真実の愛 (Side.ヒューゴ)
読んでいただきありがとうございます。
※今話はヒューゴ視点になります。
よろしくお願いいたします。
物心がついた頃から、俺は周囲の大人たちから不思議な渾名で呼ばれることがあった。
「母上。どうして皆は俺のことを『真実の愛の結晶』って呼ぶの?」
「ふふっ……それはね、あなたが真実の愛で結ばれたわたくしたちの息子だからよ」
そう言って、母は俺と同じ琥珀色の瞳を柔らかく細める。
「真実の愛……?」
「そう。本当に愛し合う者同士を表す言葉……」
それから母は学園時代の話をしてくれた。
当時、母には父とは別の婚約者がいたが、その婚約者は母に対して暴言を吐き、時には暴力も振るっていたそうだ。
恐怖に囚われ、誰にも相談できず悩み苦しむ母に手を差し伸べたのが父だった。
学園の卒業パーティーで婚約者を断罪し、母の婚約は破棄され、父と母はめでたく真実の愛によって結ばれる……。
そんな両親の馴れ初めは有名で、俺が渾名で呼ばれる理由でもあったのだ。
(真実の愛………!)
その言葉が胸に深く刻まれる。
「ヒューゴにも、きっとそんな相手が現れるわよ」
「本当!? どんな人?」
「出会った瞬間にわかるわ。だって、わたくしもそうだったのだから……」
母の話を聞き、俺は憧れに目を輝かせる。
仲睦まじい両親に高い地位、そして俺自身は立派な体躯と剣術の才能に恵まれた。
そのおかげで、アルバート殿下の側近候補に名を連ねることになる。
全てが順風満帆で、いつかは両親のように『真実の愛』と呼べる相手に出会うと信じて疑わなかった。
──シリウス・バートランドが現れるまでは……。
『この栄誉は、幼き私の才能を見出し、高みへと引き上げてくださった我が師……ウィリアム・イリックへ捧げます』
爵位を賜る公の場で、シリウスの放ったこの言葉が大きな波紋をもたらす。
なぜなら、シリウスの師であったとされるウィリアムが、母の元婚約者であったからだ。
(母上に暴力を振るった最低な男が師匠? よくもそんな男の名前を堂々と……)
だが、その堂々たるシリウスの態度が、周囲に余計な疑念を生み出してしまう。
ウィリアム・イリックは、かつてトリフォノフ公爵夫妻に嵌められて王都を追放されたのだと……。
(ふざけるなっ!!)
父と母が真に愛し合っているのは疑いようもなく、そんな両親を誇りに思って生きてきた。
それなのに………。
これまで、事あるごとに父と母へ『真実の愛』だと口にしていた連中が、一斉に口を噤む。
それは俺に対しても同じで、俺に取り入ろうとしていた同年代の者たちも『真実の愛の結晶』とは口にしなくなった。
俺の根底を支えていた何かが、ひどく揺らいでいく……。
「母上、その、噂の件ですが……」
「はぁ……。ヒューゴ、あなたまでデタラメな噂に振り回されてどうするの?」
溜息交じりの母の声には苛立ちが含まれている。
「デタラメ……。そう……ですよね……」
「ええ。それなのに噂を信じる愚か者の多いこと……。おそらくバートランド卿もウィリアムに騙されているのだわ。可哀想に……」
たしかに、シリウスがウィリアムから嘘を吹き込まれている可能性は大いにあった。
孤児であった幼いシリウスを拾い、共に暮らしながら魔術師としてシリウスを育て上げたウィリアム。
きっと、シリウスにとってウィリアムは師匠であり親のような存在でもあったのだろう。
そんなウィリアムの言葉を、シリウスは疑うことなく受け入れたのだ。
「ヒューゴ、安心なさい。あなたが『真実の愛の結晶』であることに変わりはないわ」
そう言って、母は悠然と微笑む。
それはまさに公爵夫人らしい堂々たる笑みだった。
(そうだ。ただの噂じゃないか……!)
周りに何と噂されようとも、俺の両親は『真実の愛』で結ばれ、俺はそんな両親の『愛の結晶』だ。
俺が噂に振り回されれば、それこそシリウスの思惑通りになってしまう。
(暴力男の話を真に受けて、それを周囲に広めて公爵家を貶めようとするなんて……。英雄なんて言われていても所詮は元孤児だな)
そして噂話に加担する者たちは、完璧過ぎる公爵夫妻に対して妬みもあるのだろう。
(俺はもう惑わされない……!)
それからはただひたすらに剣の腕を磨き、ついにアルバート殿下の側近兼護衛として認められる。
そのタイミングでアルバート殿下に婚約話が持ち上がった。
相手はセリーナ・カールソン侯爵令嬢。
家格は申し分なく、本人も優秀であると評判の令嬢だった。
何度かの顔合わせを経て、アルバート殿下とセリーナ嬢の婚約は結ばれる。
そんな二人の交流の場に、アルバート殿下の護衛として俺も呼ばれることが増えた。
「リアム・カールソンと申します」
ある日、セリーナ嬢から自身の弟であるリアムを紹介される。
セリーナ嬢と同じ黒髪に吸い込まれてしまいそうな大きな瞳を持ち、まるで陶器のような白い肌に小さな唇の赤が映える。
この国で黒髪黒目が珍しいからだろうか……。俺はリアムから目が離せない。
(何だ……この感情は……?)
胸が煩いくらいに高鳴り、リアムの側にいるだけで息苦しくなってしまう。
それなのに、リアムと話したい、触れたい、その瞳に俺を映してほしい……。
そんな衝動が内側から湧き上がってくるのだ。
『出会った瞬間にわかるわ』
いつかの母の言葉が頭の中に甦る。
(これが……この感情が……真実の愛?)
理解すると同時にストンと納得ができた。
なぜなら、リアムのためならばどんな不可能も可能に変えてみせようと……そんな不思議な感情が湧き起こるからだ。
きっと、父もこの感情を持って母を暴力男から解放し、真実の愛を貫いたのだろう。
しかし、肝心のリアムとの仲が進展しない。
俺たちが会えるのはアルバート殿下とセリーナ嬢の交流の時ばかりで、その時のリアムはいつもセリーナ嬢を気にかけているからだ。
そのせいか、リアムは重度のシスコンだと噂されていた。
リアムがセリーナ嬢から離れることはなく、護衛の俺もアルバート殿下から離れることは難しい……。
すぐ側にリアムがいるのに、二人きりの時間を設けることができないのがもどかしかった。
その間にもリアムはさらに愛らしく成長し、彼に目を付ける者も増えていく。
仕方なく、俺は裏から手を回して牽制し、不届き者たちからリアムを守る。
(あと、少しの我慢だ……。リアムが学園に入学すれば、俺たちの関係も進展するだろう)
そう、学園内であれば自由にリアムと交流することができる。
セリーナ嬢のことになると積極的なリアムだが、彼の性格そのものは控え目だった。
敬称を付けずに名前を呼ぶ許可を与えても遠慮がちで、困りごとがあれば頼るように促すも消極的な反応を示す。
(まあ、そんなところも愛らしいが……。仕方ない、俺から動いてやるとしよう)
学園内では俺に好意を向ける女子生徒も多い。
だから、リアムは不安になっているのかもしれない。
「俺が早くリアムに会いたかったんだ」
「安心してくれ。俺がそんな誘いをするのはリアムにだけだ」
リアムを安心させるために、自身の感情を言葉にして惜しみなく伝える。
そうすればリアムだって自分の気持ちに素直になれるだろう。
しかし、放課後に二人で過ごそうとするも、思わぬ邪魔が入った。
(次はカフェテリアではなく人目の少ない場所にしようか……。いや、休日に出掛けるほうがいいかもしれない)
そのほうが長く俺と過ごせるのだから、リアムも喜ぶに違いない。
騎士科の遠征訓練に参加したせいで、しばらく顔を見ていないリアムとのこれからに思いを馳せる。
(あとは、そろそろ婚約を申し込まなければな……)
これまで何度かリアムとの婚約を考えたが、リアム自身がセリーナ嬢が結婚するまでは誰とも婚約しないと明言していた。
だが、セリーナ嬢とアルバート殿下は学園卒業後の結婚がほぼ確定している。
(俺も王立騎士団への入団がほぼ決まっているからな。そのタイミングで婚約を申し込み、リアムの卒業を待って結婚すればいいだろう)
我が国では同性婚が認められており、次男の俺がカールソン侯爵家に嫁げば何も問題はない。
(後継者は縁戚の子供を引き取ることになるが……)
真実の愛で結ばれた俺たちならば、俺の両親のように愛情深く子を育てることができるはず。
──しかし、これまでのように全てが順風満帆に進むと信じて疑わなかった俺は、恐るべき光景を目の当たりにする。
(あれは、リアムと……バートランド!?)
遠征訓練が終わった翌日、レポートを提出し忘れていた俺は教員室を訪ねるも不在だった教師を探して、普段は足を踏み入れることのない棟へ向かう。
そこで、部屋から出てきたリアムに何事かを語りかけるシリウスを目撃してしまった。
しかも、あろうことかリアムの手の甲にシリウスが口付けを……。
(何だあれは!?)
自身で見たものが信じられず、足元がグラグラと揺れているような感覚を覚える。
(そんなはずはない……リアムがあんな男と……? いや、きっと何か事情があるはずだ)
俺はなんとか自身を奮い立たせると、急いでリアムの後を追う。
「リアム!」
「ひ、ヒューゴ様……」
振り返ったリアムの表情はひどく青ざめ、声も上擦ってしまっている。
だからだろうか、逆に俺の頭は冷えていき、冷静にリアムを観察することができた。
決してシリウスの名前は出さないリアム。
だが、その笑顔は固く、何かを隠しているのは明らかだ。
(もしや……リアムはバートランドに無理やりあのようなことを……?)
リアムはカールソン侯爵家の嫡男だが、シリウスは最強魔術師と呼ばれる存在。
力づくならリアムは抵抗することなんてできないはず……。
それとも、何か弱味を握られている可能性だってある。
(どちらにしても、なんて卑劣な男なんだ……! さすが、あの暴力男を師匠に持つだけある)
現在のリアムと、過去の母の境遇が重なる。
だったら、俺はリアムを救い出し、真実の愛を貫き通すしかないだろう。
そう、尊敬してやまない俺の父と母のように……。




