大学生活⑱ 禅の修行 前編
1986年(昭和61年)6月
アメリカから帰国して五か月ほど経ったころ、スティーブから連絡が入った。
ぜひ日本で、禅の指導を受けてみたいという。
私は快諾し、彼を案内するにふさわしい場所を探し始めた。
ただし彼も多忙な身で、滞在できる期間は一週間が限度だという。
さて、どうしようか。
東京近郊や鎌倉、もちろん京都も候補には挙がった。しかし最終的に私が選んだのは、福井県の永平寺だった。街中とは明らかに異なる空気があり、深山幽谷と呼ぶにふさわしい雰囲気がある。
先方に連絡を取り、日程と、参加者が外国人であることを伝えたところ、受け入れ自体は可能だが、日本語以外での対応はできないとの返事だった。観光地ではないのだからこれは当然だろう。
そこで私が同行すること、通訳は私が務めることを伝えた。彼自身が日本語のわかる通訳を連れてくる可能性も考えはしたが、深くは気にしなかった。
当日、成田空港に迎えに行くと、意外なことに現れたのはスティーブ本人だけだった。
通訳はおろか、ボディガードも、秘書の姿すらない。
軽く握手を交わして再会を喜び合い、そのまま永平寺へ向かう。
成田から東京駅までは電車、そこから新幹線で米原へ。米原から福井へ入り、最後はタクシーで永平寺を目指すルートだ。
道中では禅について詳しくレクチャーした。
「禅の開祖は菩提達磨(ボディー・ダルマ)というインド出身の僧で、5世紀末から6世紀にかけて古代中国に渡り、後に禅宗と呼ばれる思想の源流を築いたとされている。君もインドを訪れたことがあれば感じたかもしれないが、インドにおいて仏教はすでに主流宗教ではなくなっており、現代中国では宗教活動に対して様々な制約があると聞く。そうした環境では禅の教えも昔とは違った形になっているかもしれないな」
「では、禅の本当の教えが残っているのは、やっぱり日本だけなのか?」
「本当の教えかどうかは自信がないな。日本人が自分たちに合うように改良した部分もあるだろうから、最初の禅とは少々違っていても不思議じゃない。
いや、これは禅に限らず、多くの外国生まれのものが日本流に造り替えられたのは事実だ」
「自分たちに合うように造り替えた?それは本当か?どういう理由なんだ」
「日本人はゼロから生み出すより、取り入れて磨き上げることに長けているのかもしれない。オリジナルを日本流に造り替え、本家とは違う形へと導くことは大昔からやってきたことなんだよ」
スティーブは考え込んでいるが、構わず続けた。
「日本に本格的に禅宗が伝わったのは鎌倉時代初期だから、800年ほど前となるんだ。宗派もいろいろ存在しているが、代表的なのが二つあって、臨済宗と曹洞宗だ」
「複数存在しているということは、つまり、最初から解釈が違っていたということなのか?」
「そうだな。そういった表現は可能かもしれないな。日本の禅宗は古くから続く山岳信仰や、その後に体系化された修験道と影響し合いながら発展した側面もあるから」
「なるほど。実に興味深い話だな。キリスト教世界とは始まりからして違うというわけか」
「違っていた、というより、日本という土地が違う答えを引き出したといえるかもしれない。日本人は有史以前から、大自然に対する畏敬の念を持っていたのは間違いないだろうから」
この辺りのことはいずれ詳しく教える必要がありそうだな。
「ともかく、曹洞宗には二つの大本山があるが、永平寺はそのうちの一つだ。スティーブが理解しやすい表現をすると、カトリックにおけるバチカンのような存在だが、観光地化はされていないから注意が必要となる」
「そうか。それはありがたい。どうしても本場の雰囲気を知りたかったんだ」
本当は少林寺拳法との縁も紹介したかったが、ややこしくなるからしなかった。まあとにかく、そんなやり取りをしつつ永平寺に着いた。
山門へ続く石段は雨に濡れ、杉木立の間から冷たい風が吹き抜けていた。
私も初めて訪れたが、その佇まいは圧倒的だった。目に見えない何かがそこには存在しているようにすら感じる。長い時間をかけて積み重ねられた規律そのものが、空気となって漂っているとも感じた。
私たちが山門をくぐると一人の禅僧が出迎えてくれた。
彼は深々と一礼し、低く落ち着いた声で名乗った。
この人は永平寺の「知客」を務める皆澤 宗玄という、40歳過ぎと思われる禅僧だった。
知客とは、来客や新参の修行僧を迎える役目を担う僧だという。
実はこの皆澤禅僧とは、私が師と仰ぎ、生涯お付き合いすることになる人なのだが、この時には知る由もない。
「遠いところまでようこそお参りくださいましたね。まずはお茶でも進ぜましょう」
と言われ、少し奥まった建物に案内された。
どうやらここは僧侶用の宿舎を来客用に整えた部屋らしく、ここで私たちは寝泊まりをするのだと言われた。後で知ったのだが「宿坊」という表現は使わないらしい。室内には水墨画や書が飾られており、スティーブは物珍しそうに見渡していた。
また、庭もさすがは永平寺だなと思わせる、趣のある庭だった。
翌朝から本格的な修業が始まった。
ここでは只管、座禅を組むのが修行の中心となる。
いわゆる『只管打坐』と呼ばれる。
まだ空が白み始める前に、木板を叩く乾いた音で目を覚ます。音は短く、しかし迷いがなく、眠気を一切許さない強さがあった。
スティーブと共に眠い目をこすりながら廊下に出ると、すでに数人の僧が無言で歩いている。足音はほとんど聞こえない。皆、まるで最初からそこに配置されていたかのように、一定の間隔で流れていく。
坐禅堂に入ると、ひんやりとした空気が肌を刺した。
外は初夏だというのに、山の朝はまだ冬の名残を抱えているように感じた。
皆澤禅師が短く合掌し、静かに指示を出す。
「姿勢だけ整えてください。無理に何かをしようとしなくて結構です」
スティーブは言われた通りに座った。足を組み、背筋を伸ばす。
そこまでは、問題なかった。
だが、目を閉じて数分もしないうちに、彼は違和感を覚え始めたらしい。
何も起きない。
いや、正確には起こしてはいけない空気がここにはあった。
後になってインドでの瞑想とは違ったと言った。
「あそこでは意識を拡張し、内面に深く潜る感覚があった。何かを「見る」ことが目的だった。
だが、ここでは違う。見ることも、考えることも、評価することすら、すべて余計だと言われているみたいだ」と。
私が感じたのは、これは「考えるな」ではない。「考えようとするな」ですらない。
最初から何も持ち込むなだと。
しばらくして、警策が入る音が響いた。乾いた一撃。誰かが軽く息を呑む。
やがて、堂内に低くゆったりとした声明が満ちていく。
木魚、鈴、読経。どれも主張は強くないが、逃げ場がない。
言葉の意味は分からないはずなのに、スティーブは奇妙な感覚に包まれていたという。
「理解を拒否されているのに、拒絶されていない。音はただ、そこにある。解釈されることを求めていないんだ」
ただひたすら座禅を組む朝課の後、案内されたのは食堂だった。
長い机。整然と並べられた坐具。配膳は一切の無駄がない。出されたのは、白粥、味噌汁、漬物。それだけだ。
だが、皆澤禅師は言った。
「食事も修行なのです」と。
合掌。器を持つ角度。箸の置き方。すべてに決まりがある。
当然、スティーブは戸惑っている。食後に自分で器を湯で洗い、その湯を飲み干す。一滴も残さない。
部屋に戻る途中、彼はぽつりと呟いた。
「これは宗教じゃないな」
私が黙っていると、続けた。
「これはOSだ。人間用の、最低限の要素だけで動くOSだ」
その言葉を聞いて、私はこの旅が彼にとってどのような意味があるのか考えた。
これは、思想ではなく訓練だ。しかも精神ではなく生活そのものを削り取る訓練だが、彼がどこまで理解できているのか。
こうして一週間という時間はあっという間に過ぎていった。
最後の夜。
皆澤禅師が座学を行ってくれた。だが、これを通訳してスティーブに話すのは極めて難しい。
禅師の言葉は理解できるのだが、私の変換と伝え方が問題で、極めて責任重大だ。
「我らが大切にする不立文字とは、禅の核心を一言で表した言葉です。
意味を端的に言えば、『真理は、言葉や文字によって立てられるものではない』という立場です。
ここで重要なのは、不立文字とは本を読むなではなく、言葉は無意味でもないという点です。
禅僧たちは実際には、経典を読み、詩を書き、公案を言葉で問答し、漢詩や書を大量に残しています。
では何を否定しているのか?
否定しているのは、言葉を理解したつもりになることと、概念で悟った気になることです。
言葉は地図であって、目的地そのものではない。
不立文字とはこの距離感を忘れるな、という戒めです」
穏やかに諭すように一言一言を紡いでいく。
「たとえば、甘いとは何かを、百万文字の論文で説明することはできるでしょう。
しかし一口なめる体験にはとても敵わない。これと同じで、仏性、無、空、悟り。これらは説明可能だが、言葉で到達できない。
不立文字とは、説明を否定するのではなく、説明の限界を見抜くという態度です」
スティーブのほうを見て続けた。
「不立文字とは思考回路を言葉のレールから外すための衝撃とご理解ください。言葉を投げているが、目的は言葉を超えさせることで、これが不立文字の実践的側面です」
私は必死に通訳しているが、変なフィルターがかかっていないだろうか?
どうしてもこの辺りには限界を感じつつも禅師の話は続いた。
「なぜ禅は不立文字を強調するのか理由は一つです。
人間は言葉を理解すると『分かった気』になりますが、禅はそれを最大の障害と見ます。
知っている。説明できる。整理できる。これらは悟りではなく、現代的に言い換えるなら不立文字とは、マニュアルを読むことと実際に運転することの違いでしょう。
経済学を理解することと、市場で破産と成功を経験することの違いなのです」
何とか通訳しているつもりだが、禅師の教えの意味が正確に伝わっているかは分からない。
どうなのだろう。スティーブの心境は?
皆澤禅師の言葉を通訳し終えると、スティーブは深く、長く沈黙した。薄暗い堂内、行灯の光に照らされた彼の横顔は、彫刻のように動かない。やがて彼はゆっくりと視線を上げ、禅師を真っ直ぐに見据えてこう言った。
「禅師、あなたの言うことはよく分かる。マニュアルと実践の違いだ。だが、もし、その『一口なめる体験』の瞬間に、世界の構造そのものが書き換わって見えたとしたら? その体験が、あまりに強烈で、あまりに自明であったなら、それはもう言葉の地図を必要としない『ゴール』に到達したとは言えないのか」
彼の声には、知的な探求を超えた、ある種の熱がこもっていた。
それは、ビジネスで未踏の領域を切り拓くときに見せる、あの狂信的なまでの自信に似ていた。
皆澤禅師は、その熱を冷ますような静かな声で応えた。
「スティーブさん。あなたが何を見たとしても、それはまだ道端に咲く花に過ぎません。花を見て『美しい』と思うのは自由だが、そこに留まれば、道はそこで途切れる」
蠟燭の炎が揺らめく中で禅師は言葉を繋いだ。
「禅では、それを『悟り』とは呼びません。むしろ、最も警戒すべき『心の澱』と呼びます」
スティーブは不敵に微笑んだ。
「澱、か。私には、すべてが繋がったように見える。この数日、ここで削ぎ落とされたことで、私の内側にある本質が、外部のノイズを完全にシャットアウトして輝き始めた。私は、自分が何をすべきか、その設計図をこの手の中に掴んだ気がするんだ。これは単なるマニュアルの読解じゃない。私は、OSのソースコードを書き換えたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼は、禅師が最も戒めた「言葉を理解して分かった気になる」という段階を飛び越え、「体験そのものを自分のエゴに取り込む」という、さらに深い迷路に入り込もうとしているのではないかと。
一週間の修行が終わり、別れの時が来た。
永平寺の重厚な門の前で、皆澤禅師はスティーブの目をじっと見つめ、最後にこう告げた。
「スティーブさん、一つだけ忘れないでください。生きたまま悟ったと思うことは、生きたまま腐るのと同じです。あなたが『掴んだ』と思っているその輝きを、今すぐ捨てなさい。捨てて、空っぽになりなさい。さもなければ、その確信はやがてあなた自身と、あなたの周りを焼き尽くす毒になるでしょう」
スティーブは小さく会釈をしたが、その瞳の奥には、禅師の警告を「古い守旧派の慎重論」として聞き流すような、独特の光が宿っていた。
「ありがとう、禅師。だが、私には見えるんだ。
この光が本物か、ただの毒か、私が世界に証明してみせるよ」
彼はそう言い残すと、颯爽とタクシーに乗り込んだ。 成田へ向かう車中、彼は窓の外を流れる福井の山々を眺めながら、どこか陶酔したような表情を浮かべていた。その横顔を見ながら、私は言いようのない不安に襲われていた。
そのままスティーブを成田まで送り、見送ったのだが、最後まで気になったのが、生きたまま悟ったと思い込むなと言われた、あの皆澤禅師の言葉だった。
一週間程度の修行で何かが身についたと思うほうが間違いで、それは禅の世界で、もっとも戒められることであり、事実、禅師も別れ際に注意したではないか。
だが、相手はあのスティーブだ。「自分は掴んだ」と思い込んだとしても、不思議ではない。
なぜ生きたまま悟ったと思い込むことは懸念となるのか。
禅で最も忌み嫌われるのはその錯覚だ。これは禅やヨガの修行をしていると、途中で妙な高揚感に包まれることがある。世界が急に明るく見えたり、自分が何かを超えたような気分になる。
禅ではそれを悟りとは呼ばない。魔境と呼び、もっとも危険な段階であり、別名、野狐禅と呼ばれる。
これから先、10年以内に実際、これを悪用した者たちが現れる。現時点ではまだ名前も知られていないが、宗教と修行体験を歪めて利用する危険な集団だ。私は、彼らが起こす数々の犯罪行為と結末を知っている。
それはそれとして、スティーブが勘違いし、経営に悪影響を及ぼすような方向に進まねば良いがと思った。
そもそも私の通訳がまずかったのかもしれない。
禅師の言葉を、彼に都合の良い形で磨いて渡してしまったのではないか。と、少し反省した。




