拾壱之参
博多ラーメンを食べて満足した二人は、羅針が行きたいと言っていた場所に向かっていた。
「どこに行くんだよ。」
駅夫が羅針に聞く。
「ん?ああ、博多駅の上、もう一つの駅ビルだよ。」
羅針が応える。
「もう一つって?」
「まあ、付いてきなって。」
「分かったよ。」
駅夫はそれ以上問うことなく、羅針の後を付いていく。
人混みを掻き分け、コンコースの反対側にある、AMU PLAZAと書かれた入り口を抜け、エスカレーターで一挙に上がっていく。
「この上に目的地があるのか。」
駅夫が再び聞いてくる。
「ああ。そうだよ。」
「なんかの店か。本屋とかじゃないんだろ。」
駅夫は首を捻っている。
「違うね。」
「お前が本屋以外で行きたい店って、なんだろうな。雑貨店とかか。」
「まあ、とにかく付いて来いって。多分お前も来て良かったって思うから。」
「俺が来て良かった?そんな店あるか?」
駅夫の頭の回りにはクエスチョンマークが回転していた。
都内でも良く見かける店がチラホラ見えたが、もちろんそこには寄らず、ひたすら羅針は上へ上へと上がっていく。駅夫は只付いていくだけだ。
駅夫は、羅針が博多ファッションにでも興味があるのかとも思ったが、ファッションフロアーももちろんスルーした。
そして、ラーメンを食ったばかりなので、当然飲食店街のフロアーもスルーし、飲食店街のフロアーにある映画館ももちろん寄ることはなかった。
そして、とうとう一番上の屋上階にまでやってきた。
「もしかして、来たかった場所って屋上か。」
駅夫が半分驚いたように、半分呆れたように言う。
「ああ、そうだよ。」
まだなにか隠しているのか、屋上へ出る扉を押し開けながら、羅針はそう言ってにやりと笑っていた。
右奥にミニ鉄道の線路と車両があったが、それもスルーして広場に来ると、左手に鳥居があった。木で出来た、ビルの屋上にあるとは思えない立派な鳥居である。扁額には〔★星門〕とあった。
「ここって、まさか神社か。」
駅夫が驚いて目を丸くしている。
「そう、この屋上には鉄道神社っていうのがあるんだよ。」
羅針がここに来た目的をやっと打ち明けた。
「鉄道神社?なにそれ。」
こんな所に神社があるなんて思いもよらなかった駅夫が、鳥居と羅針の顔を見比べて、目を白黒させている。
「鉄道を祀っている、筑前国一の宮の住吉神社から分霊を賜った、歴とした神社だよ。」
そんな駅夫に対し、羅針は目を輝かせ、胸を張って得意満面に語る。
「歴としたって、こんなビルの屋上にか。」
駅夫は、羅針の言葉を聞いても、まだ信じられないようで、お手上げのポーズで肩を竦めた。
「そうだよ。住吉神社に祀られている住吉三神は、かつて神功皇后が朝鮮半島の新羅と戦った三韓征伐に出陣した際に、その道中を守護した神様だといわれていて、旅の安全を祈願する神様としても祀られてるんだよ。
まあ、とにかく参拝しようぜ。」
行ってみれば分かるよとばかりに、羅針は簡単に説明して、脱帽一礼し、鳥居を潜っていく。
「なんか、ビルの屋上で脱帽一礼って変な感覚だな。」
駅夫はそうブツクサ言いながらも、やはり鳥居の前では礼儀を欠かせず、脱帽一礼して羅針の後に付いていく。
一の鳥居を潜ると、広場のような参道があり、そこには扁額に〔●福門〕と書かれた二の鳥居が、更にその奥にある三の鳥居には〔♥夢門〕と書かれていた。
三の鳥居まで来ると、周囲はビルの屋上とは思えない程の草木が生え、その上小さな田圃まであり、青々とした稲が陽の光を求めて上へ上へと伸びていた。そこはまるで鎮守の杜にでも来たかのような感覚になる場所で、農村の風景が小さく再現されていた。
更に、三の鳥居夢門の脇には手水もあり、そこが只の屋上庭園ではなく、本格的な神社であることを示していた。
そして、その奥には10基にも及ぶ鳥居が円形に並び、その一番奥に、四の鳥居とお社が見えた。今度は、小さな村から一変して、まるでUFOを呼ぶ儀式でもおこなわれるんじゃないかといった雰囲気が漂う場所になった。
「なんか、この鳥居を潜りながら、ここを周回してたらUFOが降りてくるとかないよな。」
駅夫が冗談半分で言う。
「そんなことある訳ないじゃん。」
羅針は駅夫の言葉を一蹴するが、駅夫の言うとおりにここを周回してたら、ホントに来るんじゃないかと思うような雰囲気は充分あった。
「そうかな、羽咋でも宇宙人はいるって言ってたし、ここに来たって不思議はないぜ。」
駅夫はまだ食い下がってくる。
「じゃ、やってみな。本当に呼べたら、賞金一億出してやるよ。」
羅針がそう言って大風呂敷を広げる。
「一億、まじで……、ってお前が言う一億ってのは、大抵円じゃないからな。どこぞの聞いたことない通貨だったり、そもそも通貨じゃなかったりするからな。騙されないぞ。」
駅夫は、昔、商品一億と言われ、頑張った挙げ句、大量の砂粒を一億といって貰ったことを始め、子供の頃から散々それで羅針に引っかけられたことを思い出し、ドヤ顔で息巻いている。
「なんだ、もうこの手は通用しないのか。折角ドルで払おうと思ったのに。」
「何?ドル?」
駅夫はドルと聞いて米ドルかと色めき立つ。
「ああ、火星ドルとか木星ドルあたりでね。」
「ほら見ろ、やっぱり存在しなぇ通貨じゃねぇか。」
駅夫ががっかりして悔しがるその横で、羅針は腹を抱えて笑った。
二人がそんな馬鹿なことを言い合っているその足元には、丁度10基の鳥居が並ぶその円形の中心に、可愛い子供たちが電車ごっこをしている像があった。
説明書きによると、〔縁結び七福童子〕と呼ばれる、〔九州〕〔鉄道〕〔遊び心〕の三つをテーマに製作されたもので、九州の地図の上で七人の童子が電車ごっこをしているのは、九州七県が繋がるイメージを表現しているのだそうだ。デザインしたのは、奈良県の鹿をモチーフにしたキャラクターをデザインした人と同じ人らしい。
二人は、独特の表情をした童子たちの、あまりの可愛さに、カメラを向けて写真に収めたり、一緒に写ったりした。
「UFO呼ぶには電車ごっこをしろってことじゃねぇか。」
羅針がまた駅夫をからかう。
「こいつ、まだ俺をからかってやがる。やらねぇよ電車ごっこなんて。初老のおやじが二人して電車ごっこしててみろ、UFOの前に警備員がすっ飛んでくるわ。」
駅夫がプンスカって音が聞こえてきそうな勢いで怒ってくる。
「何言ってんだよ、電車ごっこするのは、お前だけだよ。俺はやらないからな。」
羅針はそう言って、また声を上げて笑った。
羅針の言葉に「なに!一人で出来るか。」と言って、駅夫は拳を振り上げた。
そんな馬鹿なことを言い合いながら、二人はいよいよ、扁額に〔鉄道神社〕と書かれた四の鳥居を潜り、その奥にあるお社に向かって、きちんとお参りをした。やはり、神社のお社の前では、こんな二人でも大真面目になる。只、二人の願い事はもちろん旅の安全と、鱈腹の美味い飯という下世話なものなのだった。
お社は本当に小さく、良くある神社の摂社や末社にあるようなこぢんまりしたものではあったが、その様式はもちろんちゃんとしたものであり、二人のそんな下世話な願いも聞き届けてくれそうである。
お参りを終えて、ふと境内を見渡すと、西洋人のレリーフが飾られていた。銘には〔九州鉄道建設之恩人 ヘルマン・ルムシュツテル 十河信二士〕とあった。
「この人誰?」
駅夫が宜の如く聞いてきた。
「ヘルマン・ルムシュッテル氏は、ドイツの鉄道技師で、御雇外国人として明治時代に日本へ来て鉄道技術を伝えた人だね。1894年まで日本の各地で鉄道敷設や経営の指導に尽力され、勲四等瑞宝章を受章している人だよ。」
羅針が珍しくスマホを見ずに熟々と答えていた。
「へぇ。凄い人なんだ。お前がスマホを見ずに答えるって事は、鉄道業界では有名な人なんだろ。九州鉄道建設之恩人と言われるだけのことをしたんだね。……で、この漢字は何?」
「ああ、右下の。それは人名だよ、このレリーフの文字を揮毫した人だね。十河信二さんは、元国鉄総裁。この人を鉄道業界で知らない人はいないんじゃないかな。新幹線の父と言えばこの人を置いて他にいないからね。」
「そんな凄い人なんだ。なんかの諺かと思ったよ。まさか、鉄道の歴史に欠かせない人だとは思いもしなかった。……で、なんでその凄い人物の名前に〔士〕って付いてるんだ。揮毫ってことは、自分で署名したんだろ。」
「多分、このレリーフを作った人が、十河信二さんの名前に敬称を付けたんじゃないかな。普通自分の名前に士とか入れないだろうからね。」
「なるほどね。鉄道の恩人に、新幹線の父の揮毫か。凄いレリーフがこんな所にポツンとあっちゃマズいような気がするんだけど。」
駅夫が、改めてありがたそうにレリーフを眺め、羅針に言う。
「まあな。でも、こうしてきちんと管理されているんだから、それで充分じゃないかな。歴史の闇に埋もれてきた文化財なんて、山程あるんだから。」
羅針が過去の文化財の行く末を、目の前で見てきたような口振りで言う。
「たしかにそうか。見たことも聞いたこともない歴史遺産は山程あるってことか。それに比べたら、ここにこうしてあるだけマシなのかも知れないな。」
駅夫は羅針の言葉をそのまま鵜呑みにして納得した。
UFOでも呼べそうな参道を逆戻りし、一つ一つの鳥居できちんと脱帽一礼をし、一の鳥居を潜り、最後の脱帽一礼をすると、その後ろに立つ三本の鉄柱に二人の目が行く。
この古い柱は、三代目博多駅が完成した時に解体された、二代目博多駅1番ホームの鋳鉄柱である。柱の一本一本に彫刻が施されているのが、当時の美意識を彷彿とさせる、素晴らしい柱である。住吉神社に保存されていたものが、四代目博多駅の完成に伴い、この地へ移設されたそうで、その鈍く赤茶色に光るこの柱には、まさに歴史を駆け抜けてきた貫禄さえ窺えるようである。
柱の下を通るミニ鉄道の線路を跨ぎ、更にその奥の広場を抜けて、階段を上がると展望テラスに出られた。
地上60mはあるそうで、東京と違って高い建物が然程ないため、博多の街並み、いや福岡の街並みを、360度のパノラマで楽しむことができる。
ガラス張りの柵には、何が見えるのか案内もされていて、山の名前や観光名所がガラス柵に列記されていた。その表記を頼りに眺めると、遠くには筑紫山地の山々や、玄界灘に浮かぶ船、それに博多ポートタワーや福岡タワーなんかも見ることができた。
今日は生憎の曇り空で、筑紫山地の山々には雲が垂れ込めていて、その勇姿を半分も見せてはくれないが、手前にある福岡の街並みは、曇り空の下でドヨンとしてはいるもののビルの谷間を走り抜ける車列や、行き交う人々は忙しそうに活気づいていた。
ここまで街の喧騒は届かないが、その活気溢れる街の息づかいはここまで届いてくるような気がした。
そんな街の様子を、駅夫は動画でぐるりと写し、羅針はパノラマ撮影をした。
「こんな景色が良いところなんだな。」
駅夫が360度ビューに感動して、動画だけでなく、写真にも収めていた。
「だろ。だからお前も『来て良かったって』言うって、言っただろ。」
羅針がドヤ顔をしている。
「ああ、嘘偽りはなかった。神社に連れてこられた時は、がっかりしたけど。」
そう言って駅夫は笑う。
「おっ、罰当たりなこと言って。そんなこと言ってると、鉄道神社から大目玉を食らうぞ。」
羅針がそう言って脅す。
「まじか。鉄道神社の神様、申し訳ございません。本心ではない故、どうかお慈悲を。」
そう言って、鉄道神社の方に向かって必死に手を合わせていた。
それを見て、羅針が声を上げて笑った。
景色を堪能した二人は、階段を降りて、奥にある列車展望スペースへと入っていった。壁に囲まれた奥のスペースには、ガラス越しに博多の駅を見下ろすことが出来た。方角は北側の小倉、東京方面で、新幹線から在来線まで一望出来る。
「ここも来たかったんだよ。ほら山陽新幹線も見えるし、鹿児島本線もばっちり。」
羅針がまるで子供のようにはしゃいでいる。
「こんな場所よく知ってたな。」
駅夫が感心したように言う。
「結構ネットに、ここから撮った写真が上がってるからね。一度来てみたかったんだよ。」
羅針は念願叶って、心底嬉しそうだ。
「なるほどね。」
「ほら、783系のみどり、あれは佐世保へ行くんだよ。ほら、あれは883系のソニック、大分行きかな。……」
羅針はひたすら停車している列車を見ては、子供のように興奮して写真を撮っていく。
「こんな所からじゃ、あんまり良い写真撮れないだろ。」
駅夫がホームの屋根の隙間からチラリと覗いているだけの列車を見て、心配そうに言う。
「これが良いんだよ。チラリズムってヤツだ。あんまりこういうアングルで撮られないからこそ、見栄えではない、ちらっと見える良さが活きてくるんだよ。」
羅針が少し興奮気味に語る。
「なんか、イヤラシく聞こえるけど、鉄道写真の話だよな。」
駅夫がからかい半分に言う。
「もちろん。」
羅針は、駅夫のからかいなど気にも留めなかったのか、そのままスルーして、夢中になってシャッターを切っていた。
30分程撮っていただろうか、駅夫も何枚か写真に収めてはいたが、羅針はかなりシャッターを切っていた。
このまま羅針を放っておくと夜中になりそうなので、駅夫が声を掛ける。
「羅針、そろそろ行こうか。」
「ああ。悪いな、俺だけ楽しんで。」
「良いよ、良いよ。おれもさっきまた展望台に行って、写真撮ってきたり、屋上庭園満喫してきたから。」
駅夫も待っている間、展望台からの眺めや、屋上庭園をプラプラと散策して楽しんできたようだ。
「そうか。それなら良かった。それじゃ、そろそろ行こうか。」
「ああ。」
二人は、満足したように頷き合って、エスカレーターで階下へと向かった。
時刻は既に16時近くで、昼過ぎには博多を出る予定だったが、思ったよりゆっくりしていたようだ。
「この後、16時36分発東京行きののぞみがあるから、それで良いか。どっかまだ寄りたいところとかあるなら、19時までは寄れるぞ。」
羅針がエスカレーターで降りながら、スマホで新幹線の時刻をチェックしている。
「だから、そんなにいなくて良いって。その16時36分発で帰ろうぜ。そうだ、折角なら飲み物と弁当は買いたいな。東京には21時とか22時なんだろ。」
駅夫が提案する。
「そうだな。弁当は調達しておきたいな。」
羅針もそれに同意した。
一階まで降りてきた二人は、筑紫口の方で見た駅弁屋を目指して人混みを掻き分けていく。とにかく博多駅のコンコースは人が多い。新宿や渋谷程ではないにしても、その混み具合は引けを取らない、とは流石に言い難いが、混んでいることに変わりはない。
大量のトランクを一人で見張り番していたり、持ちきれない程のお土産をぶら下げて歩いていたり、ヒールが床を打つカツカツという音や、トランクを引き摺るガラガラという音が響き渡り、また聞こえてくる話し声も、博多弁ばかりではなく、中国語や韓国語、時折英語も混じっている。もちろん観光客ばかりではない、地元の人たちも数多く行き交っていた。
流石九州の玄関口である。色んな目的で、色んな人々がこの駅に集まってきているのが良く分かる。
先程ラーメンを食べた博多デイトスに戻ってきた二人は、ここで駅弁を物色する。
何店舗か駅弁を売る店があったが、九州各地から集められた駅弁がラインナップされていて、どれもこれも美味そうである。中には新幹線で運ばれてくると謳われた鹿児島や熊本の弁当なんかも置いてあった。もちろん、前回食べた〔不動の人気〕である、鶏肉、錦糸卵、海苔を敷き詰めた鶏飯が売りの三色弁当もあったが、流石に同じものをというのも芸がない。出来れば別のものが食べたいと思うのが人情というものである。
二人は散々悩んだ挙げ句、明太子を丸々一本載せて御重にした弁当を見付けたので、流石に値が張ったが、美味そうと思ってしまったら、他に触手が伸びず、二人は散々迷ったが、結局この明太子の御重にした。賞味期限は4時間と言われ、20時頃までに食べなければいけない時限が設定されてしまったが、それでも立派な紙袋に入れられた高価な弁当を渡されると、もうそれだけで大満足である。
弁当の調達を終えた二人は、お茶やビールを買い込み、駅夫のリュックサックをコインロッカーから取り出すと、新幹線に乗る準備は万端である。
しかしゆっくり買い物をしすぎた。余裕があった時間も、新幹線の出発時間は刻一刻と迫っていたので、二人は急いで改札口へと向かう。
切符は既に購入済みで、スマホを翳して新幹線改札口を抜けた二人は、東京行きののぞみ50号が来る13番線へと上がる。
既に列車は入線していて、ホームにはN700Sが停まっていた。
二人は自由席のある3号車から乗り込み、席を探していく。2号車に移って、漸くいつものEとDに空きを見付けると、そこに陣取った。
「今日も富士山は見られないか。」
駅夫が席に着くなり、垂れ込める雲を見て、富士山のことを心配している。
「無理だろうな。曇ってるし、その上静岡通過は20時過ぎだから、多分真っ暗だよ。」
羅針が身も蓋もないことを言う。
「だよな。」
駅夫ががっかりしたように項垂れた。
「まあ、酒盛りでもやって、景気よく行こうぜ。」
そう言って羅針は、さっき買ったばかりのビールを取り出し、まだ列車が出発もしないうちからビールを飲み始めようとしている。
「おいおい、もう飲み始めるのかよ。まったくこれだから飲兵衛は。」
駅夫もそう言いつつ、新しいタブレットを買って機嫌が良いのか、上機嫌の羅針に付き合ってビールの缶を開ける。
「乾杯。」
二人はそう言って、酒盛りを始めてしまった。つまみは、諫早駅で買った十字架の名を冠したお菓子である。
「主よ昼間から酒盛りするこの罪深き男にお慈悲を、アーメン。」
駅夫が、天の神に向かって謝罪する。
「罪深き男って誰のことだよ。それにもう16時だ、昼間じゃねえ、夕方だよ。」
羅針は聞き捨てならないとばかりに、屁理屈を捏ねて駅夫に詰め寄る。
「そこでくだ巻いているヤツのことだよ。」
駅夫が、絡んで覗き込んでくる羅針のおでこを指で押し返す。
「くだなんて巻いてませんよぉ。ヒクッ。」
羅針が酔っ払いのフリをして巫山戯ている。
二人がそんな茶番をしているうちに、列車は音もなく出発した。この旅何度目かの振り出しへ戻るだが、茶番を演じている二人にとって、そんなことはどうでも良いようだった。