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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ。   作者: 織田雪村
第二章

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高校生活⑳ 卒業 そして未来へ

1982年(昭和57年)3月末。


任天堂東京支店での商談を終えた私たちは、自宅近くの喫茶店に集まっていた。

窓の外には夕刻の雑踏が広がり、春とはいえ冷たい風がガラスを揺らしている。だが、テーブルを囲む私たちの熱気は、その寒さを忘れさせていた。


「商談は成功と言える。だが、まずは大学に合格すること。それがすべての始まりだ」


私はコーヒーを一口飲み、自分に言い聞かせるように言った。竹中が深くうなずく。


「だな。高校受験と違って大学受験は冷徹だ。ここからはマジで気を抜けない」


「ふたりとも、いざ本番が近づくと急に真面目になるのね」


寧音さんが少しからかうように笑った。


だが、目標は決して軽くはない。 私は東京大学工学部電子工学科。竹中は東京工業大学。寧音さんは一橋大学商学部。 それぞれが日本の頂点の一角を狙う受験生だ。1983年度の入試は、共通1次試験から2次試験へと続く「2段階方式」の洗礼を突破しなければならない。


さて、ここからは事業とお金の話だ。私は2人に居住まいを正して切り出した。


「今回の任天堂から得られた資金だが、いったん俺に預けてくれ。大学に入ったら3人で会社を作りたい。その開業資金にしたいんだ。この1年間、俺の判断で運用してさらに増やしたい」


竹中は驚くどころか、面白そうに目を細めた。


「なるほど、開業資金か。いいよ、預けるよ。藤一郎なら変な使い方はしないだろうしな」


「私もいいよ。ただし……変な会社名にはしないでね?」


「……なんでそんな心配をするんだ?」


そんな軽いやりとりが続くが、内心では胸が熱くなっていた。2人の無条件の信頼。これがなければ、私の計画はただの妄想で終わる。


現在の資金は、父から預かった元手とこれまでの運用益、そして今回の契約金を合わせて約230万円。

1年後の設立時に300万円を超えていれば、当時の学生ベンチャーとしては十分な軍資金になる。


「会社を作る時は、俺の父さんに名前を貸してもらうしかない。未成年じゃ登記ができないからな」


「お父さんに協力してもらえるの? なんだか難しそうだけど……」


寧音さんの懸念はもっともだ。だが、私はすでに布石を打っていた。


「父さんは保守的だが、筋が通っていれば話を聞く人だ。それに、『東大に合格したら名義を貸す』という約束を取り付けてある」


私の頭の中には、すでに組織図ができ上がっていた。

父が名目上の代表。私が実務を執り行う実質的な代表。竹中が技術開発の要として東工大の高性能計算機を使いこなし、寧音さんが一橋で学ぶ会計知識を武器に経理・財務を担う。完璧な布陣だ。


「それでも父さんに対しての説得材料は必要だ。だからこそ、任天堂との契約が最初の目標だ」


そう。それが最初のハードルだ。

任天堂がファミコンを発売するのを来年の7月と見込んで、我が社は設立と同時に任天堂と本格交渉に入り、先日提案した「サードパーティライセンス制度」や「拡張チップ」のアイデアに対し、コンサルティングフィーや初期の契約金として収入が発生すれば理想だ。


そのためにも、まずは受験戦争を勝ち抜く!


ただし、問題点は多い。模試の判定。成績。過去の積み重ね。

どれを見ても竹中が頭一つ抜けていて、寧音さんがそれに続く。

2人は志望大学に合格できるのではないだろうか。


だが、私はギリギリ東大合格圏に入らないことが多かった。高校1年の終わりからの参戦だから仕方ない面もあるが、普通なら焦りまくるはずだ。


そんな状況だったから、私が東京大学を目指すのは無謀だと、周囲からも思われていたのは事実だ。

父などは「犬吠埼の灯台にお参りに行くか?」と、冗談なのか本気なのかわからない態度だし、母も「予備校でお安く済むところはどこかしらねえ?」と、既に私が浪人生となる前提で考えているほどだ。


最近ではもう「新しい長男」にもすっかり慣れて、過去のしがらみは忘れ去ったように見える。

それでも、できれば負担はかけたくないし、現役合格を目指したい。


以前に合格しているとはいっても、前世での実績は関係ない。

確かに私は団塊ジュニア世代で、ライバルも多かったから競争も激しかったのは事実だが、あの時は母に迷惑をかけまいと、必死に頑張った成果だったように思う。


極めてハングリーな精神状態だったのだ。


だからそれはそれ。あくまでも来年、1983年の受験戦争に勝たねばならない冷徹な現実。

だが、私は奇妙な自信を抱いていた。

なぜか?


それは来年の東大2次試験問題を、ある程度知っていたからだ。


東大の入学試験というものは、少し変わった切り口の設問が多いのは傾向としてあるだろう。

だが、来年の入試問題は特別に変わった内容で、当時かなり話題になった。


私が東大法学部を受験したのは1991年だったが、当然、1983年の設問は過去問として取り組んだ。中でも日本史の問題は印象に残っている。それは一字一句正確ではないが、だいたい次のような内容だった。


第1問。

「次の文章は本学の過去の入試問題である。当時の受験生の答案例を示すが、多くがこれと似通った内容を提出し、低い評点しか得られなかった。その理由を考えたうえで、新たに5行以内で解答を記せ」というものだ。


つまり、以前の答案をわざわざ批評したうえで、同じ問題を再出題するという前代未聞の設問で、試験会場でこれを見た受験生は驚いたはずだ。


その問題文とは、「10〜12世紀の摂政・関白をめぐる逸話を踏まえ、文章を読み込み150字以内で答えよ」という趣旨だった。大学側は、藤原氏の摂関政治から天皇家による院政への移行という、権力構造の変化をどのように理解しているかを問いたかったらしい。

しかし多くの受験生は制度の説明に終始し、権力維持の背景にある「関係性」への理解が乏しいと判断された。


再出題に踏み切ったのは、単なる暗記ではなく歴史を俯瞰する力を求めたからだ。


まず最初の事実として、藤原道長は摂政でも関白でもなかったが、それでも最高権力者たりえた。


キーポイントは「縁戚関係」だ。「一家三立后」に象徴されるように、娘を后に立て天皇家との結びつきを極限まで強めたからこそ、あの有名な「この世をば我が世とぞ思う望月の…」という傲慢極まる歌も詠めた。


それに比して道長の息子、頼通は関白であったにもかかわらず、その権力を長続きさせられなかったのは娘が皇子を産めなかったからだ。


よって、なぜ権力が移動したのかを答えないと低得点に終わる。

私の勝手な認識では、藤原氏の特徴はその名の通り「藤」だ。木や柱に絡みつく植物のように天皇家に取りつく一族、そう考えると理解が早いのではないか。これは後世、藤原から近衛などの諸家に苗字が別れていっても構造は同じだ。


『中臣』から『藤原』への改姓も、もしかすると定説となっている“大和国高市郡藤原(現在の奈良県橿原市から高市郡明日香村のあたり)という地名から命名した”というより、そうした天皇家側の意図があったのではとも思う(もちろん定説ではないが)。


この考えを補強するのが、朝廷が従来の『源・平・藤原・橘』という(うじ)に続き、『豊臣』という新たな氏(苗字ではない)を創設して秀吉に与えた事実だ。

秀吉は関白任官に際して、近衛前久の猶子となる奇策を用いて藤原姓を得ていたが、それでは飽き足らず新たな姓を求めたところ、『豊臣』という氏が特に与えられた。

『豊』という華やかさの一方で、『臣』という字は『帝でも王でも皇でもない。どんなに強大な武力や財力を持っていても増長するな。お前はあくまで臣なのだ』という朝廷側の牽制にも読める。


ともかく、以上が第1問であるのだが、第2問はさらに特徴的で、「なぜ平安末〜鎌倉期にのみ優れた宗教家が輩出したのか。他の時代ではなく、この時代に何が起こったのか説明せよ」というものだった。

天皇家がなぜ滅びなかったのかという文言もあったが、主題はこちらだ。法然や親鸞らの名前を並べても意味はないし、曹洞宗や臨済宗の違いを書いても得点に結びつかない。

問われているのは知識ではなく「時代構造の把握」だった。


私が前世で感じた出題意図は一つだ。

「政治・社会構造の急激な変容が、人々の精神的依拠を揺さぶり、新しい宗教的価値観への需要を生んだ」


平安末期の院政の複雑さ、武士の台頭、治安の悪化、度重なる災害。

貴族中心の秩序が崩れ、民衆の不安は極限まで高まっていた。だからこそ旧来の価値観では救われない人々が新たな救済を求め、宗教家が輩出したという認識だ。

宗教家の側に突然才能ある者が集まったのではない。社会が彼らを必要としたのだ。この視点がなければ、どれだけ宗教家の名前を並べても高得点は取れない。


そして私は、これら出題者の思惑を過去問として理解している側だった。1983年に受験する者としては、あまりにも不公平なほどのアドバンテージだ。

しかもこれは日本史だけではない。


・英語は長文読解・和訳・英作文が中心。


・国語の抽象的論説。


・数学の記述意図が難解。思考型重視。


これらが相まって『1983年の東大入試は別格』扱いで、私は集中的に過去問に取り組んだのだ。要するにそれまでの暗記中心の試験から、思考を問う内容へと劇的に変化した年でもあった。


これを知っているだけでも相当だ。なんという偶然。なんという運命。そういった事情だったから、今でも試験問題の何割かは記憶に残っているのだ。


私はこのとき確信した。「運だけは、どうやら私を見放してはいない」と。

だからこそ、この一年。死ぬ気でやる価値がある。

そう思えたのだった。


それからの日々は、ひたすら勉強だった。


「竹中、この数学の問題、どう解いた?」


「ああ、これは……微分を使って……」


放課後、竹中と問題集を解き合う。彼の解法は鮮やかで、いつも驚かされた。


「藤一郎君、この英作文、添削してくれる?」


休日には寧音さんと図書館で過去問を並べて議論した。

デートも兼ねてだが、お互いに恋愛モードはいったん封印した。


「この問題、難しいね……」


「うん。でも、3人でやれば何とかなる」


事実、3人で勉強していると、不思議と集中できた。

誰かに負けたくないという気持ちもあったし、何より「自分たちで会社を作る」という壮大な目標が、背中を押してくれた。


来年の春、3人で笑って桜を見るために。

その一心で、私は机に向かい続けた。



1983年3月10日。


東京大学本郷キャンパス。

合格発表の掲示板の前には、すでに大勢の受験生が詰めかけていた。


私は人混みをかき分け、掲示板に近づく。

心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


(あった——)


受験番号を見つけた瞬間、膝の力が抜けそうになった。


「やった……やったぞ!」


周囲の歓声と悲鳴が混ざり合う中、私は一人、静かに笑っていた。


前世では母のために合格した。


今世では、両親と自分のために。そして、寧音さんと竹中のために合格した。


2度目の東大合格。

だが、この感動は前世とはまったく違っていた。



その日の夕方、3人でいつもの喫茶店に集まった。


「合格おめでとう!」


寧音さんが笑顔で言った。彼女も一橋大学に合格していた。


「お前らもな。これで、ようやくスタートラインに立てたな」


竹中も東京工業大学に合格していた。

3人とも、それぞれの難関を突破した。


「じゃあ、乾杯しよう。私たちの未来に」


3人のコーヒーカップが、静かに触れ合った。

この日ほど、人生の方向が確かに動いたと感じた瞬間はなかった。

私たちは次のステージへと歩みを進め、新章の幕が開くのだ。


家に帰ると、父と母がリビングで待っていた。

2人とも緊張しているのがよく分かった。


「ただいま。東大、合格したよ」


一瞬の沈黙の後、母が声を上げた。


「本当に!? 本当なの!?」


「ああ、本当だよ」


母は涙を流しながら、私を抱きしめた。

父は黙ってうなずき、それから少し照れたように言った。


「……犬吠埼、行かなくて済んだな」


「ああ、行かなくて済んだ」


父の目も、少し赤かった。


前世では、母を喜ばせるための合格だった。

今世では、父と母、2人を喜ばせることができた。


「父さん、俺との約束、覚えてる?」


「……会社の名義、だろう?」


父は深くため息をつき、「やられたな…」とつぶやいた後で笑った。


「まあ、約束は約束だ。男に二言はない」


その言葉を聞いた瞬間、私の胸は熱くなった。


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