拾之拾弐
平櫻佳音を見送った、旅寝駅夫と星路羅針の二人は、島原鉄道の本諫早駅へと向かった。
居酒屋で飲んだ酒が、程よく回り、少し潮の香りがする夜風に、火照る身体を冷ましながら、話題は、今日新たに旅の仲間に加わった平櫻のことについてだった。
羅針より若干低いが、女性としては長身の彼女は、背中まで伸びるポニーテールをキャップの後ろにあるアジャスタの上を通して垂らしていた。その姿は、どこか勝ち気で、自信に満ちあふれた雰囲気を醸し出していたが、実際の彼女は、礼儀正しく、しっかりしている反面、どこか抜けたところもあり、大らかで、親しみやすい女性であった。
鹿児島のお国訛りを出さないように喋っていたのだろうが、イントネーションやアクセントに隠しきれない訛りが出ていて、その話し方にも二人は好感を持った。
今日は散歩で出てきたと言っていたので、特に誰とも会う予定がなかったためか、ほぼすっぴんであったが、表情が薄いとか、肌荒れが目立つとかそんなことはなく、しっかりと手入れされているのが見て取れた。おそらく動画撮影で顔出しもしているのだろう、女性なら当然留意することなのかも知れないが、人一倍気を遣っているのかも知れない。
二人は彼女の為人をそんな風に分析し合った。結果、総じて、彼女は現状良い人と言うことで暫定評価が決まった。
「本当に、彼女を同行させて良かったのか。」
駅夫が少し心配になって、羅針に聞く。彼女自身の為人もそうだが、コミュ障の羅針に負担にならないか、それも心配なのだ。
「ああ、俺も同行させて良かったかは、ずっと気になってる。一応、問題を起こさないために、契約書って形で、セーフティネットを張ろうと思ったんだけど、機能するかどうかは彼女次第だし、もちろん俺たち次第でもあるからな。」
何かを考えるような表情で羅針が言う。
「まあ、そうだよな。もちろん変な気を起こすつもりはないけど、女性は豹変するからな。」
駅夫が特定の誰かを思い浮かべて、溜め息交じりに言う。
「あの女か。あそこまで酷いのはそうそういないだろ。とは言っても警戒するに越したことはないのか。」
あの女とは、駅夫の元妻である。駅夫の子供と偽って、浮気相手の男との間に出来た子供を養育させ、微々たる慰謝料でトンズラした、駅夫曰く極悪人である。
「まあな。平櫻さんがそんな女性でないことを祈るしかないな。」
駅夫はそう言って、手を合わせる。
「だよな。でもさ、なんであんな良い娘が、俺たちの旅についてきたくなったんだろうな。それが不思議だよ。」
羅針が、首を傾げる。
「俺たちキツネにでも騙されてるかもな。とは言っても、拒絶する理由もないし、警戒しながら楽しもうぜ。」
駅夫は、若干ポジティブだ。
「ああ、あんな美人さんと同行出来るんだ。悪い気はしないし、ってか。」
そう言って、納得しつつ、羅針は笑った。
どうやら、羅針は彼女に対してコミュ障を発症はしているが、症状は重くなさそうで、今回は杞憂ですみそうだと、駅夫は一安心した。
二人がそんなことを話していると、本諫早駅に到着した。
二階建ての駅舎が暗闇に浮かび上がっていた。コンクリート建ての、しっかりした駅舎である。その上、線路を挟んでその奥にマンションが建っていて、駅舎越しに見るとまるで高層の駅ビルのようにも見える。
一日平均乗車人員は1000人前後を推移しているこの駅は、島原鉄道において諫早駅に次ぐ乗車人員である。社員配置駅として、立派な駅舎になっているのも頷ける。
二人は駅舎の写真を撮ったり、記念撮影をしたりした。
煌々と明かりが漏れてくる引き戸を開けて、駅舎の中に入ると、タイル張りの部屋と、Pタイル張りの部屋があり、全体として簡素な待合室となっていた。
右手のPタイルの部屋には、赤い自販機とコインロッカー、そしてベンチがいくつか置かれ、壁には観光ポスターが何枚か貼られていた。
正面のタイル張りの部屋には券売機と窓口があり、グッズ販売もしているようだ。この部屋は引き戸を挟んでその向こうがホームになっているようで、この扉が改札口の変わりなのだろう。壁には地域の案内広告や、時刻表、様々なお知らせが所狭しと貼られていた。
総じてローカル駅の待合室と言った感じだが、この感じが二人とも気に入っていた。
「こういう雰囲気良いよな。」
駅夫が写真を撮りながら呟く。
「だな。列車が来るまでの時間を、ここでまったりと待ったり、友達や恋人と待ち合わせしたり、子供のお迎えで親が待っていたり、なんかドラマがあるよな。」
羅針も写真に収めながら、そんなことを呟く。
「そうそう、ここから都会に出て行く仲間を見送ってさ、その中の一人の女の子が手紙でこっそり告白しようとするんだよ。ところが、それがバレて、皆にからかわれてさ、青春だよなぁ。」
駅夫が妄想モードに入った。
「いつの時代の映画だよ。今は皆携帯で告る時代だぜ。でも、そう考えたら、今時の子にはドラマがないよなぁ。」
羅針が年寄り臭いことを言う。
「確かにな。俺たちから見たら可愛そうに見えるけど、彼らからしたらそれが当たり前なんだよな。」
駅夫も年寄り臭いことを言う。
「そう、そこに彼らのドラマがある。」
「だな。で、俺たちのドラマは。」
「今日、ドラマがあったじゃん。」
「平櫻さん主演の?青春物には程遠いドラマだけどな。」
「確かにな。でも、俺たちの旅にマドンナが加わるんだ。」
「ちゃんとお・も・て・な・し・しなきゃ。だろ。」
駅夫が、タレントの真似をする。
「だな。」
そう言って二人は笑った。
二人は券売機で切符を購入すると、駅スタンプを見付けた。
羅針は、自分のスタンプ帳を取り出して、そこへ慎重に押す。
駅夫は、今朝羅針に貰ったリーフに押して、先程文房具店で買ったルーズリーフに綴じた。
「これで、俺のスタンプ人生が正式に始まった訳だ。」
駅夫が大仰に言う。
「なんかお前の中で大層なことになってるけど、単なるスタンプだからな。」
羅針がそう言って笑う。
「お前にとっては、何十年もしてきた、単なる旅行ついでの習慣かも知れないけど、俺にとっては、ワクワクする一大行事なんだから。」
駅夫がそう言って怒る。
「悪い、悪い。それでは、旅寝駅夫氏のスタンプ帳正式開始を祝して、三三七拍子をおこないたいと思います。では、皆様お手を拝借。よぉ~。」
そう言って、羅針が腕を大きく広げる。
「いや、お手を拝借しなくて良いから。分かった分かった。降参、降参するから。」
そう言って、駅夫が羅針の腕を下げようとする。
「あれ、やっぱり門出には三三七拍子が……。」
「だから、必要ないって。」
「そうか。残念だな。」
そう言って、漸く羅針は腕を降ろして笑った。
駅夫は、漸く腕を降ろした羅針を見て、ホッとし、周囲を見渡すと、待合室の奥で三人ばかり待っていた。ただ、こちらを見てはいなかったが、顔は笑いを堪えているようだった。
「笑われちゃったじゃねぇか。」
駅夫が小声で羅針を小突きながら詰る。
「良いじゃねぇか。門出を皆に祝って貰おうぜ。よぉ~。」
羅針がまだからかう。
「だから、もう勘弁してくれって。」
駅夫が縋るように言う。
列車の時間が迫り、二人はホームへ出て、列車が来るのを待った。待つ間も、駅構内の写真を撮りまくっていた。
20時52分、暗闇の中からヘッドライトを煌々と点けた、黄色い気動車の2500形が入線してきた。一両編成のワンマンカーだ。
二人が列車に乗り込むと、整理券を取るように言われる。このバスのようなシステムが、ローカル線の面白いところであり、旅に出てきた実感が湧くポイントでもある。
二人とも、空いている席にそのまま座る。駅夫はどうやら今日はかぶりつかないようだ。すぐに着くし、歩き疲れたというのもあるのだろう。もしかしたら暗くて外が見えにくいというのもあるのかもしれない。
1分程停車した列車が本諫早駅を出ると、すぐにトンネルに入り、ゴォーッという音がが車内に響き渡る。このトンネルの上が、昼間散策した諫早公園になっている。
まさか、この公園で平櫻に再会するとは、二人とも露とも思っていなかった。もちろん彼女もそんなことはこれっぽっちも考えていなかっただろう。
それが、どういう縁か、旅についてくることになったのだから、縁というのは不思議なものである。
トンネルを過ぎると、すぐに諫早駅到着の案内と、整理券、切符の取扱いと、運賃精算の方法が、自動放送で案内されていく。諫早の街の灯りと、左にJRの線路が見えてくると、終点の諫早駅はすぐである。
正味3分弱の乗車時間。カップラーメンも作れない時間である。
諫早駅では1面1線のホームが出迎えてくれる。線路の奥では車止めが、これ以上進むなと主張していた。
二人は、他の乗客に続いて、運賃箱に切符と整理券を放り込んで、下車する。
折角ならと、ここでも記念撮影と、写真撮影を執り行う。列車を撮ったり、駅名標と記念撮影をしたり、駅の様子を写し撮っていく。
写真を撮りおわった二人は、満足げに、宿へと向かう。昨日も歩いた道である。
本明川へと向かい、川沿いを宿までひたすら歩いて、およそ10分強である。
道中二人は、今日の出来事を話した。あそこが良かった、ここが良かったと。
「そう言えば、バス停で写真撮った女の子たち、無事佐賀に着いたかな。」
駅夫が思い出したように言う。
「ああ、そう言えば、変なポーズ撮らされたな。多分大丈夫だろ。ってか、平櫻さんの印象が強すぎて、彼女たちのことすっかり忘れてたよ。良く覚えてたな。」
羅針が感心したように言う。
「いや、あの娘たちも大概印象深かったぞ。見知らぬおじさん二人にポーズとらせて写真撮るなんて。今時の女の子は皆あんななのかな。」
「どうだろうな。特別なのかも知れないし、皆そうなのかも知れないし、何とも言えないな。統計でも取るか。」
「どうやって取るんだよ。一人一人聞いていくのか。あなたは見知らぬおじさんにポーズを取らせて写真を撮りますかって。あほくさ。」
駅夫がそう言うと、呆れたように笑った。
宿に到着し、フロントで鍵を貰って部屋に戻り、二人は順番にシャワーを浴びた。
「明日は何時出発だ。」
シャワーから出てくると、先にシャワーを浴びて、パソコンで何やらしている羅針に、駅夫が尋ねる。
「何時でも良いんだけど、あまり遅くなってもしょうがないから、9時頃出れば良いかな。新幹線が9時18分と、その次が59分だから、遅くとも59分のに間に合えば良いよ。
博多で電器屋寄って、修理依頼出して、後は新幹線で東京までだな。」
羅針がざっと明日の予定を言う。
「東京では、ホテルか?」
「ホテルでも良いけど、折角なら自宅に一端戻らないか。荷物整理して入換もしたいし、部屋の状態も気になるし。」
「そうだな。俺も少し荷物を減らしたいし。一旦帰宅は賛成だな。そうそう、寝袋ってやっぱいらないよな。」
「ああ、寝袋ね。それは置いてきて良いよ。山登りは可能性あるから、アウトドア用の装備は必要だと思うけど、泊まりの登山はするつもりないし、野宿はしないように調整するから。」
「そうか。じゃ、その辺のものは置いてくるよ。」
「それにしても、17日ぶりの家か。」
「17日になるんだ。なんか、もう何年も帰ってない気がするけど。」
「確かにな。家で玉手箱開けるなよ。」
羅針はそう言って笑う。
「もう、充分ジジイだよ。って、ほっとけ。」
そう言って駅夫も笑う。
そんな馬鹿な話をしながらも、羅針がさっきからパソコンで何やら打ち込んでいるのを、駅夫はずっと気になっていた。
「さっきから打ってるのは、もしかして契約書か。」
駅夫が、羅針のパソコンを覗き込んで聞く。
「そうだよ。こういうのは、サッサと作っちゃわないとな。」
羅針がそう言いながらも、一言一句確認するように打ち込んでいる。
「ホントにお前は、そう言う手間を惜しまないよな。マメというか、なんというか。」
駅夫が感心半分、呆れ半分で言う。
「まあね。サラリーマンの時に散々作らされたからな、こういう書類。一言一句上司がチェックするんだぜ、てにをは一つ間違えたら、それだけでボツ。何度も印刷し直すから、紙代やインク代だって馬鹿にならなかっただろうけど、そんなのお構いなしだったよな。お陰で、いまじゃこういうのは苦じゃないんだけど。」
羅針が、恨みがましく元上司を腐す。
「そうか。細かい上司ってどこにでもいるよな。って、もう打ち終わったのか。」
駅夫と話しているうちに、羅針は同行契約書を作り上げた。
「一応、読み上げて、中身が正しいか確認してから完成かな。」
羅針が、一息つくように、大きく溜め息をついて、そばに置いてあったペットボトルから水を飲んだ。
星路羅針(以下「甲」という)と、旅寝駅夫(以下「乙」という)と、平櫻佳音(以下「丙」という)は、甲と乙がおこなうルーレット旅(以下「旅行」という)に丙が同行するにあたり、基本的取決めを定めるため、以下のとおり同行契約(以下「本契約」という)を締結する。
こんな文章で始まる同行契約書は、全15条に及ぶ、結構本格的な内容の契約書である。
喫茶店で、素案として叩き上げた内容を基本に、細かい法律的な内容を更に追加して纏め上げてあった。
「こんなのを、彼女と結ぶのか。仰々しくないか。」
駅夫が脇から覗き込みながら、羅針に問いかける。
「確かに、仰々しいかも知れないな。でも、契約書だからな。万が一があった時の、指針であり、法律になる訳だからね。文言はきちんとしてないと。俺たちを守るためでもあるし、彼女を守るためでもあるから。」
羅針はそう言って、誤字脱字余字を訂正していく。
「確かにそうなんだろうけど。まあ、お前がそうしたいんだから、俺に否やはないし、彼女も同意してるなら文句もないけどさ。なんだかな。」
駅夫がどこか納得いかない表情である。
「もしこれで、彼女がこの契約は嫌だと言うことであれば、この話はなかったことにするし、逆にこのまま締結してくれたら、何の支障もなく旅行を楽しむだけだから。どっちに転んでも、俺たちにも、彼女にも後腐れないと思うし、そのための契約書だからな。何も憂うことはないと思うぞ。」
羅針はそう言って、契約文のチェックを続けていく。
「そうかなぁ。もし、断ってきたら、後腐れしか残らない気が、俺はするんだけど。」
駅夫が、首を傾げながら呟く。
「まあ、ほら、そこは彼女次第ってことじゃないかな。彼女が俺たちとの関係をバッサリ切りたいってことなら、そのまま切れば良いし、もし続けたいって言うなら、電話やメール、SNSで遣り取りとかすれば良いんだし。それに、また、九州に来た時にでも、時間が合えば再会することだって可能だし。別に同行するだけが、旅仲間じゃないだろ。俺たちが彼女を切り捨てるって訳じゃないんだから。」
羅針が持論を展開する。
「そうかも知れないけどさ。なんだか、お前ってそういうとこドライだよな。でもまあ、彼女は同意してるんだし、締結してはくれるんだろ。」
駅夫はまだ納得がいかないようだが、平櫻が契約に前向きであることは良しと考えているようだ。
「多分ね。後は、彼女次第ってことになるな。この契約書を彼女に送って、内容確認して貰って、不備を修正したら、電子契約の手続きに入るだけ。それで、彼女が同行出来るようになるってことだ。
もし、彼女が契約内容に同意出来ないとか、契約自体をしたくないってことなら、契約の話は白紙、同行もなしってことになる。只それだけ、ドライも何も、まずはそこから始めないと何も始まらないから。
そうそう、お前も内容確認して電子署名して貰うから、そのつもりでいてな。」
羅針がパソコンを操作しながら言う。
「署名するのは全然構わないけど。俺が古くさいだけなのか、どうもこういう契約の遣り取りって、心がないように感じるんだよな。」
駅夫は腕を組みながら、憮然とした渋面で言う。
「駅夫、それは逆だよ。心があるからこそ、きちんと契約を結ぶんだ。心がないヤツは、契約なんか結ばないで、好き勝手するだろ。搾取、詐欺、なんでもし放題なんだよ。
そんな不安な関係を、彼女と築きたくないじゃん。少なくとも俺は嫌だな。だからこそ、契約するんだよ。
それに、契約するってことは、そんなことしませんよって宣言にもなるんだ。だからそんな悪いことは基本出来なくなる。契約違反は、裁判で争えば絶対的に不利だからね。契約自体が詐欺のような、不当な契約でなければというのが大前提だけど。
だから、契約をきちんと結ぶんだよ。相手を思いやる心があるって証拠としてね。」
羅針が熱く持論を語る。
「そんなもんなのか。まだ、納得いかないけど、時代がそう言う時代なんだってことで納得するよ。俺も、彼女に不安を与えたいとは思わないし、嫌な気持ちのまま同行して欲しくないからな。」
駅夫は不承不承、羅針の持論に納得した。
「まあ、本当は、契約のないお前との関係みたいなのが理想なんだけどさ。そんなヤツこの世の中に何人いるか。ましてや、そんなヤツと出会える確率なんて、天文学的数字になるだろ。俺たちの出会いなんて、まさに奇跡だからな。」
そう言って羅針は少し照れた。
「まあ、そういうことにしといてやるよ。とにかく、明後日から彼女が合流するんだろ、トラブルがないように旅を楽しめるなら、それが一番だからな。」
駅夫がそう言って、眉間に皺を寄せていた表情が、期待に満ちた表情に変わる。
「だな。どんな旅になることやら、乞うご期待。って感じだな。」
「だな。」
二人は期待に満ちた、それでもどこか不安のある表情で笑った。
その後、羅針が作り上げた契約書を駅夫も確認し、取り敢えずそれを平櫻に送信した。後は、彼女からの返答を待つだけだ。
二人は、その後も、平櫻を入れた今後の旅のやり方について、色々と話し合った。