き換わる時、彼らは思い知るはずだ。光学の真髄がどこに宿っているのかを」
私は、静かに輝くLEDを手に取った。
バブルの瓦礫の中から、未来を照らす唯一の「意志」が、産声を上げた瞬間だった。
「社長……これは、もう単なる光じゃありませんね」
「うん。これは、環境そのものだ。私たちは、空気の色を変えてしまった」
私は窓の外を見た。 そこには、オレンジ色のナトリウム灯と、ジリジリと唸る蛍光灯が支配する、旧来の夜があった。
「そうだ。人類は今日、初めて『夜の形』を自在に設計できるようになったんだ」
ここまで1000億円近い資金を投入してきた。
一企業が投資する金額ではない。国家レベルの戦略的投資の連続だった。
だが、その努力と熱意の結果、ようやく世界に先駆けて完成したのだ。
1994年。 青い光に「憲法」という名のガラスが与えられた。
世界がこの真実に気づくのは、まだ少し先のことだろう。だが、支配の連鎖はすでに完成していた。 私は、手元で静かに、しかし完璧な調和を持って輝く白い光を見つめ、新しい時代の到来を確信していた。
「石田。また先生のところへ行こうか?」
再び墓前にて報告しなくてはいけない。
石田は、静かに頷いた。
先生なら、きっと笑ってくれるだろう。
現在の保有・提携企業
『株式会社ピクセル・ジョイトロン』
『株式会社アバンダント・アリージャンス』
『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』
『ミノルタカメラ株式会社』
『浜松ホトニクス株式会社』
『株式会社オハラ』




