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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ。   作者: 織田雪村
第四章

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若き企業家⑥ 光計測メーカー

1992年(平成4年)初夏。


次の目標は『浜松ホトニクス株式会社』だった。


ただし買収へのハードルは高い。


この時代の多くの日本企業と同じく、業績は芳しくはないものの、極端な低迷というわけでもないし、訴訟問題を抱えているわけでもない。


では、なぜここを目標にするのか?


青色LEDの技術は「光を出す」→「光を制御する」→「光を測る」ことによって完成するからだ。

ミノルタの光学制御技術は手に入れた。次は浜松ホトニクスの計測技術を是非とも手に入れたい。


浜松ホトニクスが持つ中核技術は、光電子増倍管(PMT)やフォトダイオードといった光検出デバイスだ。

紫外線から可視光、近赤外までを高精度で検出する技術分野において、世界的な先端企業なのだ。


この会社の持つ技術を利用して、医療・科学・半導体装置への食い込みを行う。

つまりこういうビジョンだ。


LED=光源

ミノルタ=光学系

浜松=受光・計測


これで「光産業の完全垂直統合」が完成する。


現時点で浜松ホトニクスの経営は健全だが……売上は地味、株価は低評価で、乱暴な表現を用いるなら「オタク企業」扱いで、正しく評価されていない。だからこそ、市場で買い集めるのも楽なのだが。


私が狙う切り口は次世代半導体露光装置だ。現在主流の水銀ランプや放電管には限界があり、将来はレーザーや短波長光源へ移行していく。その周辺分野――検査、計測、アライメントでは青色〜紫外LED/LDが重要な役割を担うようになることを私は知っている。



新幹線を下りると、遠州の空はどこまでも高く、湿気を帯びた風が吹き抜けていた。

1992年、バブル崩壊の足音はもはや誰の耳にも届く轟音となっていたが、この街にはまだ、物造りの静かな熱がこもっている。


「兄さん、浜ホトですか……。ミノルタの時とは勝手が違いますよ。ここは光の究極を追う求道者の集団ですから、カネの匂いをさせた瞬間、塩を撒かれますよ」


同行する小二郎が、珍しく緊張した面持ちで釘を刺す。


「わかっている。だから今日は投資家としてではなく、『光の信徒』として語るつもりだ。それと今回もそうだが、敵対的TOBという手段は、やむを得ない場合を除いて用いるつもりはない。もっとも、俺たちが持っている株は彼らが無視できないレベルまで増えているがな」


日本という国は納得が得られないと物事が前に進まない。これは情緒ではなく、日本社会の本質だと思う。そこに欧米流の手段を持ち込んでも反発されるだけだ。タダでさえ投資家は嫌われやすい。そこに余計な燃料を投入すべきではない。

今回の買収で最も高いハードルは、相手の拒絶という心理面にある。


「言葉には気をつけてくださいよ。彼らのプライドはとても高いはずですから」


「そうだな。ただでさえハイエナみたいに思われているだろうし」


「そう言えば、社是みたいなものがあるらしいですよ。『測れるものは、造れる』と」


「それはまた…技術者のプライドがこもっているな」


怒らせないように気をつけよう。



本社ビル。通された会議室に現れたのは、鋭い眼光を持つ経営陣たちだった。

中心に座るのは、技術者出身の社長。彼は挨拶もそこそこに、私の手元にある資料を一瞥して鼻で笑った。


「木下さんと言いましたか。最近、ミノルタさんを傘下に収めた若手投資家だと聞き及んでいますが……。うちはあんな派手なカメラ屋じゃない。宇宙の真理を測るために、地下1000メートルでニュートリノを追いかけているんです。あなたの言う『ビジネス』とやらに貸す耳はありませんな」


「存じ上げていますよ。岐阜県神岡町で建設中の『スーパーカミオカンデ』で御社の光電子増倍管が使われるのでしたよね?」


「その通りだ。宇宙の真理が解明されるかもしれない」


「とても夢のあるプロジェクトだと思いますし、ノーベル賞に値する成果が期待されるでしょう」


「……知っているのか。だが、それがどうした。私たちはあなたと話をするほど暇じゃない」


別の役員も続けて言う。


「当社の株をかなり買い占めておられるが、どういうおつもりなのですか?」


最初から拒絶と警戒の壁だ。だが、これは想定内だ。


「現在のところ私の保有している株数は、発行済み株式の12%に達します」


役員の表情が歪み、敵意をむき出しにして言った。


「そんなに…だが、それだけではあなたの言いなりにはなりませんぞ?」


「もちろん過半数には遠いですし、経営権を取れる数字でもありません。ですが」


言葉を区切り、机を軽く叩いた。


「無視できる数字でもない。そうですよね?」


沈黙。これが国会だったら、キャスティングボードを握ることすら場合によっては可能になる数字だ。

社長がゆっくりと口を開いた。


「つまり……当社に対して圧力をかけるおつもりですか?」


私は首を振った。


「いいえ、それは違います」


「では?あなたの目的は?」


「ある種の保険、あるいは盾になるつもりです」


その言葉に、役員たちの表情が一斉に動いた。


「現在の御社のような経営状態では、いずれ必ず狙われます」


私は資料を一枚めくった。

そこには海外ファンドの資金規模が並んでいる。


「技術は世界一。しかし利益率は地味。株価は割安。研究費は莫大」


私はゆっくり言った。


「ハイエナのような投機家が、最も好むタイプの企業です」


社長は黙って資料を見ていた。


「もし私ではなく、海外ファンドが10%、20%と集めたらどうなると思います?」


役員の一人が吐き捨てるように言う。


「真っ先に研究費を削減されるでしょうな」


「その通りです」


私は静かに頷いた。


「ニュートリノ観測?基礎研究?宇宙?そんなものは彼らにとって無価値です。余計なものは削って目先の短期利益を出せ、と言うだけでしょう」


会議室の空気が一段と重くなる。

数字にしか興味のない投機筋は、利益が出て株価が上昇した段階で売り抜ける。残るのは焼け野原のような景色だ。彼らはそれを想像しているのだろう。


「ですから私は、彼らに買われる前に株を取ったというわけです。『一部の物理学者のための特殊な会社』。世間は御社をそう呼んでいます。……ですが、私は知っています。御社が持つ光電子増倍管やフォトダイオードの技術が、人類の限界を押し広げていることを」


社長は憤懣やるかたない様子で、言葉を投げてきた。


「おべっかは結構だ。帰っていただこう」


「社長。『測れるものは、造れる』。それが御社の哲学ではなかったですか?私はそれを守るために安定株主になりたいのです」


私の言葉に、立ち上がりかけた社長の動きが止まった。


「……何が言いたい」


「御社は光を測る世界一の『眼』を持っている。しかし、その眼が見つめる先にある『光』そのものが、いまだに放電管やランプといった、エジソンの時代の延長線上にある。そこに限界を感じておられませんか?」


思い当たることがあるのだろう。社長の表情が変わった。


「露光装置の光源が今のままでは、半導体の微細化はいずれ壁にぶつかる。光を測るプロである御社が、それを一番よくわかっているはずです。そこでこれを提案します」


私はカバンから、石田たちが心血を注いで作り上げた青色LEDの試作チップを取り出した。そして、それをテーブルの中央に、まるで宝石を扱うかのように慎重に置いてからスイッチを入れた。


その瞬間、立ち上がりの早いLED特有の光が灯った。


「これは……」


まず技術担当役員が身を乗り出した。

1992年、まだ世界が「夢の技術」と呼んでいた青い光が、目の前で静かに、しかし強烈な輝きを放っている。ほかの役員たちからは「不可能と言われていたのではなかったのか?」「なんて鮮烈な青色だ」などの驚きの声が漏れた。


「次世代半導体装置における検査、計測、アライメントの光源になります」


そう宣言すると、全員の口からため息がもれた。


「ミノルタの光学制御技術、そして御社の計測技術。そしてこのLEDを加えれば、『光源・光学・受光』という光産業の完全垂直統合が完成する。日本が、21世紀の半導体覇権を完全に掌握するための『三種の神器』が揃うのです」


「……話が大きすぎますな」


社長は冷ややかに、しかしその目はチップから離れずに言った。明らかに青色LEDに心を奪われているのがよく分かった。


「安定株主になると言われたが、要は我が社の技術を自分のビジネスに組み込みたいだけでしょう。我々は特定の資本に縛られ、研究の自由を奪われることを何より嫌う」


「縛る? いいえ逆ですよ」


私は一歩踏み込み、小二郎に命じて膨大な特許リストを広げさせた。


「これは私が世界中で押さえた、青色LEDとその製造プロセスに関する特許群です。私はこれを御社に独占的に開放したい。目的は支配ではなく、日本連合による防御壁の構築です」


そう言うと、社長の目からは疑いの色が消え、今度は迷うように目が泳いだ。


「アメリカのハネウェル社がミノルタを訴えた、あの忌まわしい事件をご存知でしょう? 日本の光の技術を、二度とハイエナたちに奪わせない。そのための盾として私を使ってくださいと言っているんです」


沈黙が流れた。

窓の外を走る東海道新幹線の音が遠く響く。


「……資金はどうするつもりなんです。我々は安易な増資で株を薄める気はありませんぞ」


「増資の必要はありません。市場で流通している浮動株を私がさらに買い集め、外資が付け入る隙をなくします」


社長は財務担当役員と思われる人物と目を合わせ、確認するかのように聞いてきた。


「それは発行済み株式で言うと、どれくらいの比率になるのですか?」


「あと7%相当です。これで浮動株の過半数を押さえられます。つまり、御社が最も信頼できる『物言わぬ、だが盾となる筆頭株主』になれます。……これでも、まだ帰れと言われますか?」


社長は、じっと私の目を見つめた。投資家の嘘を見抜こうとする、物理学者のような冷徹な視線だ。

やがて、彼はゆっくりと、テーブルの上の青色LEDを手に取った。


「……光源、光学、受光か。もしそれが一つの生命体のように機能すれば、確かに光の地平は変わるかもしれませんな。木下さん。あなたの目は、金儲けの先にある『真理』を見ているらしい」


社長が微かに笑みを浮かべ、名残惜しそうにLEDをテーブルに戻した。


「面白い。その『光の巨人』の産声、我々も共に聞かせてもらいましょう」


社長は私に右手を差し出してきた。



1992年(平成4年)夏


ミノルタに続き、浜松ホトニクスとの提携が発表された。


私の目的を理解できないメディアは、こぞって書き立てた。


「若き投機家・木下藤一郎の無謀な拡大路線」と。


バブルの徒花が、不況の中で最後のあがきをしているのだということだろう。この調子だと、この先も私は決してメディアから理解されないだろう。

カネの亡者、守銭奴、企業乗っ取りのプロ……その他ありとあらゆる罵詈雑言に晒されるかもしれない。


まあ、言いたいやつには言わせておけばいい。抗弁することも、言い訳の言葉を紡ぐのも無駄な力がいる。私は私の正義を信じ、この時代で花を咲かせるのだ。


ただ、私は知っている。LEDという「光源」、ミノルタという「瞳」、そして浜松ホトニクスという「神経」がつながった今、世界で唯一の、そして最強の「光の巨人」が産声を上げたことを。


「兄さん、これでピースは揃いましたね」


帰りの新幹線の車内で、小二郎が興奮を隠せない様子で言った。


確かに現時点ではピースが揃ったように見える。だが、もう1社欲しい企業がある。

光で世界の回路を刻む「手」となる会社だ。栃木県小山市に存在していたその企業は、地味な存在だが、大袈裟でも何でもなく、世界の覇権を握ることが可能な超重要企業だ。


日本の半導体装置サプライチェーン最後の砦で、国家戦略級企業。いや、経済安全保障上の最優先企業だ。2020年代、このレーザー技術はアメリカのサイマーと、その日本企業の2社しか持っておらず、世界シェアを二分していた。サイマーは半導体製造装置の雄、オランダのASML傘下の企業となっていた。この会社がないと、ナノレベルの半導体製造など夢のまた夢なのだ。


どんな国が日本に脅しをかけてきても、「この企業との取引を禁止する」と言うだけで震え上がるほどの威力がある。


まさに沈黙の抑止力。


だが、現時点でその企業はまだ誕生していないから、資本参加へと動き出すのは1999年か2000年になるだろう。


だから私は現時点で存在していて、次に欲しい企業を示しながら言った。


「ああ。青と白が完成したら、最後はこの巨人を動かして、世界市場を獲りに行く。世界中の照明を、真空管から半導体へ変える会社だ……ところで小二郎、先週の司法試験の結果発表はいつだった?」


「来月ですよ。でも、もう受かった気しかしていません」


小二郎の頼もしい言葉に、私は静かに頷いた。窓の外には、不況に沈む街並みが広がっている。だが、私の目には、数年後にこの街の至る所で輝き始める「青い光」の洪水が、はっきりと見えていた。


1992年。

日本の「失われた30年」を阻止するための、私の真の逆襲がここから始まったのだ。

だが、まずは「青」から「白」へと進まねばならない。

それが当面の目標となる。


現在の保有・提携先企業


『株式会社ピクセルジョイトロン』

『株式会社アバンダント・アリージャンス』

『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』

『ミノルタカメラ株式会社』

『浜松ホトニクス株式会社』

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― 新着の感想 ―
しかしメディアは見る目が無いですね。 バブルが弾ける前に最善の動きをした主人公を見極められず叩いたのはともかく、バブル後にはそれが正しかったと分かった筈なのに仇花扱いしてまた叩いている……成長がないと…
ミノルタからこの話への流れは胸熱!
着々と光の垂直統合成し遂げててすごい。 20年後にはとんでもない企業なってそうでワクワク。
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