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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾壱話 刈和野駅 (秋田県)
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拾壱之玖


 旅寝駅夫と星路羅針、それに平櫻佳音の三人は、豪農が住んでいたという登録有形文化財に指定されているこの宿の館内を見て廻っていた。


 大正時代に建てられたこの建物には、顔が映りそうな程磨き上げられた廊下、宮大工が手掛けたという鹿鳴館風の意匠が美しい階段、その階段に舟形天井から下がる和洋折衷のアンバランス感を醸し出している照明、一つ一つ形の異なる精緻な欄間など、どれも歴史的、文化的、芸術的価値の高い物ばかりであった。


「とても素晴らしいですね。ネットでは見聞きしていたのですが、ここまでとは正直思っていませんでした。」

 動画を撮ったり、写真を撮影したりして、調度品の一つ一つ、意匠の一つ一つを愛で、只古いだけではないその素晴らしさに感動していた平櫻は、柱の上に掛かっている振り子時計に目を留め、カメラに収めていた。

「へぇ、まだ現役で動いている振り子時計とは珍しい。」

 それを見ていた駅夫が懐かしそうに言う。

「確かに、このタイプはなかなか見ないな。」

 羅針も二人が見ている振り子時計に気付いた。

 説明書きには、明治初期アメリカから初めて輸入されたもので、百数十年狂いもなく時を刻む、国内で現存する貴重な掛時計だという。

「これは、セストーマス社製のゼンマイ式八角振り子時計みたいだね。アメリカ製クロックとして明治期から輸入されてきたらしい。創業者のセス・トーマスはコネチカット州で時計職人として財をなしたけど、事業を引き継いだ息子が迷走して、2009年に廃業したらしいよ。」

 羅針が画像検索を掛けて、説明書きを補足して駅夫に教えた。

「そうなんだ。廃業したんだ。こんな素晴らしい時計を作った会社なら、今も事業を続けていて欲しかったな。」

 駅夫が残念そうに言う。

「そうですね。アンティークとしての価値は上がったのでしょうが、なにかもったいない気がします。できれば廃業直前の製品も見てみたいですね。」

 平櫻も駅夫に同意する。

「確かに見てみたいですね。息子さんが迷走しなければ、今頃素晴らしい会社になっていたかも知れませんからね。」

 羅針は平櫻にそう言いつつも、まるで結婚もせず、勝手気ままな人生を送って、迷走している自分のことを言われているようで、ちょっといたたまれなかった。


「この甲冑も凄くないか。」

 駅夫は振り子時計の下に展示してある一揃いの甲冑に目が移っていた。

「これも凄いな。経年劣化は致し方ないにしても、良くここまで綺麗に保存してあるよ。」

 羅針も感心したように見る。

「素晴らしいものだとは思いますが、どこか怖さを感じますね。」

 平櫻が少し後退あとずさる。

「怨念がもっていたりして。」

 駅夫がおばけの手つきで冗談を言う。

「やめてくださいよ、もう。想像しちゃうじゃないですか。」

 平櫻が更に後退り、駅夫に抗議する。

「ごめん、ごめん。」

 駅夫はすまなそうに笑っている。

「これで平櫻さんが不眠症になったら、お前責任取れよ。」

 羅針が追い打ちを掛けるように言う。

「まじかよ。平櫻さん、子守歌でもなんでもするから、ぐっすり寝てよ。」

 駅夫が本気で困ったような顔して、平櫻に懇願する。

「大丈夫ですから。そこまで恐怖ではないですから。」

 平櫻が駅夫の圧に更に後退る。

「よかったぁ。」

 駅夫がホッとしたように胸をなで下ろしている。

「お前が子守歌なんか歌ったら、むしろそっちの方が恐怖だろ。」

 羅針がからかうように言う。

「どういう意味だよ、それ。」

 駅夫が拳を振り上げる。

 二人の様子を見て、茶番だったと気付いた平櫻もつられて笑った。


 更に、館内奥には、有形文化財に指定されている古文書や、什器、装飾品、藩主が使用したとされる茶弁当に至るまで、歴史的価値があり、この建物、延いてはこの町の歴史を物語る、数千点にも及ぶ品々が置かれた展示室があった。


「羅針、この茶弁当ってなんだ。」

 駅夫が立派な蒔絵が施された茶弁当を指差して尋ねる。

「茶弁当って言うのは、花見や物見遊山なんかで、野点のだてをするための道具と一緒に持って行くお弁当のことを言うんだよ。要はお茶のセット付き弁当箱ってことだ。」

 羅針が簡単に説明する。

「へぇ。弁当って言うよりも重箱って感じだな。でも、ここに茶道具が全部詰まってて、豪勢にやるなら、これぐらいのものが必要になるのか。」

 駅夫が感心したように言う。

「素敵ですね。これを茶弁当って言うんですね。なんか茶弁当なんて聞くと、茶飯だけの弁当みたいで質素な響きですけど、豪勢ですよね。こんな茶弁当を持って野点とかしたら、さぞかし優雅な時間が流れるでしょうね。」

 平櫻が目を輝かせて、羨望の眼差しを茶弁当に向けていた。

「確かに、茶弁当という言い方は、今の時代だと質素に聞こえますね。極上弁当とか、風雅御前なんて言い方がぴったりかも知れません。」

 羅針が気になったのか、ふと思い付きで言う。

「その言い方、年寄り臭くないか。もっとこう、ティーボックスとか、デラックス弁当とか、プレミアム弁当とかの方が良いって。」

 駅夫がカタカナを並べて言う。

「それなら、ラグジュアリー弁当の方がもっと豪華な感じがすると思うのですが……。」

 平櫻が遠慮がちに言う。

「それだ。」「それですね。」

 駅夫と羅針が声を揃えて言う。


 三人は、それぞれが興味の赴くまま、どこか懐かしく感じる品々を鑑賞し、思い思いに感想を言い合い、写真に収め、動画に撮った。


「お二人にお願いがあるのですが、よろしいですか。」

 館内見学が一段落いちだんらくついたところで、平櫻が改まって言う。

「何でしょう。」

 羅針が応える。

「はい。私の動画でお二人を紹介したいのですが。もちろんお顔も、本名も出しませんし、旅行の同行者ということで紹介するだけですので、何かして頂くこともありません。一言『よろしく』とだけでも頂ければ、それで充分ですので。いかがでしょうか。」

 平櫻が申し訳なさそうに言う。

「別に構いませんよ。約束さえ守って頂ければ。」

 羅針は契約書のことを言っているのだろう。

「俺も構わないよ。こんなおっさんたちで良ければ。」

 駅夫も同意する。

「ありがとうございます。では、早速こちらでお願いします。」


 平櫻は二人を展示されていた人力車の前に立たせ、平櫻が予め作ってきた原稿をタブレットで二人に見せる。

「この内容で二人をご紹介したいと思いますが、いかがでしょうか。」

「俺は良いと思うけど、どうだ。」

 駅夫はすぐに同意する。

「俺も良いと思うよ。ただ、ここに仮称とありますが、Hさん、Tさんという呼称はこれでいいのですか?」

 羅針は、駅夫に同意しつつ。平櫻に呼称の点について疑問を呈する。

「もちろん、お二人がよろしければイニシャルで良いと考えています。もし、お二人にニックネームなどがあれば、それでも構いませんが。」

「ニックネームか。そう言えば俺たちニックネームなんて使ったことないな。いつも『おい』とか『お前』とか、それか名前で呼んでるもんな。今更ニックネームと言われても困るな。」

 駅夫が顎に手をやりながら頭を傾げる。

「だよな。言われてみれば渾名とかニックネームとか使ってこなかったな。……ということで、別に呼称についても問題ないと言うことで。」

 羅針も、後は問題ないと同意した。


「ありがとうございます。では、撮影開始しますので、お二人はそこに立っていてください。最後にカメラを振りますので、一言『よろしく』と頂ければOKです。」

 そう言って、平櫻は二人がちょっと緊張気味に頷いたのを確認して、カメラを回した。


「先程、チェックインを済ませ、宿の中を探検してきました。その模様は後程ダイジェストでご紹介しますね。

 その前に、皆さんに紹介したいお二人がいます。お二人はルーレット旅と称して、行き先をルーレットで決めて旅を続けていらっしゃる方たちです。ベテラン旅行者であるお二人とは、私の地元でたまたま知り合うことが出来ました。

 私も旅を生業にする一人として、お二人の話は非常に学ぶことが多く、お二人と意気投合し、今回お二人の旅に無理を言ってついて来ちゃいました。

 ルーレット旅というのがどんなものなのか、皆さんも興味あると思いますが、お二人はとてもシャイな方たちで、画面には余り登場してくださらないと思いますので、詳しい事は私の方で、色々お話を聞いた上で、皆さんにはお伝えしますので、楽しみにお待ちください。

 では、お二人から一言ずつ頂きたいと思います。まずはHさん。『Hです。よろしくお願いします。』……そしてTさん。『Tです。皆さんよろしくお願いします。』……ありがとうございます。今回の旅ではもちろんですが、今後ともお二人の旅に同行して、私の動画に登場して頂くこともあると思いますので、皆さんお見知りおきください。」

 平櫻が淀みなく、どこかのアナウンサーも顔負けのしゃべりで、撮影を終えた。


「へぇ、こうやって撮影するんだね。まるでテレビの収録みたいだ。ちょっと緊張しちゃったよ。」

 駅夫が好奇心丸出しで、少し照れ臭そうにしながら言う。

「はい、いつもこんな風に撮影しています。……星路さんはいかがでしょうか。何か問題あれば撮り直しますが。」

 平櫻は、今撮ったばかりの動画を確認している羅針に聞いた。

「……はい。特に問題ありません。流石プロですね。」

 羅針は動画を確認し終えてから、答えた。

「それにしても、これで俺たちも動画サイトデビューだな。」

 駅夫がなんだか嬉しそうに言う。

「おいおい、デビューって。香登かがと熊山くまやまで既にデビューしてるだろ。動画の投稿はまだみたいだけど。」

 羅針が指摘する。羅針が言っているのは、香登の熊山で出会った夫婦のことである。

「あっ、そう言えば何森いずもりさんだよね。すっかり忘れてた。そういえば、ブログに載せたらお礼来てたよ。動画投稿したら連絡しますって。」

 駅夫が思い出したように報告する。

「ああ、それ、俺も読んだよ。俺からもお礼のメールを送っておいたから。CCつけてお前にも送っておいただろ。」

 羅針が言う。

「そうだったな。……あっ、何森さんっていうのは、俺たちが岡山県の香登駅って所に行った時に登山をしたんだけど、その時に山頂で出会ったご夫婦でね。登山系の動画を上げてるんだよ。たまたまコーヒーをご馳走になって、その時撮った動画を投稿するって話しになってるんだ。1週間位で投稿するって言ってたから、あと数日の内に投稿されると思うけどね。」

 駅夫が、話が見えていない平櫻に説明する。

「そうなんですね。デビューって、そう言うことなんですね。」

 平櫻が駅夫の話を聞いて、どう反応して良いか分からない感じで応える。

「まあ、デビューって言っても、世間話しただけだけどね。」

 駅夫はそう言って笑う。

「そうなんですか。」

 平櫻はそう言って、羅針に視線を送る。

「はい。そうですね。こいつの言うとおりです。ルーレット旅の話しになって、ご主人が興味を持たれて、色々とお話しました。その時、カメラを回されてて、それを投稿することに同意したんですよ。顔出しをしない、個人情報は載せない、駅夫のブログを紹介するって条件で了承したんです。もし興味があれば、チャンネル名〔山恋夫婦〕で検索してみてください。」

 羅針は、平櫻に事の経緯と何森夫妻について説明した。

「なるほど。そう言うことがあったんですね。後でご夫婦の動画を検索してみます。」

 平櫻は漸く合点がいったような表情で、理解出来たようだ。


 動画撮影を終え、一通り館内を見て廻った三人は、夕食にはまだ少し時間があったので、ひとまずそれぞれの部屋で休憩することにした。


 駅夫と羅針の二人は、部屋に戻ってくると、卓袱台の上に載っているお茶を淹れ、お着き菓子のカステラ風の饅頭を頂いた。二人が大判焼きとか甘太郎と呼んでいる、いわゆる今川焼きの形状をしたこの饅頭は、カステラ風の生地に白あんがぎっしりと詰まっていた。

 甘さ控え目の優しい味であるこの饅頭は、結構食べ応えもあったが、二人は熱いお茶と共に美味しく頂いた。


 一息ついた二人は、部屋でマッタリした時間を過ごした後、夕飯の時間になり大広間の奥座敷へと向かった。

 座敷にはテーブルが並べられ、長崎で見た、和洋折衷の文明開化を感じたあの光景と似たものを感じた。しかし、格式高い豪農が所有していたというだけあって、長崎の出島で見たものとは格調の違いを感じた。言うなれば、長崎のものは外国人の目を楽しませるための、良いものをパッチワークしたようなものであり、こちらは真に良いものだけを技術の限りを尽くして作り上げた、一つの芸術品であった。


 既に、平櫻は席に着いて、座敷の様子や既に並べられている料理の動画を撮りながら二人を待っていた。

「おまたせ。」

 駅夫が声を掛ける。

「移動の疲れは取れましたか。」

 平櫻が気を遣って聞いた。

「お陰で、ゆっくりできたよ。お着き菓子も美味かったし。」

 駅夫が応える。

「それは何よりです。あのお菓子美味しかったですよね。」

 平櫻もにこやかに言う。


「食事中も動画撮るんですか。」

 羅針が、テーブルの上に載ったカメラを見て、平櫻に確認する。

「あっ、すみません。撮らせて貰ってもよろしいですか。お料理の紹介を撮影するだけですので、お料理の映像と私が食べているところが撮れれば問題ありません。お二人は気にせず普段どおりお食事をなさってください。

 音声はこのピンマイクで撮りますが、私の感想をメモするためだけで、完成動画にほぼ使用しません。ですから、普段どおりお話しになっていただいて構いませんので。」

 平櫻が、慌てたように申し開きをする。

「他のお客様の迷惑にならなければ、撮るのは全然構いませんよ。私たちに関しても、投稿前に完成動画の確認をさせて貰えれば問題ないので。」

 羅針は、平櫻が慌てたように言うのを見て、言い方がキツすぎたかと、慌ててフォローする。


 そこへ、頼んでおいた地元の銘酒を仲居さんが運んで来て、テーブルに置いてあった鍋に火を入れてくれた。

 テーブルには既に、鍋の他に、先付けとして秋田産ホタルイカと蓴菜じゅんさいの酢味噌和え、ふきと山うどの白和えの小鉢、地元産ヒラメの薄造りとマグロのお造り、珍味として鮭の粕漬けが並んでいた。


 三人は、まず銘酒で乾杯をした。

 キリッとした辛口で、すっきりした飲み口の酒だった。

 乾杯した後、平櫻が料理を一つ一つ撮影し、一口食べては感想を述べている。二人はその様子を眺めながら、自分たちも箸を進める。

「羅針、このホタルイカと一緒に入ってるこの蓴菜ってどんなものか知ってるか。」

 駅夫が羅針に聞いてくる。

「ああ、学術的に言うなら多年草の水生植物で、蓮みたいな植生をする植物だね。世界中に分布してるらしいけど、食用にしているのは中国と日本ぐらいと言われてる。若芽わかめ幼葉ようようが食用に適していて、中国ではスープの具材にしたり、点心や漢方薬の材料として利用されてるし、日本ではヌメリを活かした和え物とか酢の物で食べることが多いんじゃないかな。丁度今の時期が旬だね。」

 羅針が知っていることを駅夫に教える。

「へぇ、漢方薬にも使われてるんだ。」

「そう、胃薬になるらしいよ。」

「なるほどね。胃には優しそうだもんな。でも、今までホタルイカっていったら酢味噌だけで食べてたけど、この蓴菜が加わると味わいが変わって美味いな。……平櫻さんはこの蓴菜って食べたことあるの?」

 駅夫は、いつもと違う味わいのホタルイカに舌鼓を打ちつつ、二人の話を聞いていた平櫻にも話を振る。

「ええ、何度か頂いたことがあります。こんな風に和え物になっていたり、酢の物や汁物に入っていたり、麺類の具として使われてたり、色々するみたいですよ。私はこのつるんとした喉越しが好きで、旬の時期に旅先で出会すと思わず頼んじゃいますね。でも点心や漢方薬になってるとは知りませんでした。よくご存じですね。」

 平櫻が駅夫に応え、羅針の知識に感心した。

「単なる年の功に過ぎませんよ。」

 羅針が謙遜したように言う。

「おい、それじゃ、知らなかった俺が無駄に年取ってきたみたいじゃないか。」

 駅夫が横から文句を言う。

「ん?違ったか?」

 羅針がからかいモードに切り替わる。

「違わねぇけど、違うよ。お前に知識では及ばないが、無駄に年取ってきた訳じゃねぇからな。……多分。」

 駅夫は、最初勢いよく反論していたが、少し自信をなくし尻つぼみになる。

 それを見て羅針は笑い、平櫻も微笑ましそうに見ている。

「あっ、平櫻さんも俺が無駄に年取ったと思ってたのか。」

 駅夫が平櫻が笑顔になったのを見て、八つ当たりをする。

「いえ、そんなことないですよ。お二人が微笑ましいなって思っただけですから。」

 平櫻が慌てて笑顔になってしまった弁解をする。

「平櫻さん、良いんですよ弁解しなくても、大いに笑ってやって下さい。」

 羅針が追い打ちを掛ける。

「こいつ。」

 駅夫が羅針に向かって拳骨を振り上げた。


 そんな茶番をしていると、仲居さんが次の料理を運んできた。

 運ばれてきたのは、岩魚の塩焼きと季節野菜のグリル、玉子豆腐と川蟹のあんかけ、川蟹の唐揚げ、鯉の甘露煮、そして進肴すすめざかなの川蟹の蟹味噌甲羅焼きである。これらの料理が並ぶと、食卓は一挙に華やかになった。


 川蟹は雄物川で獲れるモクズガニで、昔ながらの調理法を駆使した様々な料理で提供された。コクがあって奥深い味は、海の蟹よりも味が濃いかもしれないと、三人は同様の感想を漏らした。

「このモクズガニって、上海蟹シャンハイガニの近似種なんだよ。」

 羅針が駅夫に教える。

「へぇ、上海蟹って言ったら高級食材なんだろ。俺はまだ食べたことないけど、お前は食べたことあるのか。」

 駅夫が感心したように聞く。

「ああ。上海に行った時一度だけな。」

 羅針が思い出したように言う。

「どんな感じなんだ。やっぱりこのモクズガニと同じ感じなのか。」

 駅夫が興味津々に聞く。

「丸ごと蒸した上海蟹は味がぎゅっと詰まってて、そのまま食べても、蟹酢を付けて食べても、濃厚な味わいが良いんだよね。レストランの雰囲気もあっただろうけど、高級感はやはり上海蟹に軍配かな。でも、味わいは五分五分だね。このモクズガニも負けてないよ。」

 羅針が懐かしそうに言う。

「なるほどね。それは是非自分の舌で確認してみなきゃだな。平櫻さんは食べたことあるの?」

 駅夫が平櫻にも聞く。

「上海蟹は長崎の新地中華街で頂きました。もの凄い高級店で頂いたので、店に入るだけで緊張したのを覚えてます。味も確かにこんな感じだったと思いますが、濃厚でとても美味しかったということ意外、殆ど覚えてないですね。あっ、一応その時の動画は挙げてあるので、もし良かったら後でご覧になってみて下さい。」

 平櫻もどうやら上海蟹を食べたことがあるようだ。

「あっ、宣伝されちゃったよ。藪蛇だったかな。」

 駅夫はそう言って笑う。

「あっ、そういうつもりでは……。」

 平櫻は慌てて否定するが、羅針も笑っていたので、からかわれたのだと思い、恥ずかしいやら、気まずいやら、その後続けようとした言い訳を呑み込んで、変な表情になってしまった。

「ごめん、ごめん。冗談だからね。」

 駅夫が笑いながら、顔の前に片方の掌を立てた。

「悪い奴だ。平櫻さん気にしなくて良いですから。あとでたっぷり仕返ししてやりましょう。」

 羅針がそう言ってフォローする。

「おい、お前が参戦したら、俺に勝ち目がないじゃねぇかよ。」

 駅夫がそう言うと、三人は笑った。


「それにしても、これは酒が進むな。」

 駅夫が日本酒を片手に、モクズガニを味わっている。

「進肴だからな。気持の赴くままに飲んでると潰れるぞ。」

 羅針が注意する。

「そうそう、進肴ってどういう意味なんだよ。酒を勧めるってことか?」

 駅夫が質問する。

「結果的にはそう言うことになるな。」

 羅針が答える。

「結果的にってどういうことだよ。」

「要は、懐石料理の順番として、この後は締めの料理が出てくるんだけど、その前に一品追加として料理長の裁量で出される料理を言うんだ。名称も色々あって、強肴しいざかな追肴おいざかな進鉢すすめばち預鉢あずけばちなんて呼ばれていて、流派や地域、出される料理の目的によっても微妙に呼び名が変わるみたいだね。で、結果的にっていうのは、どんな理由で出されるにせよ、結局酒の肴である訳で、特に酒に合うような調理をされるから、結果的に飲み過ぎちゃうってことだよ。」

 羅針が熟々と説明する。

「なるほどね。料理長が仕組んだ罠という訳だ。策士だな。」

 駅夫が半分巫山戯たように言う。

「策士って。まあ、確かに酒の売り上げが上がるよう仕向ける策ではあるけど。策士ってのは……確かにある意味策士か。」

 羅針は策士という言葉に反論しようとしたが、何となく納得してしまった。お客を喜ばせ、満足させるために、献立を考えに考え抜いて、旬の物、地元の物、そして予算から総合的に考えて、お品書きを作り上げるのだ。その中にはあの手この手で考えられた仕掛けが施されていてもおかしくはない。酒が進むようにする料理なんて朝飯前なのかもしれないと、羅針は思い至ったのだ。それで、言葉が過ぎると思って反論しようとしたのを止めたのだ。


 三人がそんな話をしながら食事を楽しんでいると、鍋が良い感じになってきたので、早速箸を伸ばす。

 火に掛かっていた鍋には、たっぷりの山菜に秋田名物の切蒲英きりたんぽが、モクズガニで取った出汁で煮込まれていた。仲居さんの説明によれば、一般的には鶏肉で出汁を取るのだが、日によって魚介で取ったり、今日のようにモクズガニで取ったりと、色々とするらしい。特に三人のように連泊するお客がいる時は、出汁を変更するそうだ。

 モクズガニ独特の旨味が、山菜や切蒲英に染みこんでいて、三人は美味いとしか声を発することが出来なかった。


 その後、鱧の南蛮漬け、あきたこまちの釜炊き御飯、モクズガニの味噌汁、香の物としていぶりがっこと青菜漬けと梅干し、そして最後に水菓子としてサクランボとゼリーが出てきた。


「さすが米所の秋田県だな。御飯が粒立ってるし、無茶苦茶美味い。」

 駅夫が唸るように言う。

「確かに美味しいな。このいぶりがっこがまた良く合うよ。」

 羅針も納得するように呟く。

「本当に美味しいですね。どのお料理も素朴でありながらも素敵な味わいで、とても美味しかったです。お二人の話もとても興味深くて、色々と勉強になりました。」

 平櫻も満足そうに言う。


 最後に水菓子に手を付ける頃、羅針が口を開く。

「駅夫、ルーレットをここで回さないか。」

「ルーレットを、今?」

 駅夫がキョトンとしている。

「ああ、いつもなら寝る前だけど、今回は平櫻さんに、ルーレット旅を体験して貰うことが目的なんだから、ルーレットを回すところは見て貰わないと。」

「確かにそうか。ちょっと待ってろ。」

 駅夫はそう言って、スマホの画面を操作し始めた。


「平櫻さん、今からいつもやってるルーレットを回しますね。本来、目的駅に到着したその日の就寝前に回すんですが、どんな風にやってるか、一応ご覧に入れます。やることはスマホのルーレットを回すだけなので、たいしたことはしないんですが、百聞は一見にしかずですから。」

 羅針が平櫻に説明する。

「お気遣いありがとうございます。動画に撮っても良いですか。」

 平櫻がお礼を言い、撮影の許可を貰う。

「もちろん良いですよ。」


「準備出来たよ。」

 駅夫がスマホの準備を完了した。

「じゃ、平櫻さんよろしいですか。」

「はい。お願いします。」

「よし、じゃ、始めてくれ。」

「何か、動画撮られてると思うと緊張するな。」

「良いから始めろ。」

 羅針が笑いながら促す。

「分かったよ。じゃ、始めるぞ。ドゥルドゥルドゥルドゥル……ジャン。せいわえき?、しずわ駅?なんて読むんだ。」

 駅夫は出た目を羅針と平櫻に見せる。

静和しずわ駅だな。確か東武の駅じゃなかったかな。……そうだな。東武日光線の駅だ。栃木県だな。」

 羅針は検索を掛けて確認する。

「しずわって読むのか。そういえば栃木県は初めてだな。宇都宮ならLRTに乗れたのに。」

 駅夫が少し悔しそうに言う。

「そうだな。……って、ここから行くのはちょっと面倒くさいな。ルート的には東北新幹線の小山おやま駅から両毛りょうもう線で栃木まで行って、栃木から日光線で静和駅へ行くのが距離的には短くなるけど、時間が少し掛かるかな。ちょっと遠回りにはなるけど、大宮まで出てから、戻ってくる方が早く着けるね。」

 羅針がルートを簡単に検索して説明する。

「どれぐらい違うんだ。」

「大体1時間位違うかな。」

「1時間位ならのんびり行こうぜ、慌てる旅でもないんだし。」

 駅夫はそう言って距離の短い方を選択した。

「平櫻さん。そういう訳で栃木県の静和駅に行き先が決まりました。この後は私の方で行程を組んで、切符や宿の手配、観光場所のチェックをします。これでルーレットは終了になります。次は今回決まった静和駅に行って、最初の夜に回すことになりますね。」

 羅針は簡単にこの後の手順を説明する。

「分かりました。ありがとうございます。」

 平櫻がお礼を言って、頭を下げた。

「それと確認ですが、静和駅は同行しますか、それともしませんか。」

 羅針は平櫻に尋ねる。

「是非、同行させてください。」

 二つ返事で平櫻が応える。

「分かりました。では、切符の手配ですが、ご自身でされますか、それとも私の方でしますか。」

「お手数でなければ、お願い出来ますか。出来れば道中もご一緒したいですし。」

「分かりました。では、私の方で手配しておきます。それと宿はどうしますか、好みや予算もあると思うので、ご自由にされても構いませんが、私の方で手配しますか?」

「いえ、宿は自分で手配します。ただ、お泊まりになる宿が決まったら教えて貰えますか。もし空きがあれば、そこへ予約したいので。」

 平櫻が遠慮がちに言う。自分一人のための部屋だから、星路の手を煩わせるのは忍びないと考え、平櫻は自分で手配するつもりでいた。

「そうですか。分かりました。では、宿の候補が決まったらお知らせしますね。」

 羅針はそう応えた。同じ宿に泊まるなら、羅針が手配した方が早いとは思ったが、彼女の自由にして貰った。好みもあるだろうし、女性ならではの要望もあったりするのだろう。

「よろしくお願いします。ところで切符のお代はどうしましょうか。」

「金額が確定次第、請求書を立てます。受け渡しは現金、振込、もしくは電子マネーでも都合の良い遣り方で結構です。」

「分かりました。では電子マネーでお支払いしますので、よろしくお願いします。」

「分かりました。では、詳細はその時に。」

 羅針と平櫻は二人で切符と宿の手配について、その場で詰めた。


「二人とも手際が良いな。流石旅慣れた二人だよ。」

 駅夫が二人の様子を見ていて、感心したように呟いた。

「別にたいしたことは話してないぞ。」

 羅針が何でもないことのように言う。

「あの、つかぬ事をお伺いしますが、お二人は金銭の遣り取りをどうされているんですか。手配は星路さんがすべてされてるんですよね。その都度請求されてるんですか?」

 平櫻が疑問に思ったことを口にした。

「お金の遣り取りは、夜締めて翌朝請求って感じで、纏めて請求してます。駅夫からはその日のうちに電子マネーで振り込んで貰ってます。内訳は、宿代が折半でチェックアウトの翌日に精算して、食事代や入場料など、個人的な買い物以外は、基本私が払って翌朝精算してます。それと、交通費は駅夫がネタバレを嫌うので、行程が終了してから纏めて請求してます。」

 羅針が簡単に説明する。

「そうなんですね。答えにくい質問に答えて頂きありがとうございます。」

 平櫻が頭を下げる。

「良いですよ。疑問に思ったら遠慮なく質問して下さい。答えられることであればお教えしますので。」

 羅針が穏やかに言う。


 三人は、その後明日の予定をネタバレしない程度に確認し、デザートを食べ終えて夕食を終えた。

 豪勢な夕食に満足した三人は、それぞれの部屋へと戻っていった。




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