拾壱之拾参
旅寝駅夫と星路羅針、そして平櫻佳音の三人は、満足したような表情で食堂から出てきた。
「美味かったな。量は思ったより多かったけど。」
駅夫が腹をさすりながら笑っている。
「ああ。流石人気のある店だな。量はともかく、味は良かった。」
羅針も満足げに言う。
「本当に美味しかったです。カツカレーも良かったですし。」
平櫻も満足そうにしていた。
「それにしても、良い食べっぷりだったね。」
駅夫が感心したように言う。
「なんか、お二人に大食いだってことを知られて、ちょっと恥ずかしいですね。」
平櫻が少し顔を赤らめて、照れ臭そうに言う。
「別に気にすることないよ。昔の女性は食事中に『こんな食べられない』とか言って小食ぶって、裏でジャンクフード食いまくっていたんだよ。従姉妹の姉ちゃんの話なんだけど、家族の前じゃ小鳥みたいな食べかたしてるくせに、毎月ジャンクフードを箱買いしてて、結局身体壊して一月ぐらい入院したんだよ。おばさんが余計な治療費が掛かったって、鬼の形相してたからね。
あんなのに比べたら、節度があって、健康的で良いことだって。沢山食べることを卑下することはないよ。」
駅夫が冗談混じりの口調で言いながら、平櫻にサムズアップをしてみせる。
平櫻は駅夫の言葉に一瞬戸惑いを見せ、彼の気持ちを汲み取りつつも、どこか納得いかなかった。
そんな平櫻の複雑な気持を表情に見た羅針は、静かに頷きながら微笑む。
「駅夫の言うとおりですよ。無理して食べないふりをするより、好きな物をお腹いっぱい食べるって、素敵なことだと思いますよ。メタボになってるなら気をつけた方が良いとは思いますが、そうじゃないんだから、偏食して身体壊すよりは何倍もマシですよ。」
羅針も、駅夫の言葉を補足するように言った。
その言葉を聞いた平櫻の胸には、ふと暖かいものが広がった。自分の振る舞いが否定されるどころか、素直であることを認められ、褒められたように感じたのだ。
「……そうなんでしょうか。」
まだ少しだけ疑うような声で返しながらも、平櫻の頬には自然と笑みが浮かんでいた。
駅夫が大げさにうんうんと頷き、羅針もそれに続いて真剣な表情で頷く。二人の態度に平櫻は思わず笑ってしまい、先ほどの照れくささは消えていた。
「ありがとうございます。なんだか嬉しいですね。動画のコメントとかで食べっぷりを褒められることはあっても、半信半疑だったんですよね。こうして目の前でお二人に言われると、何だか嬉しいものですね。」
そう言う彼女の表情は、明るさと自信が少しだけ加わったように見えた。
「羅針この後は、本陣跡に行くんだろ。どんなところなんだ。」
駅夫が話題を変えるように次の目的地の確認をした。
「ああ、本陣は分かるだろ。」
羅針が話し始める。
「もちろん、宿場町で身分の高い人が泊まる場所だろ。本庄でも跡地を見たじゃん。」
駅夫が答える。
「そう。でも、これから行くのは本当の意味での本陣、つまり今で言う軍隊の本部で、久保田藩、いわゆる秋田藩が足軽の駐屯地である陣屋を設置した場所でもあるらしいよ。只、跡地だから特に何もないけど、陣屋を配置した町割りの植栽が残っていて、良い雰囲気らしいんだ。写真映えするらしいよ。」
羅針がこれから行く場所について簡単に説明する。
「なるほどね。じゃ、とにかく行ってみるか。」
「ああ。それじゃ平櫻さん、出発しても良いですか。」
羅針は平櫻に確認する。
「はい。大丈夫です。」
二人の話を脇で聞いていた平櫻はそう言って頷いた。
三人は、先程歩いてきた羽州街道を逆戻りするように歩く。
全国チェーンのスーパーの前を通り過ぎ、先程見かけたワイン販売店の前の信号を左折する。住宅街の中を抜けていくと、木々に囲まれた小径が現れた。
「この辺りが旧武家町、つまり陣屋の跡地らしいね、刈和野本陣跡はこの奥にあるらしい。」
羅針がこの小径について説明する。
「へぇ、ここがねぇ。確かに何もないな。雰囲気は良いけど。……あそこにある門も別に当時の物って訳じゃないよな。」
駅夫があたりを見渡し、見た目は数寄屋門風の門構えを見付けて呟く。
「ああ、違うだろうな。シャッター付いてるし。良く見ると後ろに建物がくっついてるから、車庫かなんかじゃないかな。」
木戸の代わりに取り付けられたシャッターと、その裏に併設された建物を見て、羅針は明らかに当時のものではないことを指摘する。
「あっ、ホントだ。まあ、雰囲気良いから画にはなるのか。」
駅夫がスマホで撮影しながら、奥へ奥へと進んでいく。
「本当に素敵な場所ですね、空気もなんか気持ちが良いですね。町中にこんな静かな場所があるって、不思議な感じがします。」
平櫻が動画を撮りながら、羅針に言った。
「確かに、そうですね。」
そう言って羅針も伸びをするように深呼吸をした。普段都内で嗅いでいる排気ガス塗れの空気とは違う、清々しい澄んだ空気が肺の中に満たされていくのを、羅針は満足そうに堪能した。
「旅寝さん、先行っちゃいましたけど。」
平櫻が、深呼吸している羅針に告げた。
「ああ、大丈夫ですよ、寂しくなったり、何か珍しいものがあったら尻尾振って戻ってきますから。」
羅針がそう言って笑う。
「そんなワンちゃんみたいに言わなくても……。」
平櫻が言い終わらないうちに、駅夫の呼ぶ声が聞こえてきた。
「ほらね。」
羅針が平櫻にそう言って、駅夫に向かって手を挙げる。平櫻は驚いたような表情から、思わず笑顔になった。
「ここだろ、本陣跡って。」
羅針たちが近づくと、駅夫は丁字路の角に立つ案内板を指して言った。
「そうだね。」
羅針が、案内板に〔刈和野御本陣跡絵図〕と書かれているのを確認して頷いた。
「本陣は戊辰戦争で焼失したんですね。」
平櫻が案内板の説明書きを読んで呟いた。
「そうみたいですね。この辺りも相当な戦火に見舞われたっていう話ですからね。武家屋敷なんかは恰好の的だったんじゃないですかね。」
羅針が私見を言う。
「こんな所にも戦争の爪痕って残ってるんだな。長崎に行った時は原爆、大刀洗に行った時は特攻で、凄く胸に来るものがあったけど、戊辰戦争って言われても、なんかピンとこないな。」
駅夫がボソッと呟く。
「どうして。」
羅針が不思議そうに聞く。
「だってさ、原爆にせよ特攻にせよ、第二次世界大戦は映像で見たり聞いたりするじゃん。でも、戊辰戦争とかって、教科書で白虎隊の絵とかは見たけど、それ以外に映像として目にすることはほぼないじゃん。だからさ、教科書の中の話っていうか、歴史の中の出来事の一つみたいで、あんまりピンとこないんだよね」
駅夫が、そう理由を説明した。
「確かにそうだな。写真や動画が残ってるはずもないし、時代劇で見るっていっても要は再現VTRみたいなもんだからな。確かに大戦の記録映像の印象に比べたら、あまりピンとはこないか。」
羅針もそう言って、駅夫が言った理由に頷く。
「もちろん、戦争なんだから、殺し合いがあって、破壊があって、大火があって、人々の生活を無茶苦茶にしたというのは理解している。だけど、理解するのと実感するのって違うもんだろ。それに、ほら、大戦は親世代が体験してきたものだし、昭和の話だから何となく実感は湧くけど、戊辰戦争は俺たちと血縁関係のない昔の人が体験したものだし、それに江戸時代の話だぜ、余計実感が湧かないよ。俺にとっては教科書の中の話でしかないからな。」
駅夫は自分の言ったことが悪い印象を与えたと思ったのか、そう言い訳をした。
「そうだな。戊辰戦争は、日本における近代戦争の始まりって位置づけで、歴史の教科書に出てくるだけだもんな。これが、大戦のように、親世代、祖父母の世代から体験談として聞いてきたなら、実感が湧くのかも知れないけど、それはないしな。」
羅針が駅夫の言い訳に理解を示すように言った。
「あの、こんな事言って良いのか分からないんですけど。私にとっては第二次世界大戦も戊辰戦争も、歴史の教科書で習った話なんですよ。」話を聞いていた平櫻が、どうしても話したいことがあったのか、二人の話に割って入った。
「だから、お二人の言うように、どちらも教科書の中の話で実感がないんです。むしろ、ニュースで見聞きする、ロシアのウクライナ侵攻の方が、私と直接関係ないのに、よほど実感が湧きます。おっしゃるように、映像で見聞きしているからだと思います。
でも、大戦も戊辰戦争も私にとっては、ウクライナ侵攻よりも凄く身近なんです。それは多分、教科書の中だけじゃなくて、学校以外でも学ぶ機会が多かったからだと思うんです。
私がいた鹿児島の小学校では西郷隆盛のことを当たり前のように学びます。校外学習で西郷さんの博物館にも行きましたし、大人になってからも何度か足を運び、縁の地も訪れました。幕末から明治に至る激動の時代を生き抜いた西郷さんの生涯を通して、幕末の歴史を学びました。
そのせいかどうか分かりませんが、薩摩藩と言うのは私にとって凄く身近な存在なんです。薩摩藩がしてきたことは、私たち鹿児島の人間の祖先がしてきたことではありますが、私にとっては無関係ではないと思うんです。良きにせよ悪しきにせよ、それを知り、学び、向き合うことが薩摩人であり鹿児島県民である私の義務だと思うし、後世に伝えていく責任があると私は思うんです。
大戦にしてもそうです。多くの特攻隊が九州各地から飛び立ったと聞きます。薩摩半島の中程に知覧という場所があるんですけど、そこはかつて特攻隊が飛び立った飛行場があった場所なんです。今は記念館があって、校外学習で訪れたこともあるんですが、そこで学んだこと、感じたことは、この歳になるまでずっと頭から離れません。
確かに、ロシアのウクライナ侵攻のような実感は湧きません。でも、私にとっては身近にあった出来事なんです。
実は、校外学習から帰ってきた晩に、父から、私の曾祖父の兄が特攻で亡くなったことを聞かされました。父にとっては祖父の兄にあたる人ですが、父自身は写真の中でしか会ったことはないと言っていました。もちろん私は写真すら見たこともありません。
それでも、そんな曾祖父の兄が、特攻作戦に参加して亡くなったと聞かされた時は、それまで他人事だった特攻や戦争というものが、ぐっと身近に感じられたのです。見ず知らずの曾祖父の兄であるにも関わらず、血縁者というだけで、記念館で見聞きしてきた内容が、自分に降りかかった火の粉のように、熱さを感じたんです。」
一気呵成に夢中で熱く語っていた平櫻は、真剣な眼差しで耳を傾けている駅夫と羅針の二人を見て、ふと我に返り、「すみません。突然変な話を熟々としてしまって。」そう言って頭を下げ、少し照れ臭そうにしていた。でも、平櫻はどうしても話しておきたかったのだ。父のような世代の二人に、自分の想いをただ聞いて欲しかったのかも知れない。気が付いたら一人語りが止まらなくなっていたのだ。
「いや、こちらこそごめんね。知らなかったとはいえ、どこか自分たちも他人事だったんだと自覚したよ。」
しかし、そんな平櫻に対し、駅夫が素直に謝った。
「そうですね。私も駅夫も無自覚すぎたのかも知れません。教科書や本に書かれた歴史ではなくて、人類一人一人が行動した結果が歴史なんだと言うことに無自覚でした。そこには当然生きた人々の感情があるはずなんですよ。そんな当たり前のことに思い至っていませんでした。
私も駅夫も確かに歴史の出来事に対して実感は湧かないです。ましてや、身近に感じることもありません。それは、私たち二人が置かれてきた環境が作りだした無知による無自覚なのかも知れません。周囲に戦争と関わった知り合いがいる訳でも、戦争の犠牲になった者がいる訳でもないし、私たちが生まれ育った土地は、歴史の激動とは無縁の場所であったということも大きく関係するかも知れません。
でも、環境を言い訳にすることはしません。ですから、大いに反省し、あなたに対して無自覚な発言をしたことを正直に謝罪します。すみませんでした。
只、これだけは知っておいてください。私たちは無知であっても、無関心ではありません。決して学ぼうとしない訳でもありませんし、軽視している訳でもありません。平櫻さんの知っていることを是非私たちにも教えてください。私たちが今後無自覚な無知を晒さないようにするためにも、お願いします。」
羅針が駅夫の言葉を受けて、真摯に平櫻に向き合い頭を下げた。
「いや、いえ、あの、そんな、別に、謝られるようなことではないですから。別にお二人を責めるつもりで言った訳じゃないですから。ただ、実感が湧かないけど、身近には感じるんですって言いたかっただけですから。そんな大層な話ではないですから。」
平櫻は、二人が謝ってきたことに戸惑い、しどろもどろになって、恐縮してしまった。平櫻が知っている今までの二人なら、ここら辺で茶番らしき遣り取りをするのだが、いつまでも真剣な表情で、平櫻に対し真摯に謝罪していたので、平櫻は戸惑ってしまったのだ。
「本当にお気になさらないでください。私の知ってることなんて高が知れてますし、教えられることなんて何もないですよ。むしろお二人から教わる方がずっとずっと多いと思いますから。」
平櫻は二人の表情を見て、慌ててそう言ったが、内心少し寂しさを感じていた。この二人の仲に加わることは、相当高いハードルがあるのだと言うことを自覚した。もちろん、最初からそんなことは分かっていた。分かってはいたが理解していなかったのだ。あくまでも自分は旅仲間であり、友人ではあるが、親友ではないのだ。半世紀に亘って培われてきた二人の友情と、昨日今日知り合ったばかりの自分との関係が同列に扱われる訳がない。そんなことは当然である。まだまだ気を遣われ、気を置かれているのだ。二人との距離感が掴めないことで招いた結果であり、二人の態度から、平櫻は疎外感を覚え、そう自覚したのだった。
「平櫻さん、年齢なんて関係ないし、人生経験なんて、高々20数年違うだけなんだよ。その間に人が見聞きできることなんて高が知れているんだから。君と僕らの間に大した差はないんだよ。あるとすれば、それは見聞きしてきた経験なんだよ。
平櫻さんが見聞きした経験としての知識は、君にとってはたいしたものではなくても、僕らにとっては貴重なものであり、君の言葉は金言となり得るんだよ。
人間は知識を共有し合うことが出来る生き物なんだから、色々と教えて欲しい。もちろん僕らの知識や見聞が平櫻さんの役に立つなら、大いに僕らを利用してくれて構わない。僕らは喜んで平櫻さんの役に立つよ。そのために、君はこの旅に同行することを決めたんでしょ。」
駅夫は、真面目な顔で諭すように平櫻に言っていたが、最後は茶目っ気たっぷりに、にこりと笑ってウインクをした。
「はい、そうです。色々と教わりたくてお願いしたんです。……私の知識がお役に立つのなら、何でも聞いてください。改めてこれからもよろしくお願いします。」
戸惑いながらもそう言って、平櫻は深々と頭を下げた。その表情はにこやかで、内心二人に疎外感を覚えていたが、その感情が薄れていった。二人は決して自分を蚊帳の外に追い遣ろうとしていたのではく、むしろ蚊帳の中に入ってくるように促してくれたのだ。
まだまだ二人との距離は遠いが、一歩ずつ、着実に歩み寄っている気がして、平櫻は少し嬉しくなった。
「ところで羅針、戊辰戦争について教えてくれよ。江戸時代末期に幕府側と新政府側が京都から北海道に掛けて戦争をしたっていうのは、覚えてるんだけど、そんな単純な話じゃないんだろ。」
駅夫が、平櫻に学ぶ約束したことを実践するべく、早速羅針に尋ねた。
「戊辰戦争か。慶応4年から明治2年に掛けておこなわれた、新政府軍と幕府軍の内戦であることは、お前の言ったとおりだな。
薩摩藩と長州藩が朝廷に倒幕の働きかけを始めたのが事の始まりと言われている。只、徳川慶喜が大政奉還をしたため、朝廷側は倒幕の名分が立たなくなって、内戦は一旦回避されたように思われたけど、実は大政奉還は有名無実で、引き続き幕府側が政権運営に携わっていたんだ。そのため、薩摩藩、越前藩、尾張藩、土佐藩、芸州藩の雄藩と呼ばれる五藩が連名で朝廷に働きかけをおこなって、王政復古の大号令を発令させたんだ。ところが徳川慶喜がこれを拒否したため、朝廷側と幕府側で小競り合いが起こるんだ。
この小競り合いに、各地の諸藩が朝廷側、後の新政府側だよね、それと幕府側に分かれて内戦へと発展していくんだよ。」
羅針がここまで、教科書などで習ったことを復習するように語る。
「つまり、徳川慶喜が政権返すよとか言いながら、詐欺を働いたから、朝廷側が怒って内戦になったってことか。」
駅夫がざっくり纏めてしまう。
「まあ、簡単に言うとそういうこと。
戦端は、兵庫沖で開かれたらしい。幕府側の戦艦が、兵庫沖に停泊していた薩摩藩の戦艦を砲撃したのが、事実上内戦の始まりと言われている。その翌日、鳥羽と伏見で新政府軍と幕府軍が本格的な内戦を開始したんだよ。
江戸城の無血開城とか、会津白虎隊の悲劇とか、数々の逸話が残されたこの内戦も、戦火は函館にまで及び、五稜郭に立て籠もった幕府軍を、徐々に新政府軍が追い詰めて、最終的には幕府軍側が降伏して終結したんだ。
これが、戊辰戦争のあらましだね。」
羅針が簡単に説明した。
「なるほどね。確かにそんな流れだったな。思い出したよ。ちなみに、この秋田ではどんなことがあったんだ。」
駅夫が、40年近く昔に習った教科書の中身を思い出し、遠い目をしていたが、ふと疑問に思ったのか、秋田で起こったことを尋ねた。
「奥羽列藩同盟と新政府軍が戦ったこと位は分かるけど、細かいことまでは流石に俺も覚えてねぇな。ちょっと待ってろ。……戊辰戦争……秋田……あった。これだな。」羅針はスマホで検索した内容を、掻い摘まんで読み上げていく。
秋田戦争と呼ばれた、庄内藩と盛岡藩を中心とした奥羽列藩同盟と、新政府軍に加わった秋田藩とも呼ばれる久保田藩の戦闘は久保田藩領内で激しい戦闘となった。
列藩同盟は内陸側の山道口と、海岸側の海道口の二手に分かれて久保田藩領に進撃し攻略を図った。
山道口の攻撃は特に苛烈を極め、新庄を攻略した列藩同盟側の優位に一時期傾くものの、角館の攻略が叶わず、膠着状態が続いた。
ここ刈和野でも、元々陣取っていた峰吉川から追い詰められた新政府軍が、列藩同盟と激しい戦闘を繰り広げた。この刈和野を抜かれると後がない新政府軍側は、必死の抵抗を続けたが、新政府軍の裏を突いた列藩同盟側が勝利を収め、負けた新政府軍は町に火を放って、角館へと潰走した。
一方海道口から攻め上がった列藩同盟も、現在の由利本荘市にあった本荘城を攻略し、新政府軍を追い詰めた。しかし、その後は戦況が膠着し、角館に陣取った新政府軍とともに、激しく抵抗した。
「……、こうして、山道口と海道口から攻め上がった列藩同盟と、一進一退の攻防を続けていた新政府軍側は、その後、戦況を盛り返し、最終的に、列藩同盟側が降伏嘆願書を久保田藩側に提示したことで、この秋田戦争は終結したんだ。」
羅針が、ざっと秋田戦争のあらましを、駅夫に向かって読み上げた。
「ありがと。それにしても、切羽詰まっていたとはいえ、町に火を放って逃げるって、ひでぇ話だよな。」
駅夫が羅針の話を聞いて、新政府軍のしたことに憤った。
「ああ、おそらくこの辺り一帯が火の海になっただろな。歴史的に言えば、近代化のためには必要な戦争だったんだろうけど、住民たちにとっては良い迷惑だよ。」
羅針も自分で読み上げていて、字面の向こうに戦争の情景がありありと浮かび、目の前の景色と重なって、現実味を帯びてきた気がした。
平櫻に言われなければ、そんな気持にはならなかっただろう。そう思うと、彼女の言葉が重みを持ってきたように、羅針も駅夫も感じていた。
「こうして、詳しく話を聞くと、現実味が湧いてくるな。ピンと来ないどころか、当時の情景がありありと浮かぶよ。無知ってこういうことなんだなって改めて自覚した。」
駅夫があたりを見渡しながら、当時の戦争に思いを馳せていた。
「確かにそうだな。町を散策してきて、この町の文化風習に触れ、町のことを知った今だからこそ、この地で起こった戦争に対するこのやるせない感情が湧き上がってきてるんだろうな。平櫻さん。あなたのお陰ですよ。この歳になって、新たな視点を私たちは知ることが出来ました。ありがとうございます。」
羅針が駅夫の話に応えていたが、突然平櫻に向き直って礼を言った。
「あっ、えっ、いやどういたしまして。いえ、とんでもないです。お礼を言われる程のことではないですよ。」
二人の話に耳を傾けていた平櫻は、突然自分に話しかけられ、お礼を言われたので、ビックリしてしどろもどろになってしまった。
「平櫻さんのお陰だよ。多分、俺たちだけだったら、『ふーん、そんなことがあったのか』で終わってた。目の前に情景が浮かび上がることもなかっただろうし、やるせない気持になるなんて考えも及ばなかっただろうからね。ありがと。」
駅夫もそう言って、礼を言った。
「そんな、私の話がお二人の役に立てたのなら、それは嬉しいですが、なんかお二人で私をからかってませんよね。」
あまりに二人が真剣にお礼を言ってくれるので、平櫻は照れくささもあってか、いつもの茶番ではないかと疑いだした。
「からかってなんかないよ。なあ羅針。」
駅夫はそう言って羅針に振る。
「ああ。からかってなんかいませんよ。本当に平櫻さんに感謝してるんですから。」
羅針もそう言って真剣な眼差しで頷く。
「すみません疑ったりして。ちょっと照れ臭くていつもの茶番なんじゃないかと思ってしまいました。」
平櫻がそう言って頭を下げる。
「なんだ、そういうことか、羅針お前の日頃のおこないが悪いから勘違いさせるんだぞ。」
駅夫が羅針を詰る。
「そっくりそのまま、その言葉に熨し付けて返品してやるよ。」
羅針が言い返す。
「お前が悪いんだろ。」
「いや、お前だね。」
二人が、互いの胸ぐらを掴んで言い合いを始めたのを見て、平櫻は慌てた。
「あの、私が変なこと言ったばっかりに、すみません。すみません。」
平櫻が二人の間に割って入ろうとしたら、二人が突然笑い出した。
「平櫻さん、これが俺たちの茶番だよ。」
駅夫が笑いを堪えながら言う。
「そうですよ。こんな俺たちでもちゃんとお礼を言うべき事は弁えてますから。」
羅針もおかしそうにしながら言う。
「もう。本当に喧嘩を始めたと思ったじゃないですか。」
平櫻は、安心したのかホット溜め息をつくと、二人がまだ笑っているのを見て、恥ずかしそうに顔を赤らめた。