喪失(Side.シリウス)
※今話もシリウス視点になります。
よろしくお願いいたします。
「なあ、雨が降ってんだけど」
「雨って……こんなの降ってる内に入らないよ?」
「でも、これから激しくなって雷が鳴るかもしれないし……」
寝る時間になり、ウィリアムの寝室に押しかけた俺は、上目遣いでじっと彼の目を見つめる。
「んー……もうベッドで一緒に寝るには狭いだろ」
「それならもっとでっかいベッドを買おうぜ!」
「どこに置くんだよ……」
呆れたように笑いながら、ウィリアムはベッドの端に寄ってスペースを空けてくれた。
俺はすかさずベッドに飛び乗り、そのスペースに身体を滑り込ませる。
「いつまでも甘えん坊だな」
「そんな子供じゃねぇし!」
そう言いながら、俺はウィリアムの身体にぴったりとくっついた。
わかっている。
言ってることとやっていることが全く違うなんて、自分が一番わかっている。
それでも、好きな人に触れるチャンスを逃したくなくて、子供じみた言い訳を貫き通しているのだ。
十三歳になった俺は、すでにウィリアムへの気持ちが何であるかを自覚していた。
それと同時に、ウィリアムが俺に対して恋愛感情を持っていないことにも気づいている。
早く大人になってウィリアムに恋愛対象として見てもらいたい気持ちと、子供らしく甘えてでもウィリアムに触れたい気持ち……。
そんな二つの相反する感情に振り回されてしまっていた。
「そうか、シリウスも十三歳だもんな……」
右隣から聞こえた小さな呟きに反応する。
「だから何だよ?」
「そろそろマナーを教える必要があると思ってね」
「はあ? マナー? ナイフとフォークなら問題なく使えてるだろ?」
「テーブルマナーだけじゃないよ。言葉遣いや身のこなしを学ぶことは洗練された大人になるには必要不可欠だ」
「洗練………」
正直、貴族でも何でもない俺が、そんなものを身に着ける必要なんてないだろうと思った。
だが、惚れた弱みというべきか、ウィリアムの提案を無碍にはできない俺がいる。
「まあ、いいけど……。あんたが教えてくれるんだろ?」
「うん。まずは、その『あんた』から直そうか?」
「ええっ?」
「俺は一応年上なんだから、これからは『ウィリアムさん』って呼んで」
「……なんか他人行儀で嫌だ」
「えー!? じゃあ……『ウィリアム兄さん』は?」
「……兄弟なんて絶対に嫌だ」
そんな呼び方をすれば、余計に恋愛対象として見てもらえなくなってしまう。
(どうせなら、愛称で呼びたいけど……)
恋人らしく甘い雰囲気でウィリアムの名を呼んでみたい。
もちろん、そんな願望を口に出すことすらできず、結局はウィリアムを『師匠』と呼ぶことに決まった。
(まあ、弟子なら師匠を超えることだってあるだろうし……)
さん付けや兄さん呼びよりは、いくらかマシなはずだと自身に言い聞かせる。
俺の背だってずいぶん伸びて、もう少しでウィリアムに追い付くはずだ。
あと数年もすれば子供扱いされないくらいデカくなって、いずれウィリアムと……。
この時の俺は、そんな未来のことばかりに気を取られてしまっていた。
なぜ、ウィリアムがマナーを教えると言い出したのかを考えるべきだったのに……。
◇◇◇◇◇◇
俺は十四才になった。
背丈はついにウィリアムと並び、魔法もマナーも教わったことは全て身についている。
全てが順調だと思っていた。
ウィリアムの口から王立魔術師団への推薦話が出るまでは……。
「王立魔術師団なら、もっとシリウスの才能を活かすことができると思うんだ」
目の前のウィリアムは俺の才能がいかに素晴らしいかを語っているが、その内容が全く頭に入ってこない。
(まさか、俺のことが邪魔になった……?)
しかし、そんな考えを即座に自身で否定する。
(いや、師匠はそんな奴じゃないだろ!)
そう、ウィリアムならきっと……。
「だから、シリウスがいつまでもこんな場所にいるのはもったいないんだよ」
そう言って、ウィリアムは穏やかに微笑む。
やっぱり、ウィリアムは心の底から俺のためだと思って、王都行きを薦めているのだ。
だからこそ、余計に悲しかった……。
(なあ、師匠は俺がいなくなって寂しくない? 俺は……寂しいよ)
ウィリアムに出会えたことで様々な感情を知った。
温もりも満たされた気持ちも、そして甘やかな胸の高鳴りさえも……。
俺はウィリアムから離れたくない一心で王都行きを断固拒否した。
しかし、反抗したり甘えてみたり……様々な手を使ってみるも、今回ばかりはウィリアムが折れてくれることはなかった。
(魔法だってマナーだって、立派で有名な魔術師になるために学んだんじゃない。師匠が褒めてくれるから……あんたに褒めてもらいたかっただけなのに……)
──だけど、別れは突然訪れる。
俺を庇い、左足を地竜に喰われたウィリアムは、風魔法で俺を無理矢理遠くへ飛ばした。
「師匠っ! 師匠っ!」
ウィリアムが俺を逃がそうとしたことはわかっている。
それでも、俺はウィリアムを置き去りにすることなんてできず、叫ぶように名を呼びながら必死に元いた場所へと戻る。
そこには、苦しそうにのたうち回りながら、胃液や血とともに……かつてウィリアムであったものの残骸を吐き出す地竜の姿があった。
瞬間、ウィリアムが地竜の体内で何をしたのかを悟る。
「おい、返せよ……」
ゆらりと、自身の内側から熱い何かが競り上がる。
身体中を巡る魔力がざわざわと震え出した。
「返せ返せ返せ返せっ! 俺の師匠を返せぇぇぇ!!!」
何かが弾けるような感覚と共に、目の前が真っ赤に染まる。
そして、身体の奥から膨れ上がった魔力が次から次へと溢れ出し、刃となった魔力は地竜をズタズタに切り裂いた。
それでも俺は止まらない。
(いかないで! いかないで! お願いだから俺を置いていかないで!)
わけがわからないまま自身の感情と魔力に呑まれかけた時、頭の隅に魔術書のページが浮かび上がった。
それは、かつて怪しげな古書店で見つけた禁忌の魔法ばかりが書かれていたもの。
『この魔法を発動するには化け物並みの魔力が必要なのさ』
続けて、あの時の店主の声が脳裏に響く。
(魔力さえ、あれば………)
ウィリアムを……死者を甦えらせる魔法は存在しない。
しかし、肉体から離れた魂を捕らえて引き戻す魔法なら……。
俺は迷うことなく、魔術書に書かれていた禁忌魔法を発動させる。
すると、俺の身体から紅い鎖が現れ、勢いよく天に向かって伸びていく。
(連れ戻さなきゃ……師匠の魂を俺の元へ……)
肉体が滅びて死を迎えると、魂は神の御許へ還るという。
これは、そんな魂を神から奪い取る魔法。
奪い取った魂は再び術者と同じ世界に引き戻され、新たな肉体を得る……つまり、生まれ変わるのだ。
(師匠………)
禁忌の魔法は世界の理を曲げるもの。
──だから何だ?
ウィリアムのいない世界なんて、どうせ俺はいらない。
魔法が完成すると同時に俺の魔力はそこで尽きてしまい、全身から力が抜けてその場に倒れ込む。
だけど、俺が捕らえた魂に印は刻まれた。
きっと、ウィリアムの魂はこの世界のどこかで再び生まれ変わるはず……。
◇◇◇◇◇◇
ウィリアムの死を冒険者ギルドに報告し、彼の葬儀を終えた俺はそのまま王都へ向かった。
かつてウィリアムを王立魔術師団へ推薦したモルガン伯爵が俺の後見人となり、王立魔術師団への入団を果たす。
孤児出身だと俺を馬鹿にする奴らは実力で捻じ伏せ、目をかけてくれた貴族には礼節をもって応じた。
ウィリアムの教えを忠実に守り、俺は自身の価値を引き上げていく。
それから十年後、国を襲った魔物の大規模侵攻の際、凶悪な紅竜を討伐した褒賞として、ついに俺は国一番の魔術師として爵位を賜ることとなる。
(ようやくここまできた……)
あの人が生まれ変わるこの世界で、俺は彼に恥じない自分になっていたかった。
それに……。
王城で開催された叙爵式にて、国王陛下ならびに国の重鎮たる貴族たちの前、ようやく俺はあの人の名前を口にする。
「この栄誉は、幼き私の才能を見出し、高みへと引き上げてくださった我が師……ウィリアム・イリックへ捧げます」
これで俺の価値は、そのままウィリアムの価値となる。
(少しは師匠の名誉を回復できただろうか? いや、「余計なことはしなくていい」と言って、顔を真っ青にしていそうだな)
そんな彼の表情を想像し、心の内でクスリと笑った。
あとは、この世界のどこかにいるウィリアムを探すだけ……。
それから数年後、ようやく俺の願いが叶う。
「リアム、いい名前だ」
そう言って、目の前の黒髪黒目の少年に俺は微笑みかけた。
(まるで、師匠の名前……ウィリアムを愛称で呼んでいるみたいだ)
いつか、その名前を恋人のように呼んでみたかった。
だけど、呼びたくても呼べないまま、ウィリアムは……。
(今度こそ……)
俺は祈りを込めてもう一度その名を呼ぶ。
「これからよろしく頼むよ、リアム」
次話からリアム視点に戻ります!




