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時にこのフィッチス王国は、国外追放や死刑といった極刑が割と雑に執行される国である。
立場ある人間に対して、悪意ある行動や言動を行ったものはともかくとして、まさかパーティーで出された食事を、少しだけ食べ切れなかっただけで処罰を受けるだなんてことは、まともな国ならば、そう起こることではない。
しかし、残念ながらこの国はまともという言葉とは程遠い。
ゆえに、あまりにも理不尽な刑罰がさも当然かのように通ってしまう。
「申し訳ありません。これが仕事なので」
「気にすることはないわ。私とて、理解しておりますから」
優しく背中を押されながら、とある場所へ入れられようとしている赤いドレスの少女――ローズは、うつろな目を地面に向けたまま、地下牢獄の中にその身を投じた。
これが何を意味するかといえば、彼女が何かしらの罪を犯してしまったということだ。
何者かに対して無礼を働いた?
国王の気に障ることをしてしまった?
この国の法を犯した?
それらは半分が正解であり、半分が不正解である。
ローズの罪状は不敬罪。
もっと詳しく言うならば、国王陛下監修のシュガーフルーツパフェを食べきれなかった罪というあまりにも馬鹿げた罪状で彼女は力奥に入れられたのだ。
しかも、すべてまるまる残したわけではない。
ただ気力と体力がほんの少しだけ足りなかっただけなのである。むしろ、ひとつ食べただけで糖尿病まっしぐらの腎臓破壊兵器を、3/4も食したのだから彼女は賞賛されるべきなのだ。
しかしそうも行かないのが、この国のおかしなところ。
過去、国王陛下の監修したパフェを、スプーン一杯分だけ残してしまった従者は、市中引き回しの処刑台送りになったという。そんな話がさも当たり前のように語り継がれているこの国だからこそ、このような状況になってしまうことがとても恐ろしい。
「…………」
薄暗い地下牢の中、一人うずくまる。
体はフルフルと震え、ドレスの隙間から覗く手や脚、首元は血色がない。
普段は大人びている彼女でも、命の危険がある状況に追いこまれた今、果てしない恐怖と絶望で震えているのかもしれない。
「……っ!」
そんなローズを此処まで連行してきた騎士の少女は、彼女を憐れむように目を伏せ、口元を悲痛に歪ませながら、足早にその場から去って行く。
ローズと年の近い彼女にとっては、ただパフェを食べ切れなかっただけのローズを、不敬であるとして投獄することが、まだ仕事だと割り切れないのだろう。
いくら頭ではわかっていたとしても、心がそれに対応できるかは全くの別問題なのだから。
「……」
ほんの僅かな光源すらもない、地下牢。
不快な湿気が肌にまとわりつくこの場所には、ローズの浅い呼吸音と、水滴が落ちる音。
そして地上から届く騒がしい音が、微かに響くのみ。
場所で、審判の時を待たねばならない。
それは、ただ大人びているだけの齢15の少女には、とても過酷なことだ。
そう。
ただ大人びている“だけ”の少女には。
――……騎士の少女は、一つ大きな勘違いをしていた。
あの時、彼女はローズが処罰に怯え、恐ろしい恐怖を感じているのだろうと“勝手に”思い込んだからこそ、憐れんだのだろう。
どうして食べ物を一つ食べきれなかっただけの彼女が、このような地下牢に入れなければならないのか。
どうして私は、そんな彼女をこの場所に連れて来なければならないのか。
どうして、私と同じくらいの歳の彼女が、こんな目にあわなければならないのか、と。
しかし実際には、ローズは迫りくる刑罰に怯えてなどいない。顔が青白いのも、体が震えているのも、ただ一つ、明確な理由がある。
「――あ"ァ、お腹が痛いですわ…………」
ローズ・クランベリームース15歳、胃もたれ発症。
何を隠そうこのローズ、短時間で大量の油分と糖分を摂取したことにより、見事に腹を下していた。
腹の中でミミズがのたうちまわっているような鈍い痛みと、腹痛を覚えている時特有の妙な寒気によって、あの勘違いを引き起こしていたのだ。
「して、これからどうしましょうか。少なくとも、この場所ならば、あの食材を侮辱しているとしか思えない料理を食べなくて良いことが確定しているので、多少気は楽ですが」
鉄格子に身を預け、虚ろな目で壁を眺める、真っ赤で豪華なドレスを着た少女。その光景だけならば、今のローズは囚われの姫君、もしくは悲劇のヒロインに見えたことだろう。
しかし、実際は消化器官破壊料理を食べたことにより、強烈な胃もたれと腹痛に苦しんでいるだけで、心には傷一つすら入っていない。
それどころか、
「にしてもこの場所、中々落ち着くわね。ジメジメしていて何か臭いけれど、あの忌々しいパーティー会場に比べたら楽園も楽園ですわッ!!」
白く華奢な両腕を空中へ伸ばして床へ寝転がり、誰に対してでもなく声高らかに宣言するその姿は、誰が見ても大変リラックスしていた。
当然、今も腹は痛い。
その証拠に顔色は未だ青白いままだ。
それでも、あの場所から抜けられたということが相当に嬉しかったようで、ローズは再び片腕でお腹を抑えつつも嬉しそうに表情を綻ばせた。
食べたくもないものを食べさせられ、丸々と肥え太った意地の悪い大人たちと嫌みや皮肉に塗れた交流をする場なぞ、誰が喜んで行くというのだろう。
「あんな場所、誰が喜ぶってのよ。……あぁ、貴族は喜んでたわね。この国の貴族だけは」
吐き捨てるようにそうつぶやくと、動きを止める。
ひとしきりゴロンゴロン暴れ回ったおかげが、多少腹痛がマシになったようで、どうにか起き上がれるまでに回復していた。
「はてさてこれからどうなるか。死刑か国外追放かはたまた服役か。……もし死刑だったら、どうにかこうにかあの豚以下の愚王も道連れにしてやるわ」
鉄格子をがっちり握り、ギラギラした視線を外に向けながら、もし人が聞いていたら即座に首が飛ぶレベルの発言を飛ばす。
「もし今の国王が、宰相様だったなら、まだ少し違った結末があったのかもしれないけれど……まあ、ないものねだりをしても仕方がないわ。今をどうするかを考えましょう」
目を閉じて1つ息を吐く。
そうして心を落ち着かせようとしたその時だった。
「離しなさいよ!! 私が一体何をしたって言うの!?」
「しただろう!? それに、お前、少しは主人を見習わないか! 主人の方は静かに私へ従ったぞ!」
「知らない知らない! お嬢様はお嬢様、私は私なのよ!! 我儘なメイドが居たって良いでしょう!?」
「何だそのメイドにあるまじき理屈は!?」
地下牢に響く、甲高い声。
その声は、ローズには聞き覚えしかない物だった。
「…………まさか、あの子までここに来ることになるだなんて。巻き込みたくなかったのだけれど」
どこか、強い後悔の混じった独り言を呟きながら、鉄格子の外へ 目を向ける。
そこには会場で引き離されて以来の、従者にして親友、リリー・ペッパーソルトが先ほどの騎士の少女に連れられて、扉の前に立たされていた。
「こんなところに入りたくない! どうしてこんな不衛生な場所に入らなければならないの!?」
「それはお前があんなことをするからだろうが!? 何もしなければ今頃普通に返されていた筈だ!」
「しらないわそんなこと!」
「えぇい、さっさと入れ!」
重苦しい鉄の擦れる音と共に、牢の扉が激しく開かれ、鉄格子にしがみついて優雅さの欠片もない無駄な足掻きを試みていた一人のメイドが、牢の中へと押し込められる。
「きゃあっ!? ちょっと! 痛いじゃないの!!」
「お前が素直に入らないからだろうが……」
「うぐっ……!」
「…………ひとまず、大人しくしておけ。こんな状況でも、しとやかなお前の主人と一緒にな」
リリーに呆れたような表情を、ローズには憐れむような表情を向けた騎士の少女は、牢の鍵を閉めると足早にその場から立ち去って行った。