お願い
ヒューゴが予約していたこの特別席は、パーテーションにより他の客から見られないようになっている。
といっても、個室ではないので覗き込めば誰が居るのかを簡単に確認できる……が、それをしないのが暗黙のルールというもの。
貴族となり、それなりの経験を積んでいるシリウスならば当然わかっている。
わかっていて、敢えて覗き込むのがシリウスである。
そして、貴族になったばかりのマーガレットは、ルールなんて全く知らずに、興味本意で覗き込んだのだろう。
「え!? シリウス・バートランドもいる!」
視線をシリウスに移したマーガレットは、敬称も付けずに名前を呼び、ズカズカと俺たちの席に近づく。
「ヒューゴ先輩、これって何の集まりなんですか?」
「あ……いや、集まりっていうわけじゃ……」
マーガレットの突然の乱入にヒューゴは驚き、毒気を抜かれて立ち尽くしている。
そんなヒューゴのことなどお構いなしに、彼女はテーブルに視線を向けた。
「このクロワッサン美味しそう! なんだか私もお腹が空いてきちゃいました! ご一緒してもいいですよね?」
そして、あろうことか自身で椅子を取りにいき、あっという間に自身の居場所を作ってしまった。
そんなマーガレットに促され、ヒューゴも自分の席に戻っていく。
有無を言わせぬ押しの強さで、この場の主導権がマーガレットに移ってしまったかのよう……。
(すごいな………)
貴族の令嬢がこんな行動をすれば常識がないと非難されるだろう。
そこを、貴族になったばかりの元平民なのだから仕方がないという理由で、マーガレットは見逃されている節がある。
それに加えて彼女の愛らしい顔立ちと、ころころ変わる表情が、マーガレットの振る舞いを天真爛漫さに変えて見せている。
(恐るべし……ヒロイン)
外見ならば、セリーナだって十分美しい。
だけど、攻略キャラ全員を惹きつけるには、マーガレットのような際立った個性が必要なのだと思い知った。
「シリウス……あ、違った。バートランド先生は何を注文されたんですか?」
「…………」
「バートランド先生?」
「君は、どこの令嬢だ?」
「あ! 私ったら自己紹介を忘れていました。一年のマーガレット・デシャンです」
「そうか………」
だが、シリウスはあまりマーガレットに興味が無さそうだ。
まあ、初対面ならこんなものかもしれないが……。
そんな二人のやり取りを見て、もしかしてこれはイベントの一種なのではと気が付く。
これまで、いくら学園内を探しても遭遇できなかった攻略キャラとヒロインのイベントに、こんなタイミングで参加できるなんて……。
(ん? 参加?)
シリウスとヒューゴはともかく、攻略キャラでも何でもない俺がここにいてもいいのだろうか。
すると、マーガレットが今度は俺に声をかけてきた。
「ねえ、あなたってセリーナ様の弟よね?」
「う、うん」
「名前を教えてくれる?」
「リアム・カールソ……」
「リアム! 素敵な名前ね! 私のこともマーガレットって呼んで!」
「う、うん?」
「私、同じ学年にまだ友達がいなくって。これから仲良くしてくれると嬉しい!」
「………こちらこそ、よろしく」
俺の存在を知っていたことに驚く間もなく、マーガレットがすごい勢いで距離を詰めてくる。
身分差を乗り越え、攻略キャラと仲を深めるにはこれくらいの積極性が必要なのか……。
(でも、これはチャンスなのかもしれない)
セリーナの断罪を防ぐには、マーガレットの動向を探る必要があった。
彼女と親しくなれば、闇雲にイベント現場を探すよりも情報が入りやすくなるはず……。
そう頭を切り替え、俺はこの機会を有効活用することに決めた。
これでも、前前世と前世を含めてそれなりに人生経験があり、現在の年齢にしては対人スキルは高いと自負している。
「マーガレットも注文する? 何が食べたい?」
「んー……クロワッサン美味しそうだし、リアムと同じのにしたいんだけど……。でも、食べきれるかなぁ?」
「よかったら俺のを一つ食べる?」
少し崩したほうが親しみやすいだろうと、敢えてマーガレットの口調に合わせていくと、すぐに距離が縮まった。
「え? 貴族ってそういうのダメなんじゃないの?」
「本当はマナー違反になるけど、公の場じゃないし……いいですよね?」
同意を求めるようにヒューゴを見ると、なぜか眉間にシワを寄せてこちらを見つめている。
(あ………)
そうか。攻略キャラのヒューゴにしてみれば、俺とヒロインが目の前で親しくする状況は面白くないわけで……。
(ん………?)
なんと、シリウスまでもが不機嫌そうな表情でこちらを見ている。
(なんで?)
すでにマーガレットと交流のあるヒューゴはともかく、シリウスは彼女と初対面のはず。
まさか、マーガレットに一目惚れだなんてことがあるのだろうか。
そんな男二人から嫉妬の感情を向けられていることにマーガレットは気付かず、俺が譲ったクロワッサンを嬉しそうに頬張っている。
なんだかよくわからない状況に戸惑いながら、食事が終わったタイミングでこの場はお開きとなったのだった。
◇◇◇◇◇◇
四人でカフェテリアを出ると、マーガレットがヒューゴに話しかけた。
その隙に俺は皆に別れの挨拶をし、急いでその場を離れる。
俺はマーガレットと恋仲になるつもりはなく、むしろヒューゴと彼女が結ばれることを応援している立場だ。
簡単に言うと、気を利かしたのである。
(さっきも嫉妬がすごかったし……)
マーガレットの取り合いは、攻略キャラ同士でやってくれればいい。
そんなことを考えながら、馬車乗り場へと向かっていると、後ろから名前を呼ばれ振り返る。
「バートランド先生? どうされましたか?」
俺の後を追いかけてきたらしいシリウスに驚いた。
てっきり、ヒューゴと共にマーガレットの側にいると思ったからだ。
「リアム……俺との話がまだ終わっていないだろう?」
「話って……?」
「君に頼みたいことがあると言ったはずだ」
そういえば、そんなことを言っていたような……。
マーガレットの登場で、すっかり吹き飛んでしまっていた。
どうやら、俺がシリウスの言葉を忘れてしまったことが伝わったのだろう……。
ムスッとした表情のシリウスに内心笑ってしまう。
(昔と一緒だな……)
シリウスは自分が優先されないとすぐに拗ねるところがあった。
見た目はすっかり大人になっていても、その表情や仕草にあの頃のシリウスが見え隠れする。
その度に、俺はウィリアムに戻ったような心地になってしまうのだ。
「そうでしたね。すみません。それで、その頼みって何でしょう?」
「魔法の訓練に付き合ってほしいんだ」
「は?」
思わぬ頼みごとに間の抜けた声が出る。
「魔法の訓練って……?」
「ああ。言葉が足りなかったな。俺はあまり人に何かを教えた経験がなくて……」
シリウスによると、魔法を教わる側……つまり生徒役として練習台になってほしいとのことだった。
それなら魔術を専攻している生徒に頼んだほうがいいと思うのだが、それこそ『特別扱い』になってしまうそうだ。
じゃあ、教師に教わればいいと提案するも、皆がシリウスに何かを教えるなんて恐れ多いといった態度で、頼めそうもないらしい。
「俺の周りで魔術を専攻していない生徒の知り合いは君しかいないんだ」
「…………」
そう言われても、俺の頭には疑問符が浮かぶばかりだ。
(どうして、俺なのだろう?)
昨日、道案内をしただけの生徒。
それをわざわざ探し出し、カフェテリアで同席し、さらに後を追いかけてまで頼むものなのか……?
何か目的があり、そのために理由をこじつけているようにしか思えない。
(一体、何のために……?)
そんなことを考えていると、目の前のシリウスが悲しげに俯く。
「やはり、無理だろうか……?」
そう言って、シリウスの紅い瞳がじっと俺を見つめる。
(うっ………)
昔から、頼みごとがあると言葉ではなく目で訴えるのがシリウスである。
そして、俺はウィリアムの頃から、そんなシリウスのお願いに弱いのが事実で……。
「わかりました……」
結局、こうなってしまうのだった。




