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――この国の貴族には、とある悪習が蔓延っていた。
本来「料理」と言うものは、人が人として生きるために必要な栄養を摂取すると同時に、食事をした者の心を満たすための物だ。
もちろん、例外というものは数多く存在する。
けれど、多くの人々は「生きるためだけの栄養のみを欲した者」や「自身の考えに基づいて進んで偏食をする者」は心の健康を、心を満たすために「好きなものばかりを選り好みする者」や「高カロリーで高脂質なものばかりを食する者」は、体の健康を害することが多い。
……ここで、先の言葉を繰り返してみよう。
この国の貴族には、とある悪習が蔓延っている――と。
何を隠そうこの国――フィッチス王国の貴族たちは、料理で心を満たすことだけを考え、生きるために必要な栄養素を補給するということに関してはまるっきり度外視している。
彼、彼女らの食卓に並ぶラインナップを曜日別に表せば、肉、肉、肉、魚、肉、肉、肉……と、驚異のタンパク質&脂質率となり、しかもそれらは素材の味が微塵も感じられない程に味が濃く、全てが油でギトギト。
それが朝昼夕晩の四回も続く。
おまけに「地から生える物を食するのは貴族に非ず」という、謎の掟を忠実に守っているつもりなのか、はたまた単に野菜嫌いなだけなのか、彼らの食卓に野菜類が並ぶことは、万に一つもない。
しかし、スイカやメロン、イチゴなどは並ぶのだから、不思議なモノだ。
……さて、そのような歪み切った食生活を続けたその先に、一体どのような結末が待っているのか。
それはもはや、答えるまでもないだろう。
「――まともな味覚を持った料理人は、居ないのかしら」
銀のフォークに突き刺さったステーキを、じろりと睨んでいる少女――ローズ・クランベリームースは、小さな口をへの字にして言った。
目の前に広がる色とりどりの料理の絨毯は、見ているだけで涎が垂れてくる程に美しく、それでいてお腹の空くような香りが漂っている。
もし、初めてこの光景を目にするものが居たとすれば。
十中八九、その感想はこうだろう。
『まるで天国のようだ』と。
しかし、見た目に騙されていけない。
残念なことに、これらの料理は全て、食事というものにおいて、重要な部分である「味」が、致命的に悪い。
匂い良し、見た目良しと来て肝心の味は壊滅的。もはや詐欺である。
焼いただけの肉であれば大丈夫だろう、と恐る恐る手に取ったステーキも、十年以上血の混じった油に漬けたのかと錯覚するほど生臭く、おまけに異常なほど塩辛いのだから、もはや食材に対する冒涜だ。
眉根を寄せ、瞼を閉じながら喉奥より訪れる衝動を耐え忍ぶローズは内心そう思っていたし、なんだったら今すぐにでも吐き出してしまいたい気持ちすらあった。
が、しかし、国王の主催したパーティーで、それは許されない。
何より、それがどんなに不味い食べ物であっても――例え身の毛のよだつような殺人料理だったとしても――命を頂いていることには変わりない。
手に取ったからには、無駄にするわけにはいかない。
そんな、大量生産大量消費が当たり前のフィッチス王国貴族には珍しい、『いただきます』と『もったいない』の心を持っていたローズだったからこそ、決意は曲げられなかった。
――頂きます。
心の中で、食材となった動物に感謝して。
ローズは半分以上残ったソレを、一気に頬張る。
「――ンッぐ……ゴフッ…………ッ!!!」
その瞬間訪れたのは、香りと味の圧倒的暴力だ。
それは、瞬間的に『生命活動に何らかの悪影響を及ぼす物』だと――もっと端的に言えば、『死にたくなければ食うな』と生存本能が警鐘を鳴らすレベルのブツであった。
咀嚼する度、龍の息吹のように鼻を抜ける質の悪い油と腐りかけの血の臭い。
シェフは長期間熟成させたと鼻高々に語っていたが、熟成と腐敗は全くの別物である。旨味の一つでもあれば兎も角、これは後者に間違いない。
そして、臭いの暴力が落ち着いたと安堵した瞬間、追い討ちを掛けるかのように訪れるのは怒涛の塩味。
隙を見せぬ二段構えとはまさにこの事。
基本的に、不味い料理もゲテモノ料理もドンと来いという、ある意味漢らしい考えを持つローズでも、これは流石にお呼びでない。
まさに個性の殴り合い。
ローズの口内にて繰り広げられたるは、味と香りのハーモニーなどではなく、電光石火の電撃戦だった。
控えめに言ってただの地獄である。
それでも、乙女をドブヘ投げ捨てるようなその衝動を一切外部に漏らさず、天使のような微笑を浮かべられるローズは、立派な貴族令嬢と言えるだろう。
無論、微笑という名の仮面の下では、地獄の業火が巻き起こってはいたが。
――……良く、持ちたわね、私の意識と嘔吐中枢。
食ってみろ、トブぞ――意識が――とはまさにこの事。
そんな劇物からの猛攻撃にも耐え、ステーキと呼ぶことすらおこがましい、生命に対する侮辱とも言えるソレを、ローズは何とか嚥下することに成功した――が、残念なことに、飲み込んだからと言ってすぐに味が消えるという、都合の良いことは起らないわけで。
「……ぅう……」
ローズはフルフルと体を震わせながら、真っ青になった顔を伏せた。
そして、まるで生まれたての小鹿のような、普段の彼女からは想像すら出来ない、ヨタヨタという擬音が付きそうなほどに頼りない足取りで別のテーブルへと向かう。
半ば無意識でたどり着いた場所には、様々スイーツが所狭しと並んでいた。
こちらも、一見したところでは大変美味な物のように映りはするものの、例によって味はお察しだ。
スイーツの見た目をした、ただの砂糖の塊なのである。
しかしながら、強烈な臭みと塩味によって口内を支配されているローズが、正常な判断を下せるかといえば、答えは否。
どんなに凛とした雰囲気を纏っていても、どんなに大人びていたとしても、彼女の年齢は未だ15歳。
この状況で落ち着いた判断を下すだけの経験値は、まだ身に付いていない。
故に、彼女はその中で最も果物の多いタルトに手を伸ばすと、人目もはばからずに大口を開けてタルトをかじり――。
「――ッ…………!?!!?!?」
案の定、悶絶した。
全身の、ありとあらゆる毛が逆立つような感覚が、ローズを襲う。
果てしない生臭さと果てしない甘さが合わさり、彼女の口内で凶悪なハーモニーが奏でられ、果物の香りと甘さで肉の生臭さを打ち消すつもりが、逆に地獄への一本道を馬で駆け抜けることになってしまった。
あのステーキの破壊力のせいか、とあることをローズは忘れていた。
この国で『普通』の果物が食べたければ、道端に生えている野イチゴを食えという言葉があるほど、果物をイカれたレベルの砂糖漬けにする風習があることを。
かじったタルトに使われているそれは、果物の皮を剥いて砂糖液に漬けた、所謂シラップ漬けである。
保存のためにかなり大量の砂糖を使用してはいるものの、本来のシラップ漬けというものは、多少なりとも果物本来の香りも感じられる。
はずなのだが、これこそフィッチスキングダムクオリティ。
感じられるのはあまりにも暴力的な砂糖の甘さオンリー。
果物の瑞々しさや爽やかな香りなど、一切合切消滅済みなのだ。
となれば、ローズの口内が行く先は正真正銘ただの地獄である。
ただでさえ真っ青だった顔は血色というものが消え失せ、夜の世界で生きるヴァンパイアに似たこの世のものとは思えない形相になり、翡翠をはめ込んだような美しい瞳には薄っすらと涙が浮かんだ。
彼女にとっては、もはやセルフ拷問と言ってしまっても過言ではないだろう。
しかしながら、そんな状態になっても彼女がリバースしなかったのは、乙女として「それだけは避けなければ」という強い意志と、貴族令嬢としての矜持。
そして――。
「お嬢様、あのお料理はいかがでしょう?」
「……い、いえ。結構ですわ。もうお腹いっぱいなのよ」
「流石はお嬢様でございます。お腹がいっぱいだと言って私を傷つけないようにしつつ、後々の挨拶周りに備えていらっしゃるのですね!」
ほぼ唯一と言っても良い同姓の友人――もとい、侍女のリリーが従者同士の挨拶を隣に戻ってきたからだ。
ローズはジワリと浮き出る汗を、柔らかな手拭いでふき取ると、青ざめた顔のまま笑顔を浮かべて。
「…………よく、わかったわね」
あまりにも深読みしすぎているリリーへ、そんな言葉を絞り出した。
さながら、袋に残ったホイップを無理矢理絞り出すかのようだった。
「さて、晩餐会が本格的に始まる前に、皆様の元へご挨拶に伺いましょうか」
これ以上この話を続けたくなかったのだろうか。
ローズは、無理やり話題を切り替えるように声のトーンを上げて言う。
しかし、やはり、その顔は青白いまま。
限界が近いのは一目瞭然だったものの、会場の光源がそれほど強いものではなかったせいか、リリーは気づくことなく、眩しい笑顔を浮かべながら、フラフラ歩くローズの後ろを靴音を響かせながら続く。
主人の心、従者知らず。
正に、その言葉がぴったりな、そんな光景である。
以前、こちらのサイトにて投稿していた物のリメイクになります。
どうぞよろしくお願いいたします。