大学生活① 新会社設立①
1983年(昭和58年)4月4日。
今日からNHKの連続テレビ小説『おしん』が始まった。
実に懐かしい。子供の頃、「本当の母」が夢中で画面を追っていた姿を思い出す。この作品が後に国民的番組となり、さらには世界中で愛されるほどの影響力を持つとは、当時の幼い私には知る由もなかった。
我が家は母子家庭だった。女手一つで私を育て、苦労の絶えなかった亡き母・佳奈子。彼女は日々、過酷な運命に立ち向かうおしんの姿に、自分自身を重ね、勇気をもらっていたのではないだろうか。今、改めてそう思う。
午前。桜が散りはじめた世田谷通りを、私は現世の父と並んで歩いていた。
「藤一郎、印鑑は持ったか?」
「持ったよ。社長の実印もここに」
私は父・木下昌吉の革鞄を指さした。
今日、私たちは新会社を設立する。事業目的は、もちろん家庭用ゲームソフトの開発。
パソコンが流行り始めたばかりで、世間からは半信半疑で見られている分野だ。
父は47歳。
私はまだ18歳。
それでも、この日だけは共同創業者のような気分だった。
東大に合格したら社長の名義を貸す。これが私と父の約束だった。
私が本当に東大に合格するとは思っていなかった父は、気軽に引き受けたが、今の心境はどんなものだろう?私の合格を知った父は喜ぶと同時に「やられたな…」ともつぶやいていた。
だが、すぐに気を取り直し「男に二言はない!」と言ってくれた。
さすがだ。万が一にでも息子の事業が失敗したら、その負債は父が被らねばならないのだから、相当な覚悟が必要だったろうに。とてもありがたかった。
だが、会社を作るという行為。実は結構手間がかかる。
最初の問題は資金だ。この時代と令和とは法律面で大きな違いがある。
例えば株式会社に関する法律は、令和においては「会社法」によって規定されていたが、昭和の現在では「商法第2編」の中に、会社に関する規定が含まれている状態だ。
そして令和では、もう影も形もなかった「有限会社法」というものが存在しており、有限会社という特定の会社形態に特化した法律として運用されている。
こちらは21世紀になってすぐ、商法改定と共に廃止されて、株式会社と同じ会社法で規定されるようになり、新規での有限会社設立はできなくなった。
つまり、現時点では株式会社と有限会社では、所管する法律が違うというのが実情で、最低資本金の金額も違う。1円から会社を作れた令和と違って、多額の資金が必要になるのだ。
・株式会社設立のための最低資本金は1000万円。
・有限会社設立のための最低資本金は300万円。
私が、父の元手と任天堂からの資金を活用し、資産300万円を目指していた理由がこれだ。
有限会社を立ち上げて、竹中と寧音さんと共に3人でゲームソフトを開発する。
それがようやく実現するのだ。
3人で話し合って決めた会社名は「有限会社ピクセルジョイトロン(Pixel Joytron)」。
正確には私が提案して、2人が追認したという形だが。
ピクセル(pixel)とは、日本語では「画素」と訳されることが多いが、現在の日本ではそこまで一般に知られている言葉ではない。
だが、デジタルカメラなどが開発されれば、いずれ一般社会でも広く知られるようになるだろう。
そしてその頃には、私たちのこの社名も、同じように知られる存在になっているはずだ。
それを狙った。
ジョイは「楽しむ」。トロンはエレクトロンから取った造語だ。
世の中に、ダブった商標や社名は存在しないだろう。
たぶん。もしも令和で既に存在していたら、ごめんなさいとしか言いようがないが。
有限会社にした理由は資金面以外にもう一つあって、「取締役は1名以上で設立可能」という点だ。
役員任期は無制限で、取締役や監査役の任期に制限がない。令和のように任期満了に伴う登記更新手続きが不要なのも助かる点だ。
また、監査役を必ずしも設置する必要はなく、取締役1名のみでも可能だ。
まずは自宅を登記上の本店所在地とし、着実に業績を上げる。
ただし、社会的な信用度は当然ながら有限会社より株式会社のほうが上で、事業規模が大きくなってきたら株式会社に切り替えるべきだ。そちらのほうがメリットが大きい。
手続きの煩雑さを考えると、私を社長とした株式会社を新たに作ったほうが楽そうだが、それは私が成人する2年後以降の話だろう。
さあ、まずは公証人役場へ向かおう。
とは言いつつ、知識としては知っていても、公証人役場に行くのは私も初めてだから少し緊張する。
2人で公証人役場の自動ドアをくぐると、書類の匂いと、少し湿気を含んだ春の空気が混ざり合った。
受付の女性に目的を告げると「有限会社の定款認証ですね。順番にお呼びします」と言われた。
待合室のベンチに腰を下ろす父。
スーツは決して新しくないが、背筋はまっすぐだ。
「藤一郎、緊張するな?
だけど、経営は本当に大丈夫なんだな?」
「……ああ、ビジネスの目標は明確だから、そこは任せてよ」
そう返したが、胸の奥は期待と少しの不安でぐちゃぐちゃだった。
やがて番号が呼ばれ、公証人室へ通された。
70歳前後だろうか。白髪の公証人が、眼鏡越しに定款をゆっくりとめくっていく。いかにも公証人らしい、元裁判官か検事といった風格の人物で、第一印象からしていかめしい。
「事業目的……“家庭用電子遊戯装置のソフトウェア開発および販売”」
老人はつぶやき、そこで手を止めた。
沈黙が、やけに長い。
やがて顔を上げて父に確認した。
「遊戯装置、……ですか?」
「はい、その通りです」と父。
しかし公証人は眉をひそめ、指にツバをつけ、さらにページをめくりながら言った。
「……“電子”と書いてあるが……これは、何かの隠語ですか?」
「い、いえ、普通のソフトウェアを作ります」
「ソフト?ウェア?」
老人はペンを置き、こちらをまっすぐに見た。
「木下さん。正直に言ってください。
これはパチンコですか?」
「ち、違います!」
父の声が裏返った。
「ゲームのソフトです」
しかし公証人は、ますます怪しむ表情を浮かべる。
「柔らかいんですか?…どうして?」
「いえ、“ソフト”というのは、コンピュータゲームの中身を指します」
「家族でコンピュータ?」
公証人は小首をかしげた。
「……宇宙と交信しようとしているとか、そういう類の目的ではないですよね?」
「だから違いますって!」
父が机に手をつきそうになったので、私は慌てて袖を引いて制止した。
公証人はさらに定款を読み進める。
「“遊戯装置の周辺部品の企画・制作”……これは……賭博機の改造部品という意味では?」
「違います!!」
今の声が、この日一番大きかった。
老人はしばらく私たち二人を交互に見つめ、それからようやく「ああ」と納得したようにうなずいた。
「……あの、子供がピコピコするやつですね?」
「そう、それです!」
「いやぁ、最近の若者は何を始めるのか分からんもんだ。しかし、これから流行るかもしれませんねぇ。少なくともパチンコよりは健全か」
最後の一言に、父は反論しかけて、結局あきらめた。
朱肉の香りがほのかに漂う中、父が署名し、実印を押す。
ポン、と鈍い音がした瞬間、老人はぽつりと言った。
「ゲームか……。ま、いいでしょう。
ただし木下さん、もし将来とんでもない事件が起きたら、“あのときの公証人が認証したせいだ”なんて言わないでくださいよ?」
「言いませんよ!!」
父が即答する横で、私は必死に笑いをこらえていた。
ゲームがまだ社会的に認知されていない時代なのだから、無理もない。将来とんでもない事件が起きるとしても、それは違う意味においてだろうし、誰もが気軽に余暇を楽しむ手段を得るという意味では、確かに事件だろう。
やがて老人は書類を受領し、事務的に告げた。
「本当に社会的に健全なものなのかを判断するのが、私らの仕事ですからね。気を悪くせんでください。
はい、これで定款の認証は完了です。
有限会社ですから、社長さんの器量で会社の未来が決まりますよ」
その言葉に、父は小さくうなずいた。
実際に会社を動かすのは私で、父は名義を貸しているだけだが、ここでそんなことを口にするわけにはいかない。
すべてが実にアナログで、デジタルの入り込む隙のない時代。
それを人間味があっていいと思ってしまうのは、きっと私が前世でデジタルに疲れていたからなのだろう。
そして次に向かったのが銀行だ。昔から地元で広く愛されている信用金庫。
窓口のガラス越しに、若い女性行員に用件を伝えると、「会社の設立ですね?」と言うので父が答える。
「ええ。ゲームのソフトを作ろうと思いましてね」と。
「…ゲーム?」
ここでも行員の女性は少し目を瞬いた。
年齢は二十歳前後か。それでも違和感があるらしい。今の日本で、まだ“ゲーム開発会社”はほぼ存在しないから、これは当然の反応か?
やっぱり怪しい会社だと思ったのかもしれない。
そんな反応はもう慣れたとばかり、父は封筒から現金300万円を取り出した。
「払込証明書をお願いできますか」
女性は慎重に数え、奥の部屋へ持っていく。
父がぽつりと言った。
「よく考えたら、合格祝いに20万円使ったと思えばいいんだな…」
そうね。そういう考え方もあるだろう。父が出した元手の20万円は大きく成長して、さっき旅立っていったのだ。
やがて、白い封筒が戻ってきた。
「こちらが払込証明書です。ご成功をお祈りします!」
その言葉に胸が熱くなった。
午後、私たちは区内の法務局の出張所へ向かった。
窓口の男性職員が、分厚い書類を一枚ずつ確認していく。
「木下昌吉さんが代表取締役。
事業目的はゲームソフト開発、と。はい、特に問題ありません」
ここでは妙なツッコミを受けなかったから安心した。
書類が受理された瞬間、父が小さく息を吐いた。
「これで、うちは会社として世に出るんだな」
「うん。4月4日が“創業日”ってわけだ」
職員が言う。
「登記は一週間ほどで完了します。
完了しましたら郵送でお知らせしますので、しばらくお待ちください」
その言葉を聞いたとき、父と私は同時に顔を見合わせた。何でもないひと言なのに、人生の節目に聞こえた。
夕暮れの世田谷通りを歩きながら、私は感謝の言葉を伝えた。
「父さん、ありがとう。ここからが本当のスタートだ」
「藤一郎、お前、本当にやるんだな」
父は少し真面目な顔をしたあと、ゆっくり笑った。
「よし、やれるところまでやってみなさい」
風に乗って桜の花びらが舞い落ちる。
その中を、父と私はまっすぐ家へ向かって歩いた。
紙の書類と印鑑だけの小さな会社。
だが、その日たしかに 『有限会社ピクセルジョイトロン』は、生まれたのだった。
ここを足がかりにして、私は日本国内で確固たる地位を確立する。
そしてその後は…まだ寧音さんにすら言っていない野望に向かって突き進もう!
現在の保有企業。
『有限会社ピクセルジョイトロン』




