大学生活⑬ プラザ合意 前編
1985年(昭和60年)9月22日
日本にとって運命のプラザ合意が話し合われている。
非常に重要な取り決めだったのは疑う余地がないが、令和においては様々な異説や誤解があったのも事実だ。
寧音はとても気になるみたいで私に尋ねてきた。
「やっぱりアメリカの我慢が、とうとう限界に来たってことでしょうね?」
「そうだね。『双子の赤字』が限界に達していたのは事実だろうし」
双子の赤字とは、財政赤字と貿易収支赤字が同時に発生している状態を指す。
「レーガン政権による大幅減税と、軍事費拡大で赤字が急上昇したけど、あれほどの大軍拡やスターウォーズ計画を推し進めたら、それまでも積み上がっていた矛盾が表面化してしまうだろうね」
ここに貿易赤字という要素が加わる。
工業製品が、日本や西ドイツに負け続けるという現象だ。
「しかもアメリカ製品って、寧音は身近なものですぐに思い出すものはある?」
「そういえば…あんまり見かけないわね?外車はよく見かけるけど」
「外車といってもドイツ車が中心だし、アメ車は大きくて燃費が悪いってイメージがあるらしくて敬遠されているっていうし。つまり日本人が買うメリットが少ないんだろうね。
しかもドルが強い。連邦準備制度理事会がかつて取った超高金利政策の影響で、世界中の資金が高金利のドルに殺到している現状だよ」
「だから円安・ドル高になっていたわけね。相対的にますますアメリカ製品が高くなって売れないっていう悪循環ね?」
「その通り、新聞なんかをよく読んでいると、アメリカ国内での政治的圧力、議会の怒りがどれほど大きいか理解できるんじゃないかな。『日本と西ドイツが不公正だ』って声が強くなっている。
アメリカ人が『アンフェアだ』って言うときは注意したほうがいい。彼らは本気だ」
ここで歴史を振り返った時、日本と西ドイツの対応の違いが鮮明になった。
西ドイツは中央銀行の独立性が高く、インフレ再燃を恐れマルク高に対して慎重な姿勢を崩さなかった。
だが日本政府は対米関係最優先の立場であり、貿易黒字批判に弱く、為替を政治問題として扱う文化が存在していた。要は日本はアメリカに対して拒否できない立場だったのだが、共に敗戦国なのにこの差は何なのだろうか?
ともかく、ニューヨーク5番街にあるプラザホテルにて会議が行われた。
結果、合意後の市場の反応は、各国政府・中央銀行より速いもので、合意直後からドルは各国通貨に対して急落したが、中でも円・マルクの急騰に繋がった。
「この先どうなりそう?藤一郎は夢で見たの?」
久しぶりに寧音の口から出た夢予言の話。
ここは慎重にいこうか。
「そうだねえ。急激に円高に向かいそうだよ。だから持っていた輸出関連銘柄株は、先月までで全部売り払ったよ。今後は内需株が上がっていくだろうね」
まあ底値を付けたらまた買い戻そうか。高く売って安く買う。株式売買の基本だ。
為替はその後、実際に240円 → 200円 → 160円 → 120円台となって、輸出企業は大打撃を受けるのだから。
この傾向は西ドイツも同じだったが、日本のほうがより大きな痛手を受けた。
では、なぜそうなったのかという話だが、私は寧音に今回の合意の問題点を指摘しておいた。
「今回の合意では、各国の数値目標を設定しなかった点は要注意だね。つまり円高に対する歯止めが利かないだろうし、市場も過剰反応してしまうんじゃないかな」
後からなら何とでも言えると思うかもしれないが、ここが一番重要で、政府と日銀のコントロールはある程度は可能だったはずなのだ。
しかしながら日本政府と日銀の役割分担が曖昧で、政治が為替を語るなど、日銀の独立性が弱かった。
そして国内調整を想定していなかった。つまり、産業転換の準備を行なっておらず、内需拡大策は後手に回った。いつもの日本人の悪癖とも言える、戦略性の無さがここでも再現されてしまったのだ。
「それでも、これは『日本潰しの陰謀』ではないし、『密室で円高を強要された』って話ではないからね」
むしろ問題は合意後の国内対応にあるのだ。
とにかく、この会議に出席した日本側担当者は有名な二名だった。
•竹下 登 大蔵大臣 首相に就任後は消費税を導入した張本人。
•澄田 智 日本銀行総裁 一気に公定歩合を下げてバブルを誘発させた。
私の令和における立場から見ると、この二人の組み合わせは極めて象徴的で、日本は国内制度の歪みを温存したまま外圧を受け入れた。その後始末が急激な円高を招いた。さらにリアクションとして金融緩和が行われ、資産バブルへと連鎖していく。
結論を先に言えば、日本だけが致命傷を受けた理由は、「為替ショックそのもの」ではなく、それに対する日本固有の制度的・心理的・政治的対応がすべて悪い方向に噛み合ったからだ。
これは偶然ではなく、構造的必然と言えるのではないか?
ドル高是正は主要先進国は全てドル安を受け入れているし、結果として西ドイツもフランスもイギリスも、同じく自国通貨高を経験したにもかかわらず、日本経済がもっとも大きく壊れた。
理由は明確で、日本は「輸出一本足打法」だったからだ。
その一方で内需は弱く、サービス産業は未成熟。しかも金融業界は護送船団方式で、競争力なんてほぼない状態だ。要するに円高へと為替が動いた瞬間、心臓を直撃する体質とも言えるだろう。
その結果は悲惨で、自国通貨高による国家存亡級の衝撃に近かったのは、日本だけだった。
今後は急激に円高が進行する。
約3年で円の価値が約2倍となってしまうのだが、これは経済史的に見ても暴力的スピードと表現するしかない。普通だったら段階的な適応を行って産業転換を図り、結果として企業の淘汰が起きるはずが、日本はそれを全部拒否したということになる。
日銀が取った最終手段は「為替は戻せない。ならば国内資金をジャブジャブにして、輸出企業を延命させよう」だった。
ここまでくれば、寧音にも伝わっただろう。
実際にやったことは超低金利政策と金融緩和の長期化であり、発生した不動産・株式への資金流入の黙認。
土地神話を放置という手段、いや、手段ですらないのか。 要するに必要に応じた産業転換ではなく、時間稼ぎであって、これが後の株式と不動産のバブル。そしてバブル崩壊後の不良債権地獄へと直結してしまった。
その最終結果がドイツが生き残り、日本が沈んだ決定的な差となってしまう。
西ドイツの対応は日本とは全く違うものだった。
マルク高を受容し、企業の海外移転を早期に認めた。その過程で労使交渉で痛みを分担したし、中央銀行の独立性が高く全体を主導したのも特徴だ。
短期では痛みを伴ったが、長期で見たら全く違う結果となった。
日本の対応は雇用維持を最優先し、金融で誤魔化す。さらに政治が日銀に圧力をかけて問題を先送りした結果、長期の慢性病を選んだという形になる。
残念だが、これは日本人の性格・弱点そのものを映し出す鏡だったのではないのか。振り返った時に私はそう思うのだ。
だから私は寧音に言った。
「俺たちにはどうしようもないけど、せめて個人的に損をしないように立ち回るしかないだろうね。
これまでの常識が全部ひっくり返るだろうから、若い我々には逆に有利になるんじゃないかな」
そう私は締めくくった。
私の記憶では、この瞬間から、為替市場は「ドルは強い」という前提を捨てはじめる。
そしてこの理解は、為替だけでなく、金利、資本の流れ、そして日本国内の金融政策をも静かに変えていくことになるのだから。
戦後しばらく続いた「一億総中流」という甘い夢は終わり、個人の努力だけではどうにもならない時代がもうすぐやってくる。
日本ではこれからバブル経済とその崩壊というシナリオが待っている。
大変厳しいもので、失われた30年と呼ばれていたが、実を言えば2026年時点での中国経済は、これと重なる部分があるように思えた。
それは、不動産バブル崩壊を完全処理しないこと。国有企業・地方政府の延命処置をしてしまっていることだが、これに加えてバブル崩壊時に日本では表面化していなかった、若年失業・人口減少の直撃に見舞われており、統制強化とプロパガンダによって、なんとか時間稼ぎをしていた。
だが、これは悪手だ。それも最悪級の。
間違いなく言えることは、こんな延命措置をすればするほど、爆弾が破裂した際の被害が大きくなるという点だ。
しかもその爆弾は、時間が経てば経つほど指数関数的に大きくなっていた。
日本のメディアは、またしても沈黙していたが。
その爆弾がいつの日か炸裂した場合、中国共産党の支配体制は終了するだろう。
しかしながらそれは、当然、中国が破滅するだけでは済まないのが怖い点だ。21世紀の世界は見えない繋がりで構成されていたから、世界はリーマンショック以上の激震に見舞われる恐れがあった。
この世界線でも中国の影響力は21世紀以降、極めて大きなものとなるだろうが、私としては「10億人の市場」、「世界の工場」といった甘い言葉に騙されないようにしようと考えている。
だがまあ、まずはバブルという激動の時代の波に乗って生き残らねばならない。
そう思った。




