プロローグ④ 論戦 後編
11月になっても論戦は続いているが、国民の圧倒的な支持率に怯んだのか、野党の論調は鈍りつつある。
今日は朝から野党・立憲政友会の南部委員長との舌戦中だが、光明党の斉藤代表幹事と表現は違えど、取り上げる内容は同じで、野党の攻勢には鋭さも勢いも感じられない。
まあ連日SNSでは野党を攻撃し、首相を応援する内容の文字や動画で溢れているのは事実だから。
それは一般国民のみならず、経済や金融の著名な研究者・学者、経営者まで含む広範なもので、内容にも説得力があるから、野党からすると総理に対する攻勢を鈍らせる要因になり得るだろう。
総理を攻めれば攻めるだけ自分たちの支持率が落ち、過去の発言がブーメランとなって刺さり、更に支持率が落ちるという最悪のスパイラルにはまっているから、見ていて気の毒にすら感じてしまう。
本来の野党の役割りとしては、政府与党の方針に対して懸念点を伝え、より良い案や方向性にもっていくのが仕事なのだろうが、いつしか時の政権に対して常に反対し続けなくてはいけないという、変な方向に流れて行ってしまった政党が多いのもまた事実で、是々非々で対応してもらえたら嬉しいと本音では思う。
そんな野党の心の動揺を見透かしたように、首相は日本のある故事を持ち出して答弁した。
「私の経済・税制に対する主張はこれまでと変わりません。
ただ…先ほどから議論が抽象論に流れがちですので、一つ歴史を用いた比喩を示します。
南部議員は第十六代の仁徳天皇は、なぜ”仁”や”徳”という、当時の大陸の思想にとって重要な文字を使った『諡』を付けられたのかご存知でしょうか?
補足しますと、あの時代の大陸において”徳”とは最高の概念だったのです。
現代ではそんな面影は微塵もありませんが、徳とは人間が実践すべき内在的な善行を指し、最も尊ばれたと言われています。
そして当時の日本においても、徳は特別な名前と認識されたのは事実でしょう。」
南部委員長は、四世紀の人物名が突然出てきたことに対して理解できないと言いたげな表情だが、片市総理はそれを無視して議場の静寂の中、ゆっくりと語り始めた。
「これは仁徳天皇の治世における、民への思いやりと善政を象徴する漢風諡号であり、特に『民のかまど』の逸話に基づいているのです。
つまり仁徳天皇は、国民が税の重荷に苦しんでいるのを見て、『人民の竈より煙が立たないのは、貧窮のためであろう』と嘆き、以降三年間、税を全て免除されました。
これにより宮殿は荒れ果てたのですが、三年後、人々の生活は豊かになり、竈から盛んに煙が立ち上るのを見て、天皇は『我すでに富めり』と喜ばれたのです。
南部さん。この意味を理解できますか?」
突然、過去の逸話を振られた南部委員長の表情は戸惑いを隠せないものだった。
「…確かに仁徳天皇の逸話は存じています。しかし現代の財政規模や人口構造は当時とは大きく異なるのもまた事実です。
要するに…総理。私は現在の話をしているのですが?」
それに対して総理は教え諭すような口調で言った。
「南部委員長。現在私たちが生きているのは先祖の努力のお陰なのです。
それはつまり、私たちは未来の子孫のための政治をしなくてはならない。ということに他なりません。
ここはご理解いただけますよね?」
南部委員長は渋々といった感じで頷き、総理はそれを見て続けた。
「この時に仁徳天皇は皇后に語りかけられたのです。
『私は既に豊かになったから、もう憂えることはない』と。
皇后が『衣服も屋根も破れているのに、なぜ豊かになったと言えるのですか?』と問われると、天皇は答えられました。
『私が国を治めるのは国民のためである。国は国民を根本とすべきで、国民が貧しければ私も貧しく、国民が富めば私も富めるのだ』とお答えになられました。
この逸話が”高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり”という和歌としても現代まで語り継がれているのです。
ここまで言えば、賢明な南部さんにおかれてはご理解をいただけるものと思いますが?」
南部委員長はたじたじだな。だが、声を絞り出すように言った。
「ですから総理…そのような大昔の話と現代とは環境が違うでしょう?」
「ではもっと最近の話をいたしましょう。
渋沢栄一は一万円札の絵柄に採用されていますからご存知ですよね?
この人物は明治と大正期に活躍した実業家・思想家であり、「道徳経済合一説」を提唱した人物でもあります。
彼の思想とは国民を根本とする統治・経済思想であり、公益や社会福祉を犠牲にせず、経済を両立させるという考え方を作りました。
つまり、民が活力を持ち、豊かに生活できてこそ、経済も持続的に発展するという視点なのです。
この点で、「かまどの煙」の逸話は、租税を一時的に免じ、民の生活を立て直し、その後に税負担を再開したという流れを通じて、民の生活が回復することこそ国家の基盤であるというメッセージを含んでいると読むことができるのです。おわかりいただけますか?」
南部委員長は理解していないみたいだが大丈夫なのかな?
それに対して総理は南部を無視してまとめに入った。
「要するに仁徳天皇が課役を免じた三年間を“先行投資期”と捉えると、『租税収入を一時的に減らしてでも、民の生活・生産力を立て直すことが、結果として豊かな国家を築く』 という発想に通じます。
渋沢氏の実業・社会事業においても、利益を上げるだけでなく、社会福祉・教育・インフラに寄与することが重要とされた点も、この『先行的な公益重視』の思想と合致するのです。
まとめますと、利益=富ではなく、民の富=社会の富なのです。」
総理は、野党議員一人ひとりの顔を見渡しながら、言葉に力を込めた。
「これが、私の考える政治の核心です。
政府が富むこと、すなわち増税や緊縮によって財政の数字を一時的に改善させることではない。
まず国民の暮らしを豊かにし、経済活動を活発にすることが、最終的に国を富ませる道なのです。
消費税の廃止は、この仁徳天皇の精神に基づいた、現代の『税の免除』に他なりません。」
南部委員長はあっけにとられている。
本来なら総理が自ら言い出すような話ではないからで、役割が逆転してしまっており、これまでの総理が言いそうなことを持ち出して反論した。
「総理は、この三年間を『先行投資期』と捉え直すとおっしゃいましたが、投資には『回収の見込み』が必要です。国民の生活が回復し、経済活動が活発化することで税収が回復した、という仁徳天皇の故事は、回復後に税負担が再開されるという前提があって初めて成立します。あなたは、消費税の『廃止』を掲げている。
これはすなわち、投資の果実を回収する手段を、永久に放棄することを意味します。
これは究極の無責任と言えるのではないですか?」
野党席からは、同調のヤジや拍手が出たものの、それはまばらで、圧倒的な世論の支持を背景にした総理の堂々たる姿勢と、古典を持ち出した説得力に論調の勢いを完全に失っていた。
そして片市首相が言った次の言葉は、議員たちの心にトドメとして深く刺さってくれたと思いたい。
「私は国民の期待を裏切らない。国民の生活が豊かになったとき、初めて、その繁栄の果実を次世代への投資に回す。この順番を間違えてはならないのです。」
対する南部委員長は…戦意喪失かな?
「総理の主張は、短期的な国民の歓心を買うかもしれませんが、長期的な国家の存続に対する責任を放棄していると言わざるを得ません。
我々野党は、あなたが一貫して無視している『財政規律』と『未来世代への責任』という、政治家として最も重い責務を、引き続き問い続けることを明確に表明して質問を終わります!!」
私の見るところでは、野党議員たちは現時点での抵抗を諦めたように思う。
何と言っても総理には『衆議院解散』という伝家の宝刀がある。
もしも解散・選挙が行われたら、この高支持率を背景に与党は圧倒的な勝利を得る反面、野党は壊滅的打撃を受けるだろうから、野党にとってはこれ以上の抵抗は悪手だろう。
彼らが現時点で考えていることは様子見だろう。
今後実行される政策を監視して総理の失政を見逃さず、世論に訴えかける戦術を採用するのが最も現実的だ。
だが、この国会でのやり取りをテレビ画面を通じて苦々しく見ている集団があった。
財務省の幹部たちだ。
お読みいただきありがとうございます。
今後は隔日公開とさせていただきますのでご了承ください。
次回は「財務官僚の反応」で11月26日 AM7:00公開予定です。




