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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾壱話 刈和野駅 (秋田県)
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拾壱之伍


 星路羅針と新幹線改札口のところで別れた旅寝駅夫は、東京駅を出て赤い私鉄に乗って自宅最寄りの駅まで帰ってきた。17日ぶりではあるが、まるで浦島太郎にでもなった気分で、懐かしくもあり、どこも変わったところがないはずなのに、大きく変わってしまったような錯覚に陥っていた。

 背中に担いだ重いリュックを担ぎ直して、自宅へと向かって歩く。歩きながら、駅夫は色々と考えていた。


 この17日間、羅針と共に寝食を共にし、主に西日本を行ったり来たりしてきたが、相変わらずの博識と、お茶目で憎めない弟のような彼が、駅夫にとってはそれが微笑ましくもあり、可愛いくもあり、放っておけない存在であることを改めて認識した。

 本当の兄弟以上に兄弟の関係である。この関係は子供の頃から殆ど変わらない。羅針はどう思っているかは知らないが、駅夫にとっては居心地の良い、ぬるま湯のような関係なのだ。


 そんな駅夫にも懸念点はあった。

 羅針のコミュ障についてである。病と言って良いのか分からない。羅針が心底悩んでいる姿は見たことないし、いつもどこ吹く風で、他人がどう思おうと知ったことではないというスタンスの羅針に、コミュ障だからといって困ったことが起こるはずもなく、ビジネスライクの対応が出来るようになった今となっては、病と言えるかどうかさえ怪しいのだ。


 しかし、昔は心底心配したものだ。自分の家族と、駅夫を含む駅夫の家族としか笑顔で話すことはなく、それでも時折愁いを含んだ表情になる羅針に、駅夫は心底心配したものなのだ。

 だが、今回の旅ではそんなことにはならず、楽しそうに旅を続け、コミュ障を患ってトラブルになることもなく過ごせたので、本当に良かったと駅夫は心底安心した。

 今後、平櫻佳音を同行者に加えることで、どうなるかという心配の種は尽きないが、これについても、羅針とよく話し合いながら、経過観察ということで、上手く羅針のコミュ障治療に功を奏してくれれば良いなと、淡い期待を持っているのだ。


 駅夫は、そんなことを熟々考えながら、自宅へ向けて星一つない夜空の下、人っ子一人いない夜道を、街灯の明かりを頼りに歩いた。



 一方、星路羅針は、駅夫と新幹線改札口で別れ、在来線ホームへと移動し、青いラインの入った列車で自宅へと向かっていた。

 羅針も今回の旅のことを振り返り、久々の駅夫との旅に満足感を覚えていた。昔と変わらない駅夫との遣り取りも、羅針にとっては居心地が良く、丁度良いぬるま湯で長湯をしている感覚だった。


 駅夫とは本当に腐れ縁なんだなと、今回のルーレット旅で羅針は心底自覚した。羅針が何を言っても、許してくれる心の広い人物は、駅夫意外にはいないし、駅夫意外にそんなことを言える相手がいないというのも確かである。だからこそ、羅針はそれに甘えることはあっても、度を過ぎて駅夫を怒らせないようには気を遣っているつもりなのだ。


 そんな気の置けない仲である駅夫には、いつか本当の幸せを手に入れて欲しいと思っている。

 駅夫が元妻に騙され、自分の子供だと思っていた娘が、実は血が繋がっていなかったとか、どんな仕打ちだよと、当時も今も心底腹立たしいのだが、駅夫が事をあららげないようにと努めている姿を見ているので、羅針もその駅夫の気持ちを尊重し、必要以上に関わりを持って、口出しするようなことはしてこなかった。

 しかし、人生のどん底を味わった駅夫に、縁があれば素敵な人と一緒になって、幸せな家庭を持って欲しいと常々思っていた。それが、もう20年もその夢は叶えられることなく、歳ばかり取ってしまったのだが、その思いは今でもある。

 この歳になって、今更新しい女性をと言うことは言わないし、新たな家族をなんて野暮なことを強要するのもどうかと思うのだが、それでも、羅針にとって駅夫は自分のそばにいてくれた、かけがえのない友人であり、その友人に幸せになって欲しいと願うことは、羅針にとってごく当たり前のことだったのだ。


 今回諫早で知り合った平櫻佳音は、良さそうな感じの娘だし、駅夫ともなんだか気が合いそうな雰囲気を醸し出していたので、互いにその気があれば、羅針に否やはない。只、前妻のトラウマは駅夫だけでなく、羅針にもあるので、慎重な見極めが必要なのだと、羅針は警戒心マックスで今回の出会いを捉えていたのだ。


 夜も更けた街並みを疾走する列車の中で、羅針はそんなことを熟々と考えながら、街明かりしか見えない車窓を、何を見るともなしに眺めていた。



 翌朝、羅針は東京駅にある銀の鈴の前に佇んでいた。時刻は10時を回っていた。

 18日前と同じ場所に立つ羅針は、着ているものは大して違いはないが、持っているものは少し違っていた。足元に置いたリュックはこれまで背負ってきたものよりも一回り大きいものに変えたからだ。


 昨日、自宅に戻ってから羅針は部屋の空気を入れ換え、部屋にまった埃を簡単に雑巾掛けして綺麗にした後、17日間旅を共にしたリュックの中身を一旦全部取り出し、いる物といらない物を分別した。その上で、必要だと考えていた物を新たに用意し、それを入れるためのリュックを一回り大きいもの、20Lから30Lに変更したのだ。

 なぜなら、中にもう一つ折り畳み式のリュックを忍ばせ、観光日に持ち歩けるバッグを別に用意したのと、途中で荷物が増えることも考慮に入れたためだ。


 羅針が銀の鈴の前で佇んでいると、少し遅れて、駅夫が相変わらずドデカいリュックを担いで現れた。

「おはよ。やっぱり早いな。」

 駅夫は、待ち合わせの10時半まで、まだ時間があるのに、既に待っていた羅針を見付けて、がっかりしつつも、やはり羅針はこうだよなと納得する。

「おはよ。ってか、相変わらずリュックでかいな。」

 羅針は、駅夫の顔を見るなり、リュックのでかさを指摘した。駅夫が背負っているリュックは、昨日までのものと変わらず、ドデカいままだったからだ。

「ああ、このリュックね。一応中身はいくつか抜いてきたよ。寝袋はもちろん置いてきたし、他にもアウトドア用品関係は厳選してきたから、だいぶ軽くなってるよ。」

 駅夫が荷物を減らしてきたことを得意げになって言う。


 駅夫は、昨日自宅に帰ってから、リュックの中身を洗い浚い総点検した。羅針には、「香登駅でやったハイキング登山の様なことはするだろうけど、それ以上のことはしないだろうから、それに合わせて不要なものは置いてこい」と言われたので、不要なものをすべて取り出した。テントがないだけで、一泊は出来そうな装備だったのを全部見直して、ハイキング仕様に変更した。

 駅夫はキャンプをするのが好きなので、泊まりとなると、やはり色々と持って行きたくなるのだ。しかし、今回のルーレット旅ではホテルを泊まり歩いていたので、ほぼ使うことがなかったのだ。寝袋、折り畳み式のクーラーボックスや給水器など、その他テント泊には欠かせないグッズをいくつか忍ばせていたが、全部いらないから置いてこいと羅針に言われたので、素直に置いてくることにしたのだ。それだけで、荷物は半分以上減った。

 しかし、ここからが駅夫の真骨頂である。アウトドア用品の代わりに、旅に必要だろうとあれこれ用意し始めたのだ。結果、全体的に荷物の量は減ったものの、リュックを小さいものに変える程ではなくなってしまった。

 駅夫は、「土産物とか入れられるスペースができたってことで、良しとしよう。」と、前向きに考えていたのだった。


「いや、得意げに言うことじゃないから。どう見てもあの量はおかしいから。そのリュック70Lはあるだろ。エベレストへ登りに行くんじゃないんだからなって言ってるのに。」

 羅針が呆れたように言う。

「ちゃんと、今回はミニリュックも仕込んできた。観光地にすぐ行けるように、貴重品とかは全部そこに入れて、この中に待機させてあるから、問題ないぜ。」

 駅夫はそう言ってサムズアップをしている。

「問題ないぜ、じゃねぇっての。重くなきゃ別に良いけど。……取り出しやすさを工夫したのは進歩と褒めるべきか。いや、そもそも大きいリュックが……。」

 相変わらずの駅夫の愚行に、呆れたように羅針は溜め息をつく。

「それより、弁当買いに行こうぜ。車内で食うだろ。」

 呆れてる羅針を他所に、駅夫はもう完全に旅モードだ。

「ああ、分かった、分かった。いつもの店に行くか。」

 羅針は呆れながらも、駅夫の後に続いてリュックを担ぎ、いつもの駅弁専門店へと足を向けた。その顔にはしょうがないなと苦笑が浮かんでいた。


 二人が駅弁屋で購入したのは、鮭といくらの載った弁当だ。明治創業の老舗料亭が作る駅弁で、専用の売り場には他にも幕の内系の豪勢な折詰が並べられていた。その中でも一際目を引いたのがこの鮭といくらの載った弁当である。

 結局これを選択した。二人とも色々載ったものよりもシンプルな方を選んだのだ。それとおにぎりの弁当も購入した。

 店内は、平日だというのに激混みで、レジに並ぶのも一苦労した。平日ということもあり、会社員が多く見られたが、中には年配の旅行者グループや、外国人観光客もいて、店内はさながらバーゲンセールのデパート並に混雑していた。

 二人は、どうにかこうにか購入することが出来、もちろん、ペットボトルのお茶とビールも忘れない。


「どうにか買えたな。じゃ新幹線ホームへ急ごうぜ。」

 羅針は、スマホの時計を確認し、一応出発時間にはまだ余裕があるのを確認する。

「そんなに急がなくても大丈夫だよ。まだ、30分はあるから充分間に合うよ。それに指定席なんだろ。座れないこともないし。慌てず行こうぜ。」

 駅夫は、そんなことを言っているが、彼の方が羅針よりスライドが若干大きいため、のんびり歩いていても、羅針の急ぎ足について行けるのだ。

「お前とペース合わせてると、間に合うものも間に合わねぇよ。」

 羅針が駅夫のペースに合わせていると、どうしてもゆっくりすぎてしまうのだ。だから、駅夫と一緒の時は、どうしても急ぎ足になってしまう。只、羅針の本音はそこではなく、何かあってトラブルになった時に、余裕を持つため、早めに移動しておきたいのだ。


「そうか?そん時は、ドアストッパーしといてやるよ。」

 駅夫は、もし羅針が乗り遅れそうになったら、先に行ってドアから半身を出して、閉められるのを防ぐというのだ。

「馬鹿。今時そんなことしたら、構内放送と車内放送でがなり立てられて、駅員に引き摺り降ろされるか、押し込められるっての。下手すると鉄道警察がすっ飛んでくるからな。無駄なことだから絶対やるなよ。フリじゃねぇからな。」

「分かった、分かった。昔は良くやったのにな。厳しくなったな。」

「厳しい厳しくないの話じゃなくて、1分1秒を争うダイヤ設定だから、お前が1分列車を遅らせると、後の列車が1時間遅れることにもなりかねないんだよ。駆け込み乗車以上の悪行で、大迷惑だからな。」

「そんなにか。」

「もしそんなことになったら、お前責任取れねぇだろ。億単位の賠償金も有り得るからな。だから、馬鹿なことはするなよ。もし乗り遅れても、次ので行けばいいだけの話なんだから。数千円で済むキャンセル料と億単位の賠償金、どっちが良いかよく考えろよ。」

「分かった。ぜってぇしねぇよ。」

 羅針の剣幕に圧倒された駅夫は、絶対しないことを誓う。

「良し、それなら急ごうぜ。走らず、慌てる。これが鉄則だからな。」

 羅針は、駅構内では走らずに余裕を持ちつつも、気持ちだけは慌てるという、鉄道ファンなら当然の常識とも言える暗黙の標語を駅夫に向かって告げる。

「ハイ、ハイ。」

 駅夫は、羅針の生真面目な性格を鬱陶しがることなく、素直に聞きつつも、茶化すように返事をする。

「ハイは一つ。」

「へぇ。」

「屁をこくな。」

 二人は結局、相変わらずの茶番を言い合い、笑いながらも、足早に新幹線ホームへと急いだ。


 新幹線ホームに上がってくると、既に11時を回っていて、E6系の赤いこまちが大宮寄りに、E5系の緑のはやぶさが大坂寄りに連結して停まっていて、丁度清掃の最中だった。

 まだ、出発までは時間があるようだったので、羅針は連結の様子を写真に収めた。それを見て、駅夫もスマホを取りだして、同じように撮影した。

「新幹線は、何度見ても格好いいな。」

 駅夫が楽しそうに言う。

「だな。デザインがホント良いよな。どの車両も洗練されている。」

 駅夫が徐々に鉄道好きになっていることが嬉しいのか、羅針も顔を綻ばせている。


 二人は予約した15号車の乗車口へと向かう。

 清掃エイジェントは既に車内清掃を終えて、列車は客の乗車を待っていた。

 E6系は普通の新幹線より一回り小さく、入り口にはステップが出ていて、ホームとの隙間に落ちないようになっていた。ミニ新幹線と言うだけはある。

 二人の席は進行方向左側の5Dと5Cである。車内の席は4列シートで、やはり普通の新幹線より1列少ない。二人は列車に乗り込み自分たちの席に着くと、間もなく列車は静かに東京駅を出発した。18日前は、東海道新幹線でこの旅を始めたが、今度は東北新幹線、そして秋田新幹線で旅が始まるのだ。

「なんか、自宅に一旦寄ると、一区切り付いて、第二章開始って感じがするな。」

 駅夫が感慨深そうに言う。

「確かにそうだな。何度も東京駅寄ってるのに、今日はなんか気分が違うな。」

 羅針も同意する。

「じゃ、早速始めようぜ。ルーレット旅第二章最初の食事。」

 東京駅を出て5分も経っていないのに、駅夫は早速弁当を広げようと言う。

「早くないか?」

「良いじゃん。もう、食べたくてしょうがないんだからさ。朝も軽かったし。」

 駅夫はまるで、餌を待ちきれない犬の様に舌を出して尻尾を振っているように見える。


 駅夫は、袋から鮭といくらの弁当とおにぎりの弁当を取り出し、まずは鮭といくらの弁当のパッケージを開けた。

 中には、大振りの鮭の切り身が真ん中にドンと鎮座し、その周囲にはびっしりといくらが敷き詰められていた。付け合わせは出汁巻き玉子と椎茸である。

「美味いぞ。」

 駅夫が一口食べて唸る。

「この飯は茶飯かな、魚介出汁で炊いてるのか、鮭ともいくらとも良く合う。確かに美味いな。脂が載った鮭も、香ばしい塩焼きが絶妙な塩加減だし。これは確かに美味い。流石老舗料亭だな。」

 駅夫に少し遅れて、羅針も包みを開けて、一口食べて唸るように言う。

「そうそう、それぞれが絶妙にマッチしてるんだよな。」

 駅夫も、既にだいぶ食べ進めていたが、羅針の言葉に改めて頷いた。


 列車は地下ホームの上野駅を出て、地上の高架線に出て来ると、大宮へ向けて下町の街並みを抜けていく。反対側の車窓から見え隠れする東京スカイツリーに別れを告げ、こちら側の車窓に現れた飛鳥山公園の森林を横目に北上していく。

 荒川を越えると、車窓の雰囲気はがらりと変わる。一挙に視界が開け、遠くの山々が曇り空の向こうに微かに見え、関東平野の広がりを目の当たりにする。

 二人は、鮭といくらの弁当を頬張りながら、流れていく車窓を楽しんだ。


 大宮駅を出て、列車はグングン加速を始める。

 大宮駅から宇都宮駅までは最高速度の設定が毎時275㎞であり、東京から上野間の毎時110㎞と上野から大宮間の毎時130㎞に比べ、格段に設定値が上がるため、視覚的にも急にスピードが上がったように感じるのだ。しかし、車内に響いてくるモーター音が数段階ギアを上げてはいるにも関わらず、揺れを然程感じないのは、流石新幹線と言ったところか。


 列車は、田畑が広がる田園風景の様相を呈してきて、建物が徐々に数を減らしていく。この辺りは埼玉県、茨城県、栃木県、それに群馬県の県境が入り組むように隣接しているが、長さ819mの利根川橋梁をあっという間に越えて茨城県に入ると、その数分後には栃木県へと入り、小山おやま駅を通過していくのだ。


 小山駅を過ぎた辺りから山がドンドン近くなり、遠くに霞んでいた山々の稜線がはっきりと見えるようになってきた。

 弁当を頬張っていた二人も、鮭といくらの弁当から、おにぎり弁当に切り替わり、腹の隙間を満たす作業に入っていた。


「この握り飯、案外美味いよ。鮭といくらの弁当の後だから、落差を覚悟してたけど。」

 駅夫が頬に米粒を付けながら宣う。

「頬に弁当付けてるぞ。……確かに悪くない。絶妙な塩加減も良い。申し訳程度の付け合わせも悪くないな。」

 羅針も握り飯を頬張りながら呟く。

 このおにぎり弁当には、鮭と南高梅のおにぎりに、ポテトサラダ、唐揚げ、かまぼこ、それにたくあんが詰められており、小腹を満たすのに丁度良い量なのだ。


 列車は昨年75年振りに新線として開業したライトレール、つまり路面電車の開通で沸き立つ宇都宮駅を通過していった。


「駅夫、知ってるか75年振りに新規開業した路面電車ができたのを。」

 羅針が、駅夫に尋ねる。

「あの、黄色のカッコいい車両のヤツだろ。ネットで見たよ。動画サイトでガンガンお勧めに上がってきてたからな。お陰で、一度も乗ったことないのに、全線乗り通した気分になってる。」

 駅夫はそう言って笑う。

「だよな。俺もそうなってる。最近動画サイトのせいで、自分の体験なのか、動画で見ただけなのか時々分からなくなることがあるよな。」

 羅針も笑いながら頷く。

「そうそう。自分は行ったこともないのに、行った気になってるのって結構ある。以前は旅番組とかで行った気になるって言っても、旅番組で見たって記憶が付いて回っていたんだけど、動画サイトで見てるとそれがないんだよ。不思議だよな。」

 駅夫がそう言って首を傾げている。

「何も不思議なことはないよ。テレビだと、必ず画角にタレントが映るだろ。だから、行った気になっても、旅番組だって認識が出来るんだ。けど、最近の動画はもちろん投稿者が顔出ししてたりすれば別だけど、大抵は顔出しせずに景色だけを映しだしていくから、映像に他人の顔が出てこない。だから余計自分の体験と混同するんだと思うぞ。」

 羅針は得意の分析をして、駅夫に説明する。

「なる程、確かにそれは一理あるな。タレントなら顔ごと映像として記憶に残るけど、見ず知らずの一般投稿者の顔なんて、そこら辺を歩いている通行人と変わらないからな。記憶にも残らないか。」

 駅夫もそう言って納得する。

「だろ。だから、お前が付けてるブログだって、記憶を混同させないように毎日記録に残してるんだし、俺だって、毎日どこ行ったか、何をしたか、そして何を感じたか、日記じゃないけど、旅の記録をきちんと付けてるんだよ。記憶を混同させないようにね。」

 羅針がキーボードを打つフリをしながら言う。

「なるほどね。確かにそうかも知れない。じゃ、その記録簿に記載するためにも、宇都宮に来ることになったら、俺たち自身も体験しような。実際に乗ってさ。」

 駅夫が決意表明をする。

「ああ、来ることになったらな。」

 羅針は、1万分の1の確率を引き当てる可能性はかなり低いよなとか思いながらも、駅夫の楽しみを奪うようなことは言わず、「お前が宇都宮を引き当てるのを楽しみにしてるよ。」とだけ言った。


 やがて、那須連山が見えてくると、いくつかのトンネルを潜り、福島県へと入っていく。白河の関(しらわかのせき)を越え、いよいよ東北、松尾芭蕉が詠んだ〔奥の細道〕の世界へと誘われていく。松尾芭蕉は弟子の河合曾良かわいそらと共に徒歩で訪れたが、二人は国内最高速を誇る新幹線で入境した。多少の感慨はあるものの、大して深くもない。ましてや芭蕉と曾良の感慨に比べたら、雲泥の差であろう。


 おにぎりの弁当も食べ終わった二人は、いつの間にかビールを取り出して酒盛りが始まっていた。つまみにしていた車窓は、すっかり田園風景となり、田圃には青々とした稲が風に靡き、畑には何が植わっているのか分からないが、青々とした葉が茂っていた。しかし、車窓はトンネルが途切れる短い合間にしか見ることができず、結局東京駅の弁当屋でついでに買って置いた唐揚げと漬物につまみをシフトした。


 宇都宮を過ぎてからは最高速度が毎時320㎞になっているためか、列車がギアを更に一段上げると、走行音は唸るようなゴォーっという音のボリュームを上げ、車窓は飛ぶように過ぎていく。しかし、トンネルに阻まれ、車窓をあまり楽しむ間もなく東北地方最大の都市である仙台に到着した。

 トップスピードから徐々に減速し、ゆっくりと仙台の街に入っていく。名取川なとりがわを越えると建物の高さも高くなり、中には20階はありそうな高層マンションも見られ、都会に近づくにつれ、街並みに賑わいが戻ってきた。


 高層ビルが建ち並ぶようになると、列車は仙台駅へ滑り込んでいく。杜の都と言われる仙台であるが、新幹線から見る車窓には杜の一つも見えず、ビル群が出迎えてくれた。流石東北最大の都市である。

 その、大都市に鎮座する仙台駅で、かなり多くの乗客を入れ換えた列車は、再び走り出すと、毎時320㎞の最高速度までグングンスピードを上げていく。唸るような走行音が車内に響き渡り、車窓には再び田園風景が広がっている。そして、視界を遮るトンネルが立て続けに現れた。


 列車は宮城県から岩手県へと入り、一ノいちのせき駅を通過するとすぐに、鉄道橋としては国内最長で、3868mもある第一北上川(きたかみがわ)橋梁を通過していくことになる。


「駅夫、この後通過する一ノ関駅の先にある橋は、鉄道橋としては国内最長の橋だよ。」

 一ノ関駅に差し掛かる手前で、羅針が窓の外を眺めている駅夫に教える。

「国内最長って、瀬戸大橋じゃないのか。あそこも鉄道通ってるよね。」

 駅夫が怪訝な顔で聞く。

「ああ、瀬戸大橋ね。瀬戸大橋は確かに世界最長の鉄道道路併用橋としてギネスにも認定されてるけど、あれは10本の橋が連なって、纏めて瀬戸大橋と呼ばれているだけであって、一本の橋ではないからね。」

 羅針が瀬戸大橋と第一北上川橋梁の違いを説明する。


「マジで。そうなのか。それは知らなかった。あれって、全部別々の橋なんだ。」

「そうだよ。国内で最長は東京湾アクアブリッジ、要はアクアラインだね、次が明石海峡大橋、で、第三位が第一北上川橋梁、これから渡る橋になるんだよ。」

「へぇ、なるほどね。」

「一位のアクアブリッジが4425m、二位の明石海峡大橋が3911m、三位の第一北上川橋梁が3868m、で、四位が関西国際空港連絡橋の3849mなんだよ。僅かに関空の連絡橋より長いんだよね。

 ってそれは良いんだよ。俺が言いたいのは、この橋が北上川を越えるだけじゃなくて、その下は遊水池になっていて、田圃の上に橋が架かってるように見えるって話だったんだけど。」

 駅夫の一言で話が逸らされ、スマホを見ながら羅針は数値を読み上げるが、そんな数字の話ではないとばかりに、スマホから目を上げ、そろそろとばかりに駅夫越しに窓の外を見る。


「ふ~ん、そうなんだ。」

 話を逸らしたことなど気にも留めていない駅夫が、のほほんと応える。

「ほら、外見てみろよ、もうすぐだから。」

 丁度列車は一ノ関駅を通過し、田圃の上を走っているかのように見えた。

「ホントだ、マジで田圃の上を走ってるよ。」

 窓の外を見た駅夫が驚いた。まさに羅針の言葉どおり、列車が田圃の上を飛ぶように走っており、一瞬だけ北上川が見えたが、その後もずっと田圃の上を走っていた。

「だろ。北上川を渡るだけじゃないんだぜ。」

「でも、ここ橋じゃなくて、高架じゃねぇのか。」

「まあ、車内から見てたらそう見えなくもないけど、れっきとした橋、橋梁だよ。」

 羅針がどうだとばかりに、ドヤ顔で言った途端、列車はトンネルの中へ入って行った。9730mの一ノ関トンネルである。


 その後もトンネルがいくつか続き、水沢江刺みずさわえさし駅を通過すると、北上川流域の田園地帯を北上川と併走するように北上していく。そして、そのまま田園風景が続く中、盛岡到着の車内放送が入った。



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