拾之玖
平櫻佳音は、旅寝駅夫と星路羅針を連れて、諫早公園の本丸跡の祈念碑や、城の安泰を願って建てられたという藤原明神と高城明神のお社を見て廻った。
平櫻の解説は詳しくて分かりやすかった。羅針の突っ込んだ質問にも的確に答え、流石地元である上、よく勉強しているのだろう。まるでツアーガイドのような知識量に、二人とも感心頻りだった。この時ばかりは、羅針のスマホも出番がなかった。
ちなみに、藤原明神は藤原鎌足を祀り、高城明神は諫早家初代当主の龍造寺家晴が祀られているらしい。その手前には亀の塔と呼ばれる塔が建っており、この諫早城が別名亀城と呼ばれる理由でもある、敵が攻めてくると、城の下に潜り込んで手足を伸ばして敵が攻められないようにするという、本明川に住む伝説の大亀を祀っているという。
「良く勉強されてますね。素人じゃないですよね。」
羅針が感心したように平櫻を褒める。
「ホント、この頑固者の羅針が褒めるんだから、大したもんだよ。」
駅夫もそう言って、平櫻を褒めた。
「おい、誰が頑固者だって。」
羅針が駅夫に噛みつく。
「星路羅針その人ですよぉ。」
駅夫がおちゃらけて言う。
「ありがとうございます。良く来るので、自然と覚えてしまったんです。もちろん好きなのもありますけど。」
羅針が拳を上げて駅夫を詰っている二人の茶番に圧倒されながらも、平櫻が恐縮したようにお礼を言った。二人は、平櫻の言葉に、巫山戯ていたのを恥ずかしく思い、「これは茶番だから」と言い訳をした。
その後、諫早公園を廻り、眼鏡橋の所まで降りてきた三人は、平櫻の提案で、三人一緒の記念撮影をする。池を挟んで眼鏡橋を望める場所に立ち、折角ならと、羅針が三脚を取り出して、一眼で撮影した。
「昔みたいにダッシュしなくて良いんだな。」
羅針がセルフタイマーを使わずに、スマホを使って遠隔でシャッターを切ったのを見て、駅夫が呟いた。
「今のカメラはブルートゥースとかWi-Fiで繋げて操作出来るから、便利だよ。」
羅針がカメラで写した写真を駅夫と平櫻に見せる。写真には、にこやかな表情の駅夫と、どこか硬い表情の羅針と平櫻が写っていた。
「すげぇな。スマホでもその場で見られるのか。」
駅夫が感心する。
「平櫻さん、この写真で良ければ送ります。スマホに直接送って大丈夫ですか。」
羅針が、撮ったばかりの写真の送信を、平櫻に提案する。
「はい、お願いします。」
平櫻の返事を聞いた羅針は、カメラ内に保存されたRAWデータを現像処理してJPEGファイルにすると、それをWi-Fiで繋いだ平櫻のスマホに送信した。
「データが開けるか一応確認してください。」
送信の完了を確認した羅針は、平櫻に言う。
「大丈夫そうです。ありがとうございます。」
平櫻はデータがきちんと開くことを確認した。
「まるで、魔法使いだな。俺にはお前が何をやったのか全然理解出来ねぇ。」
二人の遣り取りを見ていた駅夫が、まるでキツネにつままれたような顔をしていた。
「簡単なことだよ。カメラに保存されている写真は、RAWっていう、映像処理しやすい大容量データだから、それをカメラ用のソフトが入っていない、スマホとかパソコンでも見られるJPEGっていう圧縮された画像データに変換して、送信しただけだよ。カメラ業界ではこのデータ変換作業を〔現像〕って言ったりするんだ。」
羅針が今やったことを説明する。
「現像って、あのフィルムを現像するの現像か?」
駅夫が聞く。
「そう、言葉はそこから流用してるね。要はネガデータを写真データにするってこと。」
「なるほどね。そんなことが、カメラとスマホで出来る時代なのか。すげぇな。平櫻さんは知ってた?」
駅夫が、平櫻にも聞いてみる。
「はい。詳しい原理は良く分かりませんが。私も一眼のカメラを使うので、一応知っています。」
平櫻は申し訳なさそうに応えた。
「俺だけ時代に取り残されているのか。」
悔しそうに駅夫が言う。
「別にこの現像を知らなくても、問題ないって。カメラ使う人だけの専門用語みたいなもんだから。」
羅針が慰める。
「なら、良いんだけどさ。」
そう言って、駅夫はケロッとした顔をしていた。
駅夫の表情変換の早さに、羅針は笑い、駅夫と平櫻もつられて笑った。
「さて、この後なんですけど、ルーズリーフのバインダーを買いたいので、文房具店を案内して貰えますか。」
三脚とカメラを回収した羅針が、次の予定を平櫻に言って、案内をお願いした。
「分かりました。この先、歩いて10分位の所にアーケード商店街がありますので、そこにある文房具店でも大丈夫ですか?もし、個人商店が駄目でしたら、20分位歩いたところに大型ショッピングセンターがありますが。」
平櫻が提案する。
「もちろん個人商店で大丈夫です。駅夫もそこで良いよな。」
羅針が頷き、駅夫にも確認する。
「ああ。取り敢えずバインダーがあれば良いよ。なければ、足を伸ばせば良いし。」
駅夫も、了承する。
「じゃ、そこへお願いします。」
羅針が平櫻にお願いする。
「分かりました。」
平櫻が頷き、商店街へ向けて三人は歩き出した。
本明川に沿って通る高城公園通りを東へと進む。
程なくして、アーケード商店街と平櫻が言っていたとおり、アーケードが架かった商店街が現れた。アエル通り、またはアエル商店街と言うらしい。
このアエル商店街は正式名称を〔いさはやアエル中央商店街〕と言い、〔栄町通り〕〔ほんまち通り〕〔竹の下通り〕の三つの商店街からなる、全長600mのアーケード商店街である。アエルとは、ギリシャ語で空気、空間を意味し、日本語の会えるという意味も込めて命名したそうだ。
「良いルーズリーフに出会えると良いな。」
羅針が会えるを強調して言う。
「ああ、そうだな。って、なにしれっとダジャレ入れてんだよ。」
駅夫が、そのままスルーしそうになったが、どうやら気付いたようだ。
「お二人は、いつもこんな風に言い合ってるんですか。」
平櫻が、二人の遣り取りを不思議そうに見て、疑問を口にする。
「そうだよ。こいつとはなんせ生まれた時からの腐れ縁。俺がお兄ちゃんだから、しっかりと面倒見てやらないといけないんだ。」
駅夫が、すかさず兄貴風を吹かせて応える。
「おいおい、面倒見てやってるのはこっちだぞ。出来の悪い兄貴を持つと、弟は苦労するんですよ。」
羅針は、駅夫を詰りつつ、平櫻に弁明する。
「仲が本当に良いんですね。」
二人の様子があまりにおかしくて、そう言って、平櫻はついつい笑ってしまった。
そんなことを言っている間に、文房具店に到着した。
この店は、こぢんまりとした昔ながらの文房具店で、店の前にはワゴンセールの品が並べられ、ファンシーなノートや雑貨が並べられていた。
店内に入ると、画材に力を入れているのか、絵の具やインク、筆などの他に、スケッチブックなども充実していた。店の奥では、芸術家らしき人が、筆がどうの、インクがどうのと、小難しい注文をしていて、二人と然程変わらない初老の店主が、丁寧に対応していた。
早速、店内を見て廻り、すぐにルーズリーフのコーナーを見付ける。
様々ある中から、駅夫は革製のちょっと値が張るルーズリーフを気に入り、それと無地のリーフを購入した。
文房具屋を後にした三人は、この後食事をということになったが、まだ時間が早いので、喫茶店かどこかで、時間を潰しながら、同行時の契約について話し合うことにした。
少し歩いたところにある、カレーが美味しいという喫茶店に三人は入った。
店内は木目調のテーブルが並べられ、お洒落なBGMが流れていた。三人はレジでアイスコーヒーを注文し、空いている席に座って待った。
「早速だけど、契約書の素案を作ってしまいましょう。
まず、契約項目としてはさっきも言った、同行中断は自由だけど、事前報告すること、同行中は私たちの行動予定が最優先とすること、同行中の費用は自己負担とすること、っていう三項目がまず考えられますよね。その他に、同行中の行動についてとか、健康に関することとか、ざっとこんな風に考えたんですけど、どうですか。」
羅針が、スタンプ帳で使ってるルーズリーフからリーフを一枚取り出し、ペンで考えられる項目を書き出していく。
その内容はこんな感じだ。
1、プライバシー保護条項
個人情報の第三者に対する開示は禁止とする。
互いに知り得た個人の経歴、履歴、体験談などは、相手の許諾なしに開示しないこと。
撮影した動画、写真、音声などは、相手の許諾なしに利用、開示しないこと。
写真や動画を撮影する際には、事前に相手の了承を得ること。
事前に了承が取れない場合は、事後速やかに許可を取り、了承が得られない場合は、公開非公開にかかわらず速やかに該当するすべてのデータを破棄すること。
知り得た情報をインターネットやその他のメディアにおいて公開する場合は、削除、修正可能な段階で、内容の確認と了承を得ること。
取得した情報の保管には細心の注意を払うこと。
万が一紛失、漏洩、開示をした場合、故意、過失に関わらず速やかに報告すること。
2、責任免除に関する条項
事故や災難、困難、障害、騒動などの問題が発生した場合、互いに責任を追及しないこと。万が一責任の追求が必要な場合は、必ず第三者を介すること。
旅程決定の最終責任は星路羅針に帰すが、本人の明らかな瑕疵を除き、問題が発生した場合の責任は免除されること。
3、スケジュールに関する条項
目的駅の決定はルーレットによるものとし、ルールの詳細は別途定める。
星路羅針がすべての旅程を最終的に決定する。
止むを得ない事由により、旅程に支障を来す場合は、事前に相談し調整すること。
調整が付かない場合は、星路羅針が決定した旅程を最優先とする。
災害、災難、その他止むを得ない事由により、旅程に大幅な変更が必要な場合は、全員の合意を得ること。
4、金銭、費用に関する条項
金銭の貸し借りはしないこと。
旅程に関わる費用は、すべて自己負担とすること。
費用の立て替えをおこなった場合は、速やかに精算すること。
相手の金銭、物品、身体に損害を与えた場合は、速やかに精算、補償、賠償すること。
問題が発生した場合は、必ず第三者を介して解決すること。
5、健康と安全に関する条項
自身の健康状態は常に把握し、無理をしないこと。
安全面に留意し、行動には慎重を期すこと
健康や安全面での問題が発生した場合、同行者に速やかに報告すること。
医療費などの緊急費用は自己負担とすること。
6、禁止事項に関する条項
法律に反する行為、または公序良俗に反する、不適切な行為をしないこと。
迷惑行為や危険行為、ルール違反は厳禁とする。
同行者に対する身体的、精神的な負担をかける行為をしないこと。
6、終了条件に関する条項
どちらかが希望すれば、同行はいつでも終了できる。
終了する場合は、できる限り事前に報告すること。
終了に伴うすべての費用は、自己負担とする。
終了に伴う問題が発生した場合は、第三者を介して解決する。
「ほとんど問題ないかと思いますが、いくつか質問しても良いですか。」
平櫻が羅針の書いた素案に目を通し、聞いた。
「もちろん、どうぞ。」
羅針が頷く。
「まず、速やかにという言葉がいくつか出てきますが、これはどれぐらいの期間を想定してますか。」
平櫻が質問を始めた。
「これは、一両日。つまり2日間位の内にということですね。もちろん厳密に3日目になったから即契約違反という訳ではないし、そこは臨機応変にってことで良いと思いますよ。もちろん、数週間も、数ヶ月もって訳ではないですから。」
羅針が説明する。
「分かりました。それから、責任問題や金銭問題、契約解除の時に、問題が発生した場合、第三者を介して解決するとありますけど、これは弁護士とか何かそういう所に依頼するってことですか。」
「もちろん、最悪の場合は弁護士のような専門家にお願いするケースもありますが、基本的には、第三者はあくまで第三者であって、例えば昨日みたいに駅員さんにお願いするとか、お巡りさんとか、その場に居合わせた中立の立場を取ってくれる人にお願いすることも想定しています。」
「なるほど。あと、終了する場合は事前に連絡するとありますけど、もし事前連絡が出来ない場合はどうしたら良いですか。それと連絡は口頭でも良いのですか、それとも文章として残すべきですか。」
「もちろん、何らかの理由で事後に連絡をせざるを得ないケースもあると思いますので、そこは臨機応変で構いません。それと、連絡についてはもちろん口頭でも構いませんが、最終的にはPDFファイルで貰えるとありがたいですね。正式な契約終了についてはその時に決めましょう。」
「分かりました。それともう一つ、情報の公開に関して、〔削除、修正可能な段階で、内容の確認と了承を得ること〕とありますけど、出版物の場合は編集者が管理するので、私の一存ではどうにもならないことがあるのですが。」
「出版に関して、私は門外漢なので、どうしたら良いかというのは分からないですが、修正が利く最終段階前に情報提供者が確認する必要があると、出版社と取り決めれば問題ないのではないですか。もし、出版社と折り合いがつかないようなら、私が間に入りましょう。その時は、遠慮なく言ってください。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「なあ、羅針、この取り決めって、当然俺も対象なんだよな。」
今まで黙って見ていた駅夫が、口を開く。
「ああそうだよ。」
羅針が頷く。
「このさ、スケジュールに関してだけど、今まで旅程を小出しにしてくれてたけど、これからは、前もって教えてくれるってことか。」
「まあ、そういうことになるな。」
「じゃ、ミステリーツアーはなくなるのか。」
「なるほど、じゃ、今まで通りお前には旅程の全容は教えないことにするよ。それで良いだろ。」
「もちろん。あと、急にあそこ行きたいとか、ここ行きたいとか、寄りたいところがあったらどうするんだ。それも事前に言わなきゃいけないのか。」
「観光地の変更は、別に構わないよ。今まで通りいつ言っても構わない。スケジュールさえ問題なければ、変更するし。只、この前香登から羽咋に向かう時に、乗る列車を急遽変更するみたいな遊びは、流石に平櫻さんがいる時は出来ないかな。」
「そうか、分かった。まあ、ドッキリ感が多少なくなるのはしょうがないけど、ゼロにならないなら別に構わないか。」
駅夫は、羅針の説明を聞いて、納得したようだ。
「平櫻さん、そういう訳で、途中で急遽予定変更という可能性もあるということは、予めご了承ください。もちろん、事前に報告します。只、先程も言ったとおり、こちらの予定が優先になるので、もし、変更先についてこられないという状況が発生した場合は、別行動になりますけど、よろしいですか。」
「はい。もちろんそれで結構です。私は同行をお願いしている立場なので。」
「それから、予定変更でキャンセル料が発生した場合の負担については、一応こちらで負担します。もちろん、平櫻さんの都合でキャンセルした場合は、逆にご負担頂くことになります。それと、私たち三人の都合ではない形でのキャンセル、例えば交通機関が止まって、目的場所でのキャンセル料が発生したという場合などは、それぞれが自分の分を負担するということでよろしいですか。」
「はい。それで構いません。」
いつの間にか届いていた、アイスコーヒーを飲みながら、切符の手配や宿の予約などについても話し合い、その他気になるところを詰めていった。