高校生活⑤ クリスマスイブ 前編
今日は1980年12月24日(水)だ。
クリスマスイブなのだが、なぜか今夜、我が家のリビングには高台寺さんがいて、私の隣に座っている。
母が招待したのだ。
どうやら、私が勉強に打ち込むようになったのは高台寺さんのおかげだと感謝しているらしく、ささやかな宴でおもてなしをしたいらしい。
まあそれは半分以上、正確な事実だったし、父も小二郎も歓迎している。
もちろん、高台寺さんのご両親に許可は得ているから問題はないらしい。
私としても当然異論はない。
いや、あるはずもない。
毎日顔を合わせていると、不思議なもので、どんどん高台寺さんが魅力的に見えてきているのが分かる。
いや、最初から可愛い子だとは思ったが、その時はまだ、50過ぎのオッサンが女子高生を可愛いなどと思うのは犯罪だと感じていたから、気持ちを封印していただけだ。
でも誰も私を見てオッサンとは思わないのだから、早く切り替えなければいけない。
彼女のほうも、秘密の共有をした辺りから急速に私へ心を許すようになってきているみたいで、何というか青春ドラマのような感じになってきている。
今のところ恋人の関係ではないし、以前の関係も謎のままだけれど。
ああそうだ。両親の紹介をしていなかったので改めてしておこう。
父の名は木下 昌吉。
今年45歳となるらしい。都内の中小企業に勤める平凡な会社員で、職種は営業だと言っていた。
私の年齢では理解出来ないと思ったのか、それ以上詳しくは言わなかったし、私も余計な事は聞かないようにしていたから業務内容までは分からない。
そして母は木下 仲子。
父と同い年で、いつも家にいるから専業主婦だ。
専業主婦って令和では死語だと思ったが、この時代では普通だ。
パートで働くことはあっても、正社員でバリバリ働いている女性はまだ少数派の時代だろう。
この時代の女性労働力率は、結婚・出産期にガクッと落ちる“M字カーブ”真っ只中で、「結婚したら家庭に入る」のが社会常識だったはずだ。
そういえば…私が家族の団らんに参加するのは何年ぶりだろうか?
たぶん10年以上ぶりじゃないか?前世では常に政争と政局の渦中におかれ、地方出身だった私は遠方であることを理由に、母を訪ねることすら稀になってしまっていた。
苦労をして育ててくれた恩すら返せないまま終わってしまったから、そこは大いに反省をしなくてはいけない。せめてこの世界の両親には親孝行をしたいものだ。
とにかく、たまにはそんな気分に浸るのも悪くないと思いつつ、家族と高台寺さんを交えて、とりあえずはお茶を飲みながら、ゆったり話をしているが父が口を開いた。
「二人は最近一緒に勉強しているそうだが、将来の目標みたいなものは何かあるのかい?」
それに対して、まず高台寺さんが言った。
「私は税理士とか公認会計士の資格が欲しいと思っています。ですから、大学は商学部か経営学部を志望しています」
そういえば、そんな話を勉強の合間にしていた。
漠然と勉強するのは嫌なのだそうで、目標に向かっていきたいと言っていた。
父はそれを聞いて感心したというような顔になった。
そして台所でご馳走を作っている母親を振り返り、見つめ合った。
お互い言葉にこそ出さないが、「しっかりした娘さんだ」と感じたのは間違いないだろう。
ましてや…不良との付き合いをやめて、彼女みたいなまともな友人と交流するのは、親なら誰でも嬉しいだろう。
次に父が私を見たので、当たり前のように言った。
「俺は東大法学部を目指している」
その瞬間、父は呑んでいた茶を口から吹き出すという、コント番組でよく見るような、お約束の芸を派手に披露し、母は手に持っていた皿を床に落としてしまった。
吹き出したお茶でテーブルがびしょ濡れになってしまい、落とした皿は粉々になったが、二人ともかなり慌てていて、どこから何を言っていいか分からないような顔をしていた。
テーブルを拭きながら父が慌てて言った。
「と、東大だって?念のために聞くが、岬の先にあるやつのことじゃないよな?」
それは灯台です。お父様。
「違うよ。東京大学法学部を目指そうと思う」
一回卒業してるしね。とはここで言えないが。
両親は顔を見合わせ、ため息をつきつつ言った。
「ま、まあ夢と希望を高く持つのは悪いことじゃない。期待はしないから頑張りなさい」
と上機嫌で言った。期待はしないのね…それはそうか。
だが、まあいい流れだし、ついでにあの話をしておこう。
「ところで…父さんは株式売買に興味はある?
少額から少しずつ始めてみない?
知恵は授けるから、やれば確実な資産形成を期待できるよ?」
この時代は個人が気軽にパソコン上で株の取引をするなんて不可能で、まずは証券会社で証券口座を作らねばならず、当然だが未成年の私にそれは不可能なのだ。
令和のオンラインでも未成年は取り引き不可能だが。だから父の名義でやり取りする以外に道はない。
父は予想通り、微妙な表情で言った。
「ふ〜ん株、ねぇ…そういえば会社の同僚にもやっているやつがいたなあ。
俺も興味が全くないわけじゃない。だけど素人が手を出して大丈夫なのか?」
まあこれがこの時代の一般人の感覚かもしれない。NISAなんて存在しないのだから当然だろう。
人間は額に汗して働いてナンボという感覚が、濃厚にある時代だというのも影響は大きいだろう。
不労所得は胡散臭く見られている時代で、なぜかと言えば、そんなものに頼らなくても安定した収入が期待できるからで、にもかかわらず、なぜリスクを選んで更に儲けようとするのか?
今は金利も高い時代だから、何も考えず銀行に預けたほうがリスクも考えなくていい。という空気の根強い時代でもあるのだ。
『一億総中流』
共産主義者が夢見た理想が、ここ日本にある――と言えば言い過ぎか。
だが、日本人は無意識にではあっても、ヨーロッパの思想家が夢見た理想を体現する社会を作るのが得意だ。
それも、収容所や暴動、密告、強制、弾圧、支配、思想統制や検閲、暴力、投獄、粛清、そして共産党一党独裁といった、全体主義が不可避的に伴う装置を用いることなく達成した。
中国共産党が用いる「日本はファシズムの反省をしていない」という言葉は、まさにブーメランとなって刺さる話だ。
彼ら共産主義者が達成したものは『国民総下流』。
つまり「金持ちは許せない」→「だったらみんなで貧しくなろう」だった。
ゆえにこれから先、10年ほどで耐えきれなくなって崩壊する。現在のソ連はやせ我慢の状態で、精一杯虚勢を張っているのだ。
まあ、日本でもこれからバブルを迎えると、そんな一億総中流の空気は一変するのだが。
そしてその後にバブルがはじけて、痛い目を見る人たちが続出して、やっぱりもう懲り懲りだと庶民が思ったのも事実だ。
つまり、バブルが与えた傷と後遺症は、決して表面的なものにとどまらず、日本人の思想にまで影響を与えたと言えるのではないか。
とりあえず今はまだバブル前だから不安はない。
私は父に理解してもらうために、出来るだけ簡単にかみ砕いて説明した。
「入院中に勉強したんだけど、株式売買で利益を出す方法は大きく二つあるんだ。
一つは配当を期待するやり方・インカムゲインと、もう一つは値上がりを狙うやり方・キャピタルゲインだ。売買の方法も二通りあって、普通に買って値上がりを待つ方法と、空売りという少し上級者向けの方法がある。
でもまあ、最初は安く買って高く売るというキャピタルゲインのセオリー通りにするのが安全だろうね。
10万円くらいから始めてみない?」
高台寺さんは無言のまま、興味深そうに私の話を聞いている。
二人で共有している“秘密”は守ってくれそうだ。
念のために触れておくと、1980年の日本では令和のように、1株から買える“単元未満株”制度は存在していない。
つまり、基本は「1単位(=単元株)」をまるごと買う必要があり、これがとても高額だった。
現在の多くの上場企業の株は下記のような状況だった。
・1単元=1,000株
・一部の大企業は1単元=10,000株
だいたいこんな感じだったから、株を買うのは令和よりハードルが高かった。
新聞に書かれていた現在の株価を基準にすれば、必要資金はだいたい以下の通りだ。
●中堅企業
株価1,000円前後 × 1,000株 = 10万円前後
●大企業
株価1,500〜2,000円 × 1,000株 = 15〜20万円
●人気大型株
株価3,000〜5,000円 × 1,000株 = 30〜50万円
●銀行・総合商社などの一部銘柄
株価が高く、100万円以上必要なものもあるというのが実情だ。
では、1980年の一般サラリーマン感覚としてはどうなるか?
•現在の 大卒初任給:10万円前後。
•月収25〜30万円の40代サラリーマンがふつう。
つまり、 10万円投資は「無理すれば手が届く」レベルで、まあリアルな数値だろう。
同僚が株をやっているという父のセリフから見ても、受け入れてくれるチャンスはあるだろう。
父はしばらく考えて言った。
「最低でも10万円か…まあ、ボーナスの一部を使えば何とかなる額だな」
前向きに考えてくれそうだな。
では、現在の1980年〜1981年で具体的なおすすめ銘柄は何だったかという肝心の問題だが、為替の現状は1ドル=200から210円前後で、これからしばらくは円安の傾向が強くなる。つまりは輸出産業の儲けが見込める。
個別銘柄の株価なんて全く覚えてはいないが、こういった指標は頭の中に入っているから、株価も当然連動していくだろう。
そういった意味では下記の4社は狙い目だ。
①ソニー ウォークマンは去年発売された。
②京セラ 現時点での社名は京都セラミック
③村田製作所 こちらも②同様に京都の会社だ。
④TDK 高校生の間ではマクセルと並ぶ、カセットテープの二台巨頭ブランドで知られている。
他にもたくさんあるが、中でもこれらの株が安定上昇していくはずで、父が買って2〜3か月で最低でも5%は上昇が期待できるのではないか。
父は同意してくれたみたいで言った。
「よく分からんが、少しは興味があるのも事実だ。
いい機会だからやってみよう。ただし、損をするようなら二度とやらない」
そりゃそうなるよな。
私は父に言った。
「損はさせないから安心して。じゃあ年が明けたら早速行動に移ろう」
これでなんとか具体的に動き出せそうだな。
せっかく与えられたチャンスなのだから、活かさないともったいない。




