高校生活③ いきなり失敗 前編
1980年(昭和55年)12月1日
ともかく、そんなこんなで今日、退院の日を迎えることが出来た。
何とか自由の身になったが季節はもう冬で、クリスマスも近い。
午前中に退院手続きを済ませ、『家族』と共に病院からも遠くない世田谷区の南西部にある『我が家』に着いた。
なるほど、ここが私の家となるのか。
東京郊外によくあるような、平凡な二階建ての一軒家だというのが第一印象かな。
大きくもなく、また小さくもない。比較的新しい印象の家だった。
そして今は私の身体の持ち主が使っていたという、2階の部屋に入って考え事をしている。
今は期末試験中でもうすぐ冬休みだし、しばらく通院もしなくてはいけないから、登校するのは3学期からとなるそうだ。
それに、謹慎処分期間がまだ少し残っている。
勉強はどうしよう。ついていけるかな?
取りあえず私は東京大学法学部出身だが、それはもう30年近く前の話であって、高校の授業内容なんてあまり身に付いていないような気がする。
病院で受けたテストも、英語は外交の実務で常用していたから簡単だったものの、普段使っていない数学は難解だった。
まずは机の上にあった教科書をパラパラめくって確認したが、それでも英語はもちろん、数学も何とかなるかなとは感じたが、漢文とかは思い出すまでに時間がかかりそうだ。
だが、冬休み中に何とか挽回しておかないといけないのだが、教科書が全然汚れてないのが気になった。
確か4月から10月までは学校には通っていたんだよな?
なんでこんなに全部の教科書が綺麗なんだ?まるで新品じゃないか。
…う~ん。さては勉強なんてしていなかったのではないのか?夜な夜な悪い友達と遊びほうけていた。そんなストーリーが頭をよぎった。
ということは、そんな状態から勉強を始めなくてはいけないのか?
正直な話、もう一度あの受験戦争に身を置くのかと思うと、かなり憂鬱ではあるが。
それはそうとして、あらためて気付いたが、私の通っていた高校はどこなのだろう?
担任の先生と名乗る人物が病院に見舞いに来てくれたが、成績が芳しくないという話に終始し、基本的な『私は〇〇高校の◇◎です』なんて名乗ってくれなかった。
学校名すら分からないのでは通学のしようがないよな。
そんなことを考えつつ部屋の中を見渡す。
机とベッド。その他にはこの時代は多くの家庭にあっただろう、大型のシステムコンポ。この表現は令和では死語だな。要するにオーディオセットだ。
木製ラックの一番上にはレコードプレーヤー。CDはまだ発売されていないからこれは当然だ。
そして壁際の棚には結構な枚数のレコードが並んでいたので、どんな曲を聞いていたのかと気になって、棚から引っ張り出してみた。
まず目についたのが、この年代の少年が聴きそうなアイドル系のレコードが数枚。
これは石野真子か。名前は知っているが、どんな曲だったかはよく覚えていない。
聴けばわかるだろうか?私がこの年頃に聴いたアイドルは、南野陽子や浅香唯だったはずだ。
それと、こっちのレコードは井上望。このアイドル名は聞いたことがあるような、ないような。
あとは山口百恵のレコードが数枚と、そしてビートルズのアルバムがやたらとあった。
そうだった。
今年は山口百恵が結婚を期に芸能界を引退したし、ジョン・レノン暗殺事件が発生した年だったはずだ。
音楽や芸能情報には正直疎いし、リアルタイムでは内容を覚えてはいない。しかし後に、記事や映像を通じて事件の全容を知った。世界が受けた衝撃の大きさは、私の想像を超えるものだった。
そうか、ジョン・レノンはもういないのか。やっぱり寂しい。
一通り室内の確認を終え、1階のリビングに降りてそこにいた母親に話しかけた。
まずは通っていた高校名の確認だ。
「お母さん。ところで僕はどこの高校に通っていたのでしたっけ?」
最近では年下の女性であるこの人を、”お母さん”と呼ぶのにも慣れてきたな。
母は私を見て、にこやかに言った。
「入院中にも思っていたけど、藤一郎がそんな丁寧な言葉でお母さんに接してくれる日が来るなんてねえ…事故を起こすまでは荒っぽい言葉遣いだったし、お母さんのことも『ばばあ』としか言ってくれなかったのにね…」
はあ…それは申し訳ない。
ここで彼女は一気に表情が変わって、まるでツノを生やした般若っぽくなって言った。
「それより、勉強をしなくちゃだめよ!このままだと進級できないって先生にも言われたわ!!
留年なんて情け無いことになったら……お母さんは…」
今度は泣きそうだ。
駄目だ。こりゃ取り付く島がないな。
「うっ…申し訳ありませんでした」
なぜ私が謝罪せねばならないのだ?
まるでこの人は、「あなたは今回の不祥事の責任を取って辞任すべきだ」と迫る、活動家まがいの記者みたいに見えてしまう。これは理不尽だ!
それに、前の身体の持ち主のツケを払うのは私なのか?
とはいえ、もう”彼”は他人ではないのだから、受け止めなくてはならない。やれやれだ。
若気の至りというやつなのだろうか?とんでもない息子だったな。おかげで知りたかった答えは教えてもらえずに終わった。
さて、何とか母親から色んな情報を、徐々にでも引き出さないとな。
そんなことを考えていたら、私を訪ねて私と同い年くらいの女の子が家にやって来た。
彼女は、今まで見舞いに来てくれていた高校生たちとは明らかに雰囲気が違っていて、何というか真面目な優等生みたいな、また少し地味目な子だった。
彼女は私の顔を見ると、恥ずかしそうな、それでいて何か決意を込めた表情で言った。
「退院おめでとう。藤一郎君…本当に無事でよかったね。学校で会っても、もう無視はしないでもらえたら嬉しいわ…」
何だかよく分からない内容だな。私が無視していた?どういう状況だ?
もしかしたらこの女の子は不良に憧れる乙女って感じだったのか?
私がきょとんとした顔をしたからだろう。女の子は急に思い出したように言った。
「あっそうだった。藤一郎君は記憶喪失になっているんだったわよね?私のことも覚えてないだろうから、改めて自己紹介するわね。
私は高台寺 寧音っていうの。藤一郎君とは同じクラスで、都立成城高校1年2組よ。これからもよろしくね?」
重要な情報をもらった。通うべき高校名が判明したのだ。
東京都立成城高校。
地方出身の私ですら聞いたことがある高校名だ。偏差値は東京でもかなり上位だったはずだが、よくそんな高校に藤一郎は合格できたな…
母親の言っていた“いい高校”に相応しいだろう。
それがこの有り様だからな。母親からすれば、まさに天国から地獄の気持ちだろう。
それにしても…そうですか。同級生の”ねねさん”ですか。
よく見たら、地味だけど可愛い顔の女性だなと改めて思った。10月までの藤一郎との関係性はよく分からないが、少なくともこの女子は私に好意を持ってくれていそうなのは理解した。
母がお茶の用意を始めたから、取りあえず彼女をリビングに案内してソファに座るよう勧め、私も向かい合って座った。
座ったのだが…女子高生と話をするなんて何十年ぶりだろうか?いやぁ緊張するし話題にも困る!
アメリカ大統領のほうが、まだ気楽に話せるだろう。
いや、今のは半分以上本気だ。なぜなら、あっちであれば通商問題で揉めても対応は難しくないし、基本は陽気なおじさんか、若しくはおじいさんだから、相手の下手なアメリカンジョークに合わせて笑っておけば良いのだから。
ついこの前までは、経済だの財政だのといった話題以外に興味がなかったのだ。
しかも周囲に女性は少なかった。確かに私の上司たる首相は女性だったが、それを意識したことなどなく、こちらも陽気なオバチャンだった。
なんか気まずい空気が流れている。
この場をどう切り抜けようか?天気の話で誤魔化すか?多分この体の持ち主は、まともに勉強なんてしていなかっただろうから、いきなり勉強の話をしても不審がられるだろうしな。
でもせっかくだし、何かいい話題はないものか?
ええと…そうだ!音楽だ!音楽という時代も世代をも超えた真理で乗り切ろう。
それがいい!
「わざわざ来てもらってありがとうございます。そして、こちらこそよろしくお願いします。
ところで…高台寺さんはどんな音楽をよく聴くの?」
「私は藤一郎君と同じでビートルズのファンなのよ。いつ聴いても心が癒されるから、勉強の合間によく聴いているの」
そうか。やっぱり私はビートルズファンだったのか。しかしジョン・レノンは暗殺されてしまったけどな。
「そうなの。でも…ジョン・レノンの暗殺事件には驚いたよね?
いきなり犯人のチャップマンが”ミスターレノン?“なんて言いながら発砲したんだから、聞いた時はショックも大きかったんじゃない?」
すると彼女は首をかしげて不思議そうに言ったのだ。
「暗殺事件?何の話?誰かと勘違いしてるの?」と。
えっ!事件が起きるのは今年じゃなかったのか?ええと…失敗した。
記憶喪失だ!記憶喪失を言い訳にして乗り切ろう!
「あ、ああいや、なんていうのかな?たまに記憶が錯綜するから混乱しちゃうんだ。
困っちゃうよね。ははは…」
しかし、これは本来、口にしてはいけない言葉だった。他にも表現の方法はあったのに、私は選択ミスをした。
私の言葉を聞いて、彼女は失言をとがめる野党議員のように即座に反応したのだ。
「でも藤一郎君は記憶を失くしているんでしょ?
今の内容はいつの記憶なの?」
確かにそうだ…
これは政治家だったら辞任レベルの失言だった。
謝罪会見で頭を下げている自分を想像しながら、もう私はしどろもどろだった。
「えっ…ど、どうだったか?え、え~たぶん新聞だったような…」
母に助けを求めようと振り返ったが、残念ながらさっきからの私たちの会話は耳に入っていないらしい。
今の弁解で高台寺さんが納得してくれたことを祈ろう。
そして話題を変えよう!
「あっ、あの勉強なんだけど、私は…いっ、いや俺はどんな感じだった?授業は真面目に聞いて…なかった?」
これからは一人称も変更だな。
そして彼女の答えは、私の予想を肯定するものだった。
「勉強は全然ダメだったのよね。授業中はずっと居眠りしてて、テストは赤点ばっかりだったし、2学期も入院してたから長く休んだでしょう?
3学期で挽回しないと留年しちゃうわ」
だから心配して様子を見に来てくれたという話らしい。さっき母親にも言われたばかりだし、今日から早速勉強しなくてはいけなくなった。
だが、やり方を忘れている。勉強ってどうやるんだっけ?
図々しいが、勢いで言ってしまおう。
「申し訳ないんだけど…一緒に勉強してくれたら有り難いんだけどダメかな?」
彼女は満面の笑みを浮かべて言った。
「もちろんそのつもりで来たのよ。やる気になったのね?じゃあ一緒に頑張りましょう!」
その日から私たちは、一緒に我が家のリビングで勉強をすることになり、私たちが勉強している姿を見た母は嬉しさのあまり涙を流して喜んだ。




