高校生活① 昭和に転生
気が付けばベッドで寝ていた。
おや?助かったのかと思ったけれど、両足に包帯が巻かれているのが見えた時に違和感を覚えた。さらに、全身を覆うように包帯が巻かれているのに気付いた段階で、ますます変に感じた。
確か刃物で、背中を刺されたはずだが、どうしてこんな状態なのだろうか?
肝心の背中から胸にかけての痛みが無いのも不思議だった。
周りを見渡すと、ここは確実に病室だなと分かったけれど、何とも言えない違和感がある。
しかも…私の寝ている傍には、椅子に座ったまま、私の寝ているベッドの縁に顔を埋めて眠り込んでいる女性がいるのだが、私には兄弟姉妹はいないし、妻も恋人もいなかった。
じっくり観察したが……よく顔が見えないし、どこの誰だかさっぱり思い出せない。
もう一度、室内を見渡して確認したのだが、違和感はあるもののどう見ても病院の中だよな、ここ。
とにかく、まあ何とか助かったってことなのだろうな。
ちょっと状況が理解できないが、とにかくこの女性に声をかけるしかない。
私は恐る恐る話しかけた。
「あのう…すみません」
私が声を掛けた瞬間、彼女は弾かれたように起き上がって私を見た。
だが…やっぱり知らない女性だった。
年齢は40代くらいだろうか?化粧っ気のない顔で私を見て、一瞬、固まったように見えた。
次に表情が歪み、目から涙があふれ、絞り出すように言った。
「気がついたのね!良かった!藤一郎に、もしもの事があったらどうしようって、お母さんはそればかり考えていたのよ!
無茶ばっかりしているからこうなるのよ!お願いだからこれからは大人しくなってね!」
はあ?…いきなり何の話だろう?
「お母さんはもう生きた心地がしなかったわ!」
お母さんって…
それからしばらく意味不明な説教をされ続けたのだけれど、彼女の話によると、私はバイクで自損事故を起こして生死の境をさまよっていたらしい。
その後、少し気持ちが落ち着いたのか、彼女は医者を呼ぶために部屋から出て行ったので私は一人で考える時間が出来た。
その時間を利用して必死に考える。
まずはこれは現実かどうかの確認だが、五感のすべては正常に機能しているし、どう考えてもこれは現実の世界だ。
次に彼女は気になることをいろいろ喋っていたな。
まずはバイクで事故を起こした…って、若い頃ならともかく、最近じゃ私はバイクに乗った記憶がないし、所有もしていない。
必死に考えてみても、そんな記憶がどこにもない。
それよりも、あの人はもっと気になることを言っていたな?
『とういちろう』?それは誰?私か?
どういう意味だろう?
それに気になることは他にもあるぞ。
あの女性は、自分自身のことを私の『お母さん』と言ったな?
どう見ても私より年下に見えたが…あの前後の文脈と雰囲気からして、私の母親だと言っているのか?
私の母親は既に鬼籍に入っているが…いったい何を言っているのか。
それにだ。
全身を包帯に包まれてはいても、腕の一部の皮膚は見えていたのだが、その部分はシワとシミによって醜くなりかけていた、刺される直前…52歳の状態じゃない。
妙に若々しいのだ!
右横を見るとテーブルの上に手鏡があったので、手に取って自分の顔を見たのだが…
あなた誰?
知らない顔なんですが。
息が乱れて冷や汗が出てくるが、落ち着こう。
まずは落ち着こう。
つまり、あれか?この身体は私のものじゃない?
肉体から離れた私の魂、意識か?それが、この若者?の身体に入り込んだのか?
ということは私は『憑依』してしまったのか?
となれば、この身体の本来の持ち主の意識は、消えたか、魂だけ亡くなってしまったのだろうか?
それは死と言えるものなのか?
そんなことを考えていたら、さっきの女性が医者とともに姿を現した。
医者が驚いている。
「本当に意識を取り戻したんだね?
いやあ正直な話、意識が戻る可能性は低いと思っていたんだ。
でも良かったね!
足も怪我しているし全身傷だらけだけれど、若いのだし、すぐに高校にも通えるようになるだろう」
高校か。やっぱり今の私は高校生なのか。
では今日は何月何日だろう?
「あのう…今日は何日ですか?」
医者が言った。
「君はまる3日間、意識がなかったんだ。
だから今日は10月28日だよ」
重要な情報だ。3日間意識が無かったのだと、目の前の医者は言った。
今日は10月28日。だが、私が刺されたのは1月24日だから、約9か月のズレがある。
やっぱり「本当の私」は、助からなかったのだ。
その代わりに、この若者の肉体に憑依してしまった。
小説なんかではよくある設定だけれど、自分の身に降りかかるとは驚いた。
それを認識した瞬間、何とも言えない気持ちが突然沸き上がり、次に怒りの感情となった。
私を殺した犯人は誰だ!
いや、落ち着け。ここにいる人たちには関係のない話だ。
とにかくいろいろな情報が集まりつつあるが、そうなると、あとは…今年は何年だろう?
何故そんなことを思うのかといえば、さっきから気になっていたのだが、医療機器が妙に古いのが変だと思うのだ。
古いと言っても”中古”とか”使い込んだ”という意味ではない。
真新しい機器なのだが、なんか、アナログな感じがする。
本来ならもっとこう…デジタル表示のいっぱいある機器ばかりなのではないのか?
嫌な予感がするから、政治家として身に染みついた元号で表現する習慣は封印しよう。
「ええと。ところで先生…今は西暦何年でしたっけ?」
医者が気の毒そうに言った。
「頭を相当激しく打ったと思うから、一時的に記憶が乱れているかもしれないね。
だけど、それも直ぐに良くなるだろう。
今年は1980年だよ」
1980年だって!?
昭和だ…1945年が昭和20年だから…うんん、昭和55年だ。ずいぶん過去に飛ばされてしまった…
それにしても、頭を打って記憶が乱れているか。そうだ。ここは医者の話に乗っかかろう。
「実は…実は、以前の記憶が全くありません。ですので…ええと。ついでに教えてください。
ここの住所と、私の…僕の生年月日は分かりますか?」
医者は深刻な表情でカルテを見ながら言った。
「この病院の場所は世田谷区だよ。
念のために君の名前は木下 藤一郎君で、1965年2月28日生まれだよ。
血液型はA型だね」
次に母親?と私を交互に見ながら言った。
「やはり記憶が無いのかい?これは…ちょっと厄介だね…」
とにかく、また重要な情報を掴んだ。
ここは世田谷区。東京だ。
そして私の名前は木下 藤一郎
生年月日は本来の私より8年ほど古い。
そして今日の日付と誕生日から計算すると…年齢は15歳。高校一年生か。うん?
バイクの免許取得年齢は、この時代も16歳からだよな?
つまり、年齢から言えば無免許運転だな?
まったく…無茶をする。
確かにこの時代は、バイクに乗る若者が多かったらしいが、若気の至りでやらかしたのだろう。
医者と女性は今後の話をするために出ていった。
私の記憶についての相談をするらしかった。
しかしだ。
これから私はどうすればいいんだ?
あの女性を母親として意識するなんて…いきなりできないし、友人が誰なのかも、さっぱりわからない。
ここは、当分の間は記憶喪失を装う以外に手段がなさそうな気がするぞ。
そうだな、そうしよう。
事故で頭を強く打ち、一切の記憶が消えたのだという話にすれば、いろいろと都合がいいし、退院してからの生活に際しても周囲に言い訳ができそうだ。
当面はそれで誤魔化すとして…そこから先、自分の人生をやり直すためにはどうすればいいんだ?
それに…私を殺したのは誰だ?
顔は暗くてよく見えなかったが、聴き覚えのない声だったのは間違いないし、単なる通り魔的犯行ではなく、明確に私を狙ったのだ。
私の背後から近づいた際も直前まで足音が聞こえなかった。
つまり、やけに手際が良かったと感じるのだ。
さらに言えば、メッタ刺しでは無く、正確に心臓を狙ったひと突きだったのだ。加えてそれは「裏切り者…」という言葉でも裏付けされるだろう。
黒田が泣きついて明智が闇の組織を動かした。
それが最も可能性の高い犯人像で、資金を出したのは経済界だろう。
つまりはプロの犯行だと断言できる。
そして雇い主は私に思い知らせるため、あのメッセージを犯人に言わせたのだ。
だが、私の死後、片市内閣はどうなったのだろう?
私が抜けても財務省との戦いには勝てたのだろうか?前田と佐久間はどうなった?
もう私は何の力にもなれないし、私自身は命を奪われ明智や黒田に対して敗北してしまった。
“裏切り者”だと!?お前たちこそ国民に対しての裏切り者だ!絶対に許さない!!
悔しいという感情が沸き上がり、涙が頬を伝う。
いや、きっと私がいなくても、内閣には滝川や筒井を筆頭に優秀な人間が揃っていたし、片市首相も私の政策を熟知していた。また、芯のある人物だから大丈夫だと信じよう。
それに…そんなのは現時点から見て遥か未来の話だし、考えてもどうにもならないのだから今は何も考えず寝よう。
私は涙を拭き、政治家だった時の記憶は封印して、現在の生活に馴染むことを最優先にしようと心に決めた。
主人公は昭和に転生しました。
ですが、プロローグは意味のあるものとなります。
ここからの歩みはいわゆるシグモイド曲線を描きます。
序盤は何も起きていような静かな助走の後、ある瞬間を境に、成長は爆発的に加速します。




