高校生活⑨ 予言の的中
1981年(昭和56年)3月20日
私は無事に2年生へ進級できることが決まった。
3学期のテストの成績が極めて良かったからで、200人いる同級生の学年順位で言えば、2学期までの199位から3学期だけなら9位へと劇的に上昇した。
今回の最下位グループは例の不良3人組で、198位から200位までを仲良く独占している。
私も事故を起こさなければ、あの中に入っていたのは確実だっただろう。
危なかった。
ちなみに寧音さんは10位で、「次は負けないわよ」と笑いながら言われたのだった。
この学校では2年から文系と理系にコースが分かれる仕組みだ。私の進路だが、前の本人が適当に理系を選択していた。なんのつもりだったのかは知らないが、大丈夫なのか?と感じた。
当然だが経営学部や商学部志望の寧音さんは文系コースだから、確実にクラスは分かれるだろう。
ここは仕方のない話だ。
まあ私にとって、理系コースに進むのはとても都合がいい。前世では法学部だったが、この人生では理学部か工学部に進もうと思う。
クリスマスイブの夜、父に対して「東大法学部を目指す」と言ったが、よく考えたら法学部に2回入るメリットや魅力を感じなくなっているのは間違いない。
それはもう、この世界では、官僚や政治家を目指そうとは思わなくなっているからだ。
理想の追求よりも金儲けがしたい!
そう思うようになってきた。
そうであれば、理系の学部のほうが、これからやろうとする事業において何かと都合がいいだろうし、経営的な目線だけでなく、技術者の視点で開発にも携われたら最高だと判断した。
それから弟の小二郎は、無事に有名私立高校に合格し、来月から高校生となることが決まった。
本人は「兄さんが頑張っているのを見てやる気が出たんだよね。だから合格できたのは兄さんのお陰だと思う」と言っていた。
もしかしたら本人の進路は私の存在で変わったという話だろうか?
おかげで我が家は二重の喜びに包まれていて、母は進級すら危うい状態から復活した私を褒めちぎった。
まあ幾つになっても、褒められるのは嬉しいものだと改めて思った。
そして3月31日。
アメリカ合衆国・東部標準時3月30日午後。
於:ワシントンD.C.
レーガン大統領暗殺未遂事件が発生した。
大統領は銃撃されて負傷し、その他にホワイトハウス報道官やシークレットサービス特別捜査官、首都警察巡査といった複数名の負傷者を出した大きな事件だ。
ケネディ大統領暗殺事件、フォード大統領暗殺未遂事件に続き、現職アメリカ大統領が襲撃されたという衝撃的なニュースでもある。
一方で、犯行の動機が政治的なものではなかったのも特徴で、世界的に著名なハリウッド女優で、当時19歳だったジョディ・フォスターへの一方的で偏執的な思い入れが原因だった。
分かりやすく表現すると「ファンによるストーカー行為が原因」という、被害者のレーガンには全く関係のない、世界中の人々が呆れるような意味不明で下世話な動機だった。
レーガン大統領にすれば「何でワシなの!?」と叫びたくなるはずだ。犯行に至った詳しい動機と、レーガンを狙った理由。それは襲った御本人に聞いて欲しい。書いている私も全く理解出来ないのだから。
ともかく、事件のニュースを知った寧音さんが、血相を変えて我が家にやって来たのは昼過ぎだった。
母への挨拶もそこそこに2階へ上がり、私の部屋に入ってくるなり彼女は興奮気味に言った。
「当たったわね!夢予言。
今まで半信半疑だったけれど、これで完全に藤一郎君を信じるわ。
いいえ。信じるしかないわ!」
大変興奮しておられるが、まあ信じてくれるのは嬉しいことではある。
「それで、大統領はどうなっちゃうの?
ケネディ大統領みたいになってしまうの?」
ああそうだ。現段階では容体までは公表されていなかったな。
だからアメリカの政治空白を敏感に察知したソ連の原潜が、大西洋沖に集結したなんて話は、私も後日談として知っているが、現時点では知られていない話だ。
「胸を撃たれたんだけど、幸い軽傷で済むはずだから10日ほどで大統領職へ復帰すると思うよ」
「そうなのね?じゃあこの事件の影響はあまり出ないのよね?」
普通の高校生が、しかも日本人が予想するのはその程度だろう。
事件が起こる前のレーガンは、二枚目ハリウッドスターとしてのイメージが強く、政治的力量については懐疑的な見方が多かった。また、俳優時代やカリフォルニア州知事時代の言動を元に、多くのリベラル層や知識層などから「ポピュリストかつ右翼的」、「最悪のタカ派」として否定的に思われていた。
しかし、銃撃され負傷しても決して余裕を失わない精神的な強靭さや、機知に富んだ発言といった人格が評価され支持率が大きく上がった。彼が提唱した「強いアメリカ」と合致したとも言えるだろう。
その後の一連の政策を行えたのは、この事件なくしては無理だったとする見方もあるほどだ。
いや、レーガン大統領のイメージは「強い指導者」というものであるとしたら、それはまさにこの事件によって植え付けられたものだろう。
だがこんな話を女子高生の寧音さんに聞かせても意味はないし、余計なことを言えば夢予言から逸脱してしまう。それは大変よろしくないし、いらぬ疑念を与えてしまう。
だから私は曖昧で、抽象的な表現を用いてお茶を濁すことにした。
「まあそうだねえ。
この事件の影響が出るか出ないかまでは、ちょっと分からないかな。だけど、政治家だけの話ではなく、人間にとってピンチはチャンスの元だと言えるんじゃないかな?
つまり、危機に瀕した際に示した行動で価値が決まるんだ。
逆に言えば、順調な時ほど危機が迫っていることも多いだろうから、そこは注意しないとね。
これで何とか上手くいく。そう思った時にこそ足をすくわれるものだろうね。
それは国も個人も同じで、つまりそれが歴史の教訓だと思うよ?」
そう告げると彼女は感心したように言った。
「藤一郎君って、たまに凄く大人びたことを言う時があるわね。まるでお坊さんか政治家みたい。記憶を失くす前からそんな考えだったのかもね?」
あ、これは結構やばいやつだ。
具体的じゃなければ問題ないと考えたが、つい調子に乗ってしまったみたいだ。
でも政治家はともかく、お坊さんってなんだ?
お説教臭かったのだろうか?宗教の教えを人々に説き聞かせて導き諭す事を「説教」っていうから、それでか?
「ど、どうだろうね?
でも病院で新聞をたくさん読んだからね!その影響かな?」
彼女はそこで追及をやめてくれたから助かったが、本当に気をつけよう!
ただ、前世で私が殺されたのは、まさに油断したからで、先ほど自分で言ったことは、実は私自身に当てはまるだろう。
マジで本当に気を付けよう。
だけど、このレーガン暗殺未遂事件は、日米関係にも大きな影響を与えた。
それは、来年の終わり頃に誕生する中曽根内閣との関係性で、この内閣は5年続いたから、まさにレーガン政権と軌を一にしている。
個人的に強固な関係性を築いた点も有名で、「ロン・ヤス」とお互いを呼び合った。
当時の日米は、半導体や自動車の貿易摩擦が深刻化し始めていた。そんな状況でも、レーガンとの個人的な信頼関係を作れた中曽根は、ある意味で歴代で最も“アメリカを使いこなせた首相”だったと私は思っている。
また、ついでに触れるが、強固な共和党政権と日本の内閣。一見すると無関係に見えても実際はそうではない。アメリカの強力な後ろ盾があってこそ、日本の外交は輝くと言っても差し支えない。
それはブッシュ・小泉政権、トランプ・安倍政権でも証明された。
小泉政権下で北朝鮮の拉致被害者を、一部でも連れ戻すことに成功した理由は、ブッシュ政権がしっかりしていたからだと私は考えていて、拉致問題をブッシュ政権が主導する国際的な対北朝鮮圧力の枠組みに組み込むことで、北朝鮮を揺さぶり、対日関係を改善しなくてはいけないと相手が判断したからだ。
日本人としては無念な面も確かにあるが、事実だからしょうがないのだ。
本当に説教臭くなるからやめておこう。
ここで寧音さんが話題を変えた。
「アメリカの話が出たついでに、私が思っている疑問を聞いてもいい?新聞をよく読む藤一郎君なら知っていそうだから」
話題が変わるなら大歓迎だ。
「もちろんいいよ。何が聞きたいの?」
「ドルと円の関係よ。
ニュースでも毎日話題になっているし、基本的な円高・円安の考え方は知っているけど……え〜っと…笑わない?」
「笑わないと約束するよ。なに?」
「なぜドルと円の為替は3桁の数字なの?」
おおっと……
これは長くなりそうだな。




