くだらない
「二人きり……?」
意味がわからず、俺はヒューゴの言葉を繰り返す。
「それじゃあ、姉さんとアルバート殿下は……?」
「すまない。嘘をついた」
「嘘………?」
「二人の間に口論などなかった。今日も殿下がセリーナ嬢を馬車で送っていったぞ」
「は?」
一体どうしてそんな嘘をついたのか……。
そんな疑問よりも、セリーナとアルバートの口論そのものが嘘だとわかり、俺は内心安堵の息を吐く。
「リアムと二人きりで話がしたかったんだ」
続いたヒューゴの言葉で、俺と二人きりで話をするために嘘までついてこの場所へ連れてきたのだと、ようやく理解した。
「そんな嘘をつかなくても、言ってくだされば二人で話をするくらい……」
「前のように邪魔をされたくなかったからな」
前というのはカフェテリアの時だろうか。
そういえば、あの時はシリウスとマーガレットが乱入してきたことを思い出す。
(それほど重要な話なのか?)
穏やかな笑みを崩さないヒューゴだが、なぜだか彼の雰囲気がいつもと違うような……。
そんなことを考えているうちに、ヒューゴがさっそく本題に入った。
「シリウス・バートランドとの関係について聞きたい」
「………っ!」
いきなり核心を突くような問いかけに、俺はビクッと身じろいでしまう。
「な、何を……?」
「数日前、リアムがバートランドの部屋から出てくるところを見かけたんだ。その時にバートランドがリアムに不埒な真似を……」
「あ………」
ヒューゴの言う不埒な真似とは、おそらくシリウスが俺の手の甲に口付けをしたこと。
そのすぐ後にヒューゴから声を掛けられ、ドギマギしてしまったのは記憶に新しい。
(まさか、見られていただなんて……!)
羞恥で顔に熱が集まっていく。
「あれは、その……えっと……」
「言わなくてもわかっている。バートランドに無理強いされたのだろう?」
「え?」
なんとか言い訳をしようとする俺に、ヒューゴから思いがけない言葉が飛び出した。
「密室に連れ込み、無理やり関係を迫るなんて……。教師の風上にも置けん! いや、人としてあるまじきことだ!」
「ち、違うんです!」
どうやらヒューゴはひどい勘違いをしているらしい。
だが、誤解を解こうと声を上げるも、彼は止まらない。
「リアム、辛い思いをしたな……。もう大丈夫だ。後は俺に任せてくれ」
「いや、任せるって一体何を……?」
「バートランドを講師の任から解くよう動いているところだ。そもそも、いくら紅竜を討伐したとはいえ、あんな危険人物に爵位を与えるなど……。愚かな振る舞いは正さねばならない」
ドクンと心臓が脈打つ。
元々、シリウスとトリフォノフ公爵家の仲は険悪だった。
だが、ヒューゴの勘違いをきっかけにトリフォノフ公爵家が本気でシリウスを潰そうと動いたら……。
(ダメだ………)
もうすっかり過去になったはずの前世の記憶が甦る。
謂れのない罪を着せられ、歩むはずだった未来の道は閉ざされ、逃げるように王都を飛び出した。
(シリウスを、俺と同じ目に遭わせるわけにはいかない……!)
俺とシリウスの本当の関係も、教師と生徒としては不適切だろう。
しかし、シリウスが俺に関係を強要していると誤解されるよりは、ヒューゴを説得できるはずだ。
「ヒューゴ様、聞いてください! 誤解なんです!」
「誤解……?」
「バートランド先生は俺に無理強いをしたわけじゃありません! もちろん、俺たちの立場上これが不適切であることは理解していますが……」
「リアム、何を………?」
俺は、困惑したヒューゴの琥珀色の瞳を真正面から見つめた。
「俺とバートランド先生は互いを想い合っています!」
「は?」
目を見開いたヒューゴは見るからに動揺し、声をわなわなと震わせる。
「リアム……なぜ、あんな男を庇うんだ? ああ、何か弱味を握られているんだな? そうなんだろう? 安心してくれ、俺が全て解決してやるから」
「違うんです! 俺たちは互いを………」
「そんなはずがないだろう!!」
大声で怒鳴られたことに驚き、俺は思わず口を噤む。
片手で前髪をくしゃりと握りながら、ヒューゴの表情も口調も険しさを増していく。
「リアム……違うだろう? そうじゃない。だって、真実の愛で結ばれているのは俺たちなんだ」
「ヒューゴ様……?」
思ってもみないヒューゴの反応に、俺はじりっと後ろに一歩下がる。
だが、ヒューゴは大股で数歩前に出て俺との距離を詰めると、その手が俺の両肩を掴んだ。
「さあ、正直に答えてくれ。リアムがあんな男に惚れるはずがない。何か事情があるんだろう? それを証言してくれれば、あの男を追放することができるんだ!」
「…………」
どうやら、シリウスを失脚させるためにヒューゴは我が家を巻き込むつもりのようだ。
俺がシリウスに脅されていたと証言すれば、必ずカールソン侯爵家が動く。
そして、我が家は第二王子派閥の筆頭貴族でもあるため、うまくいけばアルバートが味方につく可能性だってあると考えたのだろう。
ギラギラとした琥珀色の瞳に見据えられ、俺の身体は竦んでしまう。
それでも、負けじと必死に口を動かした。
「弱味なんて握られていません。ただ、俺はシリウスを愛して……うわっ」
ヒューゴが俺の両肩を掴んだまま力を込め、そのせいでバランスを崩した俺は地面に押し倒されてしまう。
「っ………!」
芝生の上とはいえ、背中を打ちつけた衝撃で息が詰まった。
目を開けると、倒れた俺に馬乗りになったヒューゴがこちらを見下ろしている。
「俺を裏切ったのか……?」
その瞳に仄暗いものが浮かび上がり、俺は思わず息を呑む。
「う、裏切るも何も、俺とヒューゴ様は何の関係も……」
「何も関係がない? 俺たちは真実の愛で結ばれているのに?」
ここでようやく、ヒューゴが俺に恋愛感情を抱いているらしいことに思い至った。
だが、頭の中はいまだ混乱が続く。
「でも、そんな話は一度だってなかったですよね?」
ヒューゴはまるで俺と両想いであったかのような口振りだ。
だが、俺はヒューゴに対してそれらしい態度を取ったことなどなかったはずで……。
「俺は、真実の愛の相手がリアムだと一目見て気がついたんだ。リアムだってそうだろう? 真実の愛とはそういうものだと母から教わった。間違いない」
「…………」
「だからバートランドを排除し、俺たちは真実の愛を貫き通す」
ヒューゴの口元が緩み、恍惚な笑みを湛えている。
対して、俺の心が急激に冷えていくのを感じた。
「真実の愛? 俺とあなたが?」
そう口にした途端、自然に口の端がつり上がることを自覚する。
きっと、今の俺は嘲りを含んだ笑みを浮かべているのだろう。
──前世の俺は、その真実の愛とやらの犠牲になったのだから。
そんな俺を見たヒューゴが眉根を寄せる。
頭の中で相手を怒らせるなと理性が警報を鳴らす。
だが、それに反して胸の奥から湧き上がるものが口から飛び出てしまう。
「くだらない幻想を俺に押し付けるな! 俺が心を許しているのはシリウスだけだ!」
「何を……!」
「あなたを愛してなどいない! 俺とあなたの間に真実の愛なんて存在しな……ぐぅっ!」
張り上げた声は、俺の首にかけられたヒューゴの手によって遮られた。
「黙れ……」
「ぐっ……ううっ……」
「なぜ、リアムが真実の愛を否定する? そんなこと……許されるはずがない」
ギリギリと首を絞められ、俺は必死にヒューゴの腕を退けようとするも、力では全く敵わない。
「なあ、リアム。俺を愛しているんだろ? そうだと言ってくれ!」
足をバタつかせながら、嫌だと俺は顔を横に振る。
「リアム! 俺を受け入れてくれ!」
懇願の入り混じるヒューゴの怒声が響いた瞬間、ふっと首を絞める力から解放された。
それと同時に、今度は苦痛に塗れた悲鳴が響く。
「げほっげほっ……はぁ……げほっ」
俺は激しく咳き込みながら上体を起こし、状況を把握しようと辺りを見回す。
すると、地面に転がるヒューゴと、そんな彼の側に立つシリウスの姿が視界に入る。
「シリウス……?」
爛々と輝く紅い瞳がヒューゴを見下ろしていた。




