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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾話 諫早駅 (長崎県)
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拾之肆


 すっかり陽が傾いて、夜の帳が降りようとしている諫早駅の東口駅前に降りてきた旅寝駅夫と星路羅針の二人は、目の前のロータリーに目を見張った。地方都市とは言え、かなり大きなロータリーに、目を引く真っ赤な車体の長崎県央バスと、赤いラインが入ったタクシーが大量に客待ちをしていたからだ。

 更に振り返ると、駅ビルと一体になった橋上駅舎がそこには聳え建っていた。2022年に開業した西九州新幹線に併せて建築されたばかりなのだろう、まだ新しい建物である。


 この諫早駅は長崎県内では、長崎駅に次いで2番目に利用客が多いと言われ、有明海、島原半島の玄関口としての役割を担っている。JRと島原鉄道が乗り入れ、一日平均乗車人員はJRが4500人程、島原鉄道が800人程となっており、毎日5000人以上がこの駅を利用している。

 1889年に九州鉄道長崎線の駅として開業し、その後国有化、民営化の時代を経て、現在新幹線停車駅として駅舎もリニューアルし、新たな時代を歩み始めていた。

 駅舎は駅ビル一体型の橋上駅で、駅舎、バス待合所が入った商業施設兼ホテル、そして高さ52m、16階建てのマンションの、複合施設が並ぶ。また、ホームはJRの新幹線が2面2線、在来線が2面4線で、島原鉄道は1面1線となり、交通の要衝としては充分な大きさの駅である。


「なあ、島原鉄道で鉄印は貰わなくて良いのか。」

 駅夫が羅針に聞いてくる。

「残念ながら、島原鉄道は参加してないんだよね。だから、鉄印は貰えない。代わりに駅スタンプは押せるんじゃないかな。」

 羅針はそう答える。

「駅スタンプか。そう言えば、駅スタンプって集めてなかったな。これからでも遅くないから、駅スタンプも集めようぜ。なんかそう言うスタンプ帳みたいのとか売ってないのかな。」

 駅夫が良いこと思いついたみたいな顔で、羅針に提案する。

「駅スタンプのアプリならあるよ。ほら。」

 羅針は、そう言ってスマホの画面を駅夫に見せる。そこには、デジタル駅スタンプのアプリ画面が表示されていた。

「何これ。ってか、これお前集めてたのかよ。」

 駅夫が驚いて羅針のスマホを奪い取って、見入った。

「デジタルの駅スタンプだよ。関東を中心に導入が進んでいて、中国、四国、九州はまだあんまり参加していないけど、JRを含めて全国で70社を越える企業が参加してるみたいだね。ただ、JR九州も、島原鉄道も、残念ながら参加してないんだよね。」

 羅針が簡単にアプリの説明をする。

「なるほど。いつも駅で、こそこそスマホ翳してなんかやってるなと思ったら、こんなコトしてたのか。こんな楽しそうなこと、俺にも教えといてくれよ。」

 駅夫が悔しそうに、また羨ましそうに言う。

「御免、御免、そんなに興味があるとは思わなかったからさ。それに、これは鉄印と違って集めて何か景品が貰えるとか、そう言うんでもない、只の自己満足だからね。」

 羅針がすまなそうに言う。

「自己満足でもなんでも良いんだよ、楽しければ。他にも俺に隠れてなんかやってたりしないだろうな。」

 駅夫が羅針にスマホを返しながら、疑心暗鬼の顔で聞く。


「後は、こういう紙に押すタイプのスタンプはもちろんやってるよ。ほら。」

 羅針は鞄から一冊のルーズリーフを取り出して駅夫に見せた。

「何これ。」

 駅夫はルーズリーフを受け取り、中を見て驚いた声を上げた。そこには、ルーレット旅で廻ってきた数々の駅、観光地のスタンプが、几帳面に押されていた。スタンプの下には日付と場所、中には一言添えられているものもあった。

「何これって、スタンプだよ。これまで行った駅はもちろん、観光地のスタンプとか、そこにはないけど、いつもは道の駅や、ドライブインなんかでも押してるよ。基本御朱印と鉄印以外のスタンプは、全部そこに押してる。それに、ルーズリーフだから、過去のヤツは取り外して家で保管出来るし、旅に出る度に古いのを外していけば荷物にならないし、便利だよ。」

 羅針が何でもないかのように、普通のこととして言う。

「何が便利だよ、だよ。こんな面白いことなんで黙ってるんだよ。よし、俺も今日からやる。今からやる。絶対やる。」

 駅夫が何か悲壮感漂ってきそうな勢いでそう言った。

「でも、もうこんな時間だし、ルーズリーフ持ってないんだろ。帰りまた駅に寄るから、その時にすれば。夕飯も遅くなるし。」

 羅針は、駅夫を宥め賺して、今日スタンプを押すことは諦めて、取り敢えずホテルへ向かうことを提案する。

「分かったよ。その代わり帰りに押すこと絶対に忘れるなよ。」

 駅夫は渋々承諾した。

「分かってるよ。俺も押すつもりだから、その時一緒に押そうな。それと明日はルーズリーフも買わないとな。」

 羅針が子供を諭すようにそう言うと、駅夫は頷いた。そして、二人はホテルへ向かって歩き出した。


「羅針、他にも何か隠してるだろ。」

 歩き出した羅針の後ろから、まだしつこく駅夫が聞いてくる。

「人聞き悪いこと言うな。隠してはいないけど、後は、このゲームぐらいかな。」

 羅針が再びスマホを操作して、ゲーム画面を見せる。

「何だこれ。やっぱり隠してるじゃねえか。」

 駅夫が再び驚いて、羅針のスマホを奪い取る。

「隠してねぇよ。お前が聞いてこないだけだろ。これはゲームだよ。自分が訪れた駅をスタンプして、それによってキャラがレベルアップする、言うなればRPGとマップゲームの融合みたいな感じかな。ただ、これ駅に行かないと意味がないし、未到達の駅でないとレベルが上がっていかないから、旅好きには面白いアプリだけど、出かけないとメモリの肥やしになるだけなんだよな。最悪なのは、一日にスタンプ出来る駅数が決まってて、課金しないと上限突破出来ないから。たまに長距離移動してスタンプしようと思っても、無課金だと出来ないってことが多いから、馬鹿らしくなって、俺自身あんまりイジってないし、この旅で少し復活したけど、とにかくレベル上がらないから、あんまり面白くないぞ。」

 羅針が説明すると、

「面白くなくても良いよ。俺もやる。」

 そう言って、駅夫は自分のスマホを取りだして、その場で駅スタンプと、ゲームアプリをダウンロードして、インストールした。

「これで良し。後で使い方教えてくれよな。」

 駅夫がそう言って、羅針から奪い取ったスマホを返した。


 二人が、本明川ほんみょうがわに架かる裏山橋うらやまばしを渡り、川沿いに歩くと、目的のホテルが見えてきた。少し年季の入った、然程大きくはない建物だが、寝泊まりするには充分である。

 建物の中に入り、フロントでチェックイン手続きをして、部屋へと向かう。


「夕飯はどうする。一応ここのレストランでも食べられるし、街に繰り出して、どこか食べに行っても良いし。」

 部屋に入って、荷物を置いたら、羅針が夕飯について確認する。

「ちょっとまて、どこか食べに行くって、まさか……。」

 駅夫が何かを察したのか、羅針の顔色を伺うような眼差しになる。

「何、どうした。じゃ、外へ食べに行くか。」

 羅針はニコニコと悪い顔で駅夫の背中を押す。

「待てって、俺は行かないぞ。嫌だ、絶対嫌だ。」

 駅夫は、病院かどこかに無理矢理連れて行かれそうになっている子供のように、駄々を捏ねたが、羅針は容赦なく、駅夫をホテルから引っ張り出し、繁華街の方へと連れ出した。


 川沿いを歩き、来た道を戻りながら、繁華街を目指した。

 そして二人は、一軒の居酒屋の前に立つ。そこでも、入店するしないで揉めたが、道行く人の視線に耐えられなくなったのか、駅夫が白旗を揚げて入店した。

「諫早に来て、すぐはないだろ。明日の昼とかだったらまだ心の準備も出来るけど、来ていきなりは反則だよ。」

 駅夫が入店しながらブツクサ文句を言っているが、駅夫の背中を押している羅針は容赦しない。

「早かろうが、遅かろうが、同じことだよ。」

 そう言って羅針は笑いながら、駅夫の背中越しに、店員へ来店人数を告げる。


 元気の良い「いらっしゃいませ。」の声と共にカウンター席に通された、羅針はニコニコ顔で、駅夫はこの世の終わりのような顔と対称的だった。迎え入れた店員はこの不思議な初老の二人組に戸惑いながらも、注文を聞いた。

「取り敢えず生中二つお願いします。」

 二人とも喉はカラカラだった。やはり慣れないトラブル対処というのは、どこか緊張するものなのだろう。羅針はもう待てないとばかりに、駅夫が飲みたいものも聞かずに、サッサと店員に注文してしまった。

 とはいえ、注文の選択権がなかった駅夫も、この居酒屋に連れてこられた緊張感も加わり、別の意味でも喉が渇いていたので、ビールは飲みたかったので、文句も言わなかった。

 

 とにかく羅針にとっては、緊張の一日だった。今は駅夫をからかって楽しそうにしているが、内心はストレス一杯の精神状態だった。手慣れたようにトラブル解決をしたが、実際はいっぱいいっぱいで対処に当たっていて、掻かなくて良い汗を掻いたのだ。

 もちろん、駅夫にしたって、脇で高みの見物をしていたわけではない。

 最近では男女関係なく、武道を嗜む人は大勢いる。女性だからと言って侮っていると、有段者であったりすることもあるし、言葉一つでこちらが悪者、犯罪者に仕立て上げられてしまうこともあるのだ。対応一つ間違えれば、暴力沙汰、警察沙汰に発展することは覚悟しなければならない。嫌な世の中、嫌な時代になったが、自衛のためにもその辺りを理解し、対応しなければならないのだ。

 そんなことは普段のほほんとしている駅夫にだって分かる。

 だからこそ、もし、羅針がトラブルに見舞われたら、証言でも何でもして、彼を守ってやりたいと思っていたのだ。そのため、先程、羅針は録音していたが、実は駅夫もすぐに録画をしていたのだ。

 羅針が採った行動は最適解とは言えなくとも、おそらく適解なのだろう。先方の女性と揉めることなく保険会社との遣り取りにすり替え、女性の謝罪を受け、貰うものを貰えるようにしたのだから。

 結果、何事もなくトラブルは解決し、後は保険会社との遣り取りが残るだけとなったのだ。駅夫にとって一安心であったことは間違いないし、羅針程ではなくても緊張はしていたのだ。


 しかし、それとこれとは別である。緊張のストレスを発散するかのように、羅針は駅夫を無理矢理ここへ連れてきたのだ。駅夫にとっては処刑台に連れてこられたようなものである。


「さあ、飲もうぜ。」

 羅針が、お通しと共に運ばれてきたビールジョッキを掲げる。

「分かった。分かったよ。」

 駅夫も渋々ジョッキを掲げて、乾杯する。

 まったく人の気持ちも知らないで、こいつはと思っていっても、羅針との約束である。覚悟を決めるしかない。

 そして、いよいよ料理の注文である。メニューには当然あれがいた。

「マジで、これ頼むのか。」

 駅夫が戦々恐々としている。

「マジだよ。約束だからな。」

 羅針が、ニヤつきながら、宣告をおこなう。

「お前、絶対バンジー飛ばすからな。」

 駅夫がお返しとばかりに、宣言する。

「いいよ。飛んでやろうじゃないか。その代わり今日は、ワラスボとムツゴロウで飲み明かそうぜ。」

 羅針が腹を括ったように言う。

「飲み明かすかよ。そこは一皿で勘弁してくれぇ。」

 駅夫が断末魔のように言った。

「一皿で良いんだな。了解。」羅針はそう言って、店員を呼んだ。「すみません、ワラスボの炙り焼きとムツゴロウの甘露煮を二皿ずつお願いします。」

 羅針は、もう可笑しくて可笑しくて、腹を抱えていた。

「一人一皿かよ。一皿をシェアするんじゃねぇのかよ。」

 駅夫はこの世が完全に終わったという顔で、絶望し、最後のビールとでも言うように、グビリと飲んだ。

 羅針は他にも、鯨の三種盛りや刺身の盛り合わせにサラダなどをいくつか見繕って注文した。そしてもう一つ、くつぞこの唐揚げというものもあり、メニュー写真を見ても何だか良く分からないから、これも珍味だろうと、二皿分注文した。


 サラダや刺身が出てくると、昔懐かしい鯨の三種盛りを久々に食べて、子供の頃に食べた記憶を思い出した。

 ビールも飲み終わり、日本酒に切り替えたところで、いよいよ真打ちムツゴロウの甘露煮が登場した。皿に盛られた二尾のムツゴロウは顔が判別できないほど真っ黒で、良く煮込まれているのだろう。

「ほら、お前からいけよ。」

 羅針が笑いながら駅夫を促す。

「良いよ、お前からいけよ。」

 駅夫は余りのグロテスクな見た目に、完全にドン引きし、すかさず遠慮して返す。

「しょうがねぇな。」

 羅針はそう言って、見た目は真っ黒で一見炭の棒の様にも見えるムツゴロウ一尾を箸に取り、躊躇なくかぶりついた。

「ん~、ん?、お~、これは美味いぞ。これ一度焼きを入れてから、甘露煮してるよ多分。ちょっと小骨が気になるけど、食べられないって程じゃないし、むしろ骨煎餅のように香ばしさがありながらも、甘露煮のしっとりとした甘さが口に広がるから、まさに珍味だな。少し泥臭さはあるし、クセのある味だけど、酒のアテにはぴったりだよ。これは日本酒が進む。」

 羅針はムツゴロウをカプリ付きながら、日本酒で流し込んでいった。

「マジかよ。」

 駅夫は顔を顰めて、宇宙人でも見るような目で羅針の食べる様子を見ていた。

「ほら、お前も食べて見ろよ。食わず嫌いは世界中で食糧難に困っている人たちへの冒涜だぞ。」

 羅針が大きな主語で、駅夫を追い詰めていく。

「分かったよ。食べるから、そんなに急かすなって。」

 駅夫が覚悟を決めて、ムツゴロウを一尾箸で持ち上げ、暫く見つめていた。口へ持って行こうとするが、それでもまだ勇気が出ずに、躊躇していたが、観念したのか、意を決して、一口ガブリといった。

「ん?ん~?……何だこれ、美味いな。確かに泥臭いし、骨も気になるし、独特のクセがある味だけど、確かに日本酒と合わせると、まさに珍味だな。確かに美味いよ。お前の言うとおりだ。見た目は最悪だけど。」

 そう言って、先程まで顰めっ面をしていたのが嘘のように、食べ進めていた。

「だろ。何でも食べず嫌いは駄目だって事だよ。」

「分かったよ。反省してる。」


 駅夫が反省しているところへ、今度はもう一つの真打ち、ワラスボの炙り焼きが登場した。こちらも二尾が皿に載っている。先程のムツゴロウの甘露煮よりも、見た目は更にグロテスクだ。何せ食べるエイリアンと言われている程なのだから。

「マジでこれを食べるのか。」

 反省したばかりの駅夫が、舌の根も乾かないうちに、再びドン引きしている。

「おいおい、反省の言は嘘だったのか。」

 羅針が追い打ちを掛ける。

「分かってるよ。食べるよ。誰も食べないとは言ってないだろ。武者震いだよ。敵を恐れずして勝利なしって言うだろ。」

 駅夫が言う。

「なんだそれ、聞いたことないぞ。誰の言葉だよ。」

 羅針は、どうせ駅夫が適当なことを言っているのだろうと、問い詰める。

「戦国武将旅寝駅夫将軍の言だよ。知らないのか。」

 やはり駅夫が勝手に作った言葉だった。

「誰だその将軍。弱そうな名前だな。」

 羅針が小馬鹿にする。

「知らねぇのか。あの宮本武蔵にも師事した、立派な武将なんだぞ。」

 駅夫が更に話を膨らましていく。

「へぇ、聞いたことないな。宮本武蔵門下生の最末席にいたかもしれねぇけど、戦場では役に立たなかったんだろ。ワラスボ食べられなくて、討ち死にしたとか。」

 羅針が更にからかう。

「ぐぬぬ。どうせ弱っちいよ。」

 駅夫は、そう言って、茶番を続けて、引き延ばしを謀るのを諦め、意を決してワラスボにかぶりついた。


「ん?……あ~、これもなかなか美味いぞ。」

 駅夫の表情がまた変わった。

「だから言ってるだろ。」そう言って、羅針も一口かぶりつく。「うん。やっぱり美味いじゃん。香ばしい上に、旨味が凝縮されてるし、骨煎餅のサクサク感もありながら、口の中に広がるこの独特な香りもまた良いよ。これも酒のアテにぴったりだな。」

 羅針は一口、二口と食べ進めながら、日本酒をぐいっ、ぐいっと流し込んでいた。

「まったく。これだから飲兵衛は。」

 駅夫が呆れたように、羅針の様子を見ていたが、自分も同じように、日本酒を煽りながら、ワラスボにかぶりついていた。


「お待たせしました。くつぞこです。ご注文の品は以上でよろしいでしょうか。」

 店員が最後に持ってきたのは、大トリを飾る、くつぞこと名の付いた料理。敢えて羅針は何かを聞かずに、駅夫に気付かれないようにこっそり注文したのだ。

「何だよ、くつぞこって。」

 駅夫が、驚いたような、困惑したような、そして何を食わせるんだという非難めいた眼差しを羅針に向けた。

「取り敢えず以上です。」

 羅針は、説明しようと口を開き掛けた店員さんに、内緒でと目配せをした。

 店員さんは、羅針の意図を察したのか、「ごゆっくりどうぞ。」と言って、空いたお皿を持って、下がっていった。

「ワラスボとムツゴロウは聞いていたけど、くつぞこっていうのは聞いてないぞ。」

 駅夫はまだ怒っている。

「ん?食べず嫌いは辞めるんじゃなかったのか?あの反省は嘘か?」

 再び羅針が追い打ちを掛けるように詰め寄る。

「分かったよ。食べるよ。食べれば良いんだろ。」

 駅夫が意を決したように、まるで本当に靴底のような形をした、黒い物体の唐揚げに箸を入れた。すると、表面の黒い物体の下から、白身魚のような身が現れ、それを恐る恐る口の中に入れた駅夫は。目をしばたたかせている。

「どこかで食べた味だな。なんか食べたことあるぞ。なんだっけ。」

 どうやら駅夫は何かを思い出そうと、混乱しているようだ。

「それ、舌平目だよ。この辺りではくつぞこって言うらしいね。」

 羅針がネタばらしをして、笑う。注文した後、こっそりくつぞこのことを調べておいたのだ。

「なんだよ、舌平目かよ。俺はてっきりまたとんでもない物を食わされたんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしたよ。まったく心臓に悪いことしてくれるよ。」

 駅夫は半分怒り顔、半分呆れ顔で、羅針を詰った。

「まあ、美味いんだから良いだろ。」

 羅針は、悪びれた様子もなく、そう言って笑っている。

「覚えてろよ、絶対バンジーで復讐してやるんだからな。」

 駅夫が誓いを立てるようにそう言うと、

「ん?復習か?ちゃんと学んだことは、復習しないとな。ムツゴロウとワラスボの味をもう一皿頼んで復習しようか。」

 そう言って、またからかう。

「まったく、ああ言えばこう言う。お前にはホント敵わねぇよ。でもバンジーだけは絶対飛ばすからな。」

 駅夫はますます意固地のように決意した。

「ハイハイ。楽しみにしているよ。」

 羅針は、内心とんでもないこと約束したなと、恐怖に苛まれていたが、表情はにこやかに、駅夫を笑っていた。


 二人は、その後も珍味を始め、美味い料理を堪能し、日本酒も結局二人で一升を空けた。もちろん空けたのは言うまでもなく羅針だが。駅夫もそのうち三合は空けていたので、二人とも良い気持ちで酔っていた。

 会計を済ませた二人は、そのまま、梯子はせず、ホテルへと戻ることにした。すでに時刻は22時を回っていた。


 七合も飲んだ羅針は、足取りがしっかりしていたが、三合しか空けてない駅夫は、少し足元がおぼつかない。羅針が駅夫に注意を払いながら、来た道を引き返す。

 駅夫が、時折思い出したように、「絶対にバンジー飛ばすからな」と何度も息巻いていたが、それを、羅針は笑いながら宥め賺して歩いた。

 川沿いの通りに差し掛かると、川面から吹きつける夜風が、酔った身体に心地よかった。




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