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地下牢から去る騎士の靴音を聞きつつ、牢中の二人は顔を見合わせる。
そして、互いにしばらく硬直した末。
「お久しぶりです、お嬢様。あぁ、作戦が成功して本当に良かった」
「……作戦?」
なんとも奇妙な形から、会話が始まった。
「はい、作戦です」
「……それは、どういうことなの?」
無駄に広い地下牢に、二人の少女の声、そして水滴が落ちる音が響く。
「――お嬢様」
「…………何かしら?」
「私は、お嬢様があれを食べきることが出来ず、どこかへ連れて行かれる際、黙って見ていることしかできませんでした」
「黙って見ているだけで良かったのよ? あそこで静かに連れて行かれたのも、あなたを巻き込みたくなかった所もあるのだから」
なお、実際リリーを巻き込みたくないという気持ちは存在したものの、理由の9割は腹痛が原因である。
しかし、それを知らないリリーは感動した様子で、しかし何かの決意を目に宿し、言葉を紡ぐ。
「それは、私にはもったいないお言葉です。――しかしながら、お嬢様のお世話もさることながら、その身の安全を守ることも私の勤めにございます」
「…………続けて頂戴」
「主に危機が迫っている。それが明確にわかっていながら、何の行動もしない従者はおりません」
「……ええ」
「お嬢様のお気持ちは、とても嬉しいものです。それこそ、心が舞い上がるほどに」
リリーは微笑みを浮かべながら胸元で手を組み、その場でくるりと一回転する。
「ですが」
「――へ?」
そして、流れるような動きでローズの前に跪いた。
「それは、あなた様を見捨てる理由にはなりえません。火の中、水の中、例え処刑台の上であったとしても、私は職務や命令関係なく、私自身の、自分の意思で、あなたと共にあることを選びます」
「…………」
「お嬢様と共にあること。それが、それこそが。――今、私が、貴方様と同じ時代を生きている理由であると、私は確信しているのです」
「リリー……」
「ですから、お嬢様。どうか私を、もう少し、あなたのおそばにおいていただけませんか?」
そう言うと、リリーは頭を垂れて、その場に立ち尽くす令嬢へと、手を差し出す。
その光景は、騎士のようにも、愛する人への誓いのようにも見えて。
「……ふ、ふふっ。あははははっ……!」
ローズは、赤く染まった頬を隠すように、口元を袖で覆い、鈴の鳴るような声で笑う。
しかし、その視線は1点を見つめ続けていた。
「…………舞台がこんな場所じゃなければ、さぞいい絵になったでしょうに。あなたも、そう思わない?」
ローズは、健康的に日に焼けたリリーの頬を白く華奢な手で覆い、顔を上げさせる。
そして。
「お嬢さ――ッ!?」
ほんのり桜色に色づいた、瑞々しく柔らかな唇を、髪が捌け、顕になった額へと落とした。
短い水音が静かな地下牢に響く中、ローズは小さく咳払いをした後、口を開く。
「これから。――これから、私がどのような人生を送るとしても。たとえ、口に出すことすら憚られる、惨めな人生を送る事になったとしても、あなたが、私と元に生き、私のそばにいてくれるというのなら」
未だ跪くリリーへ、ローズは左手の甲を差し出す。
それは、己が最も信頼している人間に、絶対的な忠誠を誓わせるもの。
多少柔らかな表現をするならば、ある種のプロポーズのようなものであり、本来はメイド等の従者に行うことはない。
その意味を理解したリリーは、満面の笑みをその顔に浮かべ、差し出された手を取ろうと、腕を伸ばす。
「…………っ!」
そしてついに、リリーの指先がローズの手に触れようとした、その瞬間だった。
「!?」
「っ!?」
耳をつんざくような金属音――乱暴に扉が開け放たれた音が地下牢に鳴り響き、先程とは違う、ドカドカという鈍重な足音が近づいてくる。
あまりにも唐突な出来事に、二人は鉄格子にしがみつき、音のした方を眺める。その目付きは鋭く、まるで限界まで研ぎ澄まされたナイフのようだ。
「――ヒィッ!?」
そんな二人に気圧されたのか、牢の前までやって来た騎士にしては少しばかり丸すぎる男は、情けなく震える声で言う。
「ぬっ、主らの刑罰が、決定した。――罪人、ローズ・クランベリームース、およびリリー・ペッパーソルトは、それぞれ国王陛下のパフェを完食できなかった罪、そしてキッチンへ侵入した罪で、国外追放とするっ!」
「……あら、まあ」
「……」
「し、執行は明日の朝六時だ。それまで、自らの行いを、この不味いパンを食いながら、ざっ、懺悔すると良い」
捲し立てるようにそんな言葉を吐き捨てた丸い騎士は、二つに切られたパンと、小さな包みを牢へ投げ込み、ドタドタとうるさい足音を立てて走り去る。
あまりにも情けない騎士の背中は、面積的には大きいのにも関わらず、妙にに小さく見えた。
先ほどと同じように、乱暴に鉄の扉が閉められた音を聞くとローズが口を開く。
「…………貴女、凄い度胸ですわね。キッチンに侵入だなんて、暗殺を企てていると見られて、死罪でもおかしくないわよ?」
「処刑されず、お嬢様と同程度の刑罰を受けるならば、これくらいが妥当と判断した結果ですから、後悔はありません」
あっけらかんというリリーを見て、ローズは軽くため息を付くと、
「お、お嬢様!? いけません!」
「いいじゃない。誰も見ていないのだし」
リリーへ自らの体を預けるように寄りかかり、だらんと垂れ下がった手に指を絡ませた。
主と従者、しかも貴族と庶民という圧倒的な身分の差がありながら、このようなことを行うのは本来ならば許されない。
ゆえに、リリーはうろたえ、手を離そうとする。
しかしローズはぎゅっと指に力を入れ、リリーの手を固く握った。
「――……良い手だわ、リリー。少し硬くて、筋肉質で。……働き者で、真面目な貴女らしい」
見たことがないほど柔らかい表情のローズが放った一言に、ついにリリーは一線を超えた。
ローズの手を、握り返したのだ。
「………………お嬢様の手こそ、柔らかくて、暖かくて……まるで、あなた様のお心のようです」
「ふふふっ。私の手のことは良いのよ。―……―ほら、食べましょう、リリー? ……思えば、貴女と食卓を共にするのは、これが初めてかもしれないわね」
二人にとって、手と手が触れたこの数秒は、一生忘れることのない経験になるだろう。
なぜなら、これが、2人の覇道の始まりなのだから。
「そう、ですね。――従者が、仕えるお方と食事を共にすることなんて、許されることでは無いので」
「そうね。……でも、これからは違う。これからは、何時だって一緒に食事が出来る。不思議だけれど、そう思うと、追放が楽しみになっている私が居るわ」
包みに入っていたバターを、パンにたっぷりと塗り付けたローズは、一つをリリーに差し出して、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
パンを受け取ったリリーは、少し顔を赤くして、
「――こんなことを言うのは烏滸がましいかもしれませんが、私も、同じ気持ちです。これまでは、あなた様と同じ卓を囲めたのなら、どれだけ楽しいのだろうと夢想するばかりの日々でしたから」
半分に切られた、麦の芳醇な香りがするパンには、これでもかというほどバターが塗ってある。
それは、あまりにも不格好で――それが、どうしようもなく愛おしくて。
沸き立つ初めての感情を胸に、リリーは瞼を閉じ、そんな彼女を見ていたローズが口を開く。
「……では、頂きましょう、リリー。この場所での、最後の晩餐を」
「はい、お嬢様。――……糧となる存在全てに、心からの祈りを込めて」
二人はパンを額の前に掲げ、同時に言葉を紡いだ。
「Amen」
「Mahlzeit」
それは、確かに質の悪いパンとバターだった。
パンは固くボソボソで、バターはかなり塩辛く、乳臭い。普通なら、これらを喜んで食べる人間は、この国にはいないだろう。
しかし、2人にとっては、今までで一番美味しい食事だったようだ。
パンを頬張る二人の表情が、いつになく生き生きとしているのが、その証明である。