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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾話 諫早駅 (長崎県)
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拾之漆


 レンタカー屋で返却手続きを終え、旅寝駅夫と星路羅針の二人は諫早神社に向かうことにするが、その前に駅夫が昼飯を所望する。

「なあ、丁度昼過ぎたし、どっか寄らないか。予定があるなら我慢するけど。」

 駅夫がそう言って、羅針にお伺いを立てる。

「別に構わないよ。後は神社と公園だけ、それと、文房具屋に寄るぐらいだから。ルーズリーフ買うだろ。」

 羅針は、駅スタンプ用に駅夫が欲しがったので、予定に組み込んでおいたのだ。

「ああ、ルーズリーフ。買うよ、買う。予定入れてくれたんだ。流石羅針様々だ。」

 駅夫が羅針を拝むように手を合わせる。

「何馬鹿なことやってんだよ。腹減ったんだろ、近場でどっか探すぞ。」

 羅針が照れくさそうにしながらも、早速スマホで近場の店を検索する。


「ざっと検索しただけで、イタリアン、和食、中華、フランス料理、韓国料理、それに、魚料理、鰻、鶏、あとはレストランや居酒屋か、一応何でもありだな。諫早は例の珍味はもちろんだけど、鰻も有名らしいし、鶏飯とか、ちゃんぽんなんかも地元飯って感じらしいな。後はお前が何を食べたいかだけだ。」

 羅針が検索結果をざっと読み上げる。

「そうやって聞くとどれも捨てがたいな。こうやって選択肢が多いと、選べないんだよな。」

 駅夫が羅針のスマホを奪い取り、検索リストと睨めっこして、真剣に悩み出した。

「そういうのを、ジャムの法則っていうだよ。」

 駅夫が頭を抱えているのを見て、羅針が呟く。

「なんだそれ。ジャムって、ジャムるとかいう、詰まるって意味のジャムか。」

「違う、違う。そのジャムじゃなくて、パンとかに塗る方のジャムだよ。決定回避の法則とも言われるヤツで、要は、スーパーとかで売ってるジャムの購買率を調査した実験で、選択肢の少ない方が、購買率は高かったって話だ。」

 羅針が簡単に説明する。

「それって、つまり選択肢が多いと買わない人が多くなるってことか。」

「そう言うことだ。」

「じゃ、昼飯食うの辞めるか。……ってならねぇよ。ジャムなんかに負けて堪るか。」

 そう言って、また駅夫は頭を抱えた。

「お前、何と戦ってんだよ。ジャムじゃなくて、選択肢と戦えよ。」

 羅針はそう言って苦笑した。

「じゃ、お前は何を食べたいんだよ。」

 駅夫は、上から見下ろすように威圧してくる。

「俺か、俺は、お前が食べたいもので良いよ。」

 羅針は、のらりと選択を拒否する。

「お前はそう言うヤツだった。分かったよ。何でも良いんだな。後で文句言うなよ。」

「言わねぇよ。だから、思う存分好きなの選べ。」

 羅針はそう言って笑っている。


「よし、じゃ、この魚料理の店にする。」

 駅夫は散々悩んで、魚を扱う店を選択した。

「良いんだな。後悔しねぇな。もう他の選択肢は選べないぞ。」

 羅針が脅すように言う。

「俺の決意をぐらつかせるな。この魚料理の店が良いんだよ。絶対に。誰が何と言おうと、俺はここに行く。」

 駅夫は、まるで世界の運命が自分の肩にでもかかっているかのような表情で、決意表明をした。

「分かった、分かった。じゃ、そこにしよう。」

 羅針は、余りの駅夫の熱量に若干引きながらも、駅夫が選んだ魚料理の店へと向かうことにした。


 二人は、レンタカー屋を後にすると、線路のガード下を潜って、駅夫が世界の運命を懸けて選んだ魚料理のお店へと向かう。外装が随分と派手な見た目のお店は、何とも言えず独特な雰囲気を醸し出していて、二人は入るのに少し躊躇ったが、意を決して入店することにした。

 お昼を回っていたので、少し長い行列が出来ていた。

 店の前には、サインやらポスターが飾られていて、地元のテレビ取材も何度か受けているようで、かなりの人気店であることが窺える。


 二人は15分程待って、漸く店内に入ることが出来た。

 店内は然程広くはなく、相席用の長テーブルが二列並べられ、更に壁沿いにカウンター席があった。二人は空いてる席に向かい合わせで座り、早速メニューを開く。


 メニューは、人気の海鮮丼や、刺身定食の他に、フライものなども充実していて、ここでもまた、駅夫はジャムの法則に陥ってしまう。

 羅針はサッサと数量限定の欲張り定食とアジフライに決めたが、駅夫は頭を抱えていた。

「ほら、早くしないと、後ろのお客さんがつかえてるぞ。」

 羅針が煽るように言って笑う。


 既に12時を回った店内の席はほぼ埋め尽くされ、外の行列も先程より長くなっているようだった。

 駅夫は焦りながらも、漸く刺身定食とアジフライを選択した。二人はそれぞれ決めたものを注文し、更に瓶ビールを一本頼み、喉を潤すことにした。


「車返却して正解だったな。」

 駅夫が、ビールコップに羅針の酌を受けながら、呟く。

「だろ。車移動なら飲めないからな。」

 羅針が、今度は駅夫に酌をして貰いながら、応える。

 乾杯した二人は、店内をキョロキョロ見回しながら、料理を待つ。


 壁に掛けられた液晶テレビからは、全国ネットのバラエティ番組が流れ、人気のお笑いタレントが楽しげに司会を務めている。店内の壁には簾が掛かり、魚の絵が描かれた壁紙が貼られた装飾が施されており、どこか海の家や漁村の魚屋さんを彷彿とさせる雰囲気を醸し出している。そう感じたもう一つの要因は、壁沿いに並べられた冷蔵庫にあった。そこには新鮮な魚介類が売り物として並び、まさに一角は魚屋だったのだ。


 忙しそうに動き回る店員たちは、笑顔で客の注文を取ったり、料理を運んだりしており、活気に満ちた店内は温かい雰囲気で包まれていた。魚の香りが漂い、心地よい騒がしさの中に、食欲をそそる光景が広がっていた。


 程なくして、料理が運ばれてくる。

 羅針が頼んだ欲張り定食は、刺身に煮魚と焼き魚、それに酢の物と御飯に味噌汁、そして漬物が付いてきた。駅夫が頼んだ刺身定食は、七種類のお刺身が載った大皿に、御飯と味噌汁、そして漬物である


 羅針はまず、サーモン、イシガキダイにヒラスの刺身から手をつけた。

「うん。美味い。」

 鮮度も良く、大衆食堂のクオリティとしては申し分ない美味さである。ちなみにヒラスとは、関東で言うヒラマサのことで、歯応えがある、高級魚としても知られる。コリコリとした食感と脂の載った身は、羅針を満足させた。


次に、羅針は煮魚、そして焼き魚の鯖にも手をつける。

「これはカサゴか。身もふっくら、ホクホクしてるし、味の染み具合も充分だ。焼き鯖も皮目のパリパリ感と身のふっくら感が相まって、これも悪くない。」

 そう言って羅針が食べ進めていく目の前で、駅夫も自分の料理に手をつけていた。


 駅夫の目の前に並ぶのは、ヒラス、マグロ、カツオ、サーモン、イシガキダイ、地だこ、それにミズイカの七種類である。

 駅夫はまずマグロから手をつけた。山葵を載せ、醤油をつけて、口に運ぶ。

「美味いよ。全然悪くないよ。脂も載ってるし。」

 そう言って駅夫は御飯を掻き込む。どの刺身も歯応え良く、駅夫も満足げに食べ進めた。


 暫くして、アジフライも届いた。

 かなり大ぶりで肉厚のアジが、黄金色こがねいろにこんがり揚がっている。

「美味いよ。このアジ。流石にブランドものには一歩譲るけど、充分美味いよ。」

 駅夫がザクッと良い音を立てて、一口囓り、満足げに言う。

「アジフライと言えば、ほら、房総ぼうそうで食べた〔黄金アジ〕を覚えてるか。あれを思い出すよな。」

 羅針が、以前二人で房総半島をドライブした時に寄った食堂で食べた、黄金アジのフライを思い出していた。

「もちろん覚えてるよ。あれは、アジフライ史上最高だった。また食べに行きたいと思ってるぐらいだ。」

 駅夫もそのアジフライを思い出して頷く。

「流石にあの黄金アジには一歩及ばないけど、このアジも肉厚で、丁寧に仕込みをされているから、ブランドものじゃないのに、このクオリティは凄いよな。確かに美味い。」

 羅針も一口囓って、満足そうに言う。

 

 そんな懐かしい思い出も交えた会話をしながら、二人は食事を楽しんだ。御飯とアラ汁がおかわり自由だったため、二人ともおかわりをして、満腹になるまで堪能した。


 しかし、丁度お昼時だったこともあり、店内はずっと満員で、更に日曜日ということもあって、13時を回ってもお客が途切れることがなかったため、二人とも満腹になったら、早々に退散した。ゆっくりとビールでも飲みながら、フライでももう一皿と思ったが、流石にそんな雰囲気ではなかった。


 会計を済ませ、ごちそうさまを言って、表に出てきた二人は、腹も満たされ、満足げに次の目的地である、諫早神社に向かって歩き始めた。


 大通りを渡り、本明川ほんみょうがわ沿いに歩いて行く。

 川から吹いてくる風が、少し涼しく、冷房の効いた店から出てきて薄らと汗が噴き出した身体に、心地よかった。


 目的の諫早神社は歩いてすぐだった。入り口には〔四面宮しめんぐう 諫早神社〕と彫られた石碑があり、年季の入った鳥居が二人を出迎えてくれた。


 この諫早神社は、西暦728年、聖武しょうむ天皇の勅願により行基ぎょうきが石祠を祀ったのが始まりと伝わる。御祭神は天照大御神あまてらすおおみかみ大己貴命おおなむちのみこと少彦名命すくなびこなのみことの三柱に加え、配祭の神々と九州守護の神々が祀られている。


 元々は九州を守護する神々を祀る〔四面宮〕という神仏習合の神社であったが、明治期の神仏分離で荘厳寺しょうごんじが分離され、社名も〔諫早神社〕に改められた。しかし地元では今でも〔お四面さん〕と呼ばれ親しまれている。


 この四面宮とは『古事記』の国生み神話に由来し、九州全体の守護神を祀るもので、雲仙に総本宮があったとされる。現在はその多くが〔温泉神社〕に改称され、島原半島にはいまも数多く残っている。

 なお、この四面宮が造営されたのは、行基が雲仙来訪時に出会った、〔九州の守り神〕と名乗る四面の美女となった、巨大な白蛇を祀ったことが始まりとされる。


 二人は脱帽一礼し、緑の木々に覆われた境内へと足を踏み入れる。川から吹く風も気持ちよかったが、境内は更に涼しく感じる。

 境内を涼しくしているこの巨木たちは、長崎県の天然記念物であるクスノキである。御神木としても祀られているこのクスノキは行基のお手植えと伝わる。

 樹齢1200年を越えるこのクスノキは、長い歴史の中で、この境内から諫早を見てきた生き証人とも言えるだろう。


 境内に入ってすぐ右手に手水舎があるが、現在石桶は竹の棒で覆われており、センサー式の竜が設置されていた。感染症対策のためか、併せてアルコール消毒液も置いてあった。

 二人は竜の口から出てくる水で、身を清め、本殿に向かって参拝した。

 二人の願いは、この旅が無事に続くこと。そして健康で、美味いものを沢山食べられること。それだけである。

 そんな下世話なお願いをする二人が、今回諫早に来る時のトラブルで、羅針のタブレットが犠牲になったが、怪我もなく、大事にならなかったのは、まさに神の御加護であったのかも知れないと、二人は改めて神に感謝した。


 参拝後、ふと横を見ると、巨大な木彫りのアマビエが鎮座していた。説明によると、高さ115㎝、直径80㎝、下部の波は140㎝もあり、日本一の大きさを誇り、諫早市在住のチェーンアート作家によるものだという。

 ちなみに、アマビエとは現在の熊本県にあたる肥後国ひごのくにの海上に出現したとされる疫病封じの妖怪で、海中から光を輝かせるなどの現象を起こし、豊作や疫病などに関する予言をしたと伝えられている。


 拝殿から振り返って左手には、なにやら石で作られたとみられる台のようなものがあった。説明書きによると、〔雲舞台くもぶたい〕と呼ばれるもので、雲に見立てた諫早石で造られた約5m四方の舞台で、神楽が奉納される場所である。

 その後ろには、龍に見立てた龍池りゅういけがあり、その奥には、三柱鳥居みはしらとりいという、三つの鳥居が三角形に並び建つ鳥居があった。元々ここには陶器で作られた鳥居があったが、水害で流されたため、資金ができ次第再建する予定だという。

 この鳥居がある場所は、雲仙塚うんぜんづかと呼ばれ、雲仙の自然や諫早の神域を模して造成されたという。高さは約3mあり、積まれている石は実際に雲仙岳から運んだものらしい。麓には猿田彦の石碑も鎮座していた。


 二人は、更に本殿裏手にも回り、並祀されている神様たちにもお参りし、また西郷どんこと、西郷隆盛が参戦したことでも知られる西南の役の祈念碑や、日露戦争戦没祈念碑なども拝見した。


 諫早の歴史を紐解くと、やはり自然災害とは切っても切れない歴史であることが良く分かる。特に昭和32年の死者586人、行方不明者136人を出した大水害は、人々の記憶にも深く刻まれているようで、境内の説明書きにも、この大水害による被害に言及する記述が散見された。


「今朝行ったあの堤防は、この諫早には本当に必要だったのかも知れないな。」

 駅夫が、余りに水害に言及する説明書きが多いため、そんな感想を漏らす。

「確かに、漁業関係者にとっては死活問題ではあるかも知れないけど、諫早に住む人々にとっては、大雨になる度にこの大水害の記憶を呼び起こされては、居ても立ってもいられないだろうからな。」

 羅針も改めて、あの堤防について考えさせられるなと想った。


「だから、部外者があれこれ言うのはお門違いってことなんだろ。

 お前も言ってたけど、結局地元の人々が納得する形で解決しなきゃいけないっていうのは、こういう自然災害と戦ってきたのが地元の人々だからなんだろ。

 自然災害と闘ってきた歴史の帰結が、この現状であるから、部外者の俺たちはそれを知らなきゃいけない。結局、地元の人々がどう納得し、安心して暮らせるかを、俺たちは考えなくたゃいけないんだよな。

 でも、だからといって、部外者の俺たちが、未来永劫自然災害の恐怖と戦わなければいけないという枷を、地元の人々に嵌めて良い訳はないし、彼らの苦悩を、俺たち部外者が軽んじて良い訳はないんだよ。そう言うことなんだろ。」

 駅夫が真剣に思ったことを蕩々と言葉にした。


「そう言うことだ。諫早のことを知り、学び、寄り添うことは大事だし、求められれば知恵を出すことは、当然のことだと思うよ、俺も。

 でも憶測や自分たちの利害、感情だけで口を出すことは、絶対に違うと思う。

 確かにあのギロチンの映像を見て、あのドデカい堤防を目の当たりにした時、自然破壊もここに極まれりって思ったよ。でもさ、こうして水害の歴史を知ると、如何に諫早の人々が水害と闘ってきたかってことが分かるし、一概にあの堤防が悪の象徴とも思えなくなるんだよ。」

 そう言って羅針はあたりを見渡した。

 木々の間から木漏れ日が揺らめき、遠くから小鳥の囀りが聞こえてくる。涼やかな風が吹き抜け、心地よくも穏やかな自然に思いを寄せた。しかし、その背後に潜む自然の猛威を、羅針は感じざるを得なかった。


 羅針は目を細め、言葉を続ける。

「この神社だって、今でこそこうやって荘厳な雰囲気で、歴史を感じさせる造りになっているけど、長い歴史の中で何度も水害に見舞われ、貴重な文化財が流され、泥の底に沈んでいったんだと思うと、諫早の人々の力強さは感じるけど、度々流されてしまうことへの無力も感じるよ。

 展望所でも言ったけど、結局、何年後になるかは分からない、自然が答えを出すその時を待つしかないんだろうな。それが、一瞬で破壊する脅威となるなのか、豊穣の恵みとしての祝福となるのか、そのどちらになるにせよ。」

 羅針も、自分の考えが正しい方向に向かっているのか不安になりながらも、解決を自然に求めるしかないこの現状を憂い、それを言葉にするしかなかった。


「結局、俺たちには、自然が上手く答えを出すのを、願うことしか出来ないのか。」

 駅夫が羅針の言葉を聞いて呟いた。

「そう言うことだな。」

 羅針は、自然に任せるしかない人間の無力さに、不承不承頷くしかなかった。


 二人は、諫早神社の御神木を見上げ、長い歴史の重みを感じながら、真剣に諫早の未来に思いを馳せた。

 木々の間から差し込む木漏れ日は、まるで過去と未来を繋ぐ光の道しるべのように、二人を包み込んでいた。しかし、余りに無力な二人には、神を冒涜する者を業火で焼くという、新約聖書に登場するウリエルの炎のようにも感じられた。

 未来がどのようになるかは、神のみぞ知るところではあるが、この諫早に、この穏やかな日々が永遠に続くよう、二人は願うことしか出来なかった。



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