プロローグ③ 論戦 中編
食料品にかかっている消費税を、数ヶ月後には廃止すると宣言した片市総理の答弁によって、議場のざわめきが収まらない中、続いて野党・光明党の代表幹事を務める斉藤 道四が質問に立った。
斉藤議員は、レンズに皮脂の指跡がべったり残ったメガネをそのまま掛け直し、総理に噛みついた。
「総理。あなたは大した人気取りの名人だ。
だが、消費税を導入した理由は、増え続ける年金や医療費に充てるためだったことを忘れていただいては困ります。
あなたは老人を見捨てるおつもりか?」
対する総理は想定内の質問だとばかりに答弁した。
「確かに消費税が導入された当初の目的がそうだったことは否定しません。
ですが、表向きはともかく、実質的に一般財源化して久しいのです。
つまり、何に使われるのか明らかでなく、いわばブラックボックスと化しているのです。
また消費税は逆進性が高いという事実があり、こちらはもっと問題です。
高所得者層にとって痛みは少なく感じる一方で、低所得者層が最も大きなダメージを負いますからね。
斉藤さんのおっしゃる“老人”も、この中に含まれるのですよ?」
斎藤代表幹事は一瞬、顔をこわばらせたが、胸を張り直して言った。
「あなたのおっしゃりようは、まさにケインズ的思考であり、使い古された古典的手法だ。
それで昨今の急激なインフレから脱却させることが可能とお考えか?
逆ではないのか?
あなたの言うような消費税廃止による”景気の好転“と、”GDP押し上げ“を期待し、経済を成長させて結果的に税収を増やすというトリクルダウン的な成長論など、現代社会で通用するとは思えない。」
野党席からは「そうだ!」、「あんたの考えているような単純な世界じゃないんだよ!」といったヤジが飛び、議場は騒然となった。
だが、斎藤議員はケインズ理論とトリクルダウンの考え方という、二つの異なる思想をごちゃ混ぜにして批判しているが、これが意図的なのか勘違いしているのかは判然としないな。
あえてごちゃ混ぜにして総理の意識を混乱させ、失言を引き出す戦術にも見えるが、本当に混同しているようにも見える。
対して片市総理は淡々と答弁を行った。
「いま、斉藤議員は古典的とおっしゃいました。
使い古された手法だと。
ですが、それは実際に効果があるからこそ多用されたのです。
その結果として、あなたが表現した“使い古された”結果となって陳腐化したのです。
逆に言えば効果的であると証明済みなのですよ?
それを否定する根拠を教えてください。」
斉藤代表幹事は、総理の挑戦的な問いかけに対し、鼻で笑うように応じた。
「根拠? 片市総理、あなたは現代の複雑な財政と経済構造をあまりにも単純化して捉えて軽視している。あなたの言う古典的手法が現代で通用しない最大の根拠は、国債残高と超高齢化の現実だ!」
斉藤は持っていた資料を掲げ、口から泡を飛ばすような勢いで続けた。
「総理が日本国民党の棒葉幹事長に明言された物品税復活についてですが、戦後の一時期には確かに重要な財源でした。
しかし、それは国民の所得水準がまだ低く、贅沢品の範囲が明確だった時代の話だ。
現在の成熟した市場で、”贅沢品“と”必需品“を明確に線引きし、消費税以上の高税率をかけて、安定した財源を確保できるとお考えか?
富裕層は海外で高額品を購入し、税の網をかいくぐるだけだ!」
議場からは「そうだ!」、「その通りだ!」とのヤジが飛び交い、野党席から大きな拍手が起こった。
この拍手に押されるように斉藤は続けた。
「総理のロジックは、”消費者の気分“と”将来の成長による税収増“という、極めて不確実な希望的観測の上に成り立っている。消費税を廃止したとして、その翌日から年金・医療・介護費を、何をもって補填するというのか?
しかもこれらの費用は日々、待ったなしで増え続けているのですよ!?
物品税などはすぐに税収が頭打ちになる!GDPが5%も上昇するまで、一体どれだけの国債を発行し、将来世代にツケを回すつもりか!」
斉藤は、総理を射抜くような眼差しで続けた。
「多くの国民は消費税の廃止を望んでいるかもしれない。
それはそうでしょう。私も消費者の立場だけなら理解できます。
だが、年金が半減し、病院で窓口負担が5割になるような未来と引き換えに、それを望んでいるのか?
否!それは違う!
総理、国民はあなたに夢ではなく、責任を求めている。
その物品税とやらの再導入と消費税廃止によって、具体的に社会保障費のどの分野に、どれだけの穴があき、それをいつまでに、どうやって埋めるのか。数字で示していただきたい!」
斉藤議員の言いたいことは、要するに安易なポピュリズム的大衆迎合に走ることなく、安定した国家運営を望むということなのだろうと理解はする。
片市総理は、斉藤氏の感情的な追及にも微動だにせず、静かに答弁台に立った。
「斉藤代表幹事。
数字はすでに試算しております。
仮にGDPが 5% 押し上がれば、そのうち 約10% が追加税収として自然増収になります。
今の税収規模で言えば、消費税を廃止してなお“お釣りが来る”額です。
そもそも私が消費税が問題だと考えるのは次の通りです。
第一に、大企業への過剰な還付。
第二に、逆進性。
第三に、消費税が消費を冷やす構造です。」
議場が静まり返る。
総理は淡々と続けた。
「一つ目ですが、消費税というものは政府への歳入増だけで済む話ではありません。
斉藤議員もご存じでしょうが、消費税は国内での消費に対してのみ課税されるという原則に基づいていますから、輸出企業に対しては仕入れ時に支払った消費税を国が還付する仕組みになっています。
政府が企業に支払うその額は年間7兆円超。
つまり…輸出比率の高い大企業にとって、消費税率が上がれば上がるほど“追い風”になる。
しかも…輸出企業が受け取った還付金を、仕入れ先や下請け企業に戻せば公平ですが、実態は大企業の丸儲けであって放置されています。
もちろん、国会でこの点を正面から語る政治家は、ほとんどいませんが。」
ざわつく野党席。
斉藤議員の眉がぴくりと動く。光明党の支持母体は、まさにその輸出が中心の大企業なのだから触れて欲しくは無いだろう。
総理は一拍置き、声を落として語った。
「物品税の廃止とともに導入された消費税は、一律課税です。
かつて最大税率30%だった贅沢品は、当初3%へと大幅に税負担が下がり、現在でも10%です。
その反面、庶民は所得の多少にかかわらず“増税感”だけを味わうことになった。
この低所得層ほど負担が大きいのが、消費税のもつ逆進性の本質であり、三番目に挙げだ消費を冷やす構造です。」
再び、沈黙。
総理は議場全体を見渡し、静かに言葉を置いた。
「贅沢品課税への回帰。すなわち物品税の再編は、税収が安定するまでの一定の移行期間が必要です。
その期間は、新たな国債を発行することになるでしょう。
しかし、これは福祉のための借金ではありません。
日本経済を有害なインフレから引きはがすための“未来投資”です。
この “消費税廃止ショック” が、長年染み付いたデフレマインドをも吹き飛ばす契機となる。
我々はその覚悟で臨んでいます。」
斉藤議員は脂でギラついたメガネを外し、ハンカチで顔の汗を拭っている。
反撃の機会をうかがっているようにも見えるが、総理は構わず主張を続けた。
「福祉の費用は、過去のデフレで萎んでしまった経済を成長させることによってしか、根本的に確保できない。
斉藤さん。あなたは”縮小するパイをどう分けるか“という議論に固執していますが、私の考えは”パイそのものをいかに大きくするか“なのです。
短期的な数字合わせは、成長への確信を鈍らせるものとお考えいただきたいのです。」
総理のこの答弁は、連立与党内からも野党からも、賛否両論の大きなどよめきと、非難のヤジを引き起こした。
中には「ケインズの次はアダム・スミスか!」、「いつの時代の話をしているんだ!」というようなヤジも含まれていた。
予想はしていたが、片市総理の主張は味方より敵を作りやすいだろう…
やはりこの国会は荒れそうだな。
だが、負けるわけにはいかない!
光明党との質疑応答は、結論が出ないままに終了したが、他の野党との議論も核心は財政規律と経済成長のどちらを優先するかという、国の根幹に関わる思想の対立へと発展し、いつ果てるともない論戦の日々が続いた。
そんな中、10月末に各メディアが行った世論調査の結果は、私の期待以上のものだった。
内閣支持率は低いメディアでも70%、高いものだと85%に達し、特に30歳以下の若年層に至っては90%を超える圧倒的な支持率を記録したのだ。




