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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ。   作者: 織田雪村
第四章

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若き企業家⑤ 光学機器メーカー

1991年(平成3年)10月


光を制したのなら、次はそれを受け取る『眼』を押さえる。

買収対象は国内カメラメーカーだ。バブル崩壊で株価も売上も落ち込んでいるが、撮像素子と光学技術は世界最高水準にある。半導体露光装置はいまだ水銀ランプに依存している。だが、光源を半導体化できれば、産業構造そのものが変わる。


そんな業界の中でも、私が選んだメーカーの名は、『ミノルタカメラ株式会社』。


だが残念なことに、令和の時代にはすでにカメラブランドとしては姿を消していた。最初のつまずきはアメリカ企業との特許訴訟で敗北し、和解金を支払わざるを得なくなったことで経営基盤が揺らいだことにあった。


1991年の現在、かつて世界初のオートフォーカス一眼レフカメラの『α-7000』で写真業界に革命を起こしたこの名門企業は、静かに、しかし確実に深刻な転換点へと追い込まれていた。

具体的な問題は、米国ハネウェル社から突きつけられた「オートフォーカス技術に関する特許侵害訴訟」だ。


その請求額は実に300億円。

バブル崩壊の直撃を受け、資金繰りが急速に悪化していたミノルタにとって、それは単なる損害賠償ではなく、経営を根底から揺るがす打撃となる事態だった。


史実として、ハネウェルはミノルタに対する訴訟で勝利を収めると、その勢いを駆って日本のカメラメーカー各社に次々と圧力をかけ、莫大なライセンス料と和解金を引き出していくことになる。


一企業の権利主張という建前の裏で、知的財産という武器を最大限に振りかざし、弱った相手から徹底的に利益を吸い上げる。それは、アメリカ資本主義が時に見せる、最も冷酷で最も計算高い側面だったと言っていい。


私の目には、この一連の訴訟は正義の執行などではなく、国際競争力を削ぐための極めて戦略的な知財戦争に映っていた。

そして同時に、これは日本企業にとって避けては通れない通過儀礼でもあったのだろう。


技術力があれば勝てる。

良い製品を作れば報われる。


そういった甘い幻想が、知的財産という現実の前で無慈悲に打ち砕かれた瞬間だった。


皮肉なことに、この事件を境に日本企業はようやく目を覚ますことになる。特許は守らなければ奪われる。法は、理解し、使いこなさなければ武器を持った相手に一方的に蹂躙されるだけだという事実に。


ミノルタの危機は単なる一社の経営問題ではなかった。それは、日本の製造業全体に突きつけられた、国際訴訟経験が未熟な知財後進国という現実そのものだったのだ。

当然ながら小二郎は懸念点を私に伝えた。


「兄さん、ミノルタですか。確かに名門ですが、今このタイミングで手を出すのは火中の栗を拾うようなものですよ」


小二郎が、特許関係の資料をめくりながら忠告した。ミノルタに勝ち目は薄い。そう判断したのだろうが、今回の訴訟の例でいえば時間を引き延ばす戦術はかなり有効だと思う。

だがまあこれを言っても今の小二郎にメリットはないな。


「火中の栗だからこそ拾う意味があるんだ」


私は冷めたコーヒーを一口飲み、続けた。


「ハネウェルとの訴訟でミノルタは戦意を喪失しかけている。だが彼らが持っている光学技術、そしてレンズのコーティング技術は世界一だ。これは青色LEDを使った高密度光ディスクや、次世代の露光装置に不可欠なピースになる」


私は小二郎に一通の委任状を差し出した。


「小二郎、お前の出番だ。弁理士チームや他の弁護士と共に、ハネウェル側の特許を精査しろ。そしてミノルタの経営陣に伝えるんだ。『300億の賠償金は肩代わりする。その代わり、第三者割当増資を引き受けさせろ』とな」



1992年1月


年が明けると同時に、日経平均は2万円の大台を割り込もうとしていた。

ピークから見たらもうすぐ半値となる。 世間が投げ売り一色に染まる中、私はアバンダント・アリージャンスの代表として、大阪にあるミノルタの本社へと乗り込んだ。



重厚な応接室のドアが開くと、十数名の役員たちが長テーブルを囲んで座っていた。誰もが疲弊し、諦めに近い表情を浮かべている。


「木下様、どうぞこちらへ」


秘書に案内され、私と小二郎は上座に通された。


社長の井伊 政直は60代半ば、目の下には深いクマができている。その隣には専務の吉川、そして若手の技術担当取締役・藤堂が並んでいた。


「木下さん……我々に、出資してくださるというのは本当ですか?」


井伊社長の声には、切迫した何かが滲んでいた。


「はい。300億円、必要であれば明日にも振り込めます」


一瞬、会議室の空気が停止したように感じた。

財務担当の専務・吉川が、明らかに疑念を含んだ視線を向けてくる。


「木下さん、失礼ですが……あなたは確か、まだ20代後半ですよね?300億円という金額は…」


「ご指摘のように26歳の若造ですが、資金は持っておりますのでご安心ください。こちらが、私が代表を務めるアバンダント・アリージャンスの直近の財務諸表です。第一勧業銀行と三菱銀行の残高証明書も添付してあります」


書類が回覧される。ページをめくる音だけが、静かな部屋に響いた。


「……2500億円以上の現金資産?…」


常務の細川が呟いた。その声は震えていた。


「しかし、ハネウェルへの支払いは待ったなしです」


井伊社長が苦しそうな表情で続けた。


「正直に申し上げます。和解金300億を払えば、わが社の研究開発は10年止まります。一方で、支払わなければ……会社が終わる」


藤堂取締役が、拳をテーブルに叩きつけた。


「α-7000で世界を驚かせたミノルタが、アメリカの訴訟ゴロに食い物にされて終わる。そんなこと、許せるか!」


私は静かに口を開いた。


「では第三の道を示しましょう。払うが、終わらせない。これが私の提案です」


全員の視線が私に集まった。


「300億は私が出します。ただし、貴社は光学会社から光と半導体企業に生まれ変わっていただく。光を支配する仲間となってほしいのです」


「光を……支配する?」


藤堂が身を乗り出した。彼の目に初めて光が宿った。


「そうです。私が昨年成功させた青色LEDの量産技術。これにより、高密度光ディスク、液晶バックライト、半導体露光装置、すべてが変わります。しかし、光源だけでは意味がない」


私はテーブルに手をついた。


「レンズが必要なんです。世界最高峰の非球面レンズ技術、反射防止コーティング。それらすべてを持っているのがあなた方です」


井伊社長が眉をひそめた。


「それは……ミノルタがあなたの会社の部品メーカーになる、ということでは?」


「違います。対等なパートナーです。青色LEDの優先実施権と、貴社の光学特許をクロスライセンスする。ただし」


私は一呼吸置いた。


「経営権は、私にいただきます」


吉川専務が立ち上がった。


「ふざけるな!それでは、ミノルタが飲み込まれてしまう!」


「吉川専務」


私は彼を見据えた。


「飲み込まれるのが嫌だとして、倒産してハネウェルにすべてを明け渡してもいいのですか?貴社の技術は二束三文で買い叩かれ、ミノルタという名前は『特許戦争の敗者』として歴史に刻まれる」


吉川専務が言葉に詰まった。


「勘違いをしていただいては困る。私は、日本の技術を日本の中で守りたいだけなのです」


私は青木教授の「日本を守れ」という最後の言葉を思い出しながら続けた。


「私が尊敬した青木昌治教授という人がいました。残念ながら亡くなってしまいましたが、教授は最期にこう言いました。『光学と半導体が結びついたとき、日本はもう一度世界の中心に戻る』と」


井伊社長が、じっと私を見つめた。


「木下さん……あなたは、本気でそう信じているのですか?」


「はい。正確に言えば確信しています。現在、日本人は自信喪失に陥っている。しかし、日本人には技術がある。諦めない心がある」


私は室内を見渡しながら言った。


「あなた方は、ものづくりの魂を持っている」


藤堂取締役が頷いた。


「共にもう一度、世界を取りに行きましょう。これは夢ではなく10年以内に実現できる事実です」


井伊社長が、深く息を吐いた。


「……条件を、聞かせてください」


「第三者割当増資により、議決権の51%を私が取得します。経営陣は全員、刷新させていただきますが、藤堂取締役だけは技術担当副社長として残っていただく」


藤堂が驚いて顔を上げた。


「私が……副社長?」


私は彼の目を見て言った。


「あなたの技術力が、私には必要なのです」


私は小二郎に目配せした。小二郎が書類の束を配り始める。


「こちらが、具体的な再建計画です。ハネウェルへの支払いスケジュール、新規事業への投資計画、すべて記載してあります」


長い沈黙の後、井伊社長が全員を見回した。


「……諸君、採決を取りたい。木下さんの提案に賛成の方、挙手を願いたい」


最初に手を挙げたのは、古参の取締役だった。

次に、細川常務。

そして一人、また一人と、手が挙がっていく。

吉川専務も、やがて観念したように手を挙げたが、意外なことに藤堂は手を挙げなかった。


「皆さんが辞められるのに、私だけが生き残るのは忸怩たる思いです。よって積極的な賛成はできませんので社長に一任します」


井伊さんはそんな藤堂をじっと見ていたが、やがて静かに言った。


「……全員一致、ですね」


井伊社長が微笑んだ。その目には、涙が光っていた。


「木下さん、ミノルタをお願いします」


私は深く頭を下げた。


「はい。必ず、再生させます」


ふと窓の外を見ると、雲の合間から一筋の光が射していた。 窓のすぐ下は御堂筋だ。8車線の幹線道路を北から南へ流れる無数のクルマたちが、その光を無機質に反射させていた。


私は、青木教授の最期の言葉を再び思い出していた。

『日本を、頼むよ』との言葉を。


私の背後には、不況に喘ぐ日本で唯一無二の暴力的なまでの現金が控えている。これを有効に使って、何としても日本の技術とプライドを護らねばならない。



東京行きの新幹線がゆっくりと動き出す。

窓の外には、かつて天下の台所と呼ばれた街の翳りが、静かに広がっていた。私はそれを苦々しく、また懐かしい思いも織り交ぜつつ見ていた。そういえば前世の羽柴秀樹は、今ごろ東大の講義室で法学を学んでいる頃か。となれば、もうこの街には縁がないのだな。


私はグリーン車のシートで、故郷の大阪が産み落とした二つの怪物の末路を思い出していた。


一つは「イトマン事件」だ。


住友銀行という巨大な後ろ盾を得た商社が、絵画や不動産という虚飾に1兆円を投じ、暴力団の影が差す闇へと沈んだ。エリートたちが裏社会の住人と手を取り、銀行の矜持に泥を塗った。


そしてもう一つは「尾上事件」という。


料亭の女将に過ぎない老婆が、巨大なカエルの石像に祈り「神のお告げ」で数千億を動かした。彼女がコピー機で偽造した担保を、日本興業銀行や東洋信用金庫のエリートたちは疑いもせず、あるいは疑うことを放棄して受け入れた。そんな彼女が金融機関から借りた総額は2兆7700億円。


私が手にした金額など児戯に等しいと思えるほどの、桁違いの数字だ。

逮捕された時の負債総額は4300億円。一人の老婆が一国の基幹銀行を揺るがし、信金一つを粉砕したのだ。


「狂っている……」


独り言が漏れた。河村良彦、許永中、尾上縫。彼らはバブルが産んだ死神ではない。楽して儲けるという麻薬に溺れた日本人が、自ら招き入れた幻影だ。


「兄さん、大丈夫ですか? 大阪の空気に当てられました?」


隣の小二郎が心配そうに覗き込む。


「いや、腐った夢の臭いが鼻についてね。それよりもハネウェルに対する方針だが、勝てないまでも負けない戦い方を考えたいんだが、手段としては何があるかな?」


「それは僕も考えていたんだけど、例えば、古い軍事技術を解析するのは有効かもしれない」


「古い軍事技術?それは何だ?」


「兄さんは『大和型戦艦』を知っているでしょう?

あの艦に搭載されていた全長15mもの測距儀は、方式の違いはあれどオートフォーカスのご先祖様ともいうべき存在で、大和で磨かれた光学・測距技術の蓄積があったからこそ、日本は戦後、ドイツを凌駕するカメラを作れるようになった。大和はその象徴的な遺産なんだ。これをぶつけるのは有効だと思う」


出たな。小二郎の大好きな戦艦大和。この話題をし始めたら小二郎は止まらないが大丈夫かな?


「なるほどな。お前たちこそ盗んでいるじゃないかというわけか。なかなか面白い論法だ」


「大和は歴史の必然だったんだ。40km以上先の目標に巨弾を命中させるための執念が、形を変えて今では世界中の日常を写している。これ以上の説得力がある?」


つまりは「世界三大無用の長物」の一つに数えられてはいるが、決して無駄なものではなかったという結論か。さすがに思い入れがあるだけに、弁にも熱がこもっているが、大阪湾に原寸大の大和を浮かべてみせる、と言い出す前に話を変えておこう。


「大和の測距儀は、ミノルタじゃなくてニコン製だった気がするが、とにかく、その方向で動いてくれ。それで、他には何かあるか?」


「うん。まさにそのニコンにも関係すると思うけど、ミノルタがやられたら、次は他社が狙われるだろうから、ニコンはもちろん、キヤノン、オリンパス、ペンタックスといったメーカーに声を掛け、水面下で情報共有をするべきです。アメリカ企業は各個撃破を常套手段とするから、日本側は固まらないと危険だと思います」


「なるほど、毛利元就の三本の矢に倣うというわけか。ライバルではあっても知恵を出し合うことで時間を延ばすことが可能となるな。これは相手が最も嫌がるパターンに持ち込めるだろうから、さっそく動いてみよう」


逆にハネウェルが持つ戦闘機用センサーや制御部品に使われている特許を、日本国内で差し止める準備も進めよう。


「いいか小二郎、大和の測距儀を証明するために、大阪湾で実物を作る予算は出さないぞ。あくまで『紙の資料』と『元技術者の証言』で勝負するんだ。それと、他社への根回しは俺がやる。お前は、その大和の執念がどう現代のAFに繋がっているのか、ハネウェルの連中が震え上がり、判事や陪審員が納得せざるを得ないような完璧な鑑定書を書き上げてくれ」


日経平均の下落が止まらず絶望が街を覆う今こそ、私の逆襲が始まるのだ。


1992年春。


日経平均株価が17,000円台まで暴落したころ、新聞の経済面には歴史を大きく変える見出しが連続して踊った。


『ミノルタ、投資会社から300億円の資金調達。青色LEDベンチャーの傘下へ』


『ミノルタ、国内4社と知財共同戦線 米特許に無効審判請求』


それは、私が仕掛ける日本再興の、ほんの序章に過ぎなかった。私の次の目標は「光の垂直統合」を果たすこと。

光源は青色LEDで押さえた。光学系はミノルタが力強い味方となった。

最終的な完成は受光・計測分野を抑えることで、それは、後に有名になるあの企業がターゲットだった。


数ヶ月後。ハネウェル社がミノルタに対する訴訟を取り下げたとの記事が、新聞の片隅に小さく載った。


現在の保有企業


『株式会社ピクセルジョイトロン』

『株式会社アバンダント・アリージャンス』

『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』

『ミノルタカメラ株式会社』

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― 新着の感想 ―
ミノルタが救済されてしまうと、コニカがピンチ? カメラというと、21世紀に入るとこれまで築き上げた技術が新しい技術によって一気に不要化されてしまった感があります。一眼レフしかり、銀塩フィルムしかり。
今ってピクセルジョイトロンが親会社で残りの3社が子会社の立場になってるんですか?
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