捌之拾参
時刻は9時過ぎ、今日は時間が早いのか、街が動いていた。
閑静な住宅街も、宅配の車や郵便配達のバイクが行き交い、ゴミ収集車とも擦れ違った。道路を清掃している年配の男性に挨拶されたり、道路にせり出した庭木の剪定をするための交通整理をしていたり、工場からは機械の稼働音が響き、備前焼の窯元に建つ煙突からは煙が立ち上っていた。
時間帯によって、ここまで街の雰囲気が変わるのかと、旅寝駅夫と星路羅針の二人は新鮮な気持ちで、この西国街道を歩いた。
暫く行くと、新幹線の高架を潜り、昨日の登山口付近まで来た。更に歩くと、昨日のリベンジではないが、大ヶ池で新幹線の写真を撮り、昨日下山してきた福生寺への道を越え、一昨日参拝した大内神社の門前まで、道中、この2日間の思い出や、くだらない話をしながら、二人は歩ききった。
大内神社からは、国道2号線へ向かい、大型トラックが飛ばす道を歩いた。そして、一昨日備前焼を見るために立ち寄ったギャラリーへ、吸い込まれるように二人は入っていった。
二人のお目当ては、そう、ビールタンブラーである。
昨日の夜飲んだビールの味が忘れられず、どこかで手に入れたいと思っていたのだが、通り道に一昨日寄ったギャラリーがあることを、羅針は思い出し、出発時間を9時にしていたのだ。
店の中に入ると、一昨日対応してくれた店員がいて、二人のことを覚えていた。
「いらっしゃいませ。あっ一昨日いらした。今日も備前焼を見て行かれますか。」
「はい、おはようございます。一昨日は色々とありがとうございます。今日は、ビールタンブラーを見せて頂きたくて、良い物があればと思い立ち寄らせて貰いました。」
羅針が応じる。
「それと、こちらのカレーが美味しいって聞いたので、是非頂ければと思いまして。」
駅夫がすかさず横からカレーを所望する。
「おい、さっき朝食食ったばかりだぞ。」
羅針が窘める。
「良いんだよ。折角なら食べていきたいし、ここまで歩いてきたんだ、腹の虫も欲しているはずだよ。」
駅夫が冗談めかして言う。
相変わらずの二人のやりとりに、店員は顔を綻ばせたが、すぐに少し顔を曇らした。
「済みませんが、お食事は11時半からなんですよ。」
「えっ、そうなんですか。なんだ。どうしても食べたかったのにな。」
駅夫が残念そうにしている。
「まあ、しょうがないよ。また次の機会にしようぜ。」
羅針が慰めるように言う。
「次って言ったって、いつまた来られるか分からないじゃん。」
駅夫が本当に残念そうにしていた。
「ちょっとお待ちください。裏に確認してきますから。」
そんな駅夫の様子を見て、店員は店の奥に消えた。
「ご用意できます。ちょっとお時間頂きますが、ご用意できます。」
暫くしてから店員が奥から戻ってくると、ニコニコしながら伝えてくれた。
「本当ですか。無理言って申し訳ございません。良かったな。」
羅針が店員にお礼を言って、駅夫に声を掛ける。
「ありがとうございます。一昨日匂いを嗅いでから、ずっと食べたかったんです。備前カレー、フルーツカレーだよ……。」
駅夫はガッツポーズをして、感謝と喜びを全身で表していたが、何を言いたいのか、最後は言葉にはなっていなかった。
「それほど、喜んで頂けると、私としても嬉しい限りです。でも、特別ですよ。他の人には内緒ってことで。」
店員も、わざわざ裏に確認にいった甲斐があったと言って、いたずらっ子のように口に人差し指を当てて、にっこり笑った。
「ウチのカレーは、地元の食材を使用した備前カレーに、今はイチゴとパインをトッピングしたフルーツカレーになってます。セットでスイーツも付きますが、いかがなさいますか。」
そう言いながら、店員さんがメニューを見せてくれた。
「折角だから、スイーツも頂こうか。」
羅針は、カレーにドリンクとスイーツの付いたセットを頼んだ。
「じゃ、俺も同じものをお願いします。」
駅夫も、同じものを注文した。
店員さんが奥に注文を通し、戻ってくると、
「それと、ビールタンブラーですね。こちらになります。」
そう言って、いくつか並んだタンブラーの前に案内してくれた。
棚に並んだタンブラーは、一つ一つが特徴のある、独特の色合いで、どれ1つとっても同じものはない。その色味は備前焼独特の赤銅色ではなく、全体的に淡いピンクがかったグレーで、窯変によるものか、所々色の濃さが異なり、それが良い模様となっている。下部には、釉薬で付けたものなのか、金、赤、白、灰などが織り交じった模様が岩に打ち付ける波のように入っていて、シンプルで控えめなものから大胆で華美なものまであり、好みによって選ぶと良いと、店員からアドバイスがあった。
「ビール向けに作っていますので、注いだときの泡のキメ細やかさは、ガラスコップとは比べものになりません。表面の小さな凹凸により、泡も比較的長く保ちますので、風味が落ちるのを防ぎ、最後までビール本来の味をお楽しみ頂けます。
また、ビールだけではなく、コーヒーにも合いまして、遠赤外線効果で、口当たりがまろやかになり、コーヒー独特の嫌な苦みが減ります。
それと、比べる熱と書く比熱という、温まりにくさ冷めにくさを表す指数があるのですが、それが比較的高いので、温かいものは冷めにくく、冷たいものはいつまでも冷たいままなのです。どんなお飲み物でも、ご満足頂けると思います。
備前焼は使い込む程に艶が増して、味わいのある食器に育っていきますので、是非お手にとって、お気に入りの一品を見付けてください。」
店員の蕩々とした説明を受けた二人は、礼を言った後、目の前に並ぶタンブラーを見つめて、腕を組んで途方に暮れてしまった。
「なあ、どれも凄く良いんだけど。どうする。」
タンブラーを見つめていた駅夫が、耐えきれずに口を開いた。
「ああ、シンプルなのも味があって良いし、かといって華美な模様が嫌かって言ったら、その味わい深さに惹かれるし。正直、俺も決められねぇ。」
羅針が頭をかきむしるように、被っていた帽子を頭に擦りつける。
そんな様子を見ていた店員が口を開いた。
「本来陶器というのは、その人の感性に合わせてお選び頂くのがもちろん良いのですが、お困りのようなら、私の方から少し助言をさせていただきますね。
人にも依りますので、一概に言えることではないですが、シンプルで素朴な模様は落ち着いて召し上がりたい場合、例えばお好きな音楽、クラッシックとかヒーリングミュージックのようなものを聞きながら、晩酌をお楽しみになりたい場合には良いかと思います。
華美な模様のものは、日々のお食事にご使用頂けると、食卓に彩りが加わるかと思いますし、日常使いして頂ければ、生活に華が加わると思います。
また、独特な模様のものは、やはり目を引きますので、来客時などにお使い頂くと、話題の一助になるかと思いますし、その味わいを鑑賞して頂くのも一興だと思います。
あくまでも、参考までにお考えください。」
店員の助言に、意を決したように駅夫は華美な一品を、羅針はシンプルな一品を選んだ。
「やっぱり見てて華やかな気持ちになる、この華美なのが良いと思う。」
駅夫がそう言って、波打つような模様が派手に入ったものを手に取る。
「俺は、やっぱり落ち着いて飲みたいから、このシンプルなのにするよ。」
羅針が一筋の線が入ったシンプルなものを手に取った。
「では、こちらをお包みしますので、席に座ってお待ちください。カレーも今お持ちしますね。」
そう言って、奥に声を掛けにいった。
二人は、窓際のカウンター席に座り、一息つく。
「買ってしまったな。」
駅夫が何か高額商品を手に入れたときのような、清水の舞台から飛び降りたような溜め息をついた。
「ああ。持ち運ぶのが怖くていったんは諦めたのにな。」
羅針も散々悩んだ挙げ句の買い物だったのか、顔はにやついていたが、同じように溜め息をついた。
「でもこれでビールを飲むのが楽しみだな。」
「確かにな。」
駅夫の言葉に羅針は同意する。
「でもさ、ビールグラスはどうするよ。このまま持って歩いてたら、いつか割ってしまいそうな気がするけど。ホントに戦力外通告するか。」
駅夫が、太刀洗のビール工場で貰ったグラスのことを心配して言った。
「そうだな、戦力外通告するしかないな。持って歩くのも危険だし、荷物になるからな。……それじゃあさ、トランクルームにでも預けるか?」
羅針が、ちょっと考えて、提案する。
「トランクルームって、倉庫を借りて、そこに入れておくってヤツだろ、どこかに借りに行かなきゃ行けないじゃん。内見とかしにいかなきゃいけないし、借りてからも自分で仕舞いに行かなきゃいけないんだろ。それにグラス一個で、そんな大きな所借りる意味ないし。それなら自宅に持って帰った方が早くねぇ。」
駅夫が何言ってるんだって感じで、反論する。
「いや、そういうんじゃなくて、段ボール1個から、月額料金で預かってくれる場所があるんだよ。それに、全部先方が管理してくれるから、こっちは段ボールに梱包して送るだけ。後はお任せってやつだ。」
「そんなところがあるのか。それならいいかも。じゃ、土産物とか買っても、持って歩かずに済むじゃん。」
「ただな、割れ物なんかは自己責任の場所がほとんどなんだよな。保障はしてくれない。」
「なんだよそれ、それじゃ使えないじゃん。割れないようにって預けるのに、割れても知らねぇよじゃ、何のために預けるのかわからなないじゃん。」
駅夫ががっかりしたように言う。
「そうだな。じゃ、どうする。このまま持って歩くか。それとも、いったん家に戻るか。」
「それは面倒だから、実家に送ろうぜ。それなら取り敢えず安心だし。」
駅夫が、最終手段の実家を提案した。
「じゃ、そうするか。親には面倒掛けるけど、背に腹はかえられない。」
「だな。」
こうして、戦力外通告を受けたビールグラスの行方が決まった。
「すみません。」
丁度カレーを運んできた店員に、羅針は声を掛けた。
「はい。なんでしょう。」
「こちらから、宅配便を配送して貰うことって出来ますか?」
「一応、弊社の商品を全国配送しておりますので、業者に頼むことは出来ますが。」
「今私たちが持って歩いてるガラスコップがあるのですが、それを実家に送りたいと思いまして、それって出来ますかね。」
「それぐらいなら、承りますよ。配送料は頂きますが。」
「もちろん。それはお支払いします。」
羅針が話を進めてる脇から、駅夫が声を掛けた。
「あのさ、実家に送るなら、備前焼を両親にプレゼントしないか?折角だしさ。」
「ああ良いね。それじゃ、後で選んで、一緒に送って貰おう。」
羅針が駅夫の提案に同意する。
「すみません。お手数を掛けますが、両親にも備前焼を送りたいので、それと一緒に発送して頂いても良いですか。」
羅針が駅夫の提案を受け入れて、店員にお願いする。
「もちろん構いませんよ。でしたら、お食事が終わりましたら、商品をお選び頂いて、お持ちください。発送手続きをしますので。」
「分かりました。ありがとうございます。本当にお手数をおかけします。」
「こちらこそありがとうございます。どうぞごゆっくり。」
店員がそう言って、カレーを置いて、店の奥へと戻っていった。
「冷めないうちに食べようぜ。」
駅夫が、待ちきれないのか、いただきますと言って、早速食べ始めた。
「ああ。いただきます。」
羅針も、手を合わせて、この珍しいイチゴとパインが載ったカレーにスプーンを入れた。
「これ、評判通り美味いぞ。イチゴとパインが載ってるだけじゃなくて、中にも入ってるけど、カレーに絶妙に合ってる。」
駅夫が唸るように言った。
「確かに。こんなに合うとは思わなかった。付け合わせとしてもこの辣韮より合うような気がするし、ルーに入ってても嫌な感じは全然ないし。むしろ入ってることで、味わいにアクセントが付いて、何倍も美味しく感じる。」
羅針も、口へ運ぶ度に唸るように言葉を漏らしていた。
「だよな。お子様向けのカレーを想像してたけど、全然そんなことないし。しっかりとスパイシーで、それでいて、フルーツが入ることでまろやかな味わいになっていて、マジ美味いよ。」
「ああ。これは人気が出るはずだよ。」
朝食を食べたばかりの二人だったが、あっという間にペロッと完食してしまった。
カレーを食べ終えると、次に出てきたスイーツは桃の形の器に載った、米紅麹を使ったほんのり赤いシャーベットだ。
「この、シャーベットの香りって、独特だけど、どこかで嗅いだことあるような気がするんだよな。」
駅夫が一口食べて、首を傾げている。
「ああ、麹の香りだね。この仄かな栗香は良い麹を使ってるんだろうな。甘味も控えめで、口の中をさっぱりしてくれるのは良いね。」
羅針が味わいながら、香りも楽しんでいる。
「これが、麹の香りなのか。なんか懐かしくて、暖かい気持ちになる。冷たいシャーベットなのに。」
駅夫が、遠くを見るような目をして、笑った。
「よく、おばさんが味噌漬け作ってたろ。その時に使ってたのが麹味噌だから、それの匂いを思い出したんじゃないのか。よくウチにもお裾分けしてくれたな。あれとは少し違うけど、似たような匂いがするから、それで懐かしく感じるんだろ。」
「そうか。確かによく作ってくれたな。最近も作ってるのかな。久々に食べたいな。」
駅夫は懐かしそうに言った。
「このコーヒーもなんかすっきりした後味で美味いよな。一昨日飲んだときも感じたけど、嫌な苦みがなくてさ。」
駅夫はアイスコーヒーを飲んで、その違いを口にした。
「ああ。店員さんの説明通りだな。気のせいなのかも知れないけど、嫌な苦みは確かにしないし、後味もすっきりしてる。備前焼のポテンシャルを充分に堪能できてる気がする。やっぱり見てるだけじゃ分からないな。実際に使ってみると、その良さが良く分かる。まさに百聞は一触にしかずだな。」
羅針は諺を捩って言った。
カレーもスイーツも、そしてアイスコーヒーも、そしてその器である備前焼も堪能した二人は、食事を終えて、早速両親に送る備前焼を選び始めた。食器や酒器、茶器、花器など様々ある中で、結局二人はビールタンブラーを送ることにした。
旅寝の両親も、星路の両親も、ともに晩酌はするし、日常使いとしてコーヒーや紅茶、お茶なんかを飲む時にでも使って貰えれば御の字である。
二人はそれぞれ両親の好みに合わせて選んだタンブラーを送ることにした。
店員さんにそれぞれ選んだタンブラーを箱詰めして貰って、それぞれ宛名を書いた。送り先は纏めて星路家にし、太刀洗で貰ったビールグラスもきちんと緩衝材を詰めて、一緒に箱詰めして貰った。
「色々我が儘を聞いて頂いて、ありがとうございます。」
羅針は対応してくれた店員にお礼を言った。
「いいえ、たいしたことではないですよ。たまたま融通が利いただけですので、お気になさらないでください。」
店員はそう言うが、おそらく無理を通してくれたのだろう。1時間以上も前に食事を提供してくれたのだ。準備もままならなかったはずだ。
「感謝しても仕切れないぐらいの大恩ですよ。命の恩人にも等しい。こんな美味いカレーを頂けたんですから。」
駅夫は大袈裟に言う。
「大恩なんて、そんな大袈裟な。出来ることをしたまでですよ。頂くもの頂いてるんですし。でも、そこまで喜んで頂けると、店員冥利に尽きますね。こちらこそありがとうございます。」
店員は大袈裟な駅夫の様子を見て、声を出して笑いながら、照れくさそうにしていた。
二人は、会計を済ませ、ごちそうさまと、お礼を改めて言って、ギャラリーを後にした。
「取り敢えず、懸念のグラスは無事送ることができて良かったな。」
店を出ると、羅針が駅夫に声を掛ける。
「ああ。それに、親にも土産出来たし、喜んでくれると良いけどな。」
駅夫も応える。
「そうだな。さっき、荷物送るって電話したら、お袋から『珍しい』とか言われたけどな。」
羅針もそう言って、先程電話に出た、母親のぶっきらぼうながら、嬉しそうな声を思い出していた。