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「開門!!」
見知らぬ兵士の一声と共に、石の門が開かれた。
今日は、あの晩餐会の翌日。つまりは、二人の刑が執行される日が来たのである。
持って行く荷物は、小さな鞄と野宿をするための道具のみ。
衣服も、昨日着ていたドレスや従者服ではなく、旅人が身に付けるような、簡素で武骨なものだ。
「なかなか動きやすくていいですわね、これ」
「はい。思ったより、着心地も悪くありませんし」
しかし、二人は意外とその服装が気に入ったのか、この場所に到着してからずっと、それこそ門が開かれる今この瞬間まで、楽しそうに休むことなく体を動かし続けていた。
それが、騎士の気に触ったのだろうか。
「――早く行け!」
「きゃっ!?」
「ゔっ!?」
グネグネと体を動かしていた二人の背を、その騎士はドンと突き、町と外界の境界線の外へ押し出した。
その瞬間、騎士が浮かべた表情は実に憎たらしいもので、ニタニタという下卑た笑みを見たリリーは不満気な表情を作ると、トボトボと歩き始める。
しかし、一方のローズはと言えば、押し出されてから一度も振り返ることなく、軽い足取りで先へ先へと進んでいた。
「――あっ! 待ってくださいお嬢様!」
そんな彼女に気がついたリリーは、鞄を両手で抱き抱えると、ローズの元へと駆けて行く。
その光景はまるで姉妹のようで、見物人がこの町の貴族でなかったなら、それはもう暖かい視線を向けられたことだろう。
「……リリー」
「何でしょう、お嬢様」
「もう少しで、私たち自由よ」
「そうですね。どこまでも、お供します」
「ふふっ。そう言ってもらえると、心強いわ」
街を出て、それはそれは楽しそうに雑談をしながら進む二人。その背に、衛兵たちの怒号が飛んだ。
「……おい、どうなっている!! 閉じないぞ!?」
「分隊長、開閉装置が故障しました!」
「どうにかしろ!」
「なら早く修理屋を呼ばんか!!」
しかし、それは街を出た2人に向けられたものではなく、どうやら門の開閉装置が故障したらしい。
何やらガヤガヤと騒がしい後方へ、リリーとローズは一度も目を向けることなく、それはそれはにこやかに、森へと続く道を進んでゆく。
今や、2人は従者と主という身分差は消え、残っているのは親友という関係性のみ。
それが何を意味するかというと、2人は本当の自由を手にしたということだ。
生まれた時から共に過ごしてきているのだから当然といえば当然である。
「ふふっ。あちらは大変そうね、リリー」
「えへへっ。そうですね、お嬢様っ」
「あら、いけない。もう私は貴族じゃないのよ?」
「――へ?」
「貴族としての爵位を剥奪された今、貴女と私は同じ平民。そこに上下関係は存在しない。…………私が言いたいこと、分かるわね?」
ローズはリリーへ、1つウインクを飛ばす。
唇の端からほんのわずかに出した舌が、愛らしい。
「! ――……はい、ローズっ…………さま!」
さすがにそれは、まだハードルが高かったようだ。
「惜しい。まあ、すぐに、というのも大変でしょうし、それで良しとしましょう」
「はい、ローズさま!」
他愛もない雑談を交えながら、2人はどんどん森の奥へ歩いて行く。多少道は舗装されているが今の今まで貴族だった少女が簡単に歩ける道ではない。
しかし、ロースは一切の疲れを見せることなく、出発した時と変わらない足取りで、時よりスキップも混じえながら、森の中を通る砂利道を歩く。
幸いなことに、今の季節は乾季。
この王国自体元々天候不順が少ない国ではあったが、今日は特に晴々としている。
ローズに言わせてみれば、絶好の出発日和だった。
とはいえ。
さすがに運動量がほぼゼロのところから、何時間も通して歩くのは体への負担が大きい。
いくら疲労感がなかったとしても、着実に疲れは溜まっているのだし、何よりこの先の道は長いということで、2人は町が慈悲に阻まれて全く見えなくなったところで一度休憩を取ることにした。
どこに座ろうかと注意をキョロキョロ見渡すリリーを横目に、ローズはどっかりと地べたに座る。
普通逆ではなかろうか。
「あ、そうですわ。一応、この後の予定をリリーに伝えておくことにいたしましょう」
それでいて微塵も気にしていないのだから、いかに図太いかがよくわかる。
「うえっ!? 予定なんてあったんですか?」
「無いわけが無いでしょう。無計画は命取り、ですわよ?」
「た、確かに……!」
結局ローズと同じように地べたに座り込んだリリーのバタバタとした動きに、片手で手を隠しながらくすくすと鈴の鳴るような声で笑ったローズは、もう片方の手で森の奥を指さした。
「……あの森を過ぎたその先に、ポーリッジという村があるのだけれど、その村はハグヴィス行きの乗り合い馬車が馬の休憩で止まる場所なのよ」
「ハグヴィス、っていうと、南端の港町でしたっけ?」
「そうよ。あそこは小さな町だけれど、このフィッチス王国で唯一、フレンティア王国へ直行する蒸気船が出ているのよ。しかも、格安で、ね」
「成る程。ハグヴィスから、そのままフレンティアへ行くんですね?」
「まあ、フレンティアのに入った後は直ぐにシュバルツヴィアへ向かうのだけれど。――……正直、フレンティアに向かう理由は、渡航費が安い以外に無いわ。滞在するには物価が高すぎるし、何より最近の情勢が不安定すぎる」
「その話、私も先輩から聞いたことがあります。共和派閥が力をつけてるとか何とか……」
その言葉に一つ頷くと、ローズは一度空を見上げる。
「だから、あまり滞在したくないというのと――……あとは……まあ、シュバルツヴィアは、貴女の出身地なのでしょう?」
「……!」
「貴女も、貴女の家族も、近くに居られる方が、少しは安心できるでしょうし……物価も、まあ安いし、現状の定住候補地はそこになったわ――……っと」
なんでもないというように、さらりと今後の予定を告げたローズへ、リリーは感激したような眼差しを向けながら、勢いよくローズへと抱きついた。
今日この日、リリーは初めて感情のままに体を動かしたようで、自分で抱きついたのにも関わらず、その顔には少しばかり驚きが見える。
しかし、ローズは一切体感がぶれることなく彼女を受け止め、優しく背を撫でた。
「ふふっ。早く、顔を見せられると良いわね」
「……はい…………っ!!」
そうして、休憩がてらリリーの様子が落ち着くまで待ってから、二人はまた、長い道のりを歩き始める。
ちょうど、分厚い雲が太陽を覆ったことで、体感温度が下がり、出発時よりも歩きやすい。
いくら平均気温が低くとも、歩いていれば体は熱くなるわけで。少し汗ばんできていた2人には、ありがたい天の恵みである。
そうして。
あの街を出発してから、数時間の時が過ぎ去った。
いつのまにか空は茜色に染まり、気温もぐっと下がってきている。森の奥から聞こえる動物の声がなんとも不気味で仕方がない。
視界の悪くなった森の中を、これ以上進むのは得策ではないという判断を下した2人は、道の端で野営の準備をしていた時だった。
「…………あら?」
ローズが、喜色混じりの声を上げる。
「どうされました、ローズさま?」
「いえ。良いものを見つけた、と思って」
ローズの視線の先にあるのは、小さな茂み。
周囲の雑木雑草と同化していて、なかなかに分かりづらい。しかし、リリーが目を凝らして見てみると、そこには確かに野イチゴがたっぷりと実っていた。
その果実はぷっくりとみずみずしく膨らみ、わずかな木漏れ日に照らされていることで、本物の宝石のように光り輝いている。
ゴクリ。
2人は同時に喉を鳴らした。
今日も食べたものは牢屋で投げ渡されたあの質の悪いパンとバターのみで、それ以降は何も口にしていない。
当然お腹が空いているし、喉も乾いている。
そんな中でこのような実があれば、今の彼女たちにとってはまさしく宝石のような価値がある。
完全に日が暮れてしまえば、採集は困難になってしまうし、毒虫に噛まれてしまう可能性もある。
故に。
「……お嬢様」
「当然よ」
2人で顔を見合わせると、自分の服をまくり上げ、袋代わりにして、野いちごを摘み取って行く。
そうして、ある程度の野イチゴを摘んだローズとリリーは、落ち葉で作り上げた寝床へ向かい、出発時にこっそり持ってきた木の皿の上に、それらを盛り付ける。
「……宝石みたい」
そんな言葉を発したリリーへ、ローズは野イチゴを一粒つまむと、半開きになっていた口へ運ぶ。
一瞬、本当に食べても良いものかと躊躇したリリーだったが、意を決して、パクリ。
「あら。私の指は食べられないわよ?」
勢い余って、ローズの指ごと野イチゴを口に含んでしまった。
野イチゴの味に顔を綻ばせた後、すぐに顔を青くするリリーへ、気にしないでと言うように首を振ると、ローズは自分の口にも野イチゴを放り入れる。
そして、リリーと同じような、太陽のような笑顔を浮かべた後、
「これが……これこそが、本当のくだもの、よね」
「本当、その通りだと思います」
あの味覚破壊タルトを思い出し、少しだけ、顔を青くしたのだった。
〜本日の食事〜
①ラズベリー100g
②ローズの指先
摂取カロリー:一人当たり約20kcal
ローズの指先の感想:柔らかかったです。