高校生活⑥ クリスマスイブ 後編
父は株取引に同意した次に、思い出したように小二郎に言った。
「ところで小二郎。クリスマスプレゼントだが、ゲーム機で良かったんだよな?」
小二郎は待ってましたとばかりに返事をした。
「そう、任天堂のゲーム&ウオッチが欲しかったんだ。
僕の周りでは持っている人がけっこう多くなってきたからね」
おいおい、受験勉強と両立可能か?
まぁこの子なら大丈夫かな?
それにしてもゲーム&ウオッチか。懐かしいな。確かゲームをしていない時には時計機能も兼ねるという、そんな製品だったはずだ。
もっとも、一つの本体を使い、ソフトを入れ替えて遊ぶ、などという機能はまだない。
海外では複数のライバルメーカーが発売済みで、各社が頑張っている状況だが、日本ではまだ普及していない。
この状況は任天堂が1983年に発売した「ファミコン」の登場で一変する。先発メーカーはファミコンの品質と性能には太刀打ちできず、最終的には淘汰されたのだ。
任天堂の勝因の一つは、ゲームソフトの開発会社に厳格な品質基準を課して顧客満足度を上げたからで、品質問題で売り上げを落としたライバルを尻目に、世界市場を席捲する結果となる。
そんなことを任天堂の役員から聞いた記憶がある。
任天堂だけではない。政治家時代は様々な企業や研究所の責任者と交流を持っていた。
熱い技術論もよく聞いた。全体的な印象としては、付加価値さえあれば顧客に受け入れられるし世界で戦えると、彼らが本気で信じていたことだろう。
それだけでなんとかなる場合もあっただろう。だが。
まあ、今となっては懐かしい話だ。
それにしてもゲーム機か。
ゲーム機?…
その言葉が、頭の中で繰り返される。
ゲーム機!そうだ!!
株で資金を確保したらゲーム機開発をしよう!
”ファミコン”を先に発売して流れに乗るんだ!
うん。目標が一つ増えたな!
莫大な資金が必要になるが、何とかなりそう?かな。
いや、ちょっと冷静になろう。ファミコンが発売されるまで2年半くらいしかない。
その短期間じゃ、株取り引きだけでファミコン本体を製造する必要資金を集めるには相当無理がある。
父に引き続き株取引をしてもらうためにも無理は出来ない。
だが、ソフトの開発会社なら低資金で出来そうだから、ゲーム本体の開発と販売よりも可能性はありそうだな。営業にも注力しなくて良いだろう。
ハードに追随することに徹すれば良いのだ。
そもそも、どんな内容のゲームソフトが売れるか知っているわけだし。
自分で会社を興してもいいし、黎明期のソフト会社に出資するのもアリだろう。
株が公開されたら買ってもいいな。
それで資金が貯まったら土地転がしで儲けよう。
濡れ手で粟だ!
なんか楽しくなってきたぞ!
どうやら一人でニヤついていたらしく、そんな私を見る家族の視線が痛い。
高台寺さんは興味深そうに見ているが、後でまた「どんな予知夢を見たの?」と聞かれそうだな。
ささやかなパーティーが終わった後、私は高台寺さんを自宅まで送っていくことにした。
2人で夜道を歩くが、雪は降っていないものの、今夜は冷える。
自然とお互いの身体が近付いてしまうが、ここは自重だ。
彼女は白い息を吐きながら言った。
「藤一郎君のご家族はみんないい人たちね。
お陰で今夜はとても楽しかったわ」
「いやあ。そうかな?
だけどウチの母親は高台寺さんを気に入っているみたいだね。それに父も一発で気に入ったみたいだし」
彼女はとても嬉しそうだ。
今の両親は、現在の私との関係にはまだ慣れていないと思う。医者に言われた“親子関係は一旦リセット”というのは結構重いのかもしれない。
私との距離感を測りかねているのだろうが、事故を起こしていなければ、株の話なんて最初から却下だろう。父としては“俺も気持ちを入れ替えよう”と考えているはずで、私の提案を受け入れてくれたのは、そんな心理があったはずだ。
だが、彼女にはそんな我が家の事情は理解できないだろうから無邪気に言った。
「それはとても光栄だわ。
…それにしても、さっきは何か楽しい事を考えてた?もしかして新しい夢を見た?」
やっぱり言われてしまったか。
「あ、ああ…まあそうだね。
株取引以外では、これからしばらくは土地も上がり続けそうな感じがするね。いつまで継続するか不明だけど」
彼女はハッと気付いたみたいに言った。
「もしかして、お父さんを使って手広く株取引をするつもり?その後はその資金を使って土地を売り買いして、さらに儲けるの?最後は世界征服?」
なんか妙に鋭い。女性の勘は侮れないな。
やっぱり結論がズレるから、ちょっとそこも可愛い。
まあここは曖昧にしておこう。
「それもそうなんだけどね」
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、彼女は畳み掛けるように言った。
「お父さんもサラリーマンを辞めて、株や土地の取引に専念してもいいんじゃないの?」
いや!それはダメだ。
お祭りは、バブルが弾けるまでの10年に満たない期間なのだ。そんなものに浮かれてはいけない。逃げ切ることが肝要なのだ。
私は話を違う方向に持って行った。
「まあそうね。
だけど、これからの時代は、電子機器の時代だと言い切ってもいいだろうと思うんだ。
様々な技術が進歩して、俺たちの生活は一変するだろう。これまで予知した夢をつなぎ合わせると、どうやらそうなりそうなんだ」
彼女は意識を切り替えてくれたみたいな表情をした。
「例えば、今は存在しないもので、将来普及するものは何かしら?」
「持ち運び可能な電話とかね。いつでも、どこにいても相手と話せるし、待ち合わせも全く問題なくできるようになる」
彼女はピンと来てなさそうだ。
「大阪万博で紹介されていたテレビ電話みたいなもの?何だか本当の夢みたいね?
それに、待ち合わせ?私はあんまり不便は感じたことないわ。みんな約束は守るし」
いや電話だけじゃなくて、写真も撮れるしメールも送れる。それから…いや、やめておこう。また墓穴を掘りそうだ。
そもそも、最初に携帯電話を使っている人を見た時の私の感想は、「あんなリュックサックみたいな重そうな物を担いで何がしたいんだ?」だったし、当時の所有者もちょっと変わり者というか、やたら羽振りの良い、エラそうな人が持っている印象が強くて、見せびらかすように喋りながら歩いているのを見た記憶がある。
だから彼女の反応もそれほどズレてないだろう。
私は同意の言葉を漏らした。
「…そうだね。そうかもね」
街灯はあるが街全体が薄暗い。私たちが歩いている横を頻繁にクルマが通り過ぎていくが、こちらもヘッドライトが淡く妙に暗く感じる。
あっ、これも将来のビジネスに繋げることが出来るぞ!
私は何気ない雰囲気を心掛けつつ言った。
「そういえばクルマのヘッドライトは、もっと明るくなる時代が来そうだ。家の電灯や街灯も、将来はもっと明るく、白いものになりそうだね。そんな夢を見た」
「白くなるの?今は白じゃないの?」
「そう。白とは言えない。今は電球や蛍光灯なんかの時代だけど、未来は違う物に置き換わりそうだ。
“発光ダイオード”って電子部品があるんだけどね。今はまだ緑と赤が主流で、青色の発光ダイオードは世の中に無いんだ。
その三つが揃うと、光の三原色、RGBによって白色を作り出せるようになるらしい」
これ以上の正確な仕組みは、さすがに彼女に話すような内容じゃない。
文系志向の彼女は理解が追いついていないみたいだし。
「…よく分からないけど、それで何が良くなるの?もっと明るくなるの?」
「それもあるけど、電球の寿命が長くなるし、電気代も安くなる。あと、東京だと気にならないかもだけど、地方だと夜は虫が集まるけど、虫には見えない光も作れるっぽい」
「そんなことが出来るようになるの!?
夢みたいな話ね」
そうね。それに、これが完成したらノーベル賞がもらえる。
特許申請したらさらにウハウハだ。
作り方は…なんとなく覚えてるぞ。窒化ガリウムが材料だ。
だが、窒化ガリウム結晶の高品質成長技術は非常に難しく、サファイア基板の上での結晶成長が最大の壁で、1980年代に素人が入り込める領域ではない。
だが、何故ここまで詳しく知っているかといえば、政治家時代にLED電球の普及促進事業の補助金担当をしていた関係で、メーカーの技術者や研究開発者と頻繁に話をしていた時期があったからだ。
そういえばこの先10年以内には青色LEDは理論が確立されるだろうから、早めに研究して特許申請を出してしまいたい。
ここで高台寺さんが予想外のことを言った。
「でも藤一郎君はやっぱり理系の思考ね?
説明が論理的だなって、最近思うようになってきた」
そうか。そうなのか?
う~ん。
確かに電子機器を扱うなら、そのための勉強をしなくてはいけない。
半導体開発とかにも有利だ。
そんなことを考えていたら彼女が言った。
「でも藤一郎君の夢って、自分自身は出てこないの?夢って普通は自分が中心になって見るものでしょう?自分の将来は見えないの?」
やっぱりなかなか鋭い。
ここは否定しておかねば後々引きずりそうだ。
「それが不思議なことにそうじゃないんだ。
上手く言えないけど、街とか風景がメインなんだよ」
何とか誤魔化せただろうか?
「ふ~ん。エドガー・ケイシーが医学知識はないはずなのに、的確な医学的指示をするみたいなものかしらね?」
これはやばい領域だ。これからは、できるだけ夢の話は少なくしよう。
そんなことを考えつつ、高台寺さんを無事に家まで送り届け、先方のご両親にも挨拶をして帰った。
少しだけ政治家時代を思い出して挨拶したから、先方は驚いたみたいだが。
翌1981年1月。
正月明けに早速、証券会社へ父と赴き口座開設を行なった。
店の自動ドアをくぐると、外の冬気とは違う、妙に乾いた暖房の空気が押し寄せてきた。
受付のカウンターの奥では、黒電話が短く、鋭く鳴っている。呼び出し音の余韻が壁と天井に反響して、どこか神経を逆撫でする。
壁際には、重そうな木製の長机が並び、その上に書類の束と、数字のびっしり書かれたボードが置かれている。机は使い込まれて角が丸くなり、光沢が脂じみていた。
窓口の向こうで応対していた店員の男が、ちらりとこちらを見る。
目つきが妙に鋭い。客を値踏みするような、それでいて職業的な無表情を保つ、あの独特の視線だ。
当時の証券マン特有の、肩で風を切るようなプライドと身体にまとう緊張感。客も店員も、数字の上下に人生が乗っていることを知っている顔だ。
店内は静かだが、完全な静寂ではない。
遠くの席で、誰かがボールペンを走らせる音。
紙テープに株価を印字する“ティッカー”の短いリズム。
黒電話のベル。
一番奥には、くわえタバコで鼻から煙を吐き出しながら算盤を弾く営業マンがいた。
それらが全部合わさり、“相場の音”になっている。
父は、その雰囲気にすっかり飲まれたみたいだったが、気を取り直して目の前の手数料表を見て今度は眉をひそめた。
一般人が料亭で値段を知ったときのような、素直な驚きの表情だった。
売買手数料が予想より結構お高めで、父は驚いたという事らしい。
まだ自由化されてないからそこは仕方ない。
したがって、頻繁に売り買いすれば、それだけ経費が飛んでいくというわけだ。
故に見極めが重要で、素人が参入しにくい障壁でもあるだろう。
私は、そんな父の反応を横目に、静かに胸の内でつぶやく。
“ここから。さあ始まりだ”




