大学生活⑤ 助っ人現る
1983年(昭和58年)6月13日
ついに、任天堂からファミリーコンピュータが発売された。
史実より一か月以上早く、発売が早まった理由として、上杉部長は「君たちのおかげだ」と言っていたが、小さな出来事であっても私は、この瞬間、確かに歴史へ手を伸ばしてしまったのだろう。
私たちは学業と両立させながら、新作ソフトの基本設計を進めていた。
だが、ファミコン本体が実際に店頭へ並んだという現実を目の当たりにし、開発への意欲はさらに掻き立てられたのだった。
8月上旬
開発作業はいよいよ佳境に入っていた。
会社を設立してすぐに作業に着手したため、気がつけばすでに4か月近くが経過している。
何としても、クリスマス商戦とお年玉商戦に間に合わせなければならない。
逆算すれば、12月初旬に店頭へ並べるには、遅くとも10月中旬までに任天堂へROMを納入する必要があった。
作業内容は、連日のバグ潰しへと移行していた。
とはいえ、私たちはプロではない。学生であるという事実も忘れてはならない。
夏休みに入るまでは、開発の大半を竹中に任せきりだった。
しかし、基本設計が完成し、工程がデバッグ段階へ進んだことで、私と寧音さんも作業に加わることになった。
もっとも、この分野に関しては、二人とも完全な素人だ。
竹中の手足として動いてはいたものの、正直なところ、役に立つどころか足を引っ張っている自覚すらあった。夏休みで時間だけはあったが、作業は過酷を極め、終わりの見えない日々が続く。
エラーコードの読み取りひとつ取っても、思うようにいかない。
まるで、出口のない迷路に放り込まれたような感覚だった。
ここで助っ人が現れた。
竹中が自分の大学から連れてきたのだが、驚いたことに女子だった。
そりゃ東工大にだって女子学生はいるだろう。
だが、よく竹中の誘いに乗ったなとも思ったのだが、彼女にすれば拘束時間を自分で決めることができるから、いいバイトなのだそうだ。
彼女の名前は阿戸 徳美。
竹中と同じく工学部に籍を置く同級生だ。
細身で目立たない体格をしており、集団の中では自然と背景に溶け込むタイプだ。
肩にかかる黒髪を後ろで束ね、細いフレームのメガネをかけており、その奥の落ち着いた視線が年齢以上の印象を与える。
彼女は工学と同じくらい音楽が好きで、作曲もできるらしい。素晴らしい逸材じゃないか!
また、奇跡のように竹中とのバランスが良いタイプだと感じた。理詰めでとことん理想を追い求める竹中重治に対して、阿戸徳美はどこか現実的で、割り切りが早い。
「そこ、仕様通りならバグじゃないよ。仕様が変なら直すべきなのは仕様のほう」
初日にそう言い切った時、私は内心で舌を巻いた。
私たちはまだ「動かない=バグ」、「気に入らない=修正」という素人思考から抜け切れていなかったからだ。
竹中は一瞬だけ言葉に詰まり、それから珍しく苦笑した。
「……確かに。じゃあ、ここは仕様を見直そう」
この二人のやり取りを見て、私は悟った。
これは単なる助っ人ではない。我ら三人を俯瞰して捉え、その上で適切に判断するプロの思考を持ち込んできた人間だ、と。
阿戸さんはキーボードを叩く速度こそ竹中ほどではないが、ログの読み方が異様に速い。
エラーコードを見ただけで「この分岐、前段で既におかしい」と当たりをつけ、実際にそこを修正すると問題が消える。
「デバッグって、根性論じゃないんだよ。
再現条件を潰して、仮説を立てて、外れたら次。淡々とね」
そう言ってコーヒーを一口飲む姿は、どう見ても学生アルバイトのそれではなかった。
寧音さんは最初こそ圧倒されていたが、持ち前の観察力で阿戸さんのやり方を素直に吸収していった。
「なるほど……だからチェックリストを細かく分けてるのね」
「うん。人間は忘れるから。忘れる前提で作業を組むの」
彼女たち二人は不思議とウマが合ったみたいだ。
そして竹中が理想の完成形を見つめ続ける役なら、阿戸さんは現実の地面を踏み固める役だ。
私は、その間を行ったり来たりしながら思っていた。
ああ、これだ。会社を作った意味は。
誰か一人の天才ではなく、それぞれ違う歯車が噛み合ったときに、想像以上のものが生まれる。
1983年の夏は、異常なほど暑かった。
だが、狭い事務所にこもりきりの私たちは、季節の移り変わりをほとんど意識していなかった。
ただ一つ確かなのは、この夏を越えれば、もう後戻りはできないということだけだった。
そして10月10日。
ようやく5000本分のROM書き込みが終了して、任天堂へ収める準備ができた。
段ボール箱が台車に積まれ、トラックへと運ばれていく背中を、私たちは無言で見送った。
「……終わった、のかな」
私がそう呟くと、竹中は首を横に振った。
「作るのは終わった。でも始まるのはこれからだろ」
その言葉に、誰も返事ができなかった。
阿戸さんはいつもの調子でコーヒーを飲みながら言った。
「まあ、バグはもう出ないでしょ。
出たら……その時は祈るしかないわね」
冗談めかした口調だったが、その裏にある緊張感は、全員が共有していた。
寧音さんは、段ボールが消えた床をじっと見つめていた。
「……私たちが作ったものが、知らない誰かの家に行くんだね」
その言葉で、ようやく実感が湧いた。
これは課題でも、研究でもない。
評価されるのは点数ではなく、売上と評判だ。
事務所は妙に静かになった。あれほど鳴り続けていたキーボードの音も、デバッグ用のメモも、今はない。急に時間ができたはずなのに、誰も落ち着かない。
「待つのが一番つらいな」
竹中がぽつりと言った。私は心の中で同意した。
未来を知っているはずの私でさえ、この結果だけはわからない。歴史は、ここから先をまだ書いていない。
11月末に任天堂から初期出荷完了の連絡が来たが、特別な言葉はない。事務的な報告だけだった。
あとは店頭に並び、市場の評価が高ければ追加生産できるだろう。そこは運を天に任せるしかない。
あっ、これって『任天堂』の社名の由来じゃなかったか?
12月初旬。
街にクリスマスソングが流れ始めた頃、私は大学帰りに、ひとりで玩具店へ立ち寄った。
ガラスケースの中。ファミリーコンピュータ本体の横に、数本のソフトが並んでいる。
その中に見覚えのあるパッケージがあった。
我が社の製品は、ちゃんと陳列されていた。
竹中が考案し、阿戸さんがバグ出しをして音楽を付け、寧音さんがデザインしたパッケージ。
その名も宇宙を舞台にした、シューティングゲーム《スター・ヴァンガード》だ。
思わず、息を止めた。
値札。棚の位置。POPの文字。
どれも他人事のようで、同時に、どうしようもなく自分たちのものだった。
そんな感慨にふけっている隣では、子どもが《スター・ヴァンガード》を指差し、親に買ってくれるようねだっている。
その光景を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
どの程度売れるかどうかは、まだ分からない。追加生産がかかるかも失敗作として消えるかも。
それでも。
1983年のこの冬。
私たちは確かに、作る側に足を踏み入れた。もう、学生の遊びではない。




