玖之陸
旅寝駅夫と星路羅針の二人は、トゥクトゥクに乗って千里浜ドライブウェイでのドライブを楽しんでいた。
既に1往復してきた二人は、時間もあるので、もう1往復することにしたのだが、二度目の往路は引き続き駅夫の運転だ。一度目の復路を運転してきた駅夫は、そのまま往路へとUターンして走り出した。
一度目の復路は、駅夫がおっかなびっくりで、のんびりと走ってきたので、景色を楽しみながら来た。
冬の荒れた日本海の様子は、良くテレビやネットなどでも流れてくるが、夏の日本海は普通に穏やかな海だった。二人がよく遊びに行く千葉の九十九里浜ともどこか似ていて、どこまでも続く砂浜はやはり美しかった。
駅夫はだいぶ慣れたのか、二度目の往路はスピードを上げ、風を切って疾走感を楽しんだ。
「それにしても、綺麗だよな。九十九里と違って砂もきめ細かいから走りやすいし、アスファルトと違ってクッション性があるのか、運転しやすいよ。っても九十九里は車で走ったことないけどな。」
駅夫がハンドルを握りながら、そう言って笑う。
「確かに九十九里も良い砂浜だけど、四駆でもなければ走れないだろうし、そもそも進入禁止だからな。こういうのは新鮮だし、後ろに乗ってるだけでも楽しいよ。」
羅針が後ろから応える。
駅夫の運転で端まで行ったら、今度は羅針に交代し二度目の復路を走る。二度も走ってると、その分注目度は上がり、振り向くだけでなく、遠くからカメラを向けられたりした。注目を浴びながら走るのは結構気分良く、千里浜ドライブウェイを走り抜けて二度目の復路も完走した。
「もう一往復するか?」
羅針が駅夫に確認する。
「いや、流石にもう良いよ。次のなんとか大社に行こうぜ。」
駅夫がもう充分だとばかりにそう言う。
「よし。じゃ、このまま気多大社に向かうぞ。」
二人は千里浜ドライブウェイを後にし、そのまま羅針の運転で気多大社へと向かう。
この気多大社は、UFOのまちの由来となった〔気多古縁起〕が収蔵されていた神社であるが、能登国一宮として、古くから北陸の大社として知られ、中世や近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けていた。5棟の社殿が国の重要文化財があり、天然記念物の社叢、いわゆる鎮守の森がある。
「あのさ、その気多大社っていうのはそんなに有名なのか。」
駅夫が後ろから聞いてくる。
「有名なんだろうな。俺も流石に聞いたことなかったけど、三が日の参拝者数は20万人らしいよ。大体、筑波山神社と同じぐらいだって。」
羅針がハンドルを握りながら答える。
「あの、茨城の筑波か。じゃ、結構有名じゃん。」
駅夫が驚いたように言う。
「確か、北海道神宮とか、盛岡八幡宮なんかもそれ位らしいね。」
羅針が香登の宿で事前に調べていた情報を言う。
「なるほどね、やっぱりそれ位の規模になると、名前ぐらいは知ってるってレベルなのか。じゃ、なんで気多大社って聞いたことなかったんだろうな。」
駅夫が納得した反面、疑問を呈する。
「なんでだろうな。多分、宣伝力の差じゃないかな。北海道も、盛岡も、結構旅番組で取り上げられることが多いけど、北陸ってあんまり取り上げられないからな。関東圏内では知名度がないのかも知れないな。まあ、俺たちが知らなかっただけって話もあるけど。」
羅針が自分なりの分析を言う。
「確かにな。案外、俺ら以外は皆知ってたりしてな。」
駅夫がそう言って笑う。
二人が乗ったトゥクトゥクは、子浦川と羽咋川の河口を渡る汐見大橋を通り、国道へと出る。左に寄ってるとはいえ、はみ出し禁止のイエローラインがある道路を制限速度で走っているせいか、無謀な追い抜きを何度か仕掛けられた。なかでも酷いのが、「トロトロ走ってんじゃねぇよ」と怒鳴りつけて走り去っていった輩がいた。
羅針は、「こちとら制限速度で走っとんじゃ。法律違反してるもんがなにえばり腐ってんだ。」なんて心の声をぐっと堪え、そんな法律違反野郎を先に行かせ、コンビニがある柳田新保の交差点を左折し、林に囲まれた県道を進んでいく。
県道に入ると交通量も減り、そんなことをする輩はいなくなった。
「どこにでもいるな、命知らずな運転をする奴。道交法も守れないくせにいっぱしなこと言うヤツ。」
駅夫が憤っている。
「ああ、自分の方が良い車乗ってるって勘違いして、他人に噛みついてくる勘違いやろうな。自分の命を省みないのは好き勝手すれば良いけど、他人の命を奪うのだけは止めて欲しいよな。あんな、命知らずの挑発に乗るなよ。あんなのに巻き込まれたら、死んでも死にきれないからな。」
羅針も同意して憤る。
「分かってるって、社会生活の出来ない赤ん坊に怒ったってしょうがないじゃん。」
駅夫が小馬鹿にするように言う。
「だな。社会生活が出来ない赤ん坊か。赤ん坊がいっぱしに免許持ってるから質悪いけどな。」
「まったくだよ。」
二人はそう腐して、溜飲を下げた。
そんな風に腐しながらも、羅針の制限速度の安全運転で県道を進むと、やがて左手の防風林が途切れ海岸線がちらりと見え、右に入る通りが出てきた。そこを右折すると、国幣大社気多神社と刻まれた、2mから3mの高さがある石碑が立っていた。
「国幣大社ってなんだ。」
石碑を見た駅夫が聞いてくる。
「国幣大社っていうのは、国や都道府県から幣帛を支弁される神社ってことだな。要は国から奉納を受ける指定神社ってことだよ。もちろん今は政教分離の原則で、その制度はなくなったけどね。」
羅針が答える。
「なるほど。」
「香登で行った、大内神社は県の幣社だったろ。あれと同じことだよ。」
「あの、ドクターイエローの写真撮った神社か。」
「あぁ、まあ、そうだな。その神社だよ。」
「なるほどね。あの神社の格上ってことか。」
「まあ、そういうこと。」
駅夫の理解の仕方が変化球だったためか、羅針は少し戸惑ったが、概ね間違いではなかったので、そう言って頷く。
二人が入ったその路地の両側には、すべて黒い瓦で、壁は杉板のような板張りになっている住宅が建ち並んでいた。
「なんか、異様な雰囲気だな。」
駅夫が通りを眺めて呟く。
「だな。レトロ感があって素敵な町並みだけど、黒一色しかないっていうのは、ちょっと圧倒されるな。」
羅針もその異様な雰囲気に駅夫に同意する。
この通りは気多大社に続く参道になるのだが、保存地区なのか、建物の大小に差はあれどほぼ同じような建物が続いている。屋根の上にはテレビアンテナやパラボラアンテナが設置されていたり、軽トラックが停められていたり、もちろん電線も普通に張ってあるので、景観を重視した観光客目当ての保存地区という訳でもなさそうだし、目的が良く分からない。しかし、古い街並みが残っているというのは、観光客としての二人にとってはありがたい。
トゥクトゥクを停めて、二人はあちこち写真を撮った。
写真撮影に満足すると、再びトゥクトゥクを進め、商店もまったくない道をそのまま真っ直ぐ行く。やがて正面に大きな鳥居が見え、気多大社に到着した。左手にかなり広い駐車場があったので、その一角にトゥクトゥクを停める。
「ここが気多大社か。結構立派な神社だな。」
駅夫が鳥居を見上げ、感心したように呟く。
「だな。三が日で20万人が訪れるだけはあるよ。」
羅針もそう言って鳥居を見上げた。
二人は、鳥居を入れて記念撮影をした。
その後鳥居の前で脱帽一礼し、境内へと進んでいく。
境内へ入るとすぐ左手に〔幸福のだいこく像 おまいりください〕の立て看板があり。幸福になるならと、二人は自然とそちらに足が向かう。
お社には、小さな祠にぎゅうぎゅうに押し込められた大黒天様が、笑顔で打ち出の小槌を振っていた。
「なんか、随分狭いところに押し込められてないか、大黒天様。」
駅夫が大黒天様に同情して言う。
「ちょっと窮屈そうだよな。」
羅針も大黒天様を哀れむ。
大黒天様に参拝した二人は、更に奥へと進む。社務所、狛犬と過ぎ、手水舎でお清めをしたら、そこは国指定重要文化財の神門の目前である。
この神門は四脚門形式で、2本の円柱本柱を唐居敷の上に建て、その前後に4本の角柱が控柱として建つ。屋根は切妻造り、平入り、檜皮葺で、反り返った軒は威風堂々としている。
二人はもちろん、写真に収める。
巨大な注連縄が下がった神門を潜ると、巫女さんが左手に進むよう案内していた。足元にも〔←参拝順路〕と書いた看板があり、左へ進むようになっていた。
順路の先には〔幸せむすび所〕と称した建物があり、中に入ると気多大社で執り行われた祭事の写真がいくつか展示されていた。賑やかな祭りの様子を切り取った写真には、慕われ、愛されているこの神社に対する、地元の人々の熱意が伝わってきた。
「良い写真だな。人々の表情が良いよ。アングルも良いし。」
羅針が一枚一枚感心するように見ている。
「良い写真だとは思うけど、俺には普通の祭りの写真にしか見えないけどな。」
駅夫は、羅針がどこに感心しているのか良く分からないといった風だ。
「特に良いのはこの一枚だな。」
そこには馬を引く白装束の馬子が、少し嫌がるように首を振った馬を宥めるように手綱を引いている姿が写っていた。馬の嫌そうな瞳と、それを優しそうな見つめる馬子の瞳が交差するように視線を交合わせていて、良いアングルで切り取っていたのだ。
「これのどこが良いんだよ。確かに良いタイミングで写したとは思うけど。」
駅夫が聞く。
「まずは、画角。この馬と馬子だけにフォーカスが当たっていて、視線が他に誘導されない点だよね。それにお前が言うとおり、タイミングもバッチシだし、馬子の目にきちんとピントが来ているのもポイント高いし、それと……。」
羅針が熟々《つらつら》とこの写真の良いところを挙げていく。
「分かった分かった。すげぇ写真だってことは分かったよ。要はすげぇ腕前って事だよな。」
駅夫が止まらない羅針の言葉を遮る。
「まあ、そういうことだ。」
駅夫に遮られてしまった言葉を呑み込み、羅針は頷いた。
ここ気多大社でおこなわれる祭事で、特にこの写真が撮られた平国祭が一番盛大で、一般的においで祭りとして知られる。三月の中旬頃におこなわれるこの祭事は、七尾市の所口町にある気多本宮へ渡御する大規模な神幸祭でもあるのだ。ちなみに、神幸祭とは神霊が宿った神体や依代を神輿などに乗せ、御幸をする祭事である。
この平国祭では、沿道に人々が集まり、民衆の中に神がおいでになるとして、能登の春祭りとして親しまれている。
「それにしても、なんでこの幸せむすび所から廻る順路になっているんだろうな。」
駅夫が不思議そうに呟く。
「真意は分からないけど、まずはこの気多大社がどんなところか知ってもらいたいんじゃないのかな。」
羅針が適当に推測する。
「この写真を見てか?まあ、それはそうかもしれないけど、でもそれならもう少しなんか説明書きとかあっても良さそうなもんだけど。」
駅夫はただ並べられた写真を見ながら、そんな疑問を口にする。
「確かにな。」
幸せむすび所を出てきた二人は、順路の疑問が解けた気がした。そこは国指定重要文化財である若宮神社の目の前だったのだ。
「どうやら、写真を見た後、この若宮神社から参拝するようにって事なんだろうな。」
羅針が答えを得たかのように言う。
「なるほど。参拝の順番が決まっているって事か。」
駅夫も少し納得したようだ。
「まあ、順路が決まっているのは、多分三が日の人出を捌くために、人の流れを一方通行にするためなんだろうけどな。」
羅針が推測を付け加える。
「なるほどね。成田山でも三が日は参拝順路が決まってるから、あれみたいなもんか。」
駅夫が初詣で行くことが多い千葉の成田山のことを引っ張り出して、理解したようだ。
「おそらく、そういうことだろうな。」
羅針も推測が正しいかどうかは分からないまでも、駅夫を納得させたことで満足した。
最初の参拝先となっているこの若宮神社は、もちろん気多大社の摂社である。御祭神は事代主神で、商売繁盛、五穀豊穣、大漁祈願の御利益があるという。
本殿は一間社流造りの檜皮葺で、1569年に再建された、石川県下で数少ない戦国時代建築の1つである。全体的に繊細な感じがする建物は、この時代独特の若葉の彫刻が散見され、その彫刻技術も目を見張るものがある。
二人はまずこちらで参拝した。願うのはもちろん、商売繁盛と、美味いものの大漁祈願である。
「もちろん、大漁祈願しただろ。」
駅夫がニヤニヤしながら聞いてくる。
「大漁祈願って何の大漁祈願だよ。魚か?お金か?それとも女性か?」
羅針は、駅夫が願ったのは美味いものであると分かりきっているのに、はぐらかして聞く。
「そんなんじゃねぇよ。美味いものが大量に食べられるようにっていう、大量祈願だよ。」
駅夫が真剣な顔で答える。
「なんか、字が違うんじゃねぇのか、それ。」
羅針が核心を突く。
「ん?そんなことないぞ。大いなる量の美味いもんを祈願したんだ。間違いないだろ。」
駅夫はそう言って恍ける。
「ここでの御利益はその大量じゃねぇよ、魚介類を沢山捕る方の大漁だよ。大量祈願なんて聞いたことねぇよ。」
羅針は分かりきってることを指摘する。
「良いんだよ、大量でも大漁でも、神様にとっては些事だよ。」
駅夫は適当なことを言う。
「そんなことあるか。」
羅針は駅夫に突っ込みながらも、堪えられず笑い出してしまった。
「何だよ、笑うことか。」
駅夫は逆に羅針を非難してきた。
「分かった分かった。あんまり笑わせるなよ。美味いもんを大量にって願ったのは俺も同じだったからさ。考えることが同じだと思ってよ。」
羅針が自分も同じことを考えていたと明かし、笑った理由を言った。
「なんだよ、お前も同じこと考えていたのかよ。ったく。」
なんで非難されていたのか疑問だった駅夫は、理由が分かって、羅針と顔を見合わせ、二人で暫く笑い合っていた。
若宮神社で参拝を終えた二人は、その隣に並ぶ気多大社の本殿を望む。注連縄で作られた柵があり近寄れないが、この本殿も国指定重要文化財である。
説明書きによると、厳島神社とこの本殿にしか見られない両流造で、装飾は必要最小限に留めた質素な造りになっているという。内部は外陣、中陣、内陣の三室に分かれ、その造りは特異な形態を取り、神仏習合の影響を濃厚に伝えているという。
さて、次はいよいよその気多大社の参拝である。二人は本殿の手前にある拝殿へと回る。
ここ気多大社の御祭神である大己貴命は、少彦名命と共に国造りの大事業を手掛けた神である。また、苦しむ白兎を治療したことから、医学や薬学に精通しているとされ、更に、ハンサムで6柱の姫神様と結婚し、181柱の子供がいたことから、縁結び、子宝の神様としても祀られている。
本殿の前に鎮座する、この拝殿も国指定重要文化財で、建物は桁行3間、梁行3間で、屋根は入母屋造り、檜皮葺、妻入りである。唐様を主調とした建物は、既に日本に馴染んではいるが、やはりどこか独特な雰囲気を醸し出している。
縁結び、病気平癒、子孫繁栄、五穀豊穣、交通航海安全、商売繁盛などの御利益があるというので、二人はしっかり交通安全と、縁結びをお願いする。やはり、旅は人の縁。人との出会いが、旅に彩りを与えてくれるはずであるので、良い出会いをしっかりお願いした。
本社拝殿で参拝を済ませ、更にその隣に鎮座する摂社の白山神社で参拝する。この白山神社の本殿も国指定重要文化財である。三間社流造り、檜皮葺で、本社本殿に合わせて規模意匠を整えているという。
御祭神は菊理媛神である。伊弉諾尊と伊弉冉尊の仲違いを取り持った神様であることから、縁結びの御利益があるという。
二人とも、三度しっかり縁結びのお願いをした。
気多大社の境内にはその他にも末社や、国の天然記念物の社叢である、気多大社社叢入らずの森があり、いわゆる鎮守の森として、本社本殿裏手に大きな森林が広がっていた。
この社叢には、奥宮があるらしいが、年1回神事をおこなうために、目隠しをして通行するのみで、神域として神聖視されている。従って普段は立ち入りが禁止されていた。
二人は、鎮守の森を外から眺め、末社を一社一社散策がてら参拝し、自然豊かな境内を満喫した。
気多大社に参拝したら、忘れてはならないのが隣接する正覚院である。この寺院は、元々気多大社の神宮寺の寺坊として、泰澄により養老年間(717年~724年)に創建されたと伝わる。
当初は天台宗だったが、様々な要因が重なり真言宗へと改宗した。改宗した理由は、おそらく、当時の人々にとって宗教的な魅力が真言宗にあったこと、皇族や貴族の支持を得ていた真言宗が政治的にも力があったこと、地域住民にとっても真言宗は受け入れやすかったことなどが考えられるが、定かではない。
明治時代の神仏分離により気多大社から分離し、多くの仏像や仏具、文化財が引き継がれた。UFOに纏わる記述がある気多古縁起も、その時にこの正覚院に収蔵されたと思われる。
山号は亀鶴蓬莱山で、御本尊は大日如来である。
二人は気多大社を参拝しているつもりだったが、いきなり現れた正覚院と彫られた石碑を見て驚いた。こぢんまりとしてはいるが、立派な山門があり、左手には鐘楼も見える。
山門を一歩入ると、気多大社の境内とは、明らかに様相が異なっていて、まさに寺院の造りとなっていた。まずは本堂で参拝をする。寺院では日頃の感謝をし、これからも見守って貰えるよう祈願するだけである。自分のお願い事は二の次三の次である。
境内には他に参拝客も見当たらず、二人の足音だけが響いていた。
真っ赤な柱の向拝が特徴的な阿弥陀堂でも手を合わせ、正覚院を後にした。
「UFOのこと感謝したか。」
羅針が訳の分からないことを言う。
「何だよUFOのことって。」
駅夫が眉間に皺を寄せて聞く。
「だって、ここに収蔵されてる古文書が元で、羽咋市がUFOのまちになって、あの宇宙科学博物館が出来たんだろ。そして、今日俺たちはそれを見学して、大いに楽しませて貰った。感謝しない方がおかしいだろ。」
羅針らしい物言いで、講釈を垂れる。
「確かにそうかも知れないけど。流石にUFOのことは感謝してねぇよ。日頃の感謝はちゃんとしたけど。」
駅夫は何か悪さを見つかった子供のように、シュンとするが、何か理不尽な言いがかりのようで、羅針に反論しようと言葉を弄そうとする。
「じゃ、ちゃんと感謝しなきゃ。」
羅針が子供の悪戯の証拠を掴んだかのように、駅夫を諭す。
「分かったよ。」
そう言って、山門の外から駅夫は再び本堂の方に向けて手を合わせ、UFOのことを感謝した。
「そういう素直なところが、お前の良いところなんだよな。」
そう言って、羅針は堪えきれなくなって、笑い出した。
「あっ、こいつまた謀ったな。このやろう。」
駅夫が拳骨を挙げて殴るフリをする。
「暴力反対!」
そう言って、羅針は笑いながら逃げる。
「待て!」
駅夫は、拳を振り上げたまま追いかけるが、顔は笑っていた。半分は嵌められた悔しさで苦笑いだったが。